■ユカタの夢

「ねえねえ駐在さん」
「何?」
 こういう言い方をする時は、下らないコトを言うに決まっている。とユイは思った。
「旅行しようよ」
「駄目」
「何でよー! 何でそんなすぐに断るのー?」
 ねえねえ、ルナはくねくねまとわり付く。
「泊りがけでどこか行こうよ〜」
「今うちにそんなお金はありません」
「えー? そんなコトないよー、ぼく貯金してるもん」
「お前はあっても俺はないの」
「ソレ絶対ウソ。だって駐在さん先月もその前もその前もお給料の半分しか使ってないもん」
 まあ、はっきり言ってこの男はケチだ、とルナは思う。だから、お金がないなんてありえない。
 多分、相当貯金はしてる。
「半分使ってるんだからないんだよ」
「何でよ、ずっとそうならあるでしょ」
「ないよ」
「もー! 駐在さんのケチ」
「やかましい! いつ死ぬか分からないんだからそんなしょうもないコトに金使えるか」
「ソレって、老後の心配とかしてるの?」
「そうだよ、50年くらいでお迎えが来るなら兎も角、あと何百年あるかわからないんだぞ」
 お前、不安じゃないのか、と聞かれて、ルナは少し呆れた。
「そんなの、お金とかってぼくたちにホントは必要ないでしょ?」
「……そうなのか……?」
「うん。だって綺麗なお家に住みたいとか思わなきゃ、何食べても別に死なないし」
「あー……」
 そうかも、とユイは納得しかけた。でも、自分にはそういうアウトドアは向いてないと思う。
 染み付いた人間の暮らしからは、とても抜けられそうにない。
「だとしても、駄目なものは駄目」
 大体、と、少し咳払いをしてから言う。
「非番っていうのは休日じゃないんだぞ。いつ呼び出されても良いように待機せないかんの」
「そうなの? でも、休日もあるんでしょ」
「あるけど、呼び出されたら出勤するのは同じだから」
 遠くに行くとかだめです、と取り付く島もなかった。


「ユイ」
「お早うございます課長」
「あいさつはいい」
 何かやったっけ、と考えてそうな部下に、ボイドは告げた。
「お前宛に管理局から通知が来てる筈だが、ちゃんと読んでるのか」
「……何か問題でも」
 とぼけているのかそうでないのか、分かり難い表情を見て、茶をすする。
「わしの所に昨日から2時間おきに電話が掛かって来るんだ」
 本当にちゃんと読んでるんだろうな、と詰め寄られて、ユイは首をかしげた。
 そのつもりだったけど、と履歴を辿ってみる。
 届いた書類やメールの通し番号は控えている。
 順番に整理してみると、1つ、番号が飛んでいる。
「コレですかね」
 ソレだ、とボイドは自分の走り書きと照らし合わせる。
 確かに、やけに可愛らしい声のオペレーターが何度も告げた番号だ。


「どうもコンニチハ」
 いや、こんばんはですかね、と、愛想の良い宅配業者が挨拶した。
「コレ、管理局から高速便です。サインお願いします」
 下手な字を穴が開く程見詰めて、彼は朗らかに告げた。
「ご本人に間違いありませんね。では、伝言をお伝えします。この書類にはあなたの労働時間についての記載があります。あと578990秒で、あなたの連続勤務時間が超過します。規定に従って休暇を申請し、積算時間をリセットして下さい」
「ちょっと」
 そういうコトは、もっと小声で言って欲しい。
「え? ナニかモンダイでも?」
 いつも自分が言っているその言い回しが、いかにイライラを増幅させるか、思い知る。
「まあ、驚かれるのもムリはないでしょうけどね、でも、よくあるコトなんですよ。皆さんいろんな場所を転々とされますから、発信した筈の事象がどこかに引っ掛かっちゃってて届いてないとか。ソレを正しい場所に配り直すのがわたしらの仕事なんですよ」
 いや、そっちはそっちで驚いてるけど、不満があるのはソレじゃない。
「どうしました?」
「……もういいです」
「そうですか? じゃ、ありがとうございました〜」
 聞こえたらどうするんだ、こんなトキに、とため息をつく。
 顔を上げると、どこだか分からない目をキラキラさせたヤツの姿。
「何か聞いたか」
「うん。聞こえちゃった」
 えへへ、と、ルナは幸せそうな笑みを浮かべた。


