ルーシーはダイヤをつけて空に


歌が、聞こえた。
耳に覚えがあるけれど、でもマックスにはその歌がなんの歌なのか、わからなかった。
あまり上手いとは言いがたかったけれど、低く響く彼の声