■domine-domine seil:unknown01 酔っ払いの提督(と元万年大尉の独り言)

 きっと定年まで教師でもやっていたんだろうな。学年主任、もっといってて教頭? それでなくても勤め上げた公務員。もしくは、どこかあまり有名でない大学で、ひっそりと教授をやっていた、とか。
 兎に角そういった風の、休日には縁側で将棋でも指してそうな、どことなく品のある初老の男だった。
 とても賢そうなおじいさん、若い者なら表現するだろう。
 そして、もう少し年を重ねたものなら、老いても身だしなみを整え、背筋を伸ばして歩くも、彼はきっと、リーダー的な存在ではなかっただろうなと考える。例えば大企業のエグゼクとか、役所なら省庁の幹部とか、学校なら校長、小さな会社の社長、レストランのオーナーでさえ、彼のキャラとは違う。さりげなくそういった長の脇で、後ろ手に手を組んで立っているイメージだ。人を見る目はプレッシャーこそ受けないが、見通すように遠くまで届く感じがする。沢山の人が通りすぎる職場にいたんだろうな、と思う。
 今日は週末だから、話すことが出来ないのがさみしい。とてもいいお客さんだ。一人で呑んで一人で帰る年配の男性の中で、もっともありがたいタイプだ。かなりの酒豪だと思われるが、量はいつも同じ、過ぎることなく、よって虎になることもない。何よりも気に入っているのは、件のお客が人生を儚んでいない点だ。世の中に火種がわんさかある為か、それ程景気は悪くない。だけど世相は不安定で、昨日まであった会社が粉みじんになることも珍しくない。だから、男がひとり嗜む酒は、侘しくなることが多い。
 しかしお客は今日も、手酌の酒を世界一うまいとでも言いたそうに味わう。
 あーあ、ああいう客ばっかだったら俺も楽なんだけどな……。もちろん、なりたくてバイトから必死に上がったこの立場、2号店の雇われ店長でも、やりがいも、プライドも、勤労の喜びも持っている。
 だが、やはり客の無茶振りには、この店の看板として親しまれるビルから生えた高速艇、アレをぶっ放せるものならぶっ放したくなることもある。もちろん、オーナーが払い下げを落としたとき、危険な部品などは抜いてしまって弾やビームなどは出ないのだが。
「大将、アレが撃てたら、いっそばら撒いちゃいたいよねえ」
 そうそう。ワガママな女性客に振り回されたとき、怒りのぶつけどころがなくて──自分がキレてしまったら店員を抑える人間がいなくなってしまう、だからデキる店長は人前で動揺しないのだ──ヘコんでいたとき、あのお客さんがそんなジョークを言って和ませてくれたんだっけ。自分の為じゃなかったのかもしれないが、そういう客の粋なひとことで、がんばれる日がある。
 あのお客にはその手の一言で、よく助けられる。だからといって昔取った杵柄と、店の子に指導めいた上から目線で一席ぶつこともなく、自分達が気まずくなればさりげなく溜飲の下がるようなジョークを言ったりしても、元凶の客に直接意見したりはせずにいてくれ、トラブルがムダに大きくなる小さな親切も働かない。あの空気の読みっぷり、弟子入りしたいところだ。
 大手のチェーンに近い営業形態ではあるが、それでも自分は飲み屋の店主。やはり客とちょいちょい会話を挟みつつ仕事をするのが夢だ。
 しかし……弟子入りしたいというジョークを言ったら、あのお客さん、何て返して来ただろうな。ネタを暖めず、早くに言っておくべきだった。
 珍しく友達と連れ立ってやってきたとき、お客の仕事が判明した。小さい頃からややデブキャラで、体育が2だった俺には無理ぽ。と肩をすくめてしまった。近くにある将棋サークルの同志だという親父さんの言では、人生の殆どを船、しかも軍艦で過ごした、つまり退役軍人だった。
「ははは万年大尉の窓際社員だったからね、大きい声で、言っちゃ困るよ」
 なんて言って笑ってたが、結構優秀な人だったんじゃないかと飲み屋は飲み屋なりの人を見る目で分析している。
「全く『オイラはただの船乗りですよ』がずっと口癖だったからな」
 因みに、親父さん──トロフィーだって貰った腕なのに、と悔しがってた──はまだ将棋で一度も勝ったことがないそうだ。死ぬまでに一勝、必ず上げてやると言っていた。
 いかにも文系って外見に似合わず口調だけは粋で軽快だったのは、やっぱりああいう──想像でしか知らないけど──死線を掻い潜ってきた何かなのかもな。イヤ、でも軍艦に乗ってたって言っても、必ず戦闘員っていうんだっけ? とかになるわけじゃないんだよな。もしかしたら訓練学校でずっと演習の指導をしてたのかもしれないし。教えるの上手そうだしな。
 なんて、ボンヤリしていると大声で店長と呼ばれてしまった。ああそうそう。今日はウチが戦争なんでした。店長は慌てて気合を入れ、手を口を動かす。混んできたな。ありがたいことである。


