恋の足音 since 2011.11.05 ※TOPへ戻る際は←のサイト名をクリックして下さい。


早乙女学園でダンスパーティが開かれていたその日、トキヤは歌番組の収録のために都内のスタジオに居た。
級友たち、特にトキヤが来ない事を一番残念がっていた音也にはどうしてもはずせない用事があると言っておいたが、
おそらく何人かは本当の目的に勘付いているだろう。
入学当初から察したふうであったレンと、信じられない事だが音也も。

寮の同室で一緒に居た時間が長かったという理由だけでは説明出来ないくらい、音也はトキヤの行動や心情に敏感だ。
入学当初は過剰なスキンシップや人の話を聞かない音也がわずらわしく感じもしたが、
越えてはいけない一線を本能的に理解しているのか修復不可能なまでのケンカをした事は無かった。
それどころか、真のHAYATOとも言うべき音也の屈託のない笑顔や真っ直ぐな性格に気付けば惹かれていた。
大切な友人だと素直にそう思えるようになった頃に、音也と七海が付き合っていると噂が流れている、とレンから聞かされた。
その時に感じたのは紛らわしい行動をしている2人への呆れでは無く、胸が締め付けられるような寂しさと、込み上げる激情だった。
前者はともかく後者の感情の正体が分からず、レンと翔の前でぽつりと漏らして2人が微妙な表情になったのを覚えている。
いわく、それは嫉妬だろうと。
言いづらそうに目をそらしていた翔の代わりに、面白そうに目を細めたレンに教えられた。

「あの時怒り出さなかったのが自分でも不思議ですね」
「ん?何か言いましたか」
「あっなんでも無いでーす!」
ついこぼれた呟きを近くに居たADに拾われ、慌ててHAYATOのキャラを取り繕う。
司会者とのやり取りはすでに収録済みなので、HAYATOとしての仕事は歌って踊って、それで終わりだ。
この時期は出演者も忙しいのか、スタジオは全体的に慌しい雰囲気に包まれていた。
先に収録を終え、VTRチェックを済ませた他の歌手たちも挨拶もそこそこにスタジオを駆け出していく。
このまま早めに終われば、最後の30分程度くらいダンスパーティに出られるかもしれない。
そこまで考えて、ふと頭の隅に浮かんだ人物にトキヤは顔をしかめた。
脳裏を横切ったのは用事がある、と告げた時の音也の至極残念そうな表情。
「(ダンスパーティで音也に会ってどうするつもりだと言うんでしょうね…)」
まさか1曲踊ろうと声をかけるわけにもいかない。
音也はきっと七海を誘って踊っているに違いない。わざわざその光景を見るために顔を出すのも虚しい話だ。
表面上はにこにこと笑顔を作りながら、気持ちは重く沈み始めていく。

「HAYATOさんスタンバイお願いしまーす!」
カメラのそばに居るADがトキヤに向かって大声を張り上げた。
HAYATOとして歌うために心の中の影を無理矢理振り払い、明るく返事をしてステージへ向かう。
マイクと自分の立ち位置を確かめて、ああそういえばバミるという言葉の意味を音也が何度も聞いてきたせいで怒ったことがあったな、
と余計な事を思い出し表情が崩れそうになる。
そして今日歌うのは本来の自分ではなく、音也を思い出させるような前向きで純粋な歌詞が乗せられた曲。
HAYATOとして活動し、応援してくれるファンが居る以上トキヤとして歌う事は許されない。
時折音程をはずす歌い方も、大振りな振り付けにもどこにも心はこもっていなかったが、
プロデューサーからは今までで一番良かったよ、と笑顔で言われトキヤは複雑な心境を隠し大げさに喜んでスタジオを後にした。


「うわっ雪降ってきた!」

早乙女学園恒例のダンスパーティが終わり、興奮冷めやらぬまま外に飛び出してきた音也が大声をあげると
続いて出てきた生徒たちがつられて空を見上げる。
「会場は暖房効いてたもんなーうぅ寒いー」
降っている雪はちらちらと舞う程度で積もってもいなかったが10時を回った夜の気温はパーティ用のタキシードだけでは防ぎきれなかった。
吐く息は真っ白になって視界を覆い、熱かったくらいの両手は一気に冷え切ってかじかみ始める。
両腕をさすりながらこんなに寒いなら露出が覆い七海は大変だろう、と振り返ると男性者の上着を2枚も着せられて所在なさげに立っているのが見えた。
右に聖川、左に神宮時。2人ともシャツ姿だ。
額が触れ合いそうなほど顔を近づけて声を張り合っている。
「また春歌をだしにして競ってんのか…ほんと仲良いなあ」
助けに行ってやりたいが、自分はパーティ会場で散々七海と踊ったため、那月や翔から少しは遠慮しろと拗ねられたばかりだ。
七海を助け出す王子様役は譲らないと。

