恋の足音 since 2011.11.05 ※TOPへ戻る際は←のサイト名をクリックして下さい。


ざわざわざわざわ。
すぐ横を通り抜けるもの、遠くからこちらを伺ってなにやらひそひそと囁き合っているもの。
堂々と下品な言葉で冷やかしの言葉を投げかけてくるもの。
それらを遮るように、トキヤは首に巻いたマフラーに深く顔をうずめた。


唇が乾燥で割れてしまった音也に使いかけのリップクリームを(半ば無理矢理)渡してから数日。
早乙女学園はトキヤにとって非常に不本意な噂で持ちきりだ。
生徒から生徒へ伝わる途中で付いた尾ひれは膨大な数に膨れ上がり、トキヤの耳に入れられる頃にはすっかり元の形は無くしていた。

【Sクラスの一ノ瀬がAクラスの一十木に惚れている】

それを初めてレンがトキヤに告げた時、確かにSクラスの教室は時が止まっていた。
わざわざ視線を向けるような命知らずな真似をするものは居なかったが、全員の注意は全てトキヤの反応に向かっていた。
衣擦れの音はおろか、息遣いすら聞こえてこない。
音を少し立てでもしたら密告者としてトキヤに制裁を加えられるという被害妄想にかられた生徒たちは押し黙っている。
誰もがトキヤが否定してくれると信じてその時を待っていた。
いつものあきれ返った表情で、威圧的な言葉でばっさりと否定してくれると。
「出所はどこです」
しかし生徒たちの希望は無残にも打ち砕かれた。
音也に対してはお手本のようなツンデレ対応をするトキヤに慣れているSクラスの生徒にはそれが噂の肯定にしか聞こえない。
例えトキヤが噂の火消し手順を間違えただけだったとしても。
張り詰めていた教室の空気は更に研ぎ澄まされ、暖房が入っているはずの室内が冬の空気で包まれる錯覚すら覚える。
生徒たちの視線は再びトキヤには集まらず、眼前であーあ、と肩を竦ませているレンに集まった。
「ま、Aクラスでイッキが言葉の選び方を間違えたんだろうね」
「リップクリーム如きで…」
「唇に触れるものを潔癖なイッチーが渡したとなれば噂の材料として申し分無いね」
そうだろう、と続けられてトキヤは反論もせず顔を右手で覆った。
頭が痛い。
きっと音也は教室で何の気なしに朝唇が割れた、と級友に話しでもしたのだろう。
そして聖川あたりに冬の乾燥には気をつけろと言われ、リップクリームを塗ったからもう大丈夫だと言った。
音也の事だ、聞かれてもいないのにトキヤにもらったとしっかり付け加えたんだろう。
聖川も真面目にあの一ノ瀬が、と律儀に聞き返したに違いない。
いつでも一言多い音也は持ち前の大きく通る声で『トキヤの使いかけのをもらった』と言ったに決まってる。
「せめてもうちょっと状況説明が上手ければ…」
「何の話だよ」
「こちらの話です」
トキヤの想像はほぼ全てと言っていい程当たっていた。
ただ違うのは、音也が更に余計な一言を言い放っていたことだ。
トキヤにも塗ってあげたよ。
そのたった一言が噂を爆発的な速さで広めさせ、ありもしない尾ひれを付けさせてトキヤへと戻ってきた。
根も葉もないわけではない。ちょっと肥料の配分を間違って異様な成長を見せただけ。
一気に噴出したトキヤの怒りのオーラから逃げるように、生徒たちは一心不乱に教科書へと向かいだす。
その異様な光景は龍也が出席を取るために教室へと足を踏み入れる瞬間まで続いた。


そこまで思い出し、トキヤはぎりぎりと歯をかみ締めた。

音也のように余計な事を言ってしまう人間はこれまで回りに何人か居た事がある。
普段の生活に支障が無いような人物であればわざと距離を置き、そうで無ければ与える情報を最小限にして自分に不利にならないようにする。
音也に対しても同じように接してきたはずだった。
しかし、明るい笑顔をとトキヤたじろがせる人懐っこさで警戒心を解かれてしまい、この有様だ。