「もしもし」
 周りに手を立て少し拝んでから、通話ボタンを押す。混んでいてにぎやかなので、謝ることもないか。
「ご無沙汰しておりますミクラです。お時間よろしいですか」
「嬢ちゃんか。元気そうでなによりだ。いいよちょっと飲み屋だから周りがにぎやかだけどね」
 いいかい、と確認をとる。
「大丈夫です」
 女性らしい柔らかさと落ち着き、初々しい可愛らしさを兼ね備えた、美声の持ち主だ。それ程優秀でない携帯のスピーカーを通しても、耳に心地良い。最近はどこか懐かしいおかあさん≠連想させるような底知れぬナニかを含むようにもなった。まだ婿は貰っていない筈だが。
 行き遅れ、というNGワードが頭をよぎる。ジェンダーフリーの世の中に、残っていてはいけない言葉なのだが、男も女も勝手な生物である。
 まあ……もうそのへんは、すでに間に合っていないかもしれないが。
 イヤなタイミングで、壁のモニタからアナウンサーが軍事系のニュースを読み始めた。華美過ぎず、かといって無骨に過ぎない機能美と少し忌まわしい感の拭い去れない兵装が特徴の戦艦が停泊している。連合の白い制服、子供達の歓声、好意的な編集だった。
「また大手柄かい。頑張るね」
「恐れ入ります」
 そりゃこんな声とあの女神みたいな顔でお願いされたら太閤さんでなくとも一晩で城を建てるだろう。と苦笑してしまう。
 姫様でなくて武将なんだよなあ。旗本くらいじゃ歯牙にもかからんと、尻込みしてんだろうな。
「ところでフユツキ先生」
「なんだい」
「もう嬢ちゃんという年でもないので、何か別の呼称を考えていただけますと幸いです」
「いいんだよ嬢ちゃんは嬢ちゃんだから。そういうお前さんだって先生はないだろ。確かに嘱託で教官なんかもやってたけど、現役じゃ教えるような事はなんもやってねえしよ」
「そうでしたっけ。でも、わたしには人生の師匠ですから」
「よせやい。年寄りをおだてても木には登らんよ」
「ブリッジには上がっていただきたいですけど」
「おいおい噂どおりの魔女っぷりだね、この年寄りに軍艦に乗れってか」
「いらしていただけたら大変心強いです。お願いできませんか?」
 電話の向こうでは、しとやかに頭など下げているだろう。
「できねえよ〜」
 笑いながら手を振る。
「この前も雑誌にトーリス戦役の聖女なんて書かれてたけど……バカなトコは直ってないなオイ」
「それは不治の病ですからね」
 どこからともなく、フヒヒ、と笑い声が聞こえてくる。
「そんで、どうした今頃電話してきて、何か悩みでもあるのかい」
「いいえ。少し、お声が聞きたかっただけです。長らくご無沙汰してましたし、どうされているかも気になってました」
「オイラか? どうってまあ、心技体揃ったじいさんがじいさんぽく余生を送ってるな。ぽっくり寺にお参りするとか」
「そうですか。今日も、おいしいお酒を召し上がっておられるようで、大変安心いたしました」
「ありがとうよ。で、本当に、何か話とかはいいのかい」
「ありがとうございます。いいんです。むしろ、こちらは上げ潮じゃ、みたいな感じでして。わたしとしてはこのような時にこそ師匠のお声を聞いて気を引き締める、荒海に向かってうつべし、と自分を戒めておる次第なのです」
「わかったよ」
 自然と笑みがこぼれ、フユツキは一人で軽く何度もうなずいた。この娘はいつもこの調子だった。まだ女の子、という感じだったあの頃と、中身は殆ど変わっていないのだろう。良い意味で。
「それでは、気候が不安定な時期ですので、どうかご自愛を」
「おう、嬢ちゃんも、身体に気を付けてな」
「ありがとうございます。失礼します」
 切れた電話にメールが届いた。フユツキ様とあるので、確かめなくても相手はわかる。フユツキ≠ネどというあだ名? を付けられたのは彼らと一緒に仕事をしていた時だった。だから自分をフユツキ先生と呼ぶのは、あの娘しかいない。
 絶妙のアングルで撮られた惑星の写真だった。またどこかの衛星の目を盗みでもしたんだろう。そういう悪ふざけが好きなトコロも変わっていない。限りある中で笑うことを忘れないなら、大きなものでなくても幸せを得ることが出来るだろう。
 『美しすぎる提督』、などと軽薄なテロップが出て、フユツキは顔をしかめた。民放のニュースは色を付けすぎでいけない。魔女≠セの魔王の娘≠セのと敵勢を震え上がらせてるあの娘のことだ、何か考えがあってのパフォーマンスだろうが、調子に乗ってアレコレ無責任なコメントをするレポーターはどうかと思う。話の進め方もあまり上手くない。
 ここまできたらもう、並の男じゃ挨拶だってままならないだろう。結婚のシンパイなど年寄りくさいお節介だし、第一本人にその気は……多分ない。だが、じいさんらしく、そんなことにも気を揉んでしまうのだ。
 さっきのニュースじゃなくて、もっと軽薄な情報番組で取り上げられたとき出てた、同じ若き英雄≠フ一人の……もうあいつにしとけよとも思うが、それこそ余計なお世話か。同期? の中じゃ一番浮気しそうになくてしっかりしてそうだが、嬢ちゃんの好みではないのも確かだ。
 もちろん、本当にあの娘と結婚する男がいたらソイツを殴りに行くつもりだが。くだらん男でないか、この目で確かめねばならない。
 何せ自分の馬鹿弟子の中でも極めつきにバカ――当時たて続けにバカが揃ったが頭一つ飛び抜けていた――で極めつきに利口で、誰よりも強くなる、そんな娘だからだ。
 フユツキには子がいなかった。
「あの娘には確固たる信念を感じた。どんなバカをやったっていい。若い者のバカを支えるのが年寄りの仕事さね」
 自宅に帰ればよく彼女の話をした。やる気と根性だけはあるが、おそらく孤独な才能に苦しむ天才。
 妻は話越しにあの娘に好意を抱き、親身になってやりたいと思ったようだ。いつでも歓迎すると言ってくれたが、フユツキは彼女を自宅に連れて行くことはしなかった。
 そんな家族みたいに優しくしたら、あの子は自分に何が少ないか気付いてしまうだろ。
 我が子じゃないんだからさ。
「あの娘はいつか提督になるさ」
 そんな話もよくした。


