■呪いのサイバーリング

 エントランスをくぐったところで、背後に止まった車に気付く。滑るように横付けした黒塗り。見知りすぎな顔。
 ユイは振り向いたまま待った。
 相手はすぐ気付き、大股に歩いて来た。
「何だお前も今帰ったとこか」
 並んで歩いて、エレベーターのボタンを押す。
 2ヶ月ぶりに会ったからといって、話す事は特にない。
 多分、親父なんてそういうものだ。


「お前んトコ、最近の景気はどうだ」
「変わりない」
 ユイは小さく息をついて続けた。
「ていうかこれ以上繁盛したらヤバいだろ」
「そらそうだな」
 警察なんか暇な方がいい。
「そっちは」
「ぼちぼちだな」
 ギルドの仕事は、忙しい方が良いだろうか。最も穏便な看板は人材派遣だから、需要があれば人も物も、経済的に豊かな方向に流れていると思えるか。景気は良いだろう。そしてきっと、建て前で控え目にみせている部門も、相当な羽振りだ。
 悔しいが、警察はいつも間に合ってない。この街じゃ民営警察の装備は貧弱で、その上の機関は白昼生首でも吹っ飛ばさないと出張って来ない。
 居住区のランクや、トラブルの規模でなくて、誰でも規定の料金で動かせるギルドは便利だ。正しく依頼すれば、溝蓋の下のコインだって2秒で回収出来る。
 必要な所に必要な人材を、素早く派遣する為の組織。多分世界で一番派手な隙間産業だ。
 他人の間に合わない事を、彼らは何でもやる。
 あらゆる方面で商売敵となり得るのに排斥されないのは、どことなくロマンみたいなものを追求したがっているからだろう。
 ──悪いな、金じゃねえんだよ。
 このご時世に本気で口走る奴が生きて動いている。ユイにはわからないが、彼らは人助けを信条としているようだ。職業ヒーローというか。
 兎に角、フリーランスのプライドみたいなものが非道を良しとしない。
 とはいえ、相互扶助的な寄り合いから始まった冒険者のたまり場も、今では巨大な資本を持った企業だ。悪漢でない事が合法である事とは繋がらない。クセのある連中をまとめて動かすには、相当な力が必要だ。腕っぷしだとかただ積んだだけの札束じゃダメだろう。ビジネスのセンスとか、腹黒さだとか、多分切れる頭の方が大切だ。
 豪快なだけが取り柄に見える親父も、日がな一日、電話をかけ、机の下で見えないものを推し量り、必要があれば血を流さずに誰かと斬り合っているんだろう。
 その辺は素直にすごいと思える。それなりに遡れる先祖の名前も、仕事の足しにはしていないようだ。総務──ギルドの部署名に渉外≠ヘない──部長の名前も、冗談のように豪奢な住居も、総て本人の力だ。
 遠い灯に想っていただけで、恋人でもなかった女の子供、当然自分の子でもない、誰の手垢が付いてるかわからない野良猫を捜し出して育てるとか、大した義理人情ぶりだ。そこそこ上った男の余裕というかちょっとした愛嬌か、度量ってやつか。ああまあ好い男[ナイス=ガイ]だろうさ。
 ユイは本物に触れたことも嗅いだ事もなくて、自分に繋がるイメージを持たない。父とは何であるのか、どういう生き物であるのか。しらないなりにもこの男がその中でかなり上等であることはわかる。
 これだけならば、理想的な越えるべき壁。蹴破ってやろうなんて思わない。