思わず通学路を踏みしめる足にも力が入る。
寮で同室で、お互いの才能を認め合い同じ夢を持つ者同士、仲良くしたいという音也の気持ちは十分に受け入れているつもりだ。
トキヤにとっての"仲良く"と音也にとっての"仲良く"に大きな差があるというだけで。
「一ノ瀬ー彼氏とは一緒に登校しないのかよ!」
軽々しい野次が前方から飛び、周りがまたざわつく。
トキヤは一瞥して進行方向を変え、体育館側から回りこむ道へと足を向ける。
背後からは諦めの悪いからかいの言葉が飛んでくるが、相手にするだけ無駄と歩を早めた。

音也は噂など気にしていないのか、トキヤへの態度が変わることは無く。
今朝も早起きをして、サッカーしてから学校行くから、とグラウンドに駆けて行った。
その毎日の習慣が今はありがたかった。そうでなかったらどうせ出る所も目的地も同じだから一緒に行こうと言われてたはず。
この刺すような好奇の視線の中、音也と歩くのはさすがに耐え切れそうも無い。

「あっれートキヤじゃん!通学ルート変えたの?」

聞きたくなかった声が投げかけられ、一瞬振り向くことが出来なかった。
体育館の隣にあるバスケットコートからボールの跳ねる音と翔の声が聞こえてきて、そして途絶える。
代わりに音也がこちらへと走り寄る気配がしてトキヤは慌てて歩き始めた。
すぐに隣に滑り込む音也の気配を感じ、眉間にぎゅうっと深い皺が寄る。
「いつもそのまま校舎の裏側から入るのに今日はどしたの?」
肩がぶつかり合いそうな距離から音也が言葉を投げかけてくる。
音也が寮の部屋を出て行ってから1時間ほど。その間ずっと動き回っていたのだろう、側に居るだけで周りの温度が一気に上がる。
ふわりと鼻をかすめる汗の匂いが混じった音也の匂い。
何故かそれが無性に苛立って、音也の肩を乱暴に押し返した。
「わわっ!」
突然の事にバランスを崩した音也がそのまま地面に尻餅を付く。
すぐに立ち上がってジャージに付いた埃を払った音也を見て、申し訳なさより怒りが込み上げる。
事実を誇張した噂が学園中に広まって居心地が悪い思いをしている自分。
噂など気付いてもいないのか、それともどうでも良いのか普段通りににこにこと笑っている音也。
「どうしたのさトキヤ、なんかピリピリしてない?」

その元凶が何を、と思った瞬間にはもう手が動いていた。
バシン、と勢いに任せて音也の頬を平手打ちする。
その音は案外大きく響き渡り、部活から引き上げてきた生徒たちがぎょっとしたように立ち止まって2人を見る。
頬を張った手のひらがジンジンと熱い。
怒りに釣りあがった目は音也から外れず、頭に上った血はまだ下がる気配を見せなかった。
音也は頬をおさえてぽかん、とトキヤを見つめている。じっと見つめ合っても、何をするんだと怒り出すような事はしなかった。
むしろさらに心配そうな色が濃くなり、トキヤは耐え切れなくなって音也に背を向けて走り出す。

自分だけが噂に振り回され、自分だけがこんなにも心をかき乱されている。
音也は何も変わらない。憎らしいほどに普段通りに、笑って自分の隣に居ようとする。
それが腹立たしく思う理由すら分からないまま、トキヤは校舎内へと駆け込んだ。


「音也、不味いんじゃねぇのアレ。お前だって噂の事知ってんだろ?」

立ち尽くしたままの音也に翔が声をかける。
トキヤがあそこまで怒りに我を失っている様子にも驚いたが、それに一切に言い返さない音也にも驚いていた。
2人の雰囲気が良く知るものとは余りにかけ離れていたため割り込めずにいたが、トキヤが立ち去ったのは幸いだ。
集まりかけていたギャラリーがトキヤの退場によってぱらぱらと散っていく。
これ以上新たな火種を作る事になっては当事者ですら無い自分にまで被害がきそうだ。
友人としてある程度の事はしてやりたいとは思うが、それを躊躇う程度には噂は悪質化しているというのが翔の見解。

