■天井裏のオモイ?

 床を歩くなんて、スマートじゃない。
 天井から天井へ、彼は大体どこへでも、理不尽に伝う。
 爪や牙に自信はないが、そんなものはお呼びでない。こうして、潜んで、伝って、見聞きしたことを糧にする。好奇心とか、もっと現金なものに……というか現金そのものに変えることが多い。


 ふと顔を上げると、逆さまの顔。いつだってスタジャンにキャップとか、ラフな服装の若い男。
 ──オドロキました?
 なんて、ちょっと得意げなので、コッチもちょっと腹が立つ。
 確かに、ちょっと驚いた。
 でも、そんなそぶりは見せてやらない。
 そう毎回毎回、うまそうに喰われては面白くない。
 何だって皆、自分を喰べようとするのか。
 無意味に足音だけをさせて付いて来たり、目の前のコイツのようにただ天井からぶら下ったり、藪から棒じゃなくて砂を撒いたりとか。
 びっくりしたなあもう、なんて驚きを糧にするくらいなら、まあ毒にも薬にもならないただの妙なイキモノ。で、まだ半分人間の自分から、ちょっとした恐怖を吸い取るのも、食事の一部になるとかいうのも、間違いじゃない。
 でも、そんなのは面白くない。


「行灯のダンナ」
「お前……ケンカ売りに来たのか」
「何でですか違いますよ」
「イキナリ行灯て何だよ。しばくぞ」
「だって[トモリ]って字、行灯のドンでしょ」
 しょうがないじゃないですか、と天井は苦笑した。
「お助けのダンナって呼んでも怒るんでしょ?」
「当たり前じゃ。俺が笹沢佐保のファンにおこられるわ」
「だったら良いじゃないですか」


「大体、俺はその二つ名ってヤツが嫌いなんだ。何か背中がかゆくないか?」
 そもそも、顔や名前なんて覚えられない方が仕事がし易い。
「ハクがついた方が動きやすい事もありますがね……」
 まあ多分、恥ずかしいのだろう。
 でも、そういうコトを指摘すると本当にしばき倒されるのでやめておく。


「で、何だ。ビール券なら渡す相手が違うぞ」
 くだらないというか、タチの悪すぎるジョーク。本当にそんなものをやり取りしようものなら、間違いなく十手を振り下ろされる。
 それで多分、コッチの商売道具を吸い尽くす。日干しにされる。
 そういうコトをやりかねない。
 あわよくば、と思いつつも踏み込めないのは、ソレだ。


「まさかお前……また俺を喰うつもりじゃないだろうな」
「しませんて。あっしごときが喰ったところでダンナを殺しきれないのは、もうご存知でしょ」
 腹の上で千匹の魔物を飼い馴らす、とか、むしろユイを恐れているのは彼の方。世の中の有象無象、魑魅魍魎の類を自分の身体で繋いでいる、それが怖くなくて何だろう。
 いろんな意味で、食えない。
「差し入れですって差し入れ」
 勝手知ったるアレで天井は、ポットの湯を足して、適当なティーバッグの袋を開けた。いつからあるのかは知らないが、多分賞味期限は切れていないだろう。
「罰ゲームなんでしょ、ソレ」
 持参してきた小物を並べつつ、作業中の資料を指す。
「で? 篝火のダンナはどこ行ったんです? もう飽きちゃったんですか」
「違うよ」
 知らないけど、多分女のトコロじゃないか? とユイは言った。
「何だトモダチ甲斐ねえですね」
「……アレがいたって邪魔になるだけだろう」
 まあそのとおりだ。
「てか、ダンナも真面目ですね全く。大概にしとかないと壊れますよ」
 相棒くらい引きずり込めばいいのに、と肩をすくめる。
 一人なら、コッチはありがたいけれど。
「ま、ソレはさて置き、聞きましたっていうか何というか」
 と、思わず口を滑らせてあさっての方を向く。
 ユイはそのことにはとりあえず触れず――咎めたところで現状は変わらない――別のことを聞いた。
「ナニが言いたい」
「言っちゃって良いんですか?」
「お前ね……」
 言いたくて仕方がナイといった様子の顔を呆れ気味に覗く。
「客引きしばき倒しちゃったんですって? 何でそんな短気なんですか」
 今更腹立てたってしょうがないでしょ。天井が苦笑する。
「可愛く生まれちゃったんですから」
「いらんことを付け足すな」
 コレでも反省しとるんじゃ、とモニタに向かうユイ。
「はいはい、だからこうしてご挨拶がてら寄ったんじゃないですか」
 一息入れませんか、と左手ではケーキの皿、右手ではちょっと抗えない香りのする紙コップを差し出す。


