■necrotale

「要するに」
 ネクロフィリアなんですね、と彼は口に出した。
「兎に角……やって良いことと悪いことがあるんですよ」
 彼の顔からは、蔑みや恐れは感じられなかった。
「何とか……他の手段で紛らわせる事は出来ないんですか」
 というか他のどんな気持ちも、読み取り難い。もっと年配で、それこそ刑事ドラマみたいな吊るしのスーツを着た──いや、彼の制服だって十分洗いざらしだけど──人情とかがにじんだ男性であれば、親切心とか、温かみのある説教とか、そんなのになるだろう。
 だけど、彼は違った。
 ロボットのように硬くないのに、これはなんだろう。
 彼の瞳は何も映さないガラスだ。言葉は澄んでいて静かだ。
 だけど、触れると猫のように柔らかいんだろう。


「イロイロあるでしょ」
 少し言いよどんでから、彼は続けた。
「別に金出して買わなくても、ネットとかに結構落ちてるし……大体ニセモノですけどね。まあ、そうでないと我々の立場的にマズいワケですが」
 ちらりと相棒らしき男を盗み見る。
「それなりに[]……充足するものはあると思いますよ」
 餅は餅屋です、と彼は言ったが、ソレを言うなら蛇の道は蛇だろう。
 そもそも、自分にとって、彼は、リンゴの前の蛇。
 人形のように取り澄まして、番犬をやっているが、なんて無意味だろう。
 僕の絆創膏だらけの顔を眺めて、手許の書類に目を通す。最初と同じ、怒りも無い代わりに、労わりも無い。
 それから、彼は事も無げに言った。
「絵でも良いんなら2次元とか。修正次第で違法な場合もありますが単純所持ならほぼスルーです」
「それって……タバコは体に悪いからマリファナの方がまだましだ、なんて言うのと同じじゃないですか?」
 無骨な装備にそぐわない彼の、警官らしからぬ発言。とてもナンセンスな存在だ。
 微笑ましくさえ思えて、肩から重いものが減る。実際、僕の顔は緩んでいただろう。
 勘違いするくらい事務的で清潔で、ここは威圧感を持っているべき部屋なのに、ドライな空気にあってはならない和やかさが生まれてしまう。
「おいあんた」
 窓際で腕を組んでいた警官がこちらを見た。たまりかねた様子だ。
「自分の立場が分かってるのか」
 その存在や志向──いっそ嗜好でもいい──に戸惑いつつも、あからさまな軽蔑などはうかがえない。最初に自分を殴りつけた連中とは仕込みが違うようだ。場数とか。それとも、彼自身の性格によるものか。多分両方。
 刑事らしく油断ならない雰囲気もあるが、いかにも育ちの良さそうな青年だ。端整で、適度な自信に満ちていて陰りがない。だから、やはり彼も遠い。闇を嗅ぎ慣れてないと思う。
「……もうちょっと神妙にしてもらえませんかね」
 少し申し訳なさそうに襟を正す。ぞんざいに口を挟んでしまった事を恥じているようだ。
「手を下したのが貴方でないとはいえ、ご遺族にしてみれば気分のいい話ではない筈です」


 死んでいた。
 医師でない僕には、死因などわからない。
 目立った外傷は、ここからじゃわからない。
 見下ろして捕らえられる範囲に、損なわれた箇所はなかった。
 だから、僕にはどうして屍骸になったのか、わからなかった。
 わかるのは、触れたらきっと、冷たいだろうとか。


