cry cry moon


靴越しにでも、夜の石廊は冷たさをひしひしと伝えてくる。
夜中でも水銀灯の照らさない場所はない日本とは違って、異国の夜は漆黒を塗りこめたように暗かった。
細い月明かりがなければトイレに立つ勇気が湧いたかわからない。
できれば朝まで目を覚ましたくなかったのだが、自然の摂理には逆らえなかった。

なんとか部屋とトイレを往復してきたマックスは、じゃり、と砂を噛む音を立てた足元にはっとして動きを止める。
安らかに寝息を立てている面々を起こしたら悪い、と辺りを見回すが、暗がりに目覚めた気配はなかった。
変わりに、並んだ布団の一角が崩れていることに気付く。
それが寝相の悪いタカオではなく、常は比較的大人しく寝ているレイだとわかって、マックスはくすりと笑みをこぼした。
珍しい、と純粋におかしかったし、子どもっぽい一面が見られたことを嬉しくも思った。

彼と自分の年の差は2つ。
背負った覚悟の差か、育った環境の差か、母親を恋しがって泣く自分よりもレイは随分と大人に見えた。
時に見せる無茶な行動も、子どものわがままというよりは、決断力と実行力に富んだ頼りがいのある姿に感じられたし。
とても追いつけないと、自分よりずっと先を知っているひとなのだと、そう思っていた。
だからこそ偶然目にした年相応の子どもっぽさに、親近感を覚えた。
今までよりもずっと。

しかし、無造作に束ねられた黒髪が布団からはみ出て床に踊っているのはともかく、半分めくれ上がった掛け布団が身体を温める役目を放棄しているのはいただけない。

「おなか出して寝たら風邪引くネ」

口の中で呟きながら、レイの布団を直そうと手を伸ばす。
触れるか触れないかの瞬間、いきなり手首を捕まれた。

「!!」

驚いて身体を硬くしたマックスの視界に、ゆっくりと金色の瞳が現れる。
切れるほど鋭利な双眸に射すくめられて、背中を冷たい汗が伝っていった。

―――こわい。

目を逸らしたらその瞬間に喉笛を噛み千切られでもしそうな、獰猛な肉食獣を前にしたかのような恐怖がマックスを金縛る。

「……なんだ、オマエか」

目を開けて自分が掴んでいるものの正体を確認したレイは、ため息を吐いて上半身を起こした。
ぴりぴりと身体に突き刺さるような空気が失せ、テリトリに入ることを許容された。
そうしてやっと、声を出すことが出来た。

「な、なに?」
「なんでもない。悪かったな」
「ううん……」

未だマックスを捕らえたままであったことを思い出したのか、レイは薄く笑いながら掴んでいた手首を解放する。
軽くなった腕をぱっと自分の胸元へ引き寄せて、拘束されていた手首を撫でた。
マックスの仕草にレイの表情が歪む。

「気を悪くしたか? すまない」

それが、困ったような、傷ついたような、自嘲の笑みであったことに、マックスはあわてて首を横に振る。
自分の不用意な態度が彼を傷つけてしまったのだと思うといたたまれなくなる。

「ううん、びっくりしただけ」

怖いと感じたことを知られてはいけない。
彼は友達で、大切な仲間。
現に彼だって相手がマックスだと気付いてすぐに警戒を解いてくれた。
仲間だから。
無条件で信頼してくれている。
その信頼に見合う気持ちを返したい、そう思った。

「俺の癖みたいなもんだ、気にしないでくれ」

気にしないでほしい、と伝えたいのは自分の方なのに、先を越されたマックスはそうできずにこくりとうなずく。
代わりにできる限りの笑みを浮かべて。

「うん、おやすみなさい」

お願いだから気にしないで。
もう忘れて。
ボクをキミの仲間でいさせて。
大丈夫だから。
もう、傷つけないから。

「晩安」

隣に敷いてある自分用の布団に潜り込んだマックスに、静かな返答がある。
彼の国のことばなのだとイントネーションで理解した。
たぶん、自分が口にしたのと同じ意味。
優しい響き。

ことばに出来なかった想いのすべてが伝わったとは思わないけど、それだけで何故か安心できた。
目を閉じて、朝が来たら、大丈夫、ボクラはいつもどおり。
笑って挨拶をする。