「何じゃこりゃ」
 ユイはコップを傾けてから、顔をしかめた。
「おいしくないですか?」
 そういうの、好きそうと思ったんですがね。などととぼけたことを言ってみる天井。
「いや、味の事じゃなくて」
 紅茶に砂糖代わりのジャムをたっぷり入れて、甘くする。仕上げにコアントロー。
「酒入れスギ、ていうか半分以上酒じゃないか?」
 言っているうちにも、色白な顔に朱がさしている。魔物の基準でいえば、多分弱い方。
「まま、良いじゃないですか、正月なんですから」
 良くはナイけど、まあいいかとも思う。


「折角ですから、すごろくでもやりません?」
「はあ?」
「いいじゃないですか、正月なんだし」
 子供の頃って、こうやって、手作りのバカなすごろく、作りませんでした? なんて言いながらミスコピーの裏紙を広げる。
「そういうもんなのか」
「すごろく、知らないんですか?」
「いや、ソレは知ってるけど」
 子供の遊びとかあんま知らなくてな、と引かれる線を追うユイの目は、興味深そうだった。多分、チョット乗り気である。
「ホラ、ここらへんとかこの四角とか三角に、交代で自分ルールを書いちゃうんですよ」
 と、作ったマス目のところどころにある枠を指す。
「1回休みとか5マス戻るとか、あとワープゾーンなんてのもあります。まあ、やりすぎると取り留めのナイ状況になっちゃうんですけど」
 バカバカしいが、まあ良いかと思う。
「でも、ダイスなんかないぞ」
「イヤ、すごろくなんですから、呼び方はサイコロでいいんですよ……ていうか、別にランダムに数字が出ればいいですから鉛筆で十分です」
 とか言って、勝手に鉛筆に数字を書き込む。


「『宇宙人にアブダクション。出目が奇数なら2マス飛んで進む、偶数なら2マス飛んで戻る』って面白いじゃないですか。負けませんよ」
「『このマスに止まったらゴリラ』……なんじゃそら」
「まあ、そういうもんなんですよ」
 見慣れた左利きが綴る文字は、相変わらず無残である。
「ていうかダンナ、ホント字下手ですね……」
「……」
「『犬のうんこを踏んだ! えんがちょ。気になって歩けない。出目が半分(端数は切り上げ)になる』……な、なかなかやりますね」


「負けた方が、恥ずかしい話をゲロるってのはどうですか?」


「『晩ご飯がカレー。嬉しくてスキップ。3マス進む』……」
「ナニ固まってるんですか?」
「さっきの出目でうんこ踏んだから嬉しくねえー……」
「自分で考えたんでしょうが……」


「ていうか、このうんこトラップサイアクじゃないですか! 先のマスで戻っちゃったらもうカレーとうんこで死の往復運動……つーか、年開け早々からナニやってんすかね、俺ら」
「……あー……、カレーって書いたのはお前だから連帯責任な」
「もーグダグダじゃないですか!」
「ていうかもう何でもいいから早く上がれ」


「ゼンゼン上がれないじゃないですか、だいたい、こんなトコに5が出るまで進めないとかあるからいけないんですよ」
「出目が1〜6で振るのが一個なら期待値は平等だろう」
「期待値って……どんだけオタクなんですか」