 ──てっきり腰抜かしてるもんだと思ってたらコイツ、仏さんの前でセンズリこいてやがったんですよ。
 息を切らせながら男は吐き捨てた。
 見た瞬間、僕を殴りつけた彼らの一人。思い出すと、折れた奥歯が疼く。それが、彼が受けた衝撃かもしれない。
 きっと、見たものが信じられなかった筈だ。受け入れ難かったんだ。当然だけど。
 横たわる彼女の事も、頭から飛んでしまっただろう。そして僕も吹っ飛んだ。きっと、身体を動かす仕事をしてる。比喩でなくて、僕の貧相な身体は一瞬浮かび、叩きつけられた。ひたすら痛かったけど、憎くはない。当然だ。
 この辺りのセキュリティランクは決して低くない。事件だと思った誰かが通報すれば、大抵2秒。担当の警備会社──酔っ払いの小突き合い、ただ死んでるだけの死体、こういうのは、民営警察で片付いてしまう──が飛んでくる。警官に押さえられた彼らは、ようやく我に返って牙をしまった。軍手をはめたただの握り拳も、僕には立派な牙にみえた。
 時折、僕を責めるような目はそのままで、警官に事情を説明する。僕みたいな軟弱なもやしじゃなくて、さながらヒマワリ。強く、太陽を見据える。桜にも気後れなんかしない。
 ──今じゃテント暮らしですがね、あたしはこれでも結構な寺の出だもんでね。
 ああそうか、と思う。許せなくて法の手を待てなかったんだ。
 彼の生きてきた世界じゃ、最も忌むべき咎人。
 おそらくは、誰の世界でも、大抵そう。
 あの日──まだ、日付は変わったばかりなのに、とおい日におもう──僕は探していたものに出会った。それは万に一つもない幸運だ。滅多に逢うことは無い。歩いても、歩いても、落ちてなどいない。初めて見つけた、完璧な姿。欠片じゃなかった。
 自分で作り出す勇気などない僕には、恐らく、最初で最後の出逢いだと思った。
 もうどうなってもいい。
 心が白く綻んだ。
 まだ少女に近かった。僕は痩せた女性が好きだ。命は濃くない方が良い。痩せた身体は、ソレだけで生命のエキスが少なくみえる。豊穣のイメージから遠い、未成熟な女。上等だった。少女は、美人ではなかったが、陰りがあって僕を喜ばせた。きっと笑えば可愛い程度のごく普通の女の子だった筈だ。だけど、自信が持てなくて、うつむいて歩いて来たんじゃないだろうか。華やか過ぎる顔よりも、薄い印象の目や眉の方が化粧映えするなんて、同僚の女性が語っていた。酒の席だったか? あと数ヶ月、遅くても数年もすればソレに気付けただろうか。奥手な性格なら、まだ容姿の活かし方を知らなかっただろう。華のない自分に自信が持てなくて、明るすぎる街に気後れしていた。
 無難に纏めた小物、制服で出来る精一杯のおしゃれにも、踏み出せない何かを感じた。
 こうして生きている時の姿を思い浮かべながら眺めるのが淡い夢だった。
 さあ、どうするか。
 触れるのか。
 開くのか。
 味は。
 どんなだろうか。


 夢じゃない。
 夢じゃないからこそ、急ぐべきだった。
 脳が浸かっている間に、身体は食指を伸ばし始めていた。
 気が付くと、死した少女の前で、ただ吐き出す為の作業。
 虚ろに目を開けた少女は綺麗だった。
 よくしゃべるキラキラした娘よりずっといい。泥のように[くら]い君が僕は好きだ。自信を持つと良い。なんて、心で呟いてみる。聞こえはしない。
 僕は、君を、君たちが人よりも先に捨てたいと願っているものを捨てさせることだって出来る。生きている時でなくて、誇れる人に出会うこともなくて残念だろうけど、僕が君の最初の──


「チョット待てよ」
「どうした」
「聞いたことあるんだが……あぁ」
 彼は忌々しげに嘆いた。手入れの行き届いた安全靴で、僕の尻を蹴り上げた男。みっともないアザが出来ただろうけど、仕方ない。
 僕はソレだけ、受け容れ難い。


「コイツ、食屍鬼[グール]じゃないか?」
 その耳慣れない言葉に、先程寺の出だと言った男の顔色が変わった。
 何事かと聞く制服警官に、彼らはかなりトンデモな事を真顔で告げた。
「おまわりさん、オレは外≠ゥら仕事に来てるんス」
 外=Aという言葉に、少し警官の顔に真剣さが増す。ソレは好意的でない部分も含まれている。
「許可は下りてます。コレ許可証」
 男は慌てて懐からIDカードを覗かせた。
「いるんですよ」
 怪奇な噂の耐えない地に思いを巡らせ、何とも言いがたい表情になった警官たち。これから言葉にされる内容は、聞くべきでない事象だ。しかし、ソレが彼らの職務である。聞いてもらわなければ困る。そうして、この気味の悪いものを引き取ってもらうのだ。
「この辺じゃありませんがね、地下墓地[カタコンベ]だとか崩れた街の跡なんかに出るんです」
 内容の異常さと、彼らの切羽詰った様子に、2人の警官は相応しい部署を提示した。
 そんなものがいる≠ニかかもしれない≠ネんて報告は出来ない。
 異常なものはかつて作られて歪んだ生命の成れの果てだ。ココではそういうことになっている。
 抗生生物の疑いありとして、ワカラナイものの送り先を決めたのだった。


