■未換装

 下らない記事の中でも、最高に下らない。ましなのは、腹が立たない分か。
 名前のある誰かの出刃亀とかよりは、害が少ないかも。
 死んだはずの人間がマンションの廊下を歩いたとか、トラックの間に妙なボイスが入ってるとか、そんなのだ。圧倒的に多いのが子供の噂。発信源は少年少女。教室では、そういう不確かなものの話題が人気らしい。
 学校のことはよく知らないが、いろんな流行り、廃りを生んでいるとか。
 中でも、足のついていない、血生臭い話が好まれる。例えでもそうだし、足は本当についてないことも。その陰鬱な内容に、不安定な世情に蝕まれた彼らの病理が潜んでる、なんて知ったような事を書く奴も、必ずいる。
 いつだって、目の届かないトコロで話す子供の話題は病んでいると感じる。それが大人ではないかとユイは思う。
 ホータイ少年、などという単語をみて、顔をしかめる。いかにも、多感なティーンエイジャー好みのお題目だ。あーあ、と思う辺りもう自分は若くない。ある意味安心した。
 全身包帯に覆われた美少年で、消して欲しいと思う奴を消してくれるが、見返りに体の一部を要求する。
 曰く、正体は最新サイバーウェアの被験者。若しくは哀しい生まれの生体兵器。
 すごい力を手に入れた代わりに細胞が新しく生まれなくなった。
 その為に、彼は人間の生身を欲しがる。
 でもまあ、大人になってもこういう話が好きな連中も、割といる。そんなタイプに限って、自分の目で見たホンモノを、認めきれなかったり、その方がよっぽど病んでいる。ユイはコッソリため息をついた。
「アホらしい……」
 取材の結果、実在の可能性がある、なんてまことしやかな記事。蓋を開ければ転がっている暗闇を、わざわざ紛い物を作り出して、むやみに他人を怖がらせる。刺激的な程需要があるという書き手の常套句。ただの悪趣味だ。
 大体、全身包帯に覆われてるっていうなら、どうして顔が分かるんだか。そんなのは月の兎がノーパンだとかいうLvの都市伝説だ。
 雑多なウソのおかげでひっそり本当を紛れさせられる。暮らしていく上で微妙に助かっているから、影の中の彼らは苦笑しつつも蔓延るままに放置している。
 たまに怯えや畏怖が増殖、変質して形を持つことがあるが、そんな時は虚と実が引っ繰り返った皮肉を、手を叩いて喜んだりする。
 まあ、人のウワサを喰って生きているのは、人間だけではないということ。


「お前さあ、何で新聞なんてわざわざ買うんだ」
 ショウは前から思っていたソレをひょこりと口に出した。ダウンロードすればいいのに、といぶかしむ。
「つか、タダで読めるニュースも転がってるだろ」
「目が疲れる」
 疲れるほど一気読みするのもどうかと思う。まあ大したものといえばそうかも。
 珍しく、紙面には派手な原色が踊っていて、胡散臭い見出しが付いていた。
 『マルコ殺人』と上半分、折り返した下部には『シュート!』と書いてあったりする。
「ナニお前宗旨替え?」
 違うよ、とユイは面白くなさそうに言った。
「売り切れ」
 あんなじじむさい工業新聞を他にも買う奴がいるのか、と少し驚く。
「何か言ったか?」
「いや」
「まあスポーツ新聞なんか駅のゴミ箱で拾って済ませればいい程度の内容だが」
「チョット待て、お前今サラっととんでもないコト言っただろ」
「そうか? 俺サッカーとか野球のルールもよくは知らんし、馬も[ふね]も興味ないからな。真ん中のアホなエロ記事ならたまに読むと面白い」
 リアル親父嗜好だけど、と呟く。
「ソレじゃねえよ」
 ショウは呆れながら言った。
「捨てた新聞普通に拾うな」
「何で? 夜中の夕刊なんて財産的価値ほぼナシだろ。網棚に乗ってるなら拾得物だからマズいかと思うが」
 そんな所で仕事に気を遣わんでよろしい、とショウは益々渋い顔をした。
「それに他からは拾わんし。街中とか駅でも改札の外とかは縄張り主に怒られるから」
「もういいよ……」
 こんなシケオヤジな男の相手はしていられない。