「おかえりなさいませ旦那様」
 そう言って、彼女は控えめに頭を下げた。
 鈴の鳴るような、とでも例えられそうな女の声以外は、総てが。
 あまりの事に硬直するユイに、親父は無造作に声をかけた。
「早よ上がれよ」
 自分はさっさと靴を脱ぐ。当たり前のように上着とカバンを彼女に渡し、口を動かす。
「ぐずぐずしてっと母ちゃんうるせえからよ。メシが冷めちまうとかがふう」
 咄嗟に受身を取り、無様に床とキスするのだけは防ぐが、みぞおちに食らった一撃は堪えたようだ。よろめきながら呻く。
「イキナリなにしやがるこのバカ息子」
「バカはソッチだ死ね」
 抜刀して突っ込んでくるユイ。手加減はゼロだ。何しろ相手はヘンリー=クルセイド、しかも今はどうしても一発食らわさないと気が済まないバカの中のバカだ。
 人形みたいな体したこのせがれが、尋常でない使い手である点は、父も認めている。まあ俺にはまだまだ及ばないガキだし、しかも何かというと毛を逆立てた猫みたいに爪を立てにくる。お見通しだ。
 趣味の悪くない調度品が砕け散る音がして、半透明のシールドと、刀身がせめぎ合う。
 ユイは父の展開したシールドを足で押し返し、間合いを取り直した。
 その間に、ヘンリーは抜き身の剣を空間から引き出す。ユイの日本刀とは対照的な、西洋的な装飾のあるブロードソードだ。勿論刃は、儀礼用なんかじゃない。
 ステップを踏むたび、柄を振り上げるたび、壁にひびが入り照明が揺れる。花瓶が割れて、花が水溜りに沈む。
 それこそが、お前を待つ敗北だと言わんばかりに剣を突き付ける双方。
 床を踏み抜かんばかりに低く駆ける。
 それなりに名前のある剣士の剣がぶつかり合い、渾身のオカンアートが破壊された。


「何をほたえてますのや」
 久しぶりに顔を合わせる、と母は待っていたわけだ。楽しみに揃えた夕げの出鼻を挫かれて、上機嫌でいられる筈もない。口答えの一切を封じられたまま、床を拭いて飛び散ったトピアリーの欠片を拾い集める。横を見るとテグスの切れたビーズを摘む手がぷるぷる震えている。ヘンリーは見た目のとおりちまちました作業が大嫌いだ。ユイだって、親父程じゃないがこういうのは苦手だ。
 しかし、好き嫌いを言っていられる状況でなし。頭の上を流れていく小言は作品にかけた手間や情熱から日頃の生活態度に移っている。いい年だとか少しは落ち着けとか、親父のことか。ええ人の一人もってほっとけ、自分の冴えない独り身を突付かれて──最近この辺が特に長い──余計なお世話じゃと思うが黙って聞くしかない。


 今の両親は、過去に遺恨を残さない人間だ。思ったことはすぐ弾けるが、繕うべき場所を仕舞えば、ケロリと元に戻る。一連の事件? でいくつかは頃合を外してしまったかもしれないが、食事は雰囲気まで美味しく感じた。基本的には母のオンステージだが、聞く方も饒舌だ。キャッチボールというかジャグリングかよ、とユイはいつも苦笑する。言いたいことも出し切るし、総て受け取り返す。黙って食べているだけの自分がただの飾りでないこともわかるので、そこは、かなり照れくさかった。無事らしい顔を見せるのが息子というものか。それでこうやって喜ばれるなら、たまにはいいかも。
 と、家族にひたる。
 何かを口に出すことなんて、この先ないだろうけど──多分、改まった事とかは言うべきじゃない──返しきれないものを貰っていると、ユイはいつも思う。
 それは食後のお茶と同じ、じんわりと手の平にひろがる心地よさ。ここは、居心地のいい部屋の筈だった。