厳かなイメージのパーティはこれでもかと言うくらい笑って騒いで、すっかり満喫した。
聖川が弾くピアノに合わせて何度も踊って、1曲終わるたびにレンがからかいに行って、那月はずっと翔を追っかけまわしていた。
用意されていた軽食はどれも美味しくて曲の合間にがっついて食べてたらレディを放って置くもんじゃない、と
レンにたしなめられたり(その割にレンも時々女性を放置して聖川と仲良く小競り合いをしていた)
何故か男性のステップまでマスターしていた友千香に七海を取られたり。

「トキヤも来られればなあ」
本当に楽しくて、この場にトキヤが居ればもっと楽しいだろうと何度も思った。
皆そうだな、と返してくれたけどレンだけは肩を竦めて意味ありげに笑って何も答えなかった。
メールをしてみようかとも思ったが、トキヤからすぐにメールの返信が来たことはほとんど無い。
学校に戻ってきてから返信出来なかった謝罪と、メールの内容への返答が帰ってくるのがほとんどだ。
何度かそれを経験して、音也は授業内容の変更など、よっぽどの事で無ければメールをしないように決めていた。
長文メールを何度も送って怒られた事はあったが、寂しいからメールしちゃった、と書いたらトキヤはなんと言うだろうか。

「どうしたのさイッキ、携帯じっと見つめちゃって」
いつの間に聖川とのじゃれあいが終わったのか、レンが背後から音也を覗き込む。
気のない返事を返して、音也は携帯を握り締めた。時々だが、帰りが深夜になりそうな時はトキヤから連絡が来る。
すでに寝ているだろう音也を起こさないように事前に知らせてくれるメール。
「トキヤからこれから帰る、ってメールが来ないなあって」
はあ、と拗ねたように溜息を吐いて伝えるとレンは少し間を置いて、へぇと含みのある声を漏らした。
レンを見ると、楽しそうに目を細めて何事が考えている。
「レンって俺がトキヤの話するとさ、なんか企んでるっていうか…俺にトキヤの事で隠してること無い?」
「そんな事無いさ。仮にそうだとしても、俺から話すのはルール違反だ。そうだろ?」
「そうやって煙に巻く…」

そうしている間に雪が降る勢いはどんどん強くなっていった。もしかしたら明日にはうっすら積もっているかもしれない。
風が吹いていないとは言え、夜半の雪はどんどん体温を奪っていく。
自分はまだジャケットを着ているから寒くないが、レンはシャツ一枚だ。しかも彼の常のように、胸元が開いている。
「レン寒くないの?上着渡しちゃって」
「まあね、もう寮に帰るから平気さ。レディから奪い返すわけにはいかないしね。イッキはイッチーから連絡あるまでここに居るつもり?」
「いや、俺は…」
言葉を続けようとした瞬間手の中の携帯が震える。
慌てて確認した送信者には『トキヤ』と表示されている。
「その顔はお目当ての彼だったみたいだね」
「うん!」
ぱっと表情が明るくなった音也を見て、レンはやれやれと首を小さく振って寮へと歩き出す。
携帯の小さな画面を食い入るように見つめながら返信を打っている音也はもうレンの事などすっかり意識から抜けていた。