「つか、何も用無いなら帰れよ」
 たまに早く帰れるときくらい、そうすればいい。
 同居人がいるなら、尚更だ。
「雨上がらんかと思ってな」
 ああ、ソレか、と思う。
「そうだな……」
 ユイは立ち上がって、新聞をしまう。
「コレ書き終わるまで待てるなら乗ってけ」
 最寄り駅まで乗せてやってもいい。
「そら助かるけど今日はいい。病院寄るから」
「腕、まだかかるのか」
「あと2回くらいかな」
 ユイの腕はメンテナンス中だった。出力よりも繊細な動きを重視した設計思想の為、深接続タイプのサイバーウェアは複雑に出来ている。千切れかけても外観は即補えるが、中身の調整は時間が掛かるものらしい。費用も相当な筈だが、ここだけはドケチな相棒も渋った様子をみせなかった。
 得物には投資を厭わないということか。ショウは一見華奢な右腕を眺めて思った。
「気を付けてな」
「お前こそネズミに引かれるなよ」
「あーもうお前どこの爺さんだよ」


 好き勝手に浮いた広告が照らす雲は厚かった。雨具で凌げる程度の水滴だが、暫く居座る降り方だ。明日もコレなら、電車にするかと思う。
 傘を手に、自転車を押して歩く。街灯に濡れた路面が光っている。人通りはない。たまに通る車の前照灯も、遠投モードで眩しい。
 この時間ならこんなもんかと思いながら陸橋に差し掛かる。足の下の遠いエンジン音と薄まった昼光色、多くも少なくもない雨、なんとなくぬるい夜中だ。


 人が雨に濡れている。スーツの男だ。足はある。馬鹿な冗談は兎も角、血の匂いとかはしない。影の中にもいないし、裏も持っていない。まっとうに疲れた様子の人影だった。
 レインジャケットに、この帽子があれば、そう酷く濡れることもない。ここからなら、自転車をとばせば大した時間じゃないし。傘は明日にでも買えばいい。