 僕はマイノリティ──気取った意味でなく、どうしようもないという意味で──だ。
 だけど、世の中にあるという不思議な事柄には興味がない。宗教も、秘密結社も、何か他のものも、僕は詳しくない。生きたものは何だってぼんやりと、いや、鮮やかさに眩んでおぼろげにしか映らない。それが僕のどうしようもない目。
「グール……って何ですか」
「あやしいやつはみんなそう言うんだよ、なんていう冗談はさて置き」
 何だっけ? と後ろを見る。
 地味な方が、顔を上げる。中身も、とても希薄だった。
「食屍鬼、屍食鬼とも呼ばれます。人間の死体を好んで食べると言われています」
「お化けってコトですか」
 死体を食べるなんて。
 それは遠いな、と思った。間にはただの小川に見えて、深い深い溝がある。
 カニバリズム? は近くて遠い隣人だ。
 映画でみた吸血鬼みたいに、僕はその流れ水を渡れない。
 どっちが奇奇怪怪であるかなんて決められるものでもないが、僕はそっちにはいない。こちらの方がまだまし、なんて事も当然ない。
「まあ、いるいないの話が必要な訳ではありませんから」
 話を流すと、彼はクリップボードを取り出した。
「あなたは正真正銘の人間ですね」
「そのつもりですが」
「検査結果にも、抗生変異は認められませんでした」
「まあアレですよ人間じゃないかもなんて言われて、心配になったから、ウチに回されてきただけですよ」
 事情はちゃんと聞かせてもらいますよ、と背の高い方が言った。
「ミュータントかもしれない、なんてだけじゃ、ただの言いがかりですからね。こちらの不手際だと言われても返す言葉がありません。まあチョット過剰反応し過ぎな気もしなくもないですが」
 憎めない仕草で肩をすくめ、言葉を続ける。
「あなたを不審だとみたのは、尋常でない行動からです」
 なぜこうなったのか、そこから形だけの問答が始まった。
 触れていはいないから、死体損壊にはならないらしい。
 それでも、やっぱり僕の行動は常軌を逸していて、全ての社会的なものに背いている。だからその尖兵である彼らは、僕を簡単に野に帰すことは出来ないのだ。


「お前も和んでるな」
 苦い顔で相棒を咎める。
「何で今日に限ってヌルいんだよ。こういうトキこそお前のペースでガッといくトコじゃないのかよ」
 キレられても困るけどな、と付け足すのを忘れない。どうやら、目の前に座っている彼は、戸棚の奥に飾ってありそうな外見とは裏腹に、かなり剣呑な性格らしい。やり取りから、青年がいつもソレを諌めているのだと理解出来た。
「ボコって矯正出来るならとっくにやってる」
 その警官は物騒な事を口にした。
「はいそうですかって止められる類じゃないだろう」
 そこで、彼は伏せていた目を上げた。
「……そうですね?」
 曖昧な視線が僕を捉える。黙ってうなずいて、そこで気付いた。容易には変えられないものを知りつつ、そうですねなんて落ち着いた言葉を出せる。だからといって、彼は味方でもない。こちら側に近いだけだ。泥の階段を降りてきているのか、元からそこにいるのか、彼は僕の近くまで歩けるのだ。おぞましい筈のものを、戻れなくなる淵から掬おうとしている。だけどソレに、惹かれた訳じゃない。
 気に入ったのは、死んだみたいな目の光だ。生きて話をし、触れれば暖かいだろうに、何故か生気を感じられない。すぐに奪えそうな儚さがいい。命の熱さに灼かれている、僕の苦痛を和らげてくれそうだ。
 どこか希薄な彼の姿は、毎夜夢の中、僕の下で力無く揺れる彼女たちに似ていた。


 しゃべらなければ魅力的だ、なんて絵空事だと思っていた。
 そんな女いる筈ない。
 女じゃないけど、本当だったなんて。
「スロット開けてるならバーチャルで済ませるとか」
 懸命に言葉を選んで僕を説得? する彼の声が虚しく響く。不毛だ。
 僕を深淵から引き上げようと、伸ばす手がもうダメだ。僕の目を覚まさせようと呼び掛ける声が、却って深く、睡りに誘う。
 そしてもう、声なんかいらない。


