■一番長い夜の日

「おかえり」
 よかった。ギリギリ日付は変わってない。

「いただきます」
 目を閉じて手を合わせるユイ。
 あったかい湯気といい匂いに、幸せな隙が出来る。そこを掬い取るようにちょっとだけ、ホントにちょっと、触れるだけ。
 テーブルに手を付いて、体を伸ばしてキスをする。湯気がくすぐったい。おいしい予定の匂いにお腹が減るけれど、今触れた、ひとかけらの甘さが、最後の食事になったって構わないとルナは思っている。
 そっと離して顔を見ると、ぼんやり開いた淡い瞳があった。いただきますの姿勢で止まっている。箸を持ったまま手を合わせるなんて、よっぽどお腹が空いてたんだろうなと苦笑する。幸せそうに目を閉じた姿は可愛かった。こうして食事するのを楽しみにしていてくれるのが嬉しかった。
「邪魔」
 ユイの右手がルナの顔を押す。そのまま黙って箸をつける。
 見る間に中身が減っていく皿を眺めつつ、ルナは体を引っ込めた。ことさらに無表情なのがおかしかったけど、笑わないでおく。
 かぼちゃと玉ねぎと人参、わかめに油揚げと刻んだネギ。野菜の甘味が優しいお味噌汁。おいしく出来て良かったと思う。焼き魚も皮がパリッとしてて中から香ばしい湯気が出た。合格だ。大根おろしを乗せて口に入れると幸せな気持ちになった。


「なんだよ……」
 沈黙に耐えきれなくなってきたユイが、半分逸らした目を向けた。
「えとね」
 ルナはにっこり笑って言った。
「冬至に『ん』の付くもの食べると幸せになれるんだって」
「……」
 うつむいてじっと空の茶碗を見つめるユイ。きっと茶碗に深い意味はない。ただ、今になって増してきた恥ずかしさをやり過ごそうとしているだけだ。
「お前」
 辛うじて赤面するのだけは堪えて、ユイはルナの顔を見返した。
「『駐在さん』の『ん』とかはナシだ」
 それじゃキリがない、と呟きながら3杯目のご飯をよそう。
「うん、知ってる」
 ルナはやっぱりにこ、と笑うと空いた湯呑みに茶を足した。
「はい」
「ありがとう」
 ユイは自分の茶碗をその場に置いた。
「ご飯いるならよそうよ」
「あ、ぼくはもういいんだ」
 こんな時は本当に、幸せだけで何も食べなくても生きていけそうな気になる。
 豪華な食事じゃなくていい。
 こうやって一緒のテーブルに着ける人がいることが、何より満たされていると思った。


 浴槽にはみかん状の何かが浮かんでいる。小さな飾り葉が付いたユズだった。
 柚子と融通でどうとかって、親父ギャグみたいな曰くがあったような何か。冬至かソレも確か湯治に引っ掛けてミタイナ……。ニホンって何? 旧世界ってナニ? と思わなくもない。まあアリ。
 丸いままの実は飾りだろう。布の袋に入った物体がメイン。だと思う。気取らない暮らしとかナントカにアイデンティティを求める女の子のような趣味。ルナはこういう歳時記ライフ? に傾倒している。小さな袋の中身は多分風呂用のポプリか何かだ。そんなのを求めにファンシー屋に入るのも厭わないというか嬉々と。滅茶苦茶楽しそうだ。
 まあ、こんな盆も正月もどころか、夜か昼かさえ曖昧な生活では、四季の移りを感じ取れないし、こうやって季節を少し、持って来て貰えると助かる。良い匂いだし、カボチャ→なんきん≠烽、まかった。だからこれでいい。