 何もみえてないしきこえてないと思えばいいか。
 無理だ。


 耐えられたのは、テーブルの片付けを手伝うところまでだった。ブランデーとマーマレードの入った紅茶──きっと好みの甘さ加減になっている──がソファの前にあるが、香りに甘える気にはなれなかった。もったいないが、一息に飲み干して、熱さに堪えたソレで刃は仕舞ったまま。クールになったつもりで言ってやる。冗談じゃない。
「有り余る金、どんな道楽に使おうが知った事じゃないけど、やって良いジョークと駄目なジョークがあるだろうが!」
 あんな悪趣味極まりないメイドロボなんか作ってどういうつもりだ、とユイは乏しい表情で懸命に眉を吊り上げた。
「幾ら掛かったんだ、しょうもないコトしやがって……」
 母に付いて黙々と作業する横顔をちらりと見て、鳥肌が立ちそうになる。仕事とか、捜査の為なら変なコスプレも抵抗なかったが、無意味にメイド服を着るなんてあってはならないことだ。そんなものが視界の隅で動く様子は、まさに地獄絵図だった。
 このクソ親父、殺してやる、知らず知らずのうちに間合いを取ってしまう。
 黙っていると一旦落ち着いた気持ちがまた煮え立ってきた。
「まあハナシを聞けって。造らせたのは俺じゃねえ」
「どういう事だ」
 あれほど──認めたくはないが──ソックリに作ろうと思えば余程自分を近くから眺めないと難しいのではないか。
「そんなんはお前の方に心当たりがあるんじゃねえか」
「まさか……」
 言われてどんよりと閃いてしまう。
「お前ん家に貼り付いて写真撮ったり絵描いたり勝手に部屋の掃除したりする奴がいたんだろ」
「あいつらか」
 頭が痛くなってきた。
「じゃあナニか、親父が吐かせて没収したのか? 逃げ足は速いし、何回シメてもすぐ復活して虫みたいに湧いてくるし、もう面倒くさくなって放置してたんだが」
「ナニ!? じゃああんな変態どもをお前まだ飼ってんのか?」
「だから何回しばいてもまた来るんだって」
 むしろ、罵倒されて殴られたがっているフシだってあった。
「ていうか、何か話が見えないんだが。俺の周りを付いて廻ってるアレを捕獲したんじゃないんだな」
「当たり[めえ]よ。何でこの俺サマがいい加減一人前に暮らしてるせがれのガードせにゃならんのじゃ」
「だったらどうしてあんな……」
 もの、というのは少し躊躇われた。彼女にどれほどの情緒が備わっているのかまだ知らないが、自分ではない存在。ソコは理解しているつもりだ。
「まさかマニアックな趣味に開眼したんじゃないだろうな」
 家族にナイショで自慢の電子嫁を見せっこ、というのはよくある有閑お貴族様の娯楽だ。
「べらぼうめ、こちとら生身の女一筋よ。つうか母ちゃんにゾッコンなんだよ」
「さいですか」
 まあ、細心の注意を払って交換しているパブのネーチャンのアドレスや、ソレ用の携帯のことは許してやってもいいだろう。
 どうせ、お釈迦様の手の上だろうし。


 ぬるい夜だった。汗が湧く程でない湿気と、ただ空気が動いていると知覚できるだけの風だった。温度を感じないのは、曖昧で不快だった。
 まあ、今日の天気に文句を付けていられるうちは良い身分か、と彼は考えた。今日が何曜日なのか答えられない様子でナニカに酔った影が、路地の隅でうずくまる。派手な明かりの下、客を呼び込む男は今の時間ばかりを気にしている。
 こんな夜はやたら不景気なものに目がいってしまう。
 人の形を避けて街路樹に視界を移してみる。剪定が不十分で、歪な枝ぶりだ。虫食い跡が擦り切れた服にみえた。ゴミが突っ込まれた植え込みに、樹を咀んで育ったのか蛹が一つあった。足を止めるが、腹の位置に空いた穴に期待を裏切られた。今年初めてみる蝶? が孵らない蛹とは、全く鬱な光景だ。
 散策がてらに歩いたつもりが、嫌な方向への気分転換になりつつある。
「なんだ、シケた空気だな」
 口に出してそれで終わり。
 引きずられるほど感傷的ではない。
 普段と違う道を歩いてみるのは切り上げて、知った路地へ向かう角を曲がる。
 馴染みの店で、変わり種のカクテルでも拝むか、彼の頭は綺麗に切り替わっている。
 変わらずぬめったような風が撫でるが、趣味と質のいいコートの裾が揺れるだけだった。
 死んだ人間が踊りそうな夜にあって、彼の足取りは陽の下と変わらず力強い。生半可なチンピラなら手を出しかねる、鈍く光る鋼。壮年にして勇猛、堅牢なる盾を持ちて、迷い無き剣を秘す。老獪であり剛健である男が一人、まといつく影を退けて歩く。


