恋の足音 since 2011.11.05 ※TOPへ戻る際は←のサイト名をクリックして下さい。


生徒たちのざわめきが遠くに聞こえる学園の屋上で、トキヤは苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くしていた。
後ろ手に閉めた扉の冷たさが張り付いた両手に伝わってくる。
冬に差し掛かった空気は闇が深まるにつれて鋭さを増し、髪の合間から見え隠れする耳を冷やした。

後夜祭も終わり、残っている生徒は実行委員や片付け係になった生徒たちだけ。
自分をここまで(かなり強引に)連れて来た音也は金網に張り付いて名残惜しそうに校庭を見つめている。
「終わっちゃったなあ」
「ええ」
ぽつりと落とされた呟きに律儀に相槌を打つと、音也が嬉しそうに振り返って手招きをした。
ぴたりと隣に立つ気にはなれずに半身分離れ、同じように校庭を見下ろすことはせず、空を見上げた。
澄んだ空気の中で無数の星が輝いている。

ぼんやりと眺めていると、ふいに袖をつままれた。
「なんですか、音也」
「ぼーっとしてるから」
「星の瞬きを見ていただけです」
「うわっ詩的〜卒業オーディション用の歌詞に使うの?」
「そういうわけでは…」
ふぅん、とどこか残念そうに返して音也は再び校庭に視線を戻した。

トキヤは湧き出した気恥ずかしさに邪魔をされ、星空へは戻せなかった視線を音也へと流す。
普段から落ち着きが無い音也は、学園祭という燃料のせいか更に浮き足立って見えた。
講堂のステージでライブを行ったらしいと聞いたから気が昂ぶって治まりきって無いのだろう。
出来る事なら音也の歌う姿を見てみたかったが、HAYATOとして他の学校の学園祭に行かなくてはならなかったため叶わなかった。
たまたま早乙女学園からほど近い系列校だったために早めに戻ってこられたのは幸いだと思っていた。
姿の見えなかったトキヤを見つけて、飼い主を見つけた犬のようにじゃれついてきた音也に屋上へと連れ去られるまでは。
そばに七海が居たのが視界の端に見えたが、彼女が控えめに、そして困ったように笑って手を振るのを見て抵抗を諦めた。
暴走した音也を鎮められるのはトキヤか七海だけという噂が広まったのは夏休み前の頃だったか。
彼女には悪いが、出来れば音也を押し付けたかった。
基本的にはフェミニストであるトキヤの精神がそれを許さなかったが、一瞬それが揺らぐ程度にはこういう状態の音也が面倒だ。

「はぁ…」
思わずついてしまった溜息は音也には聞こえなかったようだ。
良かった、今度は安堵の溜息をつく。
音也は心の機微に聡く、(本人は善意のつもりなのだろうが)相談に乗ろうとまとわりついてくるのがトキヤが苦手だった。
これまでに何回も、音也の何気ない一言で自分が気付かなかった、知りたくなかった感情を教えられている。
最たるは今こうして静かな屋上で2人っきりで居る事を嬉しいと思ってしまう、恋という感情。
「うわっトキヤ何してんの!?」
心に浮かんだ言葉に耐え切れなくなって自ら金網に頭を打ちつけたトキヤを見て、何事かと音也が振り向く。
頭が痒かったんですという苦しい言い訳をして、何だそれ、と笑う音也を見ないように体を戻す。
ぺたりと両手で触った頬は焼け付くように熱い。
この暗がりで気付かれることは無いとは思うが、音也に気付かれないように手で顔を仰いで熱を冷ます。
仮に気付かれても、音也の事が好きだからこの状況に頬を熱くしているなどと結びつけはしないだろう。
結び付けないからこそ、音也の言葉は時に無神経な刃となってトキヤの胸を穿つ。

「音也、私に何か話でもあったんですか」
「なんで?」
「わざわざこんな人気の無い場所に連れ去ったんです、何か特別な理由があると普通は考えますよ」
「んー良くあるじゃん、学園祭あとの屋上で2人っきりって」
「は?」
間の抜けた声が出る。
確かに数多くのドラマや映画、漫画や小説…ありとあらゆる場面でこの状況は活用されてきた。
大抵は密かに想い合っていた男女が心を通わせたり、想いを告白したり、
自分たちのような男同士の場合は打ち明けられなかった秘密を伝えたり。
「苦楽を共にして、達成感を分かち合って、そんで…」
聞きなれない音也の低い囁く声に違和感を感じ、視線をやったトキヤはびくりと固まった。
音也の腕が真っ直ぐこちらに向かって、肘のあたりをがっちりと掴む。
咄嗟に振り払おうとしたがその力は驚くほど強く、責めるために開いた口は音也の目を見てそのまま閉じられた。