 今度、チャンスがあれば、それは彼がいい。
 名前は忘れた。調書を取る時に自己紹介したけれど、僕の脳からはすっかり消えている。死体に名前はいらないからだ。綺麗な声だったけれど、それも早いこと忘れてしまいたい。忘れがたく魅力的だったってことだろう。だが僕には不要なものだ。
 屍に声はいらない。
 僕がかじったリンゴは、禁断の中でもきっとよりすぐりの忌まわしさだ。何かにつけて腕にものをいわせる群れにいて、相当な忍耐だった。彼は僕に暴力を振るわなかった。汚い言葉を吐くことも無かった。
 彼がどうして、僕に優しかったのか、多忙な中一瞬でも親身になろうとしたのか、僕にはわからない。彼にも、何か決壊しそうな堰があるのか、夢だけど──僕に好意を持ったとか。つまらない空想。事実だったとしても、僕にはどうでもいいことだ。
 もう楽園には帰れない。
 僕は死者しか愛せない。
 屍に心はいらない。


 僕は彼の死が欲しかった。冷たい体が抱きたかった。鼓動がなくなったばかりの、まだ温かい体でもいい。
 出来れば傷はない方がいい。人形みたいに綺麗なままで。
 叶うことなら、彼を殺して僕のものにしたかった。
 僕は蟹で、彼は[さぎ]。だから無理。
 叶わないまでもと試してみる勇気はない。あればとっくに、僕自身の生を棄てている。そんなに好きなら死人の国へ行けばいい違うそんなカンタンなコトじゃない──生きた僕の体で、死んだ体を感じるのがいい。それに、無駄に手を汚させたくはない。心はいらないって言ったけど、やっぱり、困った顔は見たくない。


 神様ありがとう、僕に牙をくれなくて。僕は心の底から安堵した。
 叶わない恋をしているのに、僕は安らかだった。
 僕はもう、彼しか抱けない。
 他の屍じゃダメだ。何をみてもたぎらなくなって、コレクションも処分した。
 どうしても見つからなかったモデルだか女優だかの左手首が見つかったなんてニュースをみて、どうりで綺麗な手だったと思ったりなんかした。殺風景な冷凍庫の中でせめてもと、着せ替えてあげてた指輪ももうない。
 水死体が流れ着きはしないかと、川べりをうろつくのも止めた。
 自分がこんなに一途だったなんてと苦笑する。欲しいのは、彼の体だけ。どんな屍も、彼じゃないならいらない。
 僕は死を汚さなくなった。
 叶わない愛を得て、罪を犯さず生きられるようになった。
 毎日が失恋は辛いけど、抗う術も呻く声もないものを押し開き、吐き出すよりはいい。
 この世も悪くない。
 彼は僕を救ってくれた。
 そして僕に穢される筈だった誰かも。
 煤けた翼。屍者の天使。世界の埃と異形──僕みたいな──が吐き出す毒でいつも汚れてる。
 君の羽根は白くなくていい。泥の跳ねたコートも、無骨な剣も、少しも君の魅力を削ぐことはない。
 クロームの冷たい色の中で、君だけが暖かい。


 死体しか愛せない筈の僕が、そんなことを思った。


 彼は今日も、誰かを狩っているだろう。けちな電脳カクテル屋か、時代遅れのサイバーサイコか。それとも、ホンモノの怪物か。
 現実の彼が翔る夜の下、僕は心の中だけでその肢体を抱く。くたびれた蟹の中で弾けるニューロン。牙をむけば今度こそ本当についばまれる。殺されるイメージに震えが来る。僕だけの綺麗な鷺の夢。沸騰しそうだ。
 目が醒めると、思ったより時間の進みが遅かった。このところ、睡眠時間が随分減った。夜は闇が濃く、朝は眩く感じる。どことなく、世界がクリアになった。
 明日は金曜日か。今日の次を考えるなんていつ以来だろう。
 僕は少し変わった。かもしれない。
 自分だけの世界では、君を殺さずにいられないけど。
 起き抜けに夢を畳んだ窓の外、上げたブラインドの向こうにみえる景色は、結構綺麗だ。