「『ふりだしにもどる』って……ゴール目前に何でこんな連チャンなんじゃ」
「いやーやっぱお約束っしょ」
 何せアホな小学生の遊びですから、と言ってはみたものの、かなりどうしようもない状態。


「うを! マジこれ見て下さいよ! あと2! 2が出れば上がれます!」
「……とりあえず気合だ。気合で廻せ」
「出ろ2、オラに元気を分けてくれ!」


 過程は兎も角、勝ちは勝ちである。
「じゃ、遠慮無く聞かしていただきヤス」
 にこりと笑って天井が切り出す。
「初体験のハナシなんてどうですかい?」
「……」
 コイツもオヤジだな、と思う。
 あったかい酒気がまわったのか、少しぼんやりした頭を持ち上げて考える。
「いいけど……こんなトキに聞いて盛り上がる話じゃないぞ。ていうか恥ずかしいっていう気持ちもまだ無かったから」
「え?」
 ソレはちょっと、
「上手く話に出来る程わからなかったし……とにかく怖「チョット、ストップ、ストップ」
「何だよ」
「ナニって、そういうリョージョク系はダメです」
 いくらこの人でも、痛々しいのは御免だ。
「もっと萌えゴコロをくすぐるようなのでお願いします」
「人の記憶にたかった上でダメ出しって何じゃ! しばくぞ」
「イヤ、マジすいやせん。でもダンナなら多分特殊な経験してるだろうなって思ったんですけどまさかそんな……そんな」
「わかったわかった」
 ユイは両手を上げてため息をついた。
「お前結構ヘタレだな」
「そりゃないっすよ……もー口の減らない人ですね」
 コイツ表面ほどワルじゃないんだろうなと、ユイは苦笑した。


 そんなに言うなら、とユイはピアスを外してプラグを通した。
「適当に上げてみるから、コレって思う恥ずかしい記憶、勝手に辿れ」
「良いんですか? 結線に乗じてあっしが変なコトしないっていう保証はありませんぜ」
「良いよ」
 ユイは一晩しか咲かない花みたいないつもの笑い方をした。
「そのトキは差し入れとしてありがたくお前を喰わしてもらうから」
「マジで勘弁です。変なコトするってのは冗談ですから安心して下さい」
 酒が入っているせいか、淡い色気の混ざった笑顔はおかしな凄みがあって怖かった。


 その記憶は、どうにも恥ずかしそうで、ちょっと鼻血が出そうだった。
 無様にティッシュを詰めた鼻を見られるのは、ちょっと嫌だ。
 とか思いつつ、心の海から上がると、結線したままで、ユイはデスクに突っ伏していた。
 信用されてるのか、どっちかというと、手加減されてるのか。
 どっちとも思えないけれど、両方かも。
 居眠りしてる背中を見て、天井はやれやれと思う。


 潜った記憶の表層には、さすがというか、情報の種になるような単語は出てこなかった。電脳は素人同然なんていつか言っていたけれど、簡単に機密を吸われないよう、それなりに経験を積んでいる。
 防壁はノー改造の既製品だったけど、抵抗する意志は、多分、とても強い。
 もちろん、餅は餅屋である自分なら、抜けなくはないだろう。
 だけどまあ、今、そういうコトしなくても。
 世間は休んでるんだしとか。
 そんで外見程可愛くなくて、ゼンゼン色気のないこの頭の中身は何だとか。


 食えないんだけど、会う度に、うまそうだな、とか思ってしまう。
 大概、忘れられているが、彼の本来の生業は、天井からぶら下がって人間の顔を舐める事である。
 あわよくば、と思ったのだけど、まあ、いいだろう。


 いつだったか、あいつのアタマの中には脳みその代わりに刑法とヤクザを半殺しにする為の怨念が詰まっている、なんてショウがぼやいていた。
「ていうか、ホント真面目な人っすね」
 ──今日のトコロは、見逃しておきますよ。
 と、コートを掛けてやって退場。
「そういうのは帰ってから、あのトロロちゃんにでもして貰って下さい」

 (1stup→080120sun)


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