■killing-doll

 ユイはアルフォンソが嫌いだった。思い出すだけで震えが来る。消してしまいたい名前。
 死ぬまでに一度、あの余裕面を殴りたかった。
 でも、そういう事も出来ない。
 目の前に立たれると、心を覗かれないよう、全て動かさずに閉ざすだけで精一杯。
 皮肉を言うコトすら、出来はしない。
 大嫌いな男。
 でも、本当に嫌だったのは、あの男のものになりかけた自分だった。


 子供なんだからしょうがないって思っても、出来ることなら、誰か消してくれないかって、そんなコトを思うくらい、嫌な記憶。
 恥ずかしいなんて言葉で言い表せない、どうしようもない気持ちだった。後悔というか、屈辱というか、本当に、本当に、どうしていいかわからない。涙じゃなくて、もっと暗くて澱んだナニカで、塗りつぶしたみたいな。
 別に、誰も、その時の心をみていたわけじゃない。覚えてるのなんて、自分だけの出来事なのに、何故こんな苦しいのか。
 忘れたい、忘れたかったけど、消してしまうことは出来なかった。
 しかるべき方法を取れば、物理的に記憶を消すことも出来る。でも、それをやってしまったら、歯止めが利かなくなって、安易に何でもデリートしてしまう。多分、そうなってしまう。
 一度楽な方法を覚えたら、きっとそっちへ流れて帰って来られない。
 そうなりそうに、なったみたいに。


 アルフォンソは綺麗なものが好きだった。芸術ってやつか。よくは分からなかったけれど、掛かっているのは金だけじゃないことくらい、ユイにもわかった。
 きちんとした教師を付けたり、歌のレッスンを受けさせたり、そんな文化的な事をしてくれたのも、彼が初めてだった。
 でも、背徳的な悦びを植え付けたのも、あの男の手だった。
 ユイはずっと、痛みじゃないナニカを知らなかった。押し開かれるのは怖かった。いつか母親に言われたように、ただ黙って、開放されるのを待っていた。騒いだら殺される。泣いたら、もっと酷いことをされる。でも、涙を止められる程、強くはなれないでいた。
 痛くて、不潔で、気持ち悪かった。手が白くふやけるまで洗っても、綺麗になった気がしなかった。何度もうがいしても、苦い味がしそうで、食べ物を口に入れるのも怖かった。
 本当は、何も知らないワケじゃなかった。
 時々、どこか、腹とか、背中の奥の方で、暗闇に引かれる感じがした。
 心が無くなりそうで、頭の後ろがぼうっとした。
 だけど、ソレだって、得体が知れなくて怖かった。


 アルフォンソは優しかった。他人が想像する程の、劇的なことは何もない。
 食事をしたり、絵を観たり、言われるままに、歌を歌ったり。
 それに、これだけの事をしてくれて、指一本触れないなんてあり得ない。ユイはそう思っていた。
 だから、手を出してきても、驚きはしなかった。
 恋人だったセレンに生き写しなら、そんな気持ちがあっても、おかしくはない。
 そう、彼だって、彼女を愛するように、ユイの事を好きなわけじゃなかった。
 でも、そんなことどっちだっていい。
 母親を亡くしてから、ユイにはゆっくり眠れるところが無かった。だから、いつも疲れていた。ひもじい思いをする程、貧しくはなかったけれど、いつも気を張っていなければならない状況は、辛かった。
 負けたら、滅茶苦茶にされる。こんな世界でもルールはあるから、約束したとおり、命は取らない。わかってはいても、押さえつけられるのは、痛かったし、苦しかった。
 強くなる為に始めたことだけど、本当は、本当は、どこか逃げるところがあるなら、逃げてしまいたかった。
 巣穴に潜り込んで、息を潜めていれば何もかも終わるなら、その方がいい。
 だけど、そうしたトコロで、いつか喰われてしまう。
 巻貝の殻に入り込む蟲だっている。
 だから、強くなりたかった。
 少しでも、横になって、眠れるように。