 目的の旅館に着くと、綺麗なお姉さんが部屋へ案内してくれた。知ってる顔だったから、何となく安心する。
 部屋には、お茶とお菓子があった。
 ぼくが淹れたお茶を飲みつつ、もそもそお菓子を食べてる駐在さんを見ながら、クローゼットを開ける。浴衣が一揃いずつ、2人分あった。
「ねえねえ駐在さん」
「なに」
「浴衣、浴衣着よう」
 ぼくはわくわくしながら自分の服を脱ぎ、袖を通した。
「それでね、温泉」
 浸かりに行こ。
「ねえねえ」
「……せわしない奴だな」
 またそんなおっさん臭いコト言って、とぼくは思った。でも、温泉と聞いて行かないとは言わない。予想どおり、億劫そうに腰を上げて、帯を結ぶ僕の横に並ぶ。
 脱いだ服を畳みつつ、駐在さんは素早く浴衣を羽織り、帯を掴んだ。だけど、そこからは一向に進む気配が無かった。というか、どうすればいいかわからないらしい。
 危なっかしい手つきで無理矢理結び目を作ろうとする。
「そうじゃないよ」
 ぼくはその手を優しく制した。
「もしかして、着物とか自分で着れない?」
「そうだよ」
 駐在さんは少し恥ずかしそうに目を逸らした。
 もう、可愛いな。ぼくは少しどきどきしながら、帯を手に取った。
「じゃ、ぼくが結んであげる」
「お願いします……」
 駐在さんは顔を背けたままで、照れながら言った。
「苦しくない?」
「大丈夫」
 上手く巻けてなくてユルユルだった帯を、ぐっと引いて整える。僕の分よりも沢山布が余った。
「駐在さん……」
「な、なに」
「えとね、駐在さんて、やっぱり腰細いよね」
「ちょ、ちょっと」
 ナニ考えてんだ、駐在さんはそんな顔でぼくから後ずさった。
 折角絞った帯を手放して、ぼくは駐在さんを抱き締めた。
 多分恥ずかしいからだと思うけど、帯が緩んで前が深く開いた身頃から、淡く染まった肌が見えた。同じように少し赤くなって焦る顔を見ながら、丁度背後にある押入れを開ける。
「やめろって、こんなトコ」
 誰かに見られたらどうするんだ、あくまでも抑え目な声で告げる駐在さんを、強引に抱え上げて押入れの仕切りに座らせた。
「大丈夫だって、他の人の部屋に入ったりするお客さんなんていないでしょ」
「で、でも、部屋間違えるとかあるだろ」
「もう、神経質なんだから」
 ぼくは化け物じみた笑いを浮かべると、ピアスの嵌った耳たぶを甘噛みして、首筋に唇を這わせた。
「やっ……嫌だって……」
「でも、良いんでしょ」
「良くない、良くないよ……!」
 言いながらも、駐在さんの呼吸は甘くて、少し震えていた。
「いいでしょ。旅の恥は掻き捨てって言うし」
「ふ、ふざけんなバカ」
 駐在さんは声を潜めるのを忘れずに、ぼくを咎めた。だけど、弱腰になってるのは間違いない。鎖骨を舐められて、ぺたんこの胸に舌を這わされて、もう思うように力が入らないみたいだった。
「あ……いや」
 ぼくは胸に吸い付きながら、掴んでいた腕を放した。駐在さんは自由になった手で、ぼくの肩と頭を掴んで、押し返そうとする。
 だけど、それはとても儚い力だった。
 唇を解かないまま、ぼくが見上げると、泣きそうな顔と目が合った。
 ちょっとかわいそうかなって思ったけど、肩まで落ちた浴衣と、淡く染まった身体は、とても色っぽかった。恥ずかしそうに、心細げに涙をにじませる顔も、すごく可愛い。
 ぼくは身体を起こして、細い腰を支え、抱き寄せてキスしようとした。
 目をきつく閉じて、背けた顔を強引に、だけど優しくぼくの方に向ける。
「ねえ、キスしていい?」
「駄目」
「何でよ、顔に書いてあるよ」
 欲しいって、ぼくにはわかる。
「……駄目なものは駄目」
「えー。ココまでしといてソレはナイでしょ」
 ソレを聞くと駐在さんは閉じていた目を開けて怖い顔をした。頬は赤いまま。どっちかっていうと滅茶苦茶可愛い。
「お前が勝手にやったんだろうが!」
 余程頭に来たのか、声を潜めるのを忘れた駐在さんは、2秒して、はっと口許を押さえた。
「でも、気持ち良かったんでしょ」