「チョット待て」
「何だ」
「今の『壮年にして(以下略)』とかいうのはテメーのことか?」
「それ以外にねえだろうがこのバカ息子」
「かなり装飾が多いんじゃないか? ナニが老獪であり剛健だ」
「うるせえ地の文にケチつけんな。チンコ切られるぞ」
「アホか……兎に角親父キャラがいるからって今日の地の文は贔屓しスギ。程々にしとかないと俺が手前のチンコ切るぞ」
「お前どっち向いて喋っとるんだ」


 雨でもないのに蝙蝠傘。スーツにはしわが無かったが、履物は黒いゴム長。今時どこで見つけてきたのか、顔の真ん中には底の厚い眼鏡。しかも無意味にレンズが3つある。まあ、なんというか不審な男だった。
 しかし、彼は、付いて行ってみようと思った。大きな仕事を一つ終わらせた、開放感がそうさせたのか。いざとなれば、多少の心得はある。揺るぎない自信からか。
 或いは、予感からか。ナニカの。


 古い雑居ビルがあった。恐らく、界隈は全て、夜と昼とで名前も違う店が立つ。もっと細かくなれば、夜半組、深夜組があるとか。1つのバディに複数の顔──人格をもつ異形の街。眠ることもない。
 男に誘われたのは、その場でも最も古びた建物だった。4階から上は、焼けた跡がある。どうやら廃ビルのようだ。こんなところも、分野によっては都合のいい場所として喜ばれる。リサイクルの世の中だ。


 恭しく開いた扉の向こうを見て、シールドを展開するべきだと思った。が、一瞬でやめる。呼び出しそうになった剣も、意識の奥に留める。
 並んでいた娘達は、生身ではなかった。動いて喋りもするが、生き物ではない。機械で出来た人型だ。
 中古のサイバーリングを格安で提供している、男はそう紹介した。
「しっかりした身元の方がご利用になっていた品です。ものは全て、高級品ですよ」
 アレンジが効きすぎて原型からは遠いが、確かに、名前のあるメーカー品だ。そうでなければ、一点ものか。肌の役割をするコーティングも、髪の1本1本も、お安いものではない。
 彼の視線に、男は言葉を足した。
「勿論、外観だけではありません。中身も、生身と変わりません」
 いえ、と得意げに胸を張る。
「それ以上の夢をみせてくれるでしょう」
 15のガキじゃあるまいし、青臭いことは言わないが、悪趣味だ。若干冷ややかになった彼の耳元で、男は囁いた。
「セクサロイドはお嫌いですか。でしたら、そういった機能は取り外させていただきます」
 永遠の、少女として鑑賞することもまた、趣味のヒトツだ。嗜好としてはむしろ悪くなっていると、彼は思うが。
 人と人形の間には、どうしてこうも澱んだ情が湧くのか。


 立地、営業許可の時点で、法には触れているだろうが、ギルドがうるさく出張るトコロではない。そんなものは、公的機関が狩ればいい。
 進んで裏路地に迷い込んで、進んで買う奴が、勝手に身から錆を出すようなジャンル。
 ライトアップは商品の周り最小限で、客の風体は分かり辛い。まあ、それなりの配慮はされているようだ。フロアにぽつぽつ立っている彼らの横には、揉み手せんばかりの勢いでかしずく、水中眼鏡の男。どうやってここまで上ってきたのか──足ひれを履いた男。不審すぎる姿。それが店員らしい。
 客が伸ばした手にうつむき、恥らう姿、挑発的なポーズで座る姿。彼女達は、容姿以外にもさまざまな特徴が植えられているらしい。
「一度手がついたものは、初期化してもクセが残るんですよ」
 だが、その予想外のノイズが、好きなものには堪らないという。定番に飽きた、玄人好みの店ということか。
 物見にはなったが、彼には縁のない世界。プライベートでまで、首を突っ込もうとは思わなかった。そろそろ切り上げるかと、向き直ろうとして、固まる。
 目を疑ったが、幻ではない。
 他の商品の陰になった位置に、それがあった。