「何てえか、夢見がちなヤツですね」
「何が」
「イマドキのジョッシコーセーが、新品だなんて大した女の子天使説だと思ったんですよ」
 天井はなんともいえない顔で小さく笑った。
「あながち外れてるとも言い切れないんじゃないか」
「何でです」
「初めて付き合った相手だったって、記録にはあった」
 さして面白くもさなさそうにユイは言った。そういうことがあると、そんな世界のことを頭では理解しているが、心では、よくわかっていないんだろう。苦く甘酸っぱい女の子の感情なんか、縁遠いんだろうな、と天井は勝手に解釈する。まあ、間違ってはいないだろう。
「だってアレでしょあの子、痴情のもつれだって」
「学校に入って、2年ちょいでやっと出来たカレシ、その記録に間違いがなければ、古くはないだろ」
 生々しいことをさらりと言う。ソレは兎も角、生まれて初めての恋人と華々しい進展があって三月[みつき]なら、初々しいものだ。
「初めて手に入って、ソレがすぐになかったことになりそうだったら焦りもするだろうしな。くっついたり離れたりが不慣れなら尚更そうなんじゃないか?」
 あんな手で詰め寄られて再び火を点す男はあまりいないだろうが、とユイは動かない目でぽつりと告げた。普通の表情の奴なら、苦笑いするところか。
 子供でも、男は男。煩わしい程の愛を謳った彼女が女であるように。幼くても恋は恋で、情念が育つこともある。良い結果ばかりでないのも、大人と同じだ。
 双方とも未成年であった為、詳細は伏せられている。メディアには乗らなかった筈だ。
「できちゃったできちゃってないで揉めてウザくなったとか。そんですっぱり殺した──しゃれこうべなんて割ろうと思ってもなかなか割れないもんなのに、弾みで押したら死んだとか寿命ってワカランもんですね──カレシはサッパリして新たな彼女とお付き合いしつつあったらしいじゃないですか」
 ソレを抜き取ってココで堂々と呆れている。ダイバーの目を塞ぐのは糠に釘を刺すのと同じことだ。口を塞ぐのは難しくないだろうが、片付けたところでまた別の目や耳が、空いた障子に巣食う。
 ほどほどにいるだけの妖怪なら、こうして役にも立つし。その程度の存在だから、喰われることもない。
 喰ったり喰われたりに、興味ないわけじゃないが、他人の身体より、自分の命が惜しい。
「ところでダンナ、アレで良かったんですかい?」
「何が」
「あの男、きっとこれからもダンナをオカズに毎晩」
 天井はわざとらしくティッシュの箱を指さした。
「そんなことか」
「そう言うとは思ってましたがね」
 と苦笑する。
 気になるから様子を見てきてくれと言われて請けた依頼だが、毎度毎度おモテになることで、と呆れてしまう。
「その程度で実行に移さなくなるんなら安いもんだろ」
 バラバラ死体の一部を持ち帰り、保管していた件に関しては目をつぶるつもりらしい。
「まあコッチはお代さえいただければ構わねえんですがね」
「情報なしと報告。アレしか持って無かったなら他に聞き出す事もないだろう」
 状況は掘り出したとおりだ。ただ、草むらにあったものを拾っただけ。記憶の中の風景には、彼以外誰もいなかった。自覚のない領域にも、利益に繋がりそうな情報は無かった。人が通ったとか、何かの痕跡とか。棄てた奴が用心深いか、時間が経ち過ぎていたか、まあそんなトコロ。
「あるんならシメたと」
「もうちょっと上品な言い方は出来ないのか」
 彼を引っ張って上品でないやり口で問うたとしても、拾った∴ネ上の言葉は出て来ないだろう。
 彼のメモリにあったのは、あるわけない夢を求める散策と、コレクションへの愛、発見時の高揚だけだった。
 その陶酔は、自分には理解できない感情だった。幾つも掠め取ってきた想いの中でも、とびきりのフリークスだ。
 ああいうエロスに深入りすると引きずられてまう。だから這い寄り覗き見る事で自分を確立している天井が、規定の作業のみで引き上げたのだ。
 関わってはいけないタイプ。
 人の形をした異形だ。
 このやる気のないイカれた世の中にはミュータントなんていう新参のキメラみたいな奴らがいるが、二重螺旋なんていらわなくても十分、人間はおかしい。
 常軌を逸した奴なんてウォークマンが生まれる前からゾロゾロ出歩いていた筈だ。
 違う種類の肉を混ぜなくても、俺達より元からおかしいと天井は思っている。
 世界が変わったから故障したわけじゃない。おかしな奴は街の中、一定の割合でいるもんだ。
 そしてソレは超常のものとは限らない。
 心と身体、どちらが化け物なのか、ソレだけの違いかもしれないなと思う。
 だったらいっそ、ああいうタイプの特殊嗜好は、身体もコチラ側に存在していた方が気楽に生きられたかも。
 そう思うと少し同情してしまう。
 まあ、トモダチにはなりたくないが。
 何て言っていいか、ドツカレサン、と天井は床を仰いだ。

 (1stup→090619fri)


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