「良かったらどうぞ」
 相手はそんなユイの顔を呆然と見ている。そろりと手を伸ばして傘を掴む。
 しばらく間があって、嗚咽とも咳ともつかない呻きが上がる。
 もしかして悪酔いしてて吐く気か?
 と、怯えつつも一緒になってしゃがむ。弾みで、男の疲れた手はユイの手に重なった。いやに熱くて震えている。べたっとした感触は雨だけではなさそうだ。
「どこかお悪いんですか」
 うつむく姿に声をかける。
 病気なら救急公社に連絡するか。どこか加入していれば良いんだが、と思う。ただ酔っているだけなら近場の交番に保護してもらった方が良さそうだ。この界隈だって例えこんなオッサンでも一人で夜明かしして無事だという保証は出来ない。
 飲みたくもない酒にでも付き合わされたんだろうか。元気ないな。イヤ疲れてるけど今夜中に仕上げなければいけない仕事があったとかか。
 男は何も言わず胸を押さえた。
 背中をさすってやろうとした手を掴まれる。傘が転がって何がおかしいのかようやく思い当たる。胸が苦しいんじゃなくて、懐に手を入れていた。きらっと光ったのは刃物ではなく、手錠。殺気など微塵もない見知らぬ男と繋がれた、自分の手を見る。
 暗がりだと手の甲に入ったスリットもはっきりしない。
 調子悪そうな姿からは予想出来ない早業? だった。変だな、と思った一瞬で繋がれた。まあ、病んでいたのは身体ではなかった訳だが。
 心がマズい事になっている。
 自分のお人好し加減にため息をつきつつも、引きずるつもりで立ち上がる。それでユイはまた少し驚いた。
 男はしゃがんだ姿勢から立ち上がってしまったものの、倒れなかった。少したたらを踏みながらも、その場に留まった。
「君さあ、いい人だね、優しいねえ」
 男は震える声で言った。
 泣き笑いのような顔は疲れている。
 俺だって割と疲れてるよ、とユイは心の中でぼやいた。
「もうさあ〜、イヤなんだよー」
 笑いながら男は嘆く。悲しげと言うより、視線は故障している。手首が痛い。心が病んでしまった人の、思わぬ力は侮れない。そんな事例はいくつもみてきたし、こいつもそうだ。脱力していると、こっちがよろけてしまう。少し力を足して、姿勢を保つ。
 男は体を伸ばして手すりを掴んだ。
「君さ、一緒に来てよ。さみしいんだよ」
 もういやなんだよー、歌うように吐き出して、手錠で括った腕を引く。体は外に向かっている。手すりの外は、何もない、足の下にはバイパスがある。夜中でも結構なスピード。運良く接触を免れても、落下の衝撃はチャラにならない。無事では済まない高さだ。
「誰かね、来ないかって、最初は駅で待っててさ、そしたらさ」
 鼻水を啜って男は微笑んだ。
「怖いよね最近の女子高生は」
 こわいよ、とまた手すりの外を見る。
「長い髪のさ、可愛い子だったんだ。紺のジャンパースカートの、アレ、結構なお嬢さん学校だよね」
 大した力だ。痛む手首に耐えながら、踏み留まる。付き合っていられない。
「おやじキモイよだってさ。おとなしそうな子だったのにね」
 こわいよね、と繰り返しながら、道連れを選び損なったいきさつを訥々と語る。隣に立った彼を見て、少女は軽蔑した眼差しを向ける、死ぬなら、優しい子が良かったのに、彼は嘆く。
 一緒に死んでくれる相手を見つけられず、ここまで歩いて来た。
「あの世くらいさ、優しい女の子と一緒に行きたいじゃない?」
 彼はそんな事を言った。
 何も手に入らなかったこの世から、最後くらい、欲しいものを貰ったっていいじゃないか、それが言い分だった。
「それなのにさ」
 それもうまくいかない。聞いてもないことベラベラ喋り出す安い連中。そんな犯罪者がよくする笑い方で、彼は空を仰いだ。
 当然だ。そんなのは、優しいとかじゃないだろ。ユイはまたコッソリと毒づいた。都合の良い相手、自分より弱そうな、自由に出来そうな対象、そういうのは優しいとかいわない。オマケに可愛いのがいいって、助平心だけはまだ萎えてないのか。まあ、男だからしょうがないのかとか。
「一人寂しく死んじゃうのかなって、ずーっと考えてたんだよ。ソロソロ死のうかな、でも悲しいなって」
 男はユイに視線を向けて、引いていた手を緩めた。
「そしたらさ、君が現れた」
 近付く分、後ずさる。
「優しい言葉掛けてくれるし、僕のことキモイなんて言わないし」
 確かに、傘貸そうとした時は、思ってなかった。でも、今は相当キモイ人にみえる。口に出すか出さないかの差じゃないだろうか。
 俺だって別に優しい人じゃない。単に詰めが甘いだけだ。ユイは間抜けな自分を皮肉っておいた。
「だからもう君でいいや。女子高生なんて贅沢は言わない」
 そんな風にハードルを下げられても困る。ユイは適度に締め上げて取り押さえる算段をしながら男から離れた。手が繋がっていてやりにくい。それに、男は執拗に近付こうとする。
「一緒に死んで、ね」
 一転、身を翻す男に引かれてよろめいてしまう。
 男は手すりから半身を乗り出してもがく。兎に角自分だけでも跳べば、体重差で引きずり落とせると思ったようだ。確かにそうだけど、付き合っていられない。足を掛けたところで、思い切り引っ張ってやった。折れてはいないが、関節が痛んだかもしれない。換装も済んでないうちからコレか。またやり直しか。診察で何て皮肉を言われるか。保険も適かないし。頭が痛くなってきた。
 地面にぶつけた肩を押さえながら、男はユイに体当たりする。繋がった手のせいで避けきれない。抱えて投げるつもりか。火事場のスーパーパワーってヤツか。ふざけんな。頭にきて蹴飛ばして、しまったと思う。勢いがありすぎて吹っ飛んだ男と一緒に手すりに突っ込む。
「優しくしてよ〜」
 這い寄ってお願いされる。
 ユイが強引に立ち上がると、ふらつきながらも反対方向に歩こうとする。
 ほとんど手加減してないユイの力にも耐えて、反対の手で手すりにしがみつく。
「お願いだから、死んでよ、ねえ死のうよ」
 やりにくい。手が痛い。アホらしいけど応援を呼ぶか? 新品なのにケチがついた腕を思ってため息をつく。
 そこでぼんやり閃く。もういっそソレで良いや、と思った。


「嫌だ、いやだよ、こわいよ待って来ないで食べないで」
 たすけてたべないで、何度も繰り返しながら男は後ずさった。
「神様神様神様」
 とか言いながら念仏を唱えたり。
「ごめんなさいごめんなさい」
「な……何?」
 ユイは謝り倒す男の様子にたじろいだ。身軽になったところでしばき倒すつもりだったが挫かれる。
「お願いだから殺さないで許して食べないで」
 殺さないでって何だよ、ユイはやれやれと肩をすくめた。
 しにたくない、ころさないで、恐い恐いと言いながら、抜けてしまった腰で手すりを伝い進む。
 死ぬ気がなくなったのならそれでいいが、あの言い草は何だ。生きるのに疲れたからって、殺そうとしたのはそっちだろう。ぼやきながらバッグを漁り、処方された包帯を取り出して止血する。服の上からで不格好だけど止まれば何でもいい。
 奴は幾らも進めないでいる。切り離した腕を取り戻そうと近づくと、半泣きになって走り出した。
 追い付いて、取り押さえて、襟首を掴む。
 実はあのアドレス晒したの僕なんだとか、ピアニカパイプもう盗りませんとか、ツギハギだらけのお経や賛美歌なんかを聞きながら、ユイは交番まで男を引きずった。
「お巡りさん、お巡りさん」
 赤いランプを見ると、男はまたすごい力を発揮してユイを振り払った。


