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藍ちゃんがピカピカに磨き上げた台所で、翔ちゃんがあんまり似合わないエプロンを着けて
忙しなく動き回っている。
翔ちゃんならピンクとかライムグリーンとか、もっと明るい色が似合うと思うんだけどなぁ。
黒いに近いネイビーが翔ちゃんの明るい金髪と強いコントラストになってる。
それはそれで格好いいと思うんだけど

「ねぇ翔ちゃん、ピンクのエプロン買わない?」
「はぁ?やだよ、恥ずかしい」
「大丈夫!僕もお揃いで買うよ」
「余計嫌だっつーの!!お前フリル付いたの買いそうだし…」
「わぁ、それもいいね!さっすが翔ちゃん!」
「げっ墓穴…」

苦虫を噛み潰したみたいな顔になった翔ちゃんが、いいから大人しく座ってろとひらひらと手を振る。
もう片方の手で持っているボウルの中にはまだまだ完成には遠い、スポンジ生地のこども。
ハンドミキサーがあるのに、翔ちゃんは機械に頼るのは男らしくないって意地を張って泡だて器で地道に混ぜている。
もう30分くらい。
手伝うよ、って言ったけど翔ちゃんが凄い形相でやめろ!!!って怒鳴るから仕方なく見守るだけ。

もうすぐ僕と翔ちゃんの誕生日で、翔ちゃんは僕の為にケーキを作ってくれるって言ってくれた。
真斗くんとレンくんがお料理を作ってくれて、トキヤくんと音也くんは僕たちの為に歌を作ってくれてる。
歌を作ってるのは秘密だったみたいだけど、音也くんがぽろっと言っちゃってトキヤくんに呆れられてた。
セシルくんはお友達の誕生日を祝うのは初めてだ、って僕たち以上に楽しみみたい。

早乙女学園を卒業して、シャイニング事務所で正所属になる為にマスターコースに進んでもう2ヶ月。
僕たちの先輩の藍ちゃんはすっごく可愛くてすっごく歌が上手くて、色んな事を教えてくれる。
翔ちゃんはあいつは鬼だ、なんて言ってるけど学ぶ事も多いって喜んでるみたい。
皆先輩たちに認められて、そして自分を輝かせる歌でデビューする為に毎日頑張ってる。
だから仕方無いんだけど、学生時代みたいに皆で集まってわいわいする事がすっかり減って。
寂しかったのは僕だけじゃなく皆も同じだったみたいで、ブラザーエンブレムをもらった人も居るし、
僕たちの誕生日も近いからとパーティを企画してくれた。

「翔ちゃん、どんなケーキにするの?」
「んースポンジはプレーンで決まってるけど…」
「チョコクリーム?フルーツたっぷり乗せる?ああ、マロンクリームもいいかも」

翔ちゃんはスポンジの粗熱を取る間にケーキの飾りつけに使うフルーツを買って来るつもりらしい。
そう言えば生クリームや卵はしっかり冷蔵庫に買い込まれてたけど、フルーツは全然入って無かった。

「ま、時期じゃなくても最近じゃ何でも揃ってるしな」
「ベリー系をたーっぷり使っても美味しそうだね」
「お前は何がいい?」
「僕?」

ごとりとボウルを置いて、少し息を乱した翔ちゃんが振り返る。
どうにかスポンジ生地のこどもは出来たのか、オーブンの余熱スイッチを押してやれやれと席に着いた。
酷使した右手を左手でぎゅうぎゅうと揉みほぐして、ほっと一息。
コップにたっぷりの氷を入れて、冷蔵庫に常備している紅茶を注いで翔ちゃんの前に置く。

「おーサンキュな」

結構大きめのグラスに注いだのに、よっぽど疲れたのか翔ちゃんは一気に飲み干してしまった。
溶ける暇すら与えられなかった氷がカランとコップの中で崩れる。

「で、何が良い?具…って言い方もおかしいか。ケーキのトッピング決めようぜ」
「そうだなぁ…」

うーん、と腕を組んで考える。
せっかくだから少し高めのチョコレートを練りこんだクリームでスポンジを包み込むのもいいし、
お花畑みたいに色んなフルーツを目一杯敷き詰めるのもいい。砂糖菓子で作ったピヨちゃんを乗せるのもいいかも。
トキヤくんは体型を気にしてるから、クリームに使う砂糖を控えめにしてフルーツの甘さが際立つシンプルなケーキでもいいし。
皆集まれば結構な人数になるから、僕が好きに味付けしてレンくんと一緒に食べてもいい。
誕生日会が初めてだというセシルくんの為にこれぞ誕生日ケーキ!っていうチョコプレートとキャンドル付きのケーキもいいな。