射抜くような視線がトキヤに突き刺さる。熱に浮かされた目がぎらぎらと輝いているような錯覚さえ覚える。
「音、也…」
じりじりと後ずさって取った間合いはすぐさま詰められ、握られた腕が離されたと思った次の瞬間には肩を押され体が半回転する。
ガシャ、と不快な音を立てて金網がきしむ。背中に痛みは感じなかったのは音也がまだ冷静な証拠だろうか。
「音也」
「トキヤって呼びかける時に必ず俺の名前呼んでくれるよね」
「え、ええ…」
両肩を押さえつけられながら言う音也の顔はいつもと同じ純粋さが滲んだ笑顔。
トキヤは怒って音也を押しのけるタイミングを逃して、かすかに身を捩ろうとしたが、それは阻まれた。
「俺の名前を呼ぶトキヤの声、好きなんだ」

目を細めてうっとりとしたように言う音也の声は、驚くほど甘ったるくトキヤの耳に滑り込んだ。
そしてその意味を理解するまで数秒、インクが水に広がるようにあっと言う間に赤く染まったトキヤを見て音也は笑う。
「かわいいなぁ、トキヤ」
「貴方、一体、何を言って…」
「あはは混乱してる」
音也が言った言葉だけを見るなら普段と同じだが、トキヤの耳に入る音は随分と違うように響いた。
ドラマの現場で耳にするような、主人公がヒロインに愛を囁くときのような声音だ。
頭の中では警笛がうるさく鳴り響いているのにトキヤの両足は縫い付けられたようにその場から動けない。
恋愛禁止の校則は男性同士の場合について言及された事は無かったが、きっと性別など関係ない。
退学の二文字が浮かんだ瞬間トキヤの顔からザッと音を立てて血の気が失せ、がくりと膝が折れた。
音也は動じることもなくトキヤを素早く支え、その場に座らせる。
「誰かに見られたらどうしようって思ってる?」
あっさりと心情を見透かされてのろのろと顔を上げると音也の手が伸びてきて、するりと右頬を撫でられる。
もう体を押さえつける腕は外されているのにトキヤは尚もその場から動けなかった。

「大丈夫誰も来ないよ、皆もう寮に戻ってる。こんな日に屋上まで来るような物好きなんで居ないよ」
鼻先が触れ合う近さに音也の顔がある。唇に触れる息は随分と熱く、それがトキヤの思考能力を奪う。
音也は何も言わずにニコりとアイドルのお手本のように笑って、トキヤの鼻にちゅっと音を立てて口付けた。
頬を撫でていた手は滑るように首筋を辿り、きっちりと締められたネクタイで止まる。
引っ掛けられた指がネクタイを緩め、シャツのボタンを2つ外されたところでようやくトキヤは弾かれたように声を上げた。
「ッ音也!」
「なーに」
「駄目です、これ以上は本当に、…」

それきり言葉に詰まって俯いてしまったトキヤの両手が弱々しく音也の肩を押す。
音也はその手をそのまま握り締めて、夜の闇に白く浮かび上がったトキヤの喉に食らいついた。
驚きで出そうになった声はそのまま喉奥に吸い込まれていく。
ごくりとトキヤの喉が上下するのを見て、音也はくぐもった笑い声を上げた。

「トキヤ、俺の名前呼んで」
「ッ…」
「ねえ」
先程手のひらで辿った箇所をなぞるように舌を滑らせて、顎先で止める。
開いたままのトキヤの足の間に音也の体が割り込んでくる。唇が触れ合う距離で促されるように微笑まれると、僅かにトキヤの唇が震えた。
「…音也」
「もっと」
「音也、お願いですから…」
「うん」
「手を、離してくださ、」
続けようとした言葉は音也の唇に吸い込まれる。
薄く開いたままのトキヤの唇への侵入は容易であるはずなのに、音也はただ唇を押し付けたまま動かなかった。
目を閉じることもせず、真っ直ぐにトキヤの瞳を見つめている。
視線の強さに耐え切れなくなったトキヤが瞼をぎゅっと閉じたその途端、音也の舌がべろりとトキヤの唇を舐めた。
大雑把なその動作はキスに付随する愛撫というより、肉食動物が味見をするそれに近い。
歯の隙間を押し広げるように侵入してきた舌がぴたりと止まり、不思議に思ったトキヤが目を開くと、音也と視線が絡んだ。
それを待っていたように音也の目が猫のように細められ、にちゃりと音を立てて舌をすくわれる。
「ッ」
初めて感じる他人の舌の感触に、首筋がざわりと粟立った。
緊張でからからに乾いた口内を音也の舌が濡らしていく感覚に、座っているはずの体がさらに深く沈み込む感覚に襲われる。
音也の手をぎゅっと握り返すと、宥めるように舌を突かれた。視線はいまだ絡まったままで、抵抗しようとする気がどんどん失せていく。