 閉じた瞳のまつげは長かった。
 黒髪の、少女の姿をした人形。
「さすがに、お目が高い」
 男は傘の縁から目を出して微笑んだ。
「この娘は、正真正銘の、未使用なんですよ」
 その割には、値段が安い。彼にそういった性癖は無かったが、サイバーリングの相場、予想出来る用途から考えられる機能、そこからはじき出した数字の半分にも満たない。
「ちょっとね、曰くつきなんですよ」
 可愛いでしょう。リアルじゃ、こんな子に手を出したら即お縄でしょうな。第一、うかつに抱いたらショックで壊れかねない。華奢な子でしょ。こういうね、いかにもお人形さんみたいな子は、一番人気にはなり得ないんですが、熱心なファンはつきやすいんですよ。
 ご多分に漏れず、色んな方が彼女を希望されましたよ。
 ところが、未だ想いを遂げたマスターはいないのです。何度も、こうして戻って来てしまうんですよ。
 主人を選ぶんですかね。誰か勇敢な人を、待っているんですかね。
 いかがですか。
「あなたの目に留まった、それが何かのサダメかもしれませんよ」
 定め、彼はそうかもしれないと思った。営業トーク、売り込む為の言葉の一つであると承知しながらも、そうか、と納得した。
「いいだろう」
 彼は決めた。
「俺が引き取ろう」


「でな、次の日ソコへ行くと夕べの喧騒が嘘のように、ビルはがらんとしててよ、そのドアを開けるとイカ臭い風がざあ、と吹いて──」
「……生臭いっつーんだ。死ね」
「やかましい、いーんだよこういう話だからよ。ま、そうやって店はモヌケのカラ。あとはどうやって探しても行方は分からずだ」
 商品? ──と言うのは何やら寝覚めが悪いが──はその場で受け取った。少女らしい動きで甲斐甲斐しく生活を潤してくれる。この夫婦には生体的な手段では子が成せないのだ。少々出自が奇想天外でも、授かったような気になった。まあ要するに過剰にポジティブというか人が良いだけか。
 金は小切手で即金。支払い済みなら後ろめたい事もない。ご丁寧な領収書も、手元に残っている。木の葉になる気配もない。
 まあいいかと思った。
 ブアイソな娘っ子──前回は、娘に見えるだけだったが──を仕込むのも初めてじゃない。
 ここまできたら、入手経路なんて不問でいい。
「捜すのも面倒だしな」
「で?」
「で? って何だよ」
「ソレのドコが曰く付きなのかさっぱり分からんが」
 とか言いつつ、ある答えを言ったら殺ス、とも読めなくないユイの顔。
 例えば、外見は女の子なのに付いているものが多いとか。むしろこの場合凹んでいるトコロが余分にあるというべきなのか。どっちにしても今以上の悪夢は超不要だ。
「呪われてるんだよ。これ以上ないくらいにな。これだけ説明しても分からんとはお[]ぇケーサツでナニ捜査してんだバカ息子」
 もっとヘンタイのニオイのしないまともな事件です、と言おうとして言えず、黙っているユイを、しおらしく反省していると解釈。益々調子に乗るヘンリー。
「だからアノ娘には邪な考え起こして近づく男のチンコをもぎ取る恐ろしい呪いが掛かってんだよ」


