恋の足音 since 2011.11.05 ※TOPへ戻る際は←のサイト名をクリックして下さい。


7月に入り、本格的な夏の暑さに早乙女学園の生徒たちがバテ始めた頃。
貴賓館前の広場に突如巨大な笹が現れた。
一夜にして根付いたその笹の根元には、原色のペンキやリボンで派手に飾られた立て看板が一つ。

「短冊に願い事を書いて吊るしておけば、一つだけシャイニーが叶えてくれるわよん♪」

人目で誰が書いたのか分かる踊るような筆跡、というか文体。
肝心の短冊は一緒には置いておらず、看板の隅に「各教室で配布」と小さく注釈がある。
校舎の屋根をも凌ぐ巨大な笹を遠目に見てぎょっとしていた生徒も、
看板を確認してああまた学園長の気まぐれかと納得して早々に引き上げていく。
笹の周りには特に上方に取り付けるための脚立などは置いていない。
誰からともなく一番上に吊るされた短冊が選ばれるに違いない、と言い始める。
ただの推測が噂に広まるにつれ、事実として扱われるのは早かった。


「マサ、那月、願い事ってもう書いた?」
音也が赤い短冊をぴらぴらと二人に向けて振る。
那月はずぐに鞄から黄色い短冊を取り出し、得意げに音也へ手渡した。
「はいっ!翔ちゃんの背が伸びませんようにって書きました」
「うわぁ鬼畜…」
悪びれずにこにこと笑っている那月の短冊には確かにそう書いてある。
ご丁寧に翔と同じ帽子を被ったぴよちゃんのイラスト付で。
「マサは?」
「俺はまだ書いてない…というか、書かん」
「えー何でさ」
「願いは人に叶えてもらうものでは無いだろう」
「自分じゃどうにも出来ない、おっさんの人類を超越した力で叶えたい願望とか無いの?」
真面目一辺倒の返答をする聖川に、音也が食い下がる。
商店街のイベントで書くような短冊じゃない、もしかしたら本当に願いが叶えられるかもしれない。
そんなチャンスを逃すのはもったいないと音也は思っていた。
「ちなみに俺はこれ」
神妙な顔をして音也のおせっかいを交わす方法を考えてた聖川の前に、短冊が突きつけられる。
真っ赤な短冊からはみ出す勢いで書かれた乱雑な文字と、おんぷくん。
「『トキヤが俺に優しくなりますように』…?」
チカチカと見づらい文字を読み上げると、音也がぱっと明るい笑顔に変わる。
嫌な予感がして身構えた途端、テンションの上がった音也の口から愚痴とノロケが怒涛の勢いで繰り出された。
どこで息を吸ってるのか疑問なほど、口を挟む暇も無い。
縋るように大人しくなってる那月を見ると、音也の短冊を参考に☆マークや装飾をちまちまと書き足している。
「一十木」
「トキヤさぁ、俺が靴下を洗濯機に持ってくの忘れただけで怒鳴るんだよ!酷くない?」
「!?一ノ瀬に洗濯してもらっているのか」
「えっうん、トキヤが手間は同じだから一緒に洗ってあげますって」
「十分優しいと思うがな」
「そうかなーお風呂上りに裸でうろうろしてるだけで怒るよ?強制的に体拭かれてパンツ履かせられちゃうし、髪も」
「…もういい、大変なのは分かった。お前の短冊が選ばれるといいな」
尚も続けようとする音也を制すのとほぼ同時に林檎が教室に入ってくる。
音也のノロケを聞かされているうちにすっかり休み時間が終わっていた。
人知れず溜息を吐く聖川の横で、那月がファンシーに装飾された短冊を林檎に自慢している。
音也の人懐っこさは羨ましいと思っていたが、自分から人と距離を置くトキヤにとってはやり辛い同居人だと思っていた。
が、これからはその認識を改めなければならない。
小言を言いながら甲斐甲斐しく音也の世話を焼いてるトキヤはどう頑張っても想像出来ないが、
誇張している様子も無いから事実なのだろう。
短冊に「心の機微に聡くなりたい」とでも書いた方がいいのだろうか?
また一つ増えた悩みの種に聖川は頭を抱えた。