 普通の提督と偉い提督ととんでもない提督がいるとするだろ。
 あの娘はとんでもない提督になるな。
 それが宇宙に轟く悪名でもな。


 そして何より凄いと思ったのは、英雄に縋ろうとしなかったことだ。


 何でも手に入る今の子は軟弱だっていうけど、果たしてそうだろうか。
 美人のネーチャンを模った宇宙船が落ちてこないか、光の海へ走るSLの汽笛が聞こえやしないか、隣の家の子とでも、明日遊ぶ約束があれば、そんなもの夜通し待たなくてもよかった筈だ。
 オッサンの自分が首をひねるくらい変わった子だった。同い年の女の子からしたら、それこそ、あの娘こそ宇宙人だったのかもしれない。
 背中の地図も、永遠の定期券もみつかりはしなかったが、それでも腐らず甲板を踏み、自分で夢の帆を上げた。
 そうそう、あの子に借りたマンガでも言ってたな。自分で勇者になる奴が勇者、だったか。
 確かに何でも手に入る。かわいそうだがしょうがないと指をさされた女の子が、みろ、今に千の翼を呼びそうだ。


 すぐ手の出るトコロに、嬢ちゃんみたいな純で健気な子が困ってれば慰めてくれそうな都合の良い王子様? がいたって、引っ張ってもらっておわりにしようとしなかった。


 強い子だと思ったのは、オイラをパパの代わりにしなかったことだ。
 あの子は自分で立ち上がる。
 どんなバカな理由だっていいじゃないか。
 大の男だって歯の根が合わない戦場だ。
 エラそうに旗艦って言ってもさ。
 ブリッジ抜かれたら一撃であの世だ。
 虚心[コア]を潰したらそれこそ地獄だ。
 俺も長いから、見たことあるが……あれは……惨い……。
 ココまで上がってきて。
 欲しいものを決めてるなら。
 叶えてやりたいじゃないか。