常に視界の端で追って、その一挙一動に心を乱されて、こうして一方的に蹂躙されてそれでも心の底では
それを喜んでしまうような相手に抗うことなど無理だと、本当は最初から分かっていた。
音也の前ではどんなに意地を張っても意味を成さず、どう取り繕っても見透かされる。
恋をしたと自覚した時点でトキヤがどう頑張っても音也に勝てる要素は消えうせていた。

「トキヤ」
そんな心の内までも見透かしたのが、音也が乱れた息の中で呼び掛ける。
最後に残った僅かなプライドが邪魔して黙ったままのトキヤを見て、ふっと音也が笑った。
「好きだよ、トキヤ」
瞬間、言葉にならない感情の波が濁流のように押し寄せてくる。
じわりと涙の膜を張ったトキヤの目を見て、あやすように音也が瞼に口付ける。
その心地よさに目を閉じると、音也の唇は何度か両目を往復して、そして再びトキヤの唇を塞ぐ。
ぴたりと合わさった唇の端から混ざり合った唾液が大げさな水音を立てて溢れ、トキヤの羞恥を煽った。
音也の腕はトキヤの首を抱えるように回され、より深く貪るように角度を変えられる。
残った手に促され、音也の背中に両腕を預けると口付けはより深くなった。
余裕の無いトキヤを気遣うようにしていた音也の舌は、快楽を引き出すように動き始める。
「音也ッ…」
切羽詰った声をあげるトキヤを見ても音也は楽しそうに笑うだけだった。
痛まない程度にだが舌を噛まれ、背筋がひゅっと凍った。
表も裏もなく舌全体を舐め尽され、怖気づいて奥に引っ込めようとしてもすぐに絡め取られてしまう。
戸惑うトキヤの口内を我が物顔で舐め尽し、もう舌が痺れて動かないと思わせるまで味わったあと、音也はようやくトキヤを解放した。
唇から伝う唾液をぬぐう気力も無く、だらりと金網に体重を預け、トキヤはぼんやりと音也を見た。

ぎらついた雰囲気はすっかり消え、照れくさそうに頭をかいて笑っている音也につられてふっと息が漏れた。
ポケットのハンカチで口元を拭いて立ち上がろうとして、がくりとバランスを崩し目の前の音也に抱きつく。
「腰抜けちゃった?」
「誰のせいだと思って…」
ぎろりと睨みつけると音也は嬉しそうに俺だよね!と弾んだ声を上げる。
そのまま踊り出しそうな音也を押しのけようとするがすっかり力が抜けてしまった体は支えられてやっと立っている状態だ。
音也の肩に顔を預け、素直に回復を待つ事にする。
その間も音也はトキヤの髪を鼻歌混じりに梳いたり、制服の上から体を撫で回したり(腰から下へいきそうになった時は手をつねった)
「青春って感じだね!」
上機嫌でそう言われて、トキヤの脳裏に唐突に現実が突きつけられる。
今は誰にもバレて無い。しかしこれから寮に帰るまでの道、他の寮生やクラスの友人との会話、あげればキリが無いが
音也がこぼした一言からこの一件が学園長に伝わりでもしたら当然退学、HAYATOとしての活動も無かった事にされるだろう。

「音也!」
焦ったように呼んでから、きょとんとしている音也を見てトキヤはハッとして口をつぐんだ。
校則で恋愛は禁止されているからこの関係は秘密にしましょう、もしくは無かった事にしましょうと言った所で
音也が大人しく言う事を聞くだろうか?
最悪、勝手に燃え上がって学園長に交際を認めさせてやる!と息巻くかもしれない。
純粋さや真っ直ぐなところは音也の長所だがこの場合は短所にもなりうる。
「トキヤ?」
ぐるぐると悩み始めて凍り付いてしまったトキヤの前でひらひらと手が振られる。
ここで一時の気の迷いで許してしまいました、とでも言えばお互い傷つくだろうがこれからの人生は保障されるだろう。
その選択肢が浮かび上がった瞬間、心臓が締め付けられるような痛みに襲われる。
自分でも恥ずかしいとは思うが、音也の居ない人生など想像もつかない。耐えられない。