「音也ぁ聞いてんのか、ってぉおお!?!」
いつまでも反応が無い音也に焦れた翔がその顔を覗き込んでずざっ、と大げさな音を立てて後ずさる。
理不尽に引っ叩かれて怒っているか拗ねているか、もしかしたら泣いてるかもな、などと適当な事を考えていた頭が
一瞬で真っ白になる。
音也は何故か顔を真っ赤にしていた。
湯気でも出るんじゃないかと言うくらい。
「おい…なんで照れてんだよ。さっきのトキヤにそんな要素あったかあ!?」
がくがくと肩を揺さぶる音也の表情は夢見がち、といった様子だ。
まさかMに目覚めてしまったのかと焦っていると音也がようやく口を開く。
「トキヤ、俺が普段通りだから怒ってたんだよきっと」
「はぁ?ああ、まあ…あんな噂流されて平然とされたらそりゃあ」
「それってトキヤが俺との噂を意識してるって事だよね!」
「…」

不穏な空気を感じ取って、音也の肩から両手を下ろす。
暴走の前兆。音也の欠点でもある思い込んだら一直線、良く言えば一途な性格。
被害を最低限に抑えるには、音也の考え(思い込みだが)を否定もせず、肯定もしないこと。
肯定は言わずもがな、否定してもかえって燃え上がってしまうからだ。
今の自分の役割は、とんでも無い事を言い始めそうな音也を制し、これ以上噂が悪い方向に転がらないようにする。
「重労働じゃねぇか!!」
「えっ何?」
「いや…」
思わず出た魂の叫びは誰にも責められないはずだ。出来る事なら誰かに押し付けたい。
「音也。俺にも分かりやすく説明してくれ」
「トキヤは俺にも噂を意識して欲しいんだよきっと」
して欲しい、とまでは思っていないだろうが音也の能天気さにイラついているだけだろう。
と思ったが口には出さなかった。なんだかこれまでで一番面倒くさそうな気配はするが。
「自分の事をもっと考えて欲しい、なんて結構トキヤ可愛い所あるよね」

言って、照れたように頭をかく音也に頭大丈夫か、なんて言わなかった自分の精神力を褒めて欲しい。
誰に言うでもなく翔は想い、そのまま頭を抱えてその場にうずくまった。
乾いたアスファルトを穴が開くほど見つめた所でとるべき行動が書いているわけではない。
しかし今のトチ狂った音也と目を合わせるくらいならアスファルトを見つめて会話した方がマシだ。
「音也…トキヤと、ちゃんと話し合った方が良いと思う」
混乱した頭で搾り出した答えにしては我ながら上出来だと思う。
当事者に任せて自分は関わらないようにしよう、それが最善の策だ。
「そうだね、今日の放課後にSクラスに行くよ」
「いいや、寮の部屋にしろ。相手はトキヤだぞ?2人っきりの方がちゃんと本音が聞ける」
「そっか、そうだね。トキヤ照れ屋だもんな」
うっとりとした音也の呟きに思わず顔をあげると、そこには太陽の光を浴びて燦然と輝く眩しい笑顔。

それを見た瞬間、翔は何もかもを諦めた。
何で恋が始まりそうなんだ、相手はトキヤだれっきとした男だ、どこでどう勘違いすればそうなる、多分男同士でも交際は駄目だと思うぞ、
ありとあらゆるツッコミが頭の中でぐるぐると走馬灯のように駆け巡る。

もう自分が出来ることは祈る事だけだ、と意気揚々と走り去る音也の背中に合唱した。
BACK   NEXT
まだ続くよおかしいな^^☆ さすがに次で終わらせます。テーマは恥ずかしい音トキ。恥ずかしくない時なんて無いけど