トキヤからのメールは簡潔に、『11時に学園に戻ります。』とだけ書かれている。
現在時刻は10時半を少し過ぎた頃だ。
弾む気持ちを抑えて、トキヤに怒られないようになるべく必要な事だけを打ち込んでメールを送信する。
どうせなら校門で出迎えてみよう、と思い立って寮とは反対の方向に歩きながら音也は今日一番浮かれている自分に気付いた。
寒い寒いと思っていた空気もメールを打っている間は全く気にならなかった。
辿りついた校門は当然誰一人居ない。時折遠くで車が通る音が聞こえてくるくらいだ。
トキヤは普段歩いて帰ってくるが、今日のように夜遅くなった場合は犯罪に巻き込まれないように、と
タクシーに乗って帰ってくる。
以前それを聞いてアイドルみたいだなあ、と音也が言うとトキヤはぎょっとした固まっていた。
何か悪いことでも言ったかと音也は身構えたがトキヤはすぐにいつもの調子に戻り、防犯のためです、と素っ気無く返した。
「(トキヤって時々様子がおかしいんだよな…レンはなんか感づいてるけど)」
遠くで光った車のライトに目をこらしながら考える。
こちらに向かってくると思われた車は少し手前で右折し、みるみる遠ざかっていった。
「まだ10時45分、っとメール着てる」
着信は8分前を示していた。歩いていて気付かなかったらしい。
「マナーモード切っておけば良かった…」
開いたメールには『雪が降っているようなので風邪を引かないように』とだけ。
トキヤらしいなと笑ってから、こんな無防備な格好で校門に突っ立っていたら怒られるだろうか、と音也は思う。
校門に向かう前に急いで寮に戻ってマフラーなりコートなり持ってくれば良かった。
今から戻ったとしてもトキヤの方が先に校門へ着いてしまうだろう。
「早く会いたいよ、っと」
かじかんで上手く動かない指でメールを返信して、携帯をポケットに仕舞いこむ。
「なんか俺恋する乙女みたい」

自然とそんな感想が出てくる自分が不思議だ。
トキヤと音也は当然男同士で、歌声に色気があって凄いな、とかすぐに拗ねるのが可愛いな、と思ったりしても
それは全て友情の範囲内だった。
案外面倒見の良いトキヤに勉強を教えてもらう際に密着した時にトキヤの首筋が赤くなっているのを見つけた事がある。
なんとなく口に出してはいけないような気がして、しかし湧いた悪戯心は抑えられずに
偶然を装って自分のノートを辿っているトキヤの指先に手の甲で触れてみた。
トキヤはひくりと指を震わせ、小さくすみませんと謝って手を引っ込めた。
何故かトキヤの表情を伺う事はしなかった。心のどこかで、そうしてはいけないと思ったから。
ふとした時、特に七海と一緒に居て笑っている時に感じる視線がトキヤのものだと気付いたのはいつだったか。
最初は七海と仲の良い自分に嫉妬しているのか、と思った。
トキヤの性格上、校則違反に抵触してまで七海と中睦まじく会話できないはずだ。
七海の事は確かに好きだったが、それは恋ではなくあくまで彼女の作る今日に惚れこんでいる。
寮で2人の時にそう説明した時、トキヤは面食らったような顔をして、そうですか、と返した。

その時感じた違和感を今また思い出す。
分かりづらいが、トキヤは確かにほっとした表情をしていた。
しかしそれ以降も、頻度は減ったがトキヤからの視線が消える事は無かった。一度意識してしまったので余計に過敏に反応していまう。
トキヤには珍しい表情をしていたのを良く覚えている。
思いつめたような、戸惑いの混じった表情。時々浮き足立っているようにも見える。
本当はそれが何を意味するのか分かっていた。

「…恋しているのかな、俺に」
雪はいよいよ本格的に降り始めていた。


音也から送られてきたメールの文面を読んで、トキヤは携帯を壊れんばかりに握り締めた。
落ち着いて読み返して、どうせあの音也だ他意は無いに決まっている、余計な期待をしてどうすると
必死に自分を宥めてゆっくり息を吐き出して携帯を閉じた。

これから帰る、とメールを送った時は『気をつけてね』とだけ書かれていた。
以前、音也があまりにも長いメールを寄越してきて、それを休憩中にスタジオの隅で読んでいたらそれを見た共演者に
恋人から?と聞かれた事がある。曰く、いつもと違って随分真剣な表情だからと。
その時にメールは簡潔に、と注意してから何度か問答無用で長文メールを送ってくる事数度、ようやく身に付いたと思って
いつもはしない返信をしたらこの文だ。

「(こんな文一つで…)」
トキヤは自分の顔が、それどころか耳まで真っ赤に染まっているのを運転手に悟られないように体を窓際に寄せ、
もう一度音也からのメールを開いた。
『早く会いたいよ』
音也は何度も自分の心を無意識の容赦の無さで揺らしてきたが、このメールが一番効いた。
声が無い分、その行間から都合の良い感情を上乗せして受け取ってしまう。
「(こんな不毛な事を考えるようになるなんて…)」
思いながら、音也からのメールを保護化して携帯を閉じる。
我ながらその行動が恋をしている女性のようで恥ずかしい。恋をしているのは合っているが。