 伝授し甲斐はあったが、何のことはない。やるやつはやる。
「生まれながらの参謀。布団から起きたときも参謀。制服で寝てる」
 などと言われ、後進の指導を期待──次のステップへの推薦を蹴り続けた結果でもある──され、経験の少ない指揮官や候補者達をサポートする為に辞令を受け取り、仕舞いまでそこに居付いた。我ながら天職と思い、密かにミスター副官と呼ばれた自分ではあるが、頑張るのは本人で、いくら蹴飛ばしても、やらないやつはダメになる。
 バカだがバカなりの生き方を模索出来る奴がたまたま、巡り合わせただけだ。
 冗談交じりに師匠弟子なんて言うが、自分はなにもしていないと、フユツキは心底思っている。
 それでも、自分の持つ術を受け取った者達が、どうやって歩いているか、まあ気にならない訳じゃない。
 こうして時々声を聞かせてくれるなんて、いい娘じゃないか。
 今日は少し余分に呑もうかなどと考えてしまう。


「お、雨か」
 通り雨のようだが、予報とずれている。慌てて傘を探す者、走り出す者、この席からだとよく見える。
 おーおーみんな走ってるね。笑ってはいけないが、活気があっていい。何事もなく、雨に文句を言えるくらいが丁度いい塩梅だ。
 一雨ごとに、これから暑くなるだろう。
 こういうときは、たとえ合成でも、季節を感じるメニューがあると、風流だと思える。我ながら幸せな脳みそだ。これもまたいい塩梅。
 茗荷を薬味にしたそうめんがいいアテになる。
「すんません」
 一人安価な幸せを食するフユツキの前に、店員がやってきた。相席にしてはもらえないか、とのお伺い。雨のせいか、屋根を求めて建物へ人が流れ込んできたのだろう。結構な夕立だ。
 フユツキが了承すると、薄い上着のポケットに折り畳んだ傘の入った袋を押し込みながら、背の高い男がやってきた。
 用意周到なことは結構だが、そのガタイにちまい傘じゃはみ出すだろう。官給品のショート丈のレインコートの肩は少し水滴が付いていた。
「失礼します」
 ポケットから出したタオルで水滴を拭い、男は二人掛けのテーブルの向かいに座った。服の上からでも、立派な体躯であることがわかる。顔だちも悪くない。昔風に言うと、なかなかの美丈夫だ。少し堅苦しい感じがするが、さぞかしモテるだろう。
「半舷かい」
「よく、ご存知ですね」
「オイラ船乗りだったんでね」
 フユツキはメニューを渡してやった。
「恐れ入ります」
 真面目そうな男はぱらぱらとページをめくり、適当に目星をつけ、寄ってきた店員にオーダーを伝えた。
「休暇じゃないと一杯引っ掛けられんだろ」
「なるほど」
 短い外出なら、制服姿で酒など飲まないだろう。こうして外で堂々──とは言えないが──と酒なんかやろうと思えば非番明けに更に休日でないといけない。彼のような立場なら、尚更だろう。
 彼女のものとはまた別の艦隊が、降りて来ていた筈だ。
 ポケットに無理矢理押し込んだ帽子と、着たままのコートや更にその下の、通常タイプの制服とは違う、知っていればわかる差異などは知らないフリをしてやろう。