僕がぐるぐる悩んでいるのを翔ちゃんは頬杖をついてじーっと見つめている。
ああ、なんて幸せな悩みなんだろう。

「決まりそうにねーなぁ」
「うぅん…もうちょっと待って!」

はいはい、と翔ちゃんが適当に返事をして立ち上がる。
と同時にオーブンが余熱終了の合図を鳴らした。凄いな、どうして分かったんだろ。
翔ちゃんは素早くケーキの型にクッキングシートを敷き、バターを塗り、生地を流し込んで空気を抜いて
熱々のオーブンの中に滑り込ませた。

「パウンドケーキも捨てがたいなぁ…」
「ああもう、決まりやしねぇ。お前の分は後回しだ」

呆れ返った翔ちゃんの声。
お前の分、って事は翔ちゃんが好きなケーキを先に作るのかな?
翔ちゃんは何故か僕の前まで歩いてきて、椅子に座ったままの僕の前で身を屈めて視線をぴたりと合わせた。
きょとんとした僕の眼鏡に翔ちゃんの手がかかり、ああ駄目だよ、何も見えなくなっちゃうよ。

「…何だよ」

突然視界がぼやけた拍子に心の奥に転がってきた那月の代わりに、表に出る。
目の前には俺と対面しても全く動じる気配すら無いチビの顔。
学生時代は那月が眼鏡の近くに指を持っていくだけでもビクついていたくせに。

「砂月は何のケーキがいい?」
「はっ?」
「いやだからケーキだよ、好きなの言えよお前も誕生日なんだから。はい5秒前ー」
「!?、いっいちご!!」

チビがかもし出してる答えるのが当然という空気と突然のカウントダウンに急かされて、
ハッと口を押さえたところで吐き出しちまった声はもう戻らない。

「いちごな、んじゃスポンジが焼きあがったら買って来るか。」

ああ、くそ馬鹿にされると頭を抱えた俺に振ってきた声は予想に反して普段通りのものだった。

「何だよ、その間抜け面」
「ッ、調子に乗んなよチビ!!」
「んぎゃっ!!暴力反対!!!」

ニヤニヤと俺の顔を覗き込んできたチビの首を抱え込んでギリギリと締め上げる。
ああくそ、頬が熱い。
1分前の素直な自分をぶん殴りてぇ。何がいちごだ。好きだけど。
那月、奥で嬉しそうにはしゃぐな。不安定になるだろうが。

「ぐ…もう無理…」
「ッ!翔ちゃん!!」

翔ちゃんのくぐもった声が聞こえて、慌ててさっちゃんを押しのけて表に戻ってくる。
ああごめんねさっちゃん、尻餅ついちゃったね。後で撫で撫でしてあげるから許して!
眼鏡を掛けてぜぇぜぇと肩で息をする翔ちゃんに向き直ると、恨めしげな目で見られた。

「お前…あぁもう那月か」
「うん。ごめんね翔ちゃん、大丈夫?もう苦しくない?」
「あぁ平気平気。ったく素直じゃねぇなあいつ」
「…ふふ」
「おい、人の不幸を笑うな!結構真面目に危なかったぞ!知らない爺ちゃんが川の向こうで手を振ってたんだからな!?」

違うよ翔ちゃん、苦しがる翔ちゃんを面白がって笑ったわけじゃないんだ。
この心に満ちている暖かい陽射しみたいな気持ち。
ぽかぽかの春の陽射しみたいな優しい光に包まれてるみたいな心地よさ。
翔ちゃんの言葉が、想いが僕たちの心をこんなにも優しく包んでくれたのが嬉しいんだよ。

「翔ちゃん、ありがとう」
「何がだ!」

さっちゃんが生まれた事、翔ちゃんはお祝いしてくれてるんだよね。
そう言葉にするのは簡単だったけどやめておいた。
心の奥で、じわじわと広がる、込み上げる感情。
さっちゃん、初めて泣いたね。

「大好き」
「はっ!?」
「大好きだよ、翔ちゃん。僕たち、翔ちゃんに出会えてよかった」
「………おう」

ぶっきらぼうな返事の中に、確かに暖かい気持ちがこもってる。
これだけの短い言葉で、翔ちゃんは全て分かってくれる。
ねぇさっちゃん、何も言わないって事は、さっちゃんも同じ気持ちでしょう?
僕はまださっちゃんが居ないと一人で歩けなかったけど、今は翔ちゃんも一緒に歩いてくれるよ。
少しずつだけど、翔ちゃんの強さをもらって前に進んでる。
この胸に広がる暖かさがその証拠。

「翔ちゃん、大好き!」
「それはもう聞いたっつーの…」

たまらなくなって、衝動のままにぎゅーってしても翔ちゃんは怒らなかった。
ちょっとだけ大げさに溜息を吐いて、それから僕の頭をぽんぽんと撫でてくれる。
いつか、翔ちゃんからもらった暖かさに見合うだけのものが返せるかな。

そう言ったら翔ちゃんはきっとばぁか、なんて言って僕を小突くだろうから、
やっぱり言葉には出さないままにした。
那月ルートの翔ちゃんが男前過ぎてつい さっちゃんが居るので春ちゃんは音也ルートに進みました!