 助けを求めているものの、不審過ぎる男の風体に騒動あって、ようやく腕が戻ってきた。
 迷惑そうな視線に、何で俺がドン引きされないかんのだ、と思うが仕方ない。床と壁に張り付いた血糊を見て、申し訳ない気持ちにもなる。
 支離滅裂なズタボロの男に、手錠で繋がった人間の腕。どんな猟奇事件かと思うだろう。
 事情を説明しようと入って来たユイの姿を見て、交番の中を逃げ回る男。それで変質者が暴れ出したとして、狭い空間で捕り物が展開。腕の中に残っていた血液が飛び散ったのはその過程だ。
 真偽をはっきりさせる為に電脳の同録を出力すると、あっさり納得された。見るまでもないという素振りだ。
「実はね、先月も2件あったんですよ」
「そうなんですか」
 署内では、特に注意しろというトピックスはなかった。
「ホラ、手とか、細いでしょ」
 道連れにされそうな女の子は小柄で華奢なタイプが多いので、手錠から抜けてしまったりするらしい。
「それで大きな被害はまだないんです」
 2人いる担当の若い方が、ソレを受けて喋り出した。異様な風景にも目が慣れてきたらしい。
「実話系怪談っていうの? アレですよ。ああいうののサイトで昔流行った書き込みなんです。ソレがドラマかなんかのネタにされて、そしたらやってみようって」
「全くああいう浮ついたものは禁止に出来ないんだろうかね」
 もう一人が、苦い顔をする。胸ポケットに記章があるので、多分所長だ。ラインの入った帽子の下は、かなり白かった。
「え、でも結構面白いですよ、ありえねー、とかってギャハハって読んでるうちはアリでしょう」
 確かにそうだ。彼のように愉しめる人間ばかりならどんなにいいだろうか。
「お前も程々にしておけよ」
 バチが当たっても知らないぞ、と白髪の担当が苦笑した。
 

 腕が繋がってから暫くして、また新聞を買い逃した。時々ならいいかと、胡散臭い紙面を開く。
 下らない記事には、新しい項目が加わっていた。そのうちワックスだとかブリーチだとか、退散の呪文が出来るんじゃないだろうか。過去の発展途上を思い出す。
 確か、彼女はそんな進化の果てに形を持った物語の生き物だった。数多い卷族はどんな顔をして読んでいるのやら。見当違いな恐怖を、裂けた口とか、犬の顔──いやアレは体か──でにまにましながら観察しているのだろうか。まあその方がなんぼかマシかも。問題意識を持ちすぎて、何とかしろと自分のトコロに来られてもどうしようもない。ソレは駐在の仕事じゃない。何か≠ってからしか動けないのがタテマエだ。
 何でも化け物の仕業にされても困るんですよ、そんな苦情はコンスタントにある。


 ホータイ少年は、生きた血肉を求めて彷徨っているという。
 遺書や靴だけが残されて、肝心の死体が見つからない事がある。
 あれなんかは、死ぬくらいならカラダを頂戴って、持ってイカレタ。
 だけどこんな汚れた世界で醜く腐って死ぬくらいなら、彼の綺麗な姿の一部になれる方が素敵じゃないか。この世を見限る少女ならそう願ってもおかしくはないだろうなんて、記事が結んであった。
「アホらしい……」
 詩的な描写が余計悪趣味だ。タナトスの夢ってやつか。少なくとも、いいオッサンが通勤時間に嗜む読み物じゃない。
 ――ホントにこんなやつが発生しても、俺は知らないぞ。
 自分で作ったお化けに喰われていれば世話はない。言ってしまいたかったがそんなワケにもいかない。自業自得でも、脅かされるなら保護対象だ。
 ユイはまたやれやれとため息をついた。
 コワイコワイと言いながら、そんなハートが新たな怪異を生んだり生まなかったり、世界はつくづく不条理製造機である。

 (1stup→080710thu)


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