 眉一つ動かさない親父の真顔に蹴りを入れる。スリッパの底が張り付いたのはしかし透明なシールドだった。まあ、時間を空けず2度は食らわないか。
 ヘンリーはシールドごと息子の足を押しのけた。あからさまにムカついた顔をしている。
「ナニ行儀[わり]ぃコトしてんだ」
 テーブルに足乗せんな、と言いつつ剣を出現させる。派手な動きを見せておいて、姿勢を変えている相手の足元を掬うつもりだ。
 ユイはテーブルの下の動きに気付き、ソレを忌々しげにかわした。
 父から目を離さないまま、傍らの刀に手を伸ばす。
「ツッコミの代わりだよ」
 くだらなすぎる。おまけに下品だ。しばき倒す以外にどんな選択肢があるというのか。
 ユイの目はいつもどおり動かないが腹立ちが募ってはみ出しそうだ。家族にはそのくらい判る。
 重厚ではあっても権勢を見せ付けるでもなく、部屋は温かく上品なインテリアだった。そんな落ち着いたリビングがギスギスと音をたてた……ような雰囲気に。
「俺にキレたってしょうがねえだろ」
 息子の手を睨んだまま、どことなく警戒した顔つきで、ヘンリーはぼやいた。渋々と剣とシールドを沈める。
 一瞬だけ、離れた人影に目をやり、戻す。
「何でそう短気なんだ」
 やれやれとたしなめるような仕草は、確かにサマになっている。そりゃお高いクライアント様──主に女性──にもてはやされて、社内の若い連中──コッチにも多分オジサマ好きのカワイコちゃんとかが含まれる──にも慕われるだろう。
 が、今ソレをやられても余計ムカつくだけだ。さっき父が見たのと同じ方角に目をやり、刀に封をした。一気に叩き斬りたいが仕方ない。小言はもうイヤだし。くらうより、自分がクドクドと言ってやりたい。
「さもまっとうな話をしてるように振る舞うな」
 このクソ親父め。手を出せないならベコベコに罵倒するまでだ。
「あ? 俺は何も間違った事言ってねえぞ」
「何でだ」
 態度の悪い息子に、ヘンリーは睨みをきかせた。威勢良くテーブルに肘を置く。
 ユイは負けじと見返し、今度は足でなく両手を置き身を乗り出した。
 テーブルと小物が揺れる音に、遠い気配の視線が冷たかった。その一瞬で声を潜め、2人は向き直る。
「ナニがチンコ取れるだ。そんな呪い何の……得になるんじゃバカか」
 あるワケないだろ、と吐き捨てる。そりゃまあ出来るもんならもぎ取って捨ててやりたい相手がいなかったワケじゃないがソレはソレ。全くアホらしい。
「お前の言ってんのはナマグサなアレだろ、魔導のハナシじゃねえんだよ」
 怨念だ。
 父はそう言い切った。


 やられた分は相応に、イヤその程度じゃ済まさない。確かに自分は執念深いがここまでそうなのか、いつか、坊さんを追い掛けてウロコが生えたどっかの姫様みたいに俺も化けるとか。
 一瞬ヤケクソ気味にブルーになったが、父が指した怨嗟はユイの腹の中に積もった澱ではなかった。


 それは、独りの男からはじまった。
 一人の男の怨念だった。
「商売で編む、1+1の呪術じゃねえ。念だからな。悔いが捻れて怨恨に、残って溜まったウラミは怨念になるんだと」


 あの娘はな、動機は兎も角職人技が込められたモノホン(死語)の逸品だ。


「俺もお人好しじゃねえからな、隅から隅まで分析かけたのさ。はいそうですかとお持ち帰りして何かのワナだったらマズいだろ。何せ重要人物だからよ」
「手前で言うな」


 未使用ってのも本当だった。
 そして、未使用、故に呪いがこもったのさ。


「だから俺はあの娘から総てのセクサロイド機能を除外した。少しでも呪われる奴が減るようにな。お前も気を付けろよ、変な下心「起こすか」


 最初は死んだ男の部屋にあった。
 汚濁にまみれた部屋の中で、そのサイバーリングだけが可憐に佇んでいた。
 不自然な程、無垢で清楚な姿のソレを、物件の貸し主は気味悪く感じ、孤独な男の残俟と共に処分した。