 ぼくがにっこり微笑むと、駐在さんは耳まで赤くなりながら、ぼくを罵った。
「うるさい! このエロスライム! お前のどこにあるかわからん脳みそ? にはソレしかないのか」
 ないよ。ぼくは満面の笑みを浮かべた。だって幸せだもん。
「今更ナニ言ってんの。ぼくの90%は駐在さんへの愛で出来てるんだよ」
「お、お前……」
 駐在さんは少し呆れつつ、ぼくの顔を見た。
「……よくそんな恥ずかしいコト言えるな」
「うん」
 だって、大好きなんだもん。
「言えるし、何だって出来るよ」
「だ、だから、やるなって言ってるだろ」
 俺は出来ないのー! とじたばた暴れる駐在さんを、積まれた布団に押し付けて、抱きすくめる。今度はストレートに、解け掛かった帯を落として、浴衣をはだけると、下着に手を伸ばした。
「や、やめろって、人に見られたら」
 その口をぼくは自分の唇で塞ぐ。
 長い時間を掛けて、隅々まで辿って、こぼれた唾液を拭ってあげる。
 気絶しそうに肩で息をしながらも、駐在さんはぼくを睨みつけた。
「怒ってる?」
「怒ってるよ……」
 見詰められると、顔を背けて、駐在さんは呟いた。
「大丈夫、すぐにそんなコト考えられなくなるから」
「嫌だ、いや……だって」
 お尻を撫でられて、言葉に詰まって、涙ぐんだ目で、ぼくの浴衣を掴んで喘ぐ。
 時折弱いトコロに触れられて、小さく震えながらも、鍵の掛かっていないドアに視線を向けてる。
「気にしすぎだって。今人少ないから、大丈夫だよ」
 そっと握り締めると、びくっと反応して、華奢な腕がぼくに縋りついた。
「……ダメ、だよ」
 それでもまだ抵抗があるのか、駐在さんは歯を食いしばりながら、ぼくを咎めた。
「りょ、旅館のひと……だって、来、るかも……」
「ソレなら」
 ぼくは包んだ手を動かした。
「ゼンゼン大丈夫だよ」
 にこやかに告げたけど、もう返事はなかった。多分、ナニが大丈夫なんじゃー! なんて言いたかったんだと思うけど。
 儚げな呼吸が、ぼくの耳元で溶ける。
「……やめて……もう駄目」
 虚ろな瞳から、涙がこぼれた。
 もっと泣かせたいな、気持ち良くして、大好きって言わせたい。
 ぼくは夢中になって、柔らかく指を這わせて、腰に廻した腕に力を込めた。
「どうぞ」
 今のぼくにとっては小さな音に気付いて、部屋の外の人影を招く。
 多分、何度もノックしてくれたんじゃないかな。
「失礼します」
 現れた綺麗なお姉さんに、駐在さんは一瞬呆然として、それから自分の姿にうろたえた。
「お夕食はどうされますか」
 眉ひとつ動かさないで、お姉さんは用件を伝えた。
「えと、持ってきて貰っても良い?」
「かしこまりました」
 駐在さんはぼくに滑り込まれた脚を閉じようとしてじたばた暴れた。だけど、一度抜けた力は簡単に戻らない。
 ぼくは両腕をきつく握り締めて、更に深く、脚の間に身体を寄せた。
 裸同然の姿で、男のぼくに押し倒されて、思い切り脚を開かされて、多分、恥ずかしくて死にそうだ! なんて思ってるに違いない。
 しかもソレを、こんな美人に見られるなんて。
「もうすぐご飯なんだって」
 だから、手早く済ませちゃおう。ぼくは軽口を叩きながら、何とか逃れようとする駐在さんを押さえつける。
 その姿を見て、お姉さんは今日初めて、柔らかな笑顔を見せた。
「お手伝いいたしましょうか」
 相変わらず、キレイだな、とぼくはその顔に見とれた。それから、にっこりうなずく。
「お願いします」
「なっ……ナニ言って」
 とんでもない申し出に更にとんでもないぼくの返答を聞いて、駐在さんは飛び上がった。
 戻った力でぼくの身体から這い出るけど、もう遅い。
 白く柔らかい糸の束に絡め取られ、床と天井の間に吊るされる。
「この人はね、女郎蜘蛛なんだ」
 ぼくは駐在さんの下着を剥がしながら、楽しげに告げた。
「駐在さん、こういう儚げな人、好みでしょ」
「どうぞ、可愛がってくださいませ」
 お姉さんとぼくは、にっこり微笑んだ。