普段は他のクラスよりも落ち着いた雰囲気で満たされているSクラスも、今日ばかりは浮き足立っていた。
登校の途中で笹を見ただけの生徒、近くまで行って看板を確認して来た生徒。
そこかしこで配られた短冊を手に話し込んでいる。
「なぁトキヤ、お前短冊もらったら速攻書いてたよな?」
「えぇまあ。見ますか?」
朝のHRが終わった直後、龍也が口を閉じ終わらないうちにトキヤがペンを取り出すのが
横目で見えていた。一文字一文字感情を込めて書いているのがしっかりと。
レンはあっと言う間に同じクラスの女性たちに取り囲まれ、にっこりと妖艶な笑みを浮かべながら
短冊の内容をはぐらかしている。
「どれどれっと」
鬼気迫る様子からよっぽどの悩みの解決を願っているのかと思えば、短冊に書いてあるのは
思わず投げ出したくなるくらいどうでもいい事だった。少なくとも翔にとっては。
「ちょっと翔、何ですその顔は」
どうやら全て顔に出ていたらしい。それも仕方あるまい、何せ短冊の内容は
「『音也がちゃんと私の話を聞きますように』って心底どうでもいいわ!!話し合え!!!」
「ですから、まずその話を聞かないんです」
弾けるように大声で突っ込んだ翔に少しも怯むこと無く、トキヤが淡々と返す。
「何度も言っているのに靴下を洗濯機に入れる事すら覚え無い、入れたと思ったら裏返し」
腕を組んでぶつぶつと不満を漏らし始める。
何となく関わらない方がいい空気を感じ取り、翔は黙って短冊を机に置いた。
「お風呂上りはちゃんと体を拭いてすぐに下着を履きなさいって言ってるのに…誰が床を拭くと思ってるんでしょう」
ぶつぶつぐちぐちと、勢いは無いものの静かに翔の精神力が削られていく。
友人への不満をまた別の友人から聞いているからだけではない。
同姓であるはずの友人が、無神経な夫に疲れた主婦のような愚痴を零しているからだ。
「言っても分からないなら早乙女さんの未知の力で矯正するまでです」
目が据わっている。
解決策を相談されるのかと思ったら、ただ愚痴を吐き出したかっただけのようだ。
どろどろした昼ドラに出てくる姑のような笑みを浮かべながら短冊をしまうトキヤを
なんとも言えない気持ちで見守る。
レンが割り込んでこなくて良かった。無駄に話がややこしくならずに済んだだけでも
翔にとっては幸いだ。
身長が伸びますように、と書いた自分の短冊も見られる事は無いだろう。
授業を開始する鐘が鳴り、翔は素早く自分の席へと戻った。


放課後。小学生のような勢いで教室を飛び出した音也に半ば強引に連れられて、
聖川と那月はSクラスの教室を訪れていた。
どうせなら皆一緒に飾ろう、高い所に飾るなら道具の調達も人数居た方が便利でしょ。
と楽しそうに語る音也に反論する理由も無く、特に差し迫った用事も無かった聖川は
なし崩しにここにいる。
那月は三人を見るなり逃げ出した翔を追って何処かへ行ってしまった。
「トキヤがもっと俺に優しくしてくれればこの短冊いらないのにね」
「貴方が私の話をちゃんと聞けばいいんですよ」
「あっトキヤの短冊紫色なんだね〜俺赤!」
「音也…私の話を聞いていますか?」
「トキヤの短冊味気ないね」
「音也ッ!!!」
「えっ何で怒ってるの!?やっぱり優しくない!!」
もはや名物と化している音也とトキヤの夫婦漫才をにやにや見守る神宮寺と、呆れながら見守る聖川。
トキヤの強固な鉄面皮も音也の前では紙よりも脆い。
理路整然と事実だけを述べ、冷血漢とも称されるトキヤが頭に血が上った姿も名物の一つになっている。
声を荒げて音也に噛み付くトキヤは周りが見えていないようで、止まる気配を見せない。
「あーあ、教室でイチャつくのはやめてくれないかな」
「イチャつく…?あれは喧嘩だろう」
やれやれと神宮寺が肩を竦ませれば、隣に対のように立っていた聖川が不可解だと眉を顰める。
「人生経験の少ないボウヤには分からないかな?」
「誰がボウヤだ!貴様とて生きている年数はそう変わらないだろう!」
「失礼、言い換えるよ。恋愛経験の無いお坊ちゃまには理解出来ないだろうね、あの空気は」
「何だと…」
睨みあう二人の間に不穏な火花が散る。
この二人の喧嘩すら名物になっている早乙女学園では誰も仲裁に入らない。
ジョージや爺を巻き込んでの戦争に発展する時は小さな祭扱いになっている。
大人の余裕を漂わせている神宮寺が子供じみた理由で聖川に突っかかるのも物珍しさに拍車をかけていた。
終わらない音也との言い争いの最中、流れ込んできたピリピリした空気にトキヤが目を向けると
額が擦れ合う距離で睨みあって舌戦を繰り広げる二人の姿。
周りが騒がしくなったり混乱するとかえって冷静になるタイプの人間がたまに居るが、
トキヤはそのまさにそのタイプだった。
「またやってますね」
「ん?あーほんとだ。毎回飽きないよねー内容ほとんど一緒なのに」
トキヤがクールダウンしてしまえば、こちらの口論にもならない戯れはあっさりと終わる。
相変わらず音也は怒られた理由をいまいち理解していない。
トキヤの機嫌が治ったみたいだしまぁいいか、くらいにしか思っていないため次回への
教訓が何一つ無いからだ。
教室中の野次馬の視線に晒されながら二人は器用に睨みあったまま教室を早足で出て行く。
「あれ、どこ行くんだろ」
「どっちが早く短冊を取り付けられるかに論点が移ったんじゃないですか?」
「俺たちも行こっか、那月と翔もそのうち来るよ」
「無事だといいんですけどね」
しみじみとしたトキヤの呟きに、さすがの音也も真顔になって頷いた。
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