最寄の駅から学園までは10分もかからない。他の車のライトや繁華街の光で騒がしかった外の風景はあっと言う間に
街路樹の並木道へと移り変わる。
タクシーのライトに照らされた校門に見知った人影を見て、トキヤは勢い良く身を起こした。
パーティ用の正装に身を包んで、寒さを紛らわすためかその場で足踏みをしている。

「音也…?」
こちらに気付いた音也が満面の笑みで両手をぶんぶんと振っている。
この寒い中待っていたのか、暗がりではしっかり確認は出来ないが鼻の頭がすっかり赤くなっている。
領収書をもらう事さえ忘れ、トキヤは転がるようにタクシーから降りた。
柄にも無く焦った様子のトキヤを見て、音也がばつが悪そうに苦笑する。
「おかえりトキヤ」
「ただいま戻りました…音也、あなたいつからここに?」
トキヤが尋ねると、音也は更に居心地が悪そうに視線を逸らした後、あんまり待ってないよ、と答えた。
あからさまな嘘にトキヤは眉間に皺を寄せ、音也の指先を握り締める。
「こんなに冷え切っているのにですか」
「あー…ほら、雪降ってたじゃん?メール来る前にはしゃいじゃってさ」
「わざわざ校門で待たずに部屋に居ればいいでしょう」
トキヤの言葉に棘が増していく。
待っていてくれた事も、会いたいとメールをくれた事も本当は嬉しい。それが自分を想ってくれている結果なら。
しかし音也の事だ、ただ何となくトキヤを待っていたに違い無い。
トキヤはそう決め付けていた。

「…七海さんと踊ったんでしょう?」
そして決め付ける理由は彼女の存在だ。
以前、寮の部屋で彼女に特別な感情が無いと伝えられたことがある。その時はつい喜んでしまってしまったが、
日が立つにつれ音也の気まぐれだと思うようになった。
それでも気付けば音也を見ている自分が腹立たしく思ったが。

「へ?まあ…あ、でもトキヤが居なくて物足りなかったな」
随分と不躾な質問だと思ったが、音也は訝しがら無かった。
それどころか、彼は今なんと言った?
レンの言っていたのは噂とは言え、2人の間の空気はかなり親密なものだった。
音也は七海と楽しい時間を過ごし、彼にとってはそれで十分なはず。
トキヤが帰る時刻をメールしたのは癖のようなもので、音也は七海と一緒に居てメールがあった事すら気付かないかもしれないと
思っていた。
しかし音也はパーティにトキヤが居なかった事を不満に思っている。
トキヤの胸を躍らせるようなメールを送り、雪が降る深夜にわざわざ校門まで出迎えてくれた。
普段は喜ぶようなその音也の行動は、七海との噂が邪魔をして、トキヤの神経を酷く逆撫でする。

「七海さんはどうしたんです」
口から零れたのは随分と荒んだ声だった。音也はそれを指摘するでもなく、普段と変わらぬ態度で返答する。
「那月と翔が送って行くってさ」
そう聞いて、音也の手を握る力が少しだけ強くなった。
「ね、トキヤ何でそんなに険しい顔してるの」
「気のせいですよ」
「こんなに皺寄ってるのに?」
「気のせいです」
離そうとした手は、音也の冷たい両手によって握りこまれてしまう。
夜でも目立つ明るい色の瞳が、トキヤを真っ直ぐ見上げている。
「…なんかあったの?」
心配そうに問う音也の声に、もうすべて言って楽になってしまおうかという気持ちになる。
音也と同室である限りこれからもずっと想いを隠して、更に七海への嫉妬まで隠し通さなければならない。
それならいっそ、音也に全て話して距離を置いてもらった方が良いのではないか。

「音也」
「ん?」
様子がおかしい自分を心の底から心配してくれる音也の、純粋な友情を踏みにじるのは気が引けたが
一度言おうと決心すると、その言葉はいとも簡単にトキヤの口から滑り出た。
「私は貴方が好きなんですよ」
「えっ」
「勿論友人としてではなく」