「音也」
「ん?」
にこにこ笑う音也の肩をがっしりと掴み、トキヤは覚悟を決め口を開く。
「良いですか、今日をもって私たちはお互いの気持ちを確認し合った事になります」
「うん!…ん?校則違反の事気にしてるの?それなr」
「違反はこの際おいておきます!」
甘ったるい空気を吹き飛ばすように叫ばれて、慌てて音也はがくがくと頷く。
「私の性格は知っているでしょう」
目の奥に怪しい光が灯り始めたトキヤに嫌な予感を感じながら、まあ、と音也は曖昧に返事を返す。
途端ににこっと完璧な作り笑いをしたトキヤに予感はほぼ確信に変わり
「いくら貴方を好きだといっても、今の私にとって一番は歌の事です。それ以外に時間を取られる事は私のプライドが許しません」
とっくに砕け散って音也に心を奪われている事はさておき、そう断言すると音也はああ…と肩を落とした。
聡いと言ってもこちらが弱味を見せずに言い切ってしまえばそのまま受け取ってしまう素直さを利用すれば最悪の事態は回避出来る。
「だから音也、卒業オーディションで優勝した場合のみ交際をしましょう」
「それは俺が?それともトキヤが?」
「どちらともですよ」
「えぇ!?」
余りにも無茶な事を言っているのは自覚していたが、前例が無いからと言って可能性まで無いわけではない。
何より学園長はあのシャイニング早乙女だ。ぐうの音も出ないくらいの実力を示せば案外あっさり納得してくれるかもしれない。
突拍子も無い展開に目を白黒させている音也を黙らせるために、と自分に言い訳してちゅっと唇を寄せる。
音也は目を見開いたまま固まって、先程までトキヤを翻弄していたのが嘘ではないかと思うくらい真っ赤になって慌て出した。
からかわれる事はこの際我慢して、明日レンと聖川にこっそり相談してフォローを頼もう。
レンは最初からトキヤの気持ちに気付いていたがかき回すような事はしなかったし、聖川は生真面目そうで案外柔軟な考えと情熱を持った人間だ。
人選としてはこの2人が最高だろう、とトキヤは結論づける。
学園長や他の級友たちに隠し事をするのは気が引けたが、それも音也に想われている事実に比べたら大した問題では無い。
人間変わるものだ、と音也を見ながら苦笑する。
課題曲の歌詞にある太陽についての解釈を議論している時、真っ先に思い浮かんだのは音也の事だった。
それが悔しくて、どちらかと言うと彼のパートナーである七海のイメージで春の穏やかな太陽だと意見したのを覚えている。
気付けばすっかり焦がされて、音也を失いたくないためにこんな荒唐無稽な事を考えている。

「音也」
彼が好きだと言った声で名前を呼ぶ。
「貴方が好きですよ」
精一杯感情を込めて言うと、音也は更に顔を火照らせる。困ったように眉を寄せてもごもごと何事か呟いたかと思うと、爆発したように
言葉にならない声で叫ぶ。
トキヤをあれほどまで翻弄出来たのは学園祭後の屋上、というシチュエーションで気が昂ぶっていたせいだろうか。
思いがけずやり返す事が出来、トキヤは満足気に微笑む。
「音也」
嬉しくなってもう一度呼ぶと、ふて腐れたような顔をした音也と目が合った。
音也の両手がべち、っとトキヤの頬を挟んで突き出た唇にお返しとばかりにキスをされる。
くすくすと笑いながら、音也の手は取らずに戻りましょう、と扉へ足を向ける。
初めての事づくしだがトキヤはなるようになる、と珍しく楽観的な事を考えていた。
音也が自分の太陽でいてくれる限りどんな事だって乗り越えられる。
キスよりも恥ずかしい結論かもしれない、と思いながらトキヤたちは屋上を後にした。
診断メーカーで【音トキは屋上で噛み付くようなキスをします】という結果が出て…喉にしたのは個人的な趣味です。うん。トキヤぺろぺろしたい。