「デートはすっぽかしてもいいのかい」
 言ってみると、男は口にしたビールを吹きそうになった。
「ごほっ、いませんそんなもの」
 慌てるような歳でもないと思うのだが。
「なんだ。現地妻の一人や二人、いてもおかしくないかと思ったんだがね」
「そんな、女性に対して不誠実な」
 声が大きくなったのに気付いて、慌てて小声になる。
「私はそのようなふしだらな人間ではありません」
 僅かに赤面しながら彼は言った。
 見た目以上の真面目ぶりに、フユツキは思わず笑ってしまった。
「兄さん、堅物だって言われないかい」
「そこら中で言われてますよ……」
 面白くなさそうに目を逸らす。ソレで相当、からかわれて過ごしているとみえる。
 なかなかどころか、見れば、はっとするような美形だ。水も滴るとはよくいったものだ。もう少し振る舞いに色気があればプレイボーイで通るだろう。多分ソレが滑稽さに拍車を掛ける原因なんだろう。
 残念なイケメンというやつだな。
「まあ、遊びは兎も角、約束があるなら、オイラは電話とか気にならねえ、何なら席を外そうか?」
「結構です。お気遣いありがとうございます」
 慌ててフユツキを止め、彼は複雑な表情で笑った。
「恋人……いや、交際相手などはありませんので。他に人と会う約束もありません」
 さびしいひとりものです、と箸を持つ。
「モテるだろうに、たまにはデートくらいしないと男が錆びるよ」
「いいんです、そういうのはもう」
 食べかけた冷奴を放り出して、グラスを空にしてしまう。
「いや、すいません」
 何故か慌てて、謝って、残った冷奴を片付ける。気まずそうにメニューを開き、あるスペースで視線が止まって思案し始めたので、助け舟を出してやった。
「甘口と辛口があるな。米とか麦とか、芋とか、味も違うし、強い奴がいいのか? 甘けりゃ弱いってワケじゃない。日本酒の度数はあくまでも目安だ」
 なんかしらんが、酔いたい気分なんだろう。好みをきいて、合いそうな銘柄を頼んでやった。
「ありがとうございます……」
 ちょっとペースが速すぎやしないか、と思ったが相手も一人前の男だし軍人だ、取り返しのつかない事にはならないだろう。
 まあ、本当にどうしようもなくなったら、送り届けるくらいはしてやろう。全くの他人というワケでもないんだし。
「こんなじいさんでもよかったら、愚痴は聞くよ」
 この男も、最初みたときと変わらんな、とひっそり思う。向こうは顔まで覚えていない、たった一度きり、すれ違っただけの間柄だが、記憶に残っている。やたら背筋が伸びていてハキハキとものを言い、お天道様に対して恥じる事など何一つない、ヒマワリみたいな若い男。まあ、順当に、出世もするだろう。という印象だった。
「愚痴も特には、ないですね……まあ、実力以上に期待されると辛いトコロですが、相手も同じようなもんでしょうし」
 疲れたらぶらぶら散歩して気を紛らわせるとか。聞いてその距離は散歩とは言わねえよと心の中でツッコんだりもしたが。
「人が多いですからトラブルもあります。それでも皆よくやってくれてます」
 素直に育つタイプだと思ったが、外れてはいない。良い意味で、持っていた長所を損なわずにいる。変わったというと格段にいい男になっているが、少し影があった。まあ、そこに惚れられる憧れられるってなトコロなのだが活かせないのが彼の業だろう。
「時々恋愛事の相談に来られるんですが、私に何を期待しているんでしょうね」
 疲れた顔で苦笑する。
「くっ付けるくらいなら何とでもなりますが、余り複雑な事情を説明されても理解不可能というか」
「まあ、相談するやつには手練にみえるんだろうね」
「ないですよね……」


「なんか……色々しゃべりすぎて、すいません……」
 寝そうな顔で傾くので、ポケットから帽子が落ちてしまった。
 拾ってテーブルに置いてやる。
「……ありがとうございます」
 また丸めるのかよ。呆れるが仕方ないか。階級章は嬢ちゃんと同じだった。恋人でもあり、ライバルでもある、とか誇張した記事を思い出す。
 愚痴は大した事のない、微笑ましいものだった。本人が言うように、気合いでナントカしてしまう性格のようだ。
「見ず知らずの方なのに、何かしゃべりやすいっていうか、聞き上手ですね」
「まあ、これでも弟子なんか取ってたりしたからね」
「教官ですか?」
「チョット違うけど、まあ、そんなトコかな。退職してからはしばらくセンセイやってたしね」
「そうなんですか……あー……ウチにも一人欲しい……」
 どっかで聞いたような事をつぶやかれて、フユツキは苦笑いして手を振った。
「ま、まあ、もうじいさんだからね、仕事にはできんよ」
 邪魔者扱いされるとかのカナシスギル晩年よりはずっといいか、物騒なジョークもありがたく思っておこう。
「せいぜい若い者の愚痴だとか馬鹿話だとか、聞くくらいが関の山さね」
「馬鹿話ですか……」
「そうそう、歳とったらだんだん言えなくなる事あるからね、ソレを順繰りで年寄りが聞いていく。あんたもだんだん、聞く方が多くなってきたんじゃないかい?」
 相談されて、相手の期待に沿う答えが出なかった時の、落胆した顔が辛い、なんてさっきこぼしてた。
 この男ぶりじゃ、これから益々頼りにされるだろう。
 あの娘に釣り合うステータス、実力と結果を持つからこそ脚色の材料になり得るのだ。
 並の男じゃダメなのだ。英雄には英雄を。などと望まれる。
 