「当館のサービスは如何でしたか」
「えとね。最高。お姉さん大好き」
 ぼくが片目をつぶって親指を立てると、お姉さんはにんまり微笑んだ。
「またのご利用をお待ちしております」
 お姉さんが出て行ったあと、ぼくは駐在さんを揺り起こした。ご飯の前に、さっぱりさせてあげた方が良さそうだった。
「ねえねえ、起きて」
「う……ん」
 ぐったり目を開ける姿は、どこか生々しくて、気だるくて、ソレはソレで素敵だった。
 だけどまあ、コレ以上はかわいそうかなって思った。
「どうだった?」
「どうって……」
 言われて思い出したのか、駐在さんはあまりの出来事にガビーンという情けない顔をした。
「どうもこうもナイだろう」
 その鼻先に回り込んで、ぼくは微笑んだ。
「すごかったでしょ」
「お前ね……」
 もう怒る気力もないのか、駐在さんはやれやれとため息をついた。
「お姉さん、素敵だったでしょ。ぼくもファンなんだー。前来た時にメルアドも聞いちゃった。お友達なんだよ」
「コレがホントのセックスフレンド、とか言ったらしばくぞ」
 またどうしようもないオヤジ発言をして、駐在さんは苦い顔をした。
「ソレとコレとは別口だよー。アレはね、この旅館のサービスなの。パンフレットにも載ってないレアーなサービス」
「……この旅館は客にセクハラまがいのサービスを押し売りするのか」
 呻く駐在さんに、ぼくは手を振った。
「サービスだから無料だよん」
「やかましい! 俺が言いたいのはソコじゃない!」
 大体お前は、なんてくどくど並べ立て始めたので、ぼくは肩を竦めつつも、内心ホッとした。
 良かった、結構元気そう。
 温泉行って、ご飯食べて、散歩でもしようかな。
 それから、どんな事、どんなコトしようかと、ぼくはワクワクと考えた。
「だからなー! ……お前、聞いてるのか」
「はいはい聞いてますよ」
「じゃあ、俺が何て言ったのか簡潔に纏めろ」
「えとね、ルナ愛してる」
「……ふざけるな、殺してやる!」
 と、ぼくに掴みかかろうとして、手を止める。
 やっぱり、消耗しているせいか、弱々しくため息をついて、駐在さんは言った。
「……もういいよ」
「じゃあ、愛してるで、合格?」
「お前、幸せなくらいおめでたいな」
「うん。駐在さんを大好きな自分がダイスキです」
「よくそんなコト……」
 駐在さんは赤面して顔を背けた。
 そんなトコも大好き。可愛い。
 愛してる。ユイ、愛してる。
 ぼくは何度も心の中で繰り返した。

 (1stup→071225tue)


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