「夜中のハイウェイでこうな、バラバラのポーンと、何もかも潰れちまったんだとさ。チンコなんか50m先で見つかったらしいぜ」
「160km/h越えで通過されたら普通にそうなるだろ」


 ソレはあまりに見事なお人形だった。抱き女にしては少女過ぎるが、天使を汚すような背徳感が、背中を撫でる。
 荷台から下ろそうと決心して、路肩に違法な駐車をした男は、そのまま後続の車両に轢かれた。
 業者が慌てて駆けつけた時には、サイバーリングの姿は無かったという。
 他の値打ちのありそうなものと一緒に、誰かにパクられた、そういうことになった。
 女に相手されないまま30の春を迎えた男の部屋にあった人形なんて、正直コワかったし。


「変死体だからな。解剖してみたらアレよ。チンコがこんがりチンならぬチリチリだっつーんだから恐ぇハナシだ」
「はあ?」


 アレはアチコチ転々と、商の手を、またソレから掠め取ろうとのばした手を、経ていった。
 妖精の如く姿愛らしいセクサロイドが、何故売れないのか。
 巡り巡った曰くのせいで、恐れをなしたのか。
 ソレでも彼女の魅力に抗えなかった若者は、大枚はたいて遂に自宅に招き入れた。
 次の日、彼は浮かれていた。呪いだなんてウソだ。昨日は添い寝しただけだけれど、何と、朝イチで昇進が決まった報せ。僕には幸運の女神だ。彼は幸せいっぱいであった。
 上司や仲間に祝福され、その過ぎた杯に足をとられながらも、踊りに似た仕草で初夜を想い帰路に着く。
 今夜こそ彼女と。
 そして、通りの自販機にこう告げる。
「手洗いはーどーこれすかー」
 彼は満面の笑みでお礼を言い、チャックを下げた。


「死因は、立ちションの当たり所が悪くてショートした自販機からこう、電流が伝ってな」
「詳しく説明するな」


「契約違反だからな。ヤクザを騙した落とし前はでけえ。ハナシを聞いた上役は洒落にならん洒落が好きだった。利き腕1本頂く代わりに、欲望の源であるイチモツをよこせとにじり寄った」
「そんなもん取ってどうするんだ」
「俺にきくな。洒落だっつってんだろ。落としドコロが欲しいだけなんだからナンでも良いんだろうよ」
 新品を売りにしてるブローカーが中古品を偽装してたとか、大問題だろう。
 しかも己だけガチで未使用の上物を我が物にしようとした。
 ある意味当然の制裁、といえばそうかもしれない。


「ソーローだったんだなー、カワイソーに……」
「ナニがだ」
 散々チンコ噺を聞かされて、さいしょにもどる。
 正直わりとどうでもいい。
「だからよ、渾身の出来のアレを完成させてだな、いたそうとしたワケだ。そりゃもう天にも昇る気持ちさ」
「……」
 のぼれ、そしてかえってこなくていい。
 とは口に出来なかった。
 何と、男は本当に帰ってこなかったという、そういう話、腹上死ならわからなくはないがこの場合どう表現するのか。ユイは遠い目で考えた。『腹上する前死』とかか。それか『マジでinする5秒前死』とかかイヤそんなんは超どうでもいいし。そういえば自分の部屋をウロウロする連中のうち誰か一人減ってはいなかったか。極めて気付きたくない。忘れよう。
 気の毒だが、迎えたくない死に様だ。


 変死……つーか変の王様級の変だが……まあ何だ、変死だろ。司法解剖の上スキャンされたワケよ、お脳を。
 いよいよ初夜、というトキに起動させる事も出来ずに暴発したまま、幸せいっぱいでポックリ死。だとさ。


 幸せ過ぎて死ぬのは兎も角、色んなものを丸出しで屍を拾われるとかイヤ過ぎだ。
 ユイは更に遠い目でかんがえた。

(1stup→170306mon)


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