恋をしているんです、とは続けられなかった。

小さく声を上げてから一言も発しない音也を見ていられなくなって俯く。
止まない雪が地面に落ちては消えていくのを見ながら、自分も消えてしまいたいと唇をかみ締める。
吐きそうなほどの激しい動悸とは逆に、頭は冴えきっていた。
落とした視線の先に、いまだ握られたままの自分の手が映る。
音也の力は随分抜けてしまっていたので離そうと思えば簡単だったが、そうする気にはなれなかった。
ここで自ら手を離したら、二度と触れられる事は無い。
そうして流れた時間はトキヤにとっては膨大な量に感じられた。

「ありがと、俺も好きだよ」
突然耳に入ってきた言葉に、体がびくりと震える。
弾かれるように音也を見ると、照れたように笑って、握った手に力がこめられる。
言いたい事が数え切れないほど溢れてきたが、搾り出せたのはうそだ、という掠れた声だけだった。
音也はその答えを予想していたのだろう、苦笑しながらほんとだよ、と返される。
呆然としているトキヤの右手が、音也によって彼の左胸に当てられる。
冷え切ったタキシードの布地の奥から、暖かい、速い鼓動が手のひらを通して伝わってくる。
「俺、すっげードキドキしてるよ」
「…そうですね」
「全身で、トキヤが好きって言ってるんだ」
音也の声は今まで聞いた事が無いくらい甘くトキヤの耳に届いた。
じわじわと言葉が脳に染み渡り、全身が喜びで満ちる。
「うわっトキヤ顔真っ赤」
急に音也の顔が近づいてきて、嬉しそうにトキヤに指を差した。
トキヤの顔は夜目に分かるくらい真っ赤に染まっている。
しかしそれに負けず劣らず音也の顔も、体中の血液が集まっているのでは無いかと言うくらい真っ赤に染まっていた。
「貴方だって赤いですよ」
「うん…」
それっきり言葉が途切れる。
お互い顔を赤く染めたまま、トキヤは心臓の音に酔ってるかのように目を閉じた。
そうして何度も深呼吸をしながら、必死に舞い上がった心を落ち着かせる。

「…正気ですか」
「ひっど!トキヤこそ」
「私はもうずっとおかしいので」
「ずっと?…そんな前から俺の事好きだったの?」
「ええ、多分」
そう言うと、音也がぱっと満面の笑顔に切り替わり、体当たりをするように抱きついてきた。
危うくバランスを崩しそうになりながら何とか受け止め、少しだけトキヤより背が低い音也の頭を見下ろしながら半端に浮いた両腕がさまよう。
抱きしめ返すべきか迷っているうちに、音也が顔を上げてトキヤの顔を覗き込んだ。
いつも見ている屈託の無い笑顔はなりを潜め、真剣な、女性を口説く時のような顔をしている。
不味い。いくら色恋に疎いとは言え、この後の展開が分からない程無知では無い。
ゆっくり目を閉じながら近づいてくる音也を、トキヤは強引に引き剥がした。
この流れでどこか間違ってる、と瞳で語る音也は不満そうな気持ちを隠さずトキヤをじろっと軽く睨む。
「ここがどこだが分かっていますか、音也」
「そういう雰囲気だったじゃん」
「いくら深夜とは言え誰が見ているか分からないでしょう!」
むぅ、と唇を尖らせた音也に溜息を吐く。
少しずつ冷静になってきたトキヤはこれからの事を考えていた。
まさか成就するなど夢にも思ってなかったので、思考が上手くまとまらない。

「トキヤはキスしたくないの?」
子供っぽい表情から一転、再び男の顔に戻った音也に心がぐらつきながらも何とか踏みとどまり、
トキヤは音也の両手を握った。
途端に音也の目が期待にきらきらと輝くのを無視して、そのまま左の胸元に口付ける。
それを見届けた音也は、がっくりと肩を落とした。
「なんでそこ…」
「正直者で、そして慎ましいからですよ」
「自分の心臓に負けるなんて…」
「いいから寮に戻りますよ。これ以上は体調を崩します」
不満気な様子の音也にそう言い切ると、音也は焦れたようにトキヤの目と唇を視線で辿り、あきらめたように
息を吐いて歩き出す。
ちゃっかりトキヤの片手は握ったままだが、以外にもトキヤは抗うこと無く歩き出した。
それでもきっとまたしかめっ面してるか、照れてるかしてるんだろうなと思って振り返った先に
眉間に皺を寄せて顔を赤くしているトキヤを見つけて音也は嬉しそうに笑った。
診断メーカーで【トキヤは雪の降る日に眉間に皺を寄せながら心臓に焦らすようなキスをします】という結果が出てつい…