 まあ、この男は誠実だろう。相手を幸せにする努力を、決して惜しまないだろう。
 本人達が嫌でなければもうくっついてしまえよ、とフユツキですら思ってしまったりする。まあくっつくなら殴るのも忘れないが。
 しかし、嫌かどうかはさて置き、その気はなさそうだ。嬢ちゃんしかり。こいつも、そんなイイ話があればこんな顔はしないだろう。


「お時間はよろしいですか」
「なんだい改まって」
 声が小さくなる。しかし、この喧騒の中で、フユツキの耳にだけははっきりと聞こえる仕組みだ。
 懐かしい、彼ら独特の話し方。
「私を若い者として、一つバカを聞いていただけませんか」
「あいよ」
 しらじらしい飲み会が更けていく。
「私……いや俺は、自分の上官に懸想しました」
「なんとこりゃまた化石級のバカだね」
 驚きが一瞬顔に出て、銚子を持った手が固まる。まあ、酔いの進んだ男にはわからないだろう。朦朧としてみえるのは、酒のせいだけではないのかもしれない。
「だけどその提督は、俺以上のバカやろうでした」
 真っ赤になってつぶやく。
 知ってるよ、とはどの深層の自分か。
「手を出したら、出すのは自分だから、お前は下がってろ……みたいな感じで」
「惚れたのはオイラが先だぜってか? バカな殺し文句だね。女がわんさか釣れそうだ」
「ですよね」
 ──なのに俺。
「どうしてか、こんな……俺でないとダメだって……好……だ、って……」
 言いかねて、黙って、銚子だけを傾けた。2杯、3杯と煽るが、止めはしない。
「バカな話だが果報な男だねお前さん」
「はい」
「じゃあ、提督も喜んでお前さんを手放したんだろ」
 あの世には連れていけないからな。
「あんたが大事にしてやったからさ。大したバカだよ……」
 優等生のようでいて、なんとも厄介な。手をのばせば深みに堕ちてしまう。総てをなげうつ覚悟がないと、感情には踏み込んではいけない。自分にはもう、守るべきものがある。子供はいないが女房はいる身だ。
 恐らく、大人と感じる男性への条件付け=B半端に触れてしまうと立てなくなった筈だ。
 悪い言い方をすれば、逃げを打った。だからすれ違ったこいつに、まっすぐそうな男に、軽蔑されそうな助言をした。
「俺に出来ないことが出来る奴は歳なんか関係ない。尊敬する。あんたは凄い提督だ」
 まあせいぜい焦らして、焦らして、あの世でじっくり可愛がってやるんだな。
 男同士でもハヤい奴は嫌われるぜ。
 フユツキは潰れた男の脇に空の杯を置いた。
 冷酒用の透明なガラス製で、金魚が泳いでいるような色が少し、入っている。夏らしい。
 頼んだのは日本酒でありながらはっきりと知覚できる程甘く、その味で敬遠される程の少し変わった銘柄。値段は少しお高い。冷たい酒を杯に注ぐと、水面に星などは見えないが暗い空が少し映った。雨は止んでいる。
「あんたとは、一回しか、飲んだことなかったな」
 下戸ではなかったが、この口当たりにそぐわず強い酒をあおると、人形のように白い顔がたちまち赤くなった。
 嬢ちゃんもバカだったが、アンタもバカだったな。手は掛からなかったから、オイラも随分楽をさせてもらったがね。
 子供のように菓子に飛びつくので、好きそうだと思ったが当たりだった。日本酒をうまいと思ったのははじめてだ、とうれしそうな顔をした。
 一度だけ笑ったトコロをみたのはフユツキが軍人将棋を指せると知ったときだ。恐ろしくマイナーだが、アレはアレでおもしろい。よければお相手しましょうか、と言ったら目を輝かせて喜んだ。
「『  』」
 フユツキはぽつりと口に出した。
 その一手を伝える日は遠くないだろう。出来れば母ちゃんより先にコロっといきたいもんだが、贅沢か。畳の上で死ねるだけありがたいか。
 26勝26敗1分、決着付けましょうぜ。
 フユツキは今も鮮明な譜面を思いながら、自分の側に置いたもう一つの杯を傾けた。

 (1stup→110107fri)


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