 野郎は長風呂なんかあまりしない。
 こういうのがすきだって言うと、やっぱりなって顔をされるのがムカつくので興味ないフリしてる。だからこのテの話題はほぼスルー。銭湯とか、温泉とか、そんなのしりません、聞くときは、仕事ですから、みたいな。
 風呂で綿菓子みたいにくつろぐ。湯に浸かると溶ける。イロイロ忘れた──研ぎ忘れてはいないが──つもりになって目を閉じる。誰もいないのがラクだ。清潔で、何もなくて、湯気を吸うと喉の中身に傷なんかないけど癒えていく気がする。とりあえずは、排水溝に、流してしまえるし。無意味に時間を逆算して寒いトコロにいた事を思い出してチョッピリ嬉しさが込み上げたりとか。あんなに冷たかったのに、今はこんなに暖かい。
 狭くて誰もいなくて、自分だけだし。かなり湯は要るけどそんな光熱費は、多分他の娯楽より破格。安上がり。
 少し熱めが好きで、ゆっくり浸かる。たまに寝たりとか。溺れたことはない。まあ、ホントに何もかも忘れてはいられないワケだから当然か。狩るものの事は、いつだって整理整頓してるし、その棚においてないものも、忘れてないし。
 でも、誰もいないこの安上がりな世界が、ユイは好きだった。
 ルナにはチョット悪いかもと思いながら、何もないところでまぶたを緩めてぼんやりする。
 猫みたい、とかまた言われそうだ。それで、駐在さんかわいいとか多分言う。
 ルナはバカだなー、と思う。