 それで、どうにもならないときは、気が付くとあの男の傍にいた。
 空腹を満たす以外の楽しみまで補う食事とか、何よりも、空っぽになって眠れる事。
 それが、悔しいけれど、必要だった。
 いつだったか、丸一日と半分、眠りこけたこともあった。
 そんな、時間を忘れるくらい、彼の住処は心地良かった。
 それに、彼は優しかった。
 だから、まだ吐き出すものもなかった身体で、快感に溺れた。
 こうすればいいと教えられるままに、少しでも気持ち良い事を貪ろうとした。
 そして、溺れるだけじゃまた、いつか喰われてしまうからと、身を守る方法も教わった。
 惑わして、反対に、吸い尽くしてしまうとか。
 ソレは、とても実用的で、ユイは新しい武器を手に入れた気にもなった。
 歌う以外に、簡単な仕事も、アルフォンソはユイにやらせた。
 油断した相手を仕留める。
 人が死ぬのを見ると、少し怖くて、でも、背中がざわざわした。
 そんな日は、アルフォンソの腕の中でも、熱く溶けそうになった。
 何もかも面倒で、疲れてて、眠ってしまいたい。
 一日中ぼんやり過ごして、気が向いたら、あの男の処。


 ある夜、ユイは自分では一生掛かっても買えそうに無い高価なアクセサリや、凝った衣装を着せられて、彼の膝の上にいた。
 彼の好きな、オペラを観た帰り。気に入った筋を話しながら、ユイの襟元に顔を埋め、リボンを解いて、ボタンを外す。
 ユイはぐったり澱んだ瞳で、なんとなく窓の外の景色を眺める。他に、何もすることはない。
 握り締められると、淡い声とため息が漏れる。曇ったガラスに映るのは、人形みたいな自分の姿。これから、自分じゃ動けなくなるまで、イイコトをする。
 気を失って、起きたら、多分ベッドの上。
 その後のことは、知らない。
 多分、また、どうでもいい一日を過ごす。
 何もかもどうでもいい。


「可愛いな。お前にそっくりだ」
 言われて、気が付くと、信号待ちの景色に、アンティークドールの店があった。
 ショーウィンドウには、白いレースとリボンに包まれた、小奇麗な人形が座っていた。
 何も映さない瞳で、こっちを見ている。本当は、外から見えない造りの車内だから、ユイの姿なんて見えてない筈だった。
 でも、動かない人形は、人形みたいな自分を映していた。


 お人形さんみたいな自分。
 抉られる度に、可愛がられる度に、誰かが言う言葉。
 人形みたいな姿。動かずに、何もしない。
 何も考えないで、いるだけの可愛いお人形。
 どうでもいい、何もかもどうでもいいって思ってたけど、俺は、俺は人形じゃないと、叫んでしまいたくなった。


 誰のものにもならない。
 誰のものにもならないって、何度も、呪文のように繰り返してきた。
 それで、思い上がりかもしれないけれど、少しは強くなれた。
 でも、ヤツの近くにいると、そうじゃなくなくなりそうで、駄目な自分を思い知らされそうで、嫌になった。
 こわかった。
 お前のことなら、何でも知ってる。いつも、自信たっぷりに、正面から見つめてくる。あの顔なら、どんな女だって、イヤ、男とか、もっと高校生みたいなガキだって、思うままに付いてきそうなのに、何で俺に構うんだ。いつか、ぶちまけてしまいそうで、怖かった。
 そんな風に、取り乱したくは無い。
 弱いところを見せたら、多分喰われる。
 魔物みたいじゃないけど、ヤツは俺を喰おうと、巣を張って、辛抱強く、待ち続けている。
 蜘蛛みたいに絡み付いて、狩られてしまう。
 それが、いつかヤツから教わった狩り方。
 隙があれば、俺を飼おうと、あの、形のいい手を伸ばしてくる。綺麗な指で、触れようとする。
 全部知ってるなんてあり得ない。
 でも、確かに、彼は、俺の、触れられたくないトコロを知ってる男だ。
 いっそ何も考えずに楽になれたら、なんて、逃げ出したかったこととか。
 このまま眠ってしまって、楽になりたいとか。
 そうだ、身体のことじゃなくて──ソレはソレで指摘されたら殺したくなるけど──心のこと。
 気持ちを知られてるのが、こわかった。
 駄目だった頃の自分をみなくちゃいけない。
 それが、どうしようもなく、嫌だった。

 (1stup→080619thu)


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