「ねえねえ駐在さん」
「はいってくるな」
「もう来ちゃいました」
「話をきけ」
「だって〜」
 くねくね、といういつもの動きにウンザリだ、と思おうとしておかしな事に気付く。
 景色が歪だ。
「うわ、ナニ手の込んだコトやってんだお前」
 湯気のせいじゃないし、知りスギな気配。
 だけど一瞬緊張して気付いて少し安心したソレにチョッピリムカつく。動揺させて悦に入らないで欲しい。外で恐い目に遭ってくれば泣きそうな顔をするくせに、自分がやるのはいいのか。
「うひひ、背景に溶け込めるようになったんだ。魔法じゃないよ」
「またLv上がったのか」
「そうみたい〜」
 楽しくてたまらない様子でルナが体の色を変えていく。
 浴槽の色、少しトーンの違う床の色、蛇口から延びる銀色なんかに、次々に変化する。
「多分光学迷彩っていうのと同じなんじゃないかなー」
 姿を消した? ままで浴槽を伝ってユイの肩に触れるルナ。
 確かにいつもの感触だった。目視できないだけで実体はある。柔らかくて、自分は自在に絡み付いてくるのにこちらからは掴み辛い当たり前なスライムの感触だ。ルナの体積の分溢れ出る湯に、ユズがいくつか乗っていってしまう。黙ってソイツをかき集めながら、ユイは横を向いた。
 別に湯が熱すぎるとかそういうアレではないのも自覚してるが、なんかイヤ。そもそもこういうのの積み重ねで魔物スペックが上がっていくからだし。
 こういうのってナンダヨ。と無意味にユズを握ってみる。茹だっているのでカンタンに潰れそうだ。
「ねえねえどうかなー」
「どうって、チョットびっくりしたよ」
 思わず素直に口に出してしまう。ルナはきょとんとして、少し嬉しそうに──無いけど魔物の顔で──含み笑いしてオレンジがかったピンク色の触手を振った。いつの間にか、色を戻している。多分ぐるぐる考えてた2秒だ。
「そっちじゃないよー。ゆずのほうー」
 ルナは別の触手で浮いているユズをつんつんとつついた。
「ぷかぷかしてかわいいかなーって、あといい匂いだし身体にもいいんだって」
 確かに可愛いなと思うが、多分そっちじゃない。というかまあ、両方?
「お湯熱すぎた?」
「そんなことない」
 即答して、肩まで浸かる。出て行きそうなユズを戻す。
「恥ずかしい?」
「何だよお前は」
 何でも簡単に吐き出せる奴だな、と横を向く。きっとのぼせたみたいな顔を、ムカつくにょろりとしたアレで撫でられる。ぷにょぷにょ触りながら、ルナは幸せそうに呟いた。
「駐在さん可愛い」
 ホントに簡単に言うなコイツ、完全に負けた気になる。そういうのは悔しいけどいつもだ。
 顔が無くても、無邪気な視線を感じる。悪気がないっていうだけで、別の成分はかなり含まれている。色気のある方向のアレコレ。
 かわいいとかかわいいとかおいしそうとか。
 嫌なのかってそういうコトじゃないけど、なんて誰に聞かせるでもない言い訳を散々して、ユイは愕然とした。
 ──何じゃナニ俺胸隠そうとしてんの!?
 思わずざばり、身を起こし、しずくと現実を払う。
「身体、みられるのイヤ?」
 ふふ、なんてルナが笑う。魔物っぽい甘い毒のある顔だ。ないけど、可愛い顔なんだ。
 視線は、隠そうとしてたムダに付いてる器官。ぺたんこの胸、それと腹。その下とか。死にそう。
「お前が」
 ユイは観念しつつも恨めしい仕草でルナを睨んだ。
「いかがわしい期待をかけるからだろ……」
「だって駐在さんの身体、何か甘くてやらしくて、可愛いんだもん」
 おいしそうです、とルナは素直に、愛しげに口にした。
「おっぱい無くてもいいもんぺたんこの胸でいいもん可愛いのついてる」
 だからみせてね、と詰め寄られてぐいぐい押し返す。
「だからな」
 ユイは説教しようと思った。
「こんなトコ萌える場所じゃないから」
 そもそも恥ずかしくなって隠すような場所でもない。
「いいか良く聞け」
「は〜い」
「手? は膝? まあどっかその辺……俺の膝に置くなー!」
 触手を追い払い、身体をずらす。
「おひざもすべすべですな〜」
 ああしばきたい。叩いたところで打撃などは加えられないけど。あるのはくねくねと柔らかく、あったかい感触だ。
「ねえねえお話まだ? ぼくはやく駐在さん触りたいんだけど」
「……」
 少々押そうが引こうが千切れない、その形状と同じで言っても堪えず大体ムダ。
 目なんかなくても、こんなときにどこをみていて何を思っているか、大体いかがわしいことが混ざっている。
 どこにあるのかわからない目の中に、入ってしまってるんだと、ユイは思う。
 幸せそうに──日に日に少女趣味になっていくのはキニナルが──殺風景だった部屋を飾ったり暖めたり、いつもしてる。こんな風呂沸かしてくれたりユズ入れてくれたり自分を喜ばせようとしたりしてくれてる。
 もう十分あったかいし、幾つか前の年よりも、変わった。小物の数とか食器の種類とか、そういう目に見えるものじゃないこともわかってる。でも押されるのもあんまりまっすぐなのも、ちょっと、かなり、茹で上がりそうだ。
 なんか悔しい気もするし。
 そわそわと座っているっぽい姿勢の塊をみる。
 うれしそうにおこられやがってとムカつく。
 それから、少し反省してしまう。この辺でかなり負けてるんだろうなと思いつつ、あまりガミガミおこるのもどうなんだろうとか。
 悪気は無いし。
「まあ……チョット変だけどお前も男だし……イヤソレだと大分おかしい……」
「えーそうかなー」
「変です、俺をみてハァハァするっていう発想がそもそも変です」
「そんなの息をするのおかしいっていわれても困るしー」
 ダメだコイツもうダメだ、と横を向く。
「……あーもういいよ」
「やったーいいの? いいの?」
「うわ、ちがうソッチじゃない」
 嬉しそうな触手だ。ムカつくしくねくねしてるし柔らかくてあったかい。
「ユイかわいい」
「話をきけ」
「おっぱいさわっちゃお」
「おっぱい言うなー! ひゃ、やめれ、馬鹿かお前!」
「あんまり賢くはないかな〜」
 ぐるぐると巻きつきながらルナが言った。
「でも超健康になるから良いんだ〜」
 なんかイヤな視線だなと思うユイ。
「いまからいっぱい食べちゃうから無病息災です」
「お前ー! 駐在さん≠ヘナシって言っただろ!」
「うん。それじゃキリがないもんね」
 ルナは今度こそにまっと笑って勝った顔をした。


「『ドラゴン』の『ん』だよ」
「ぎゃあ〜」

 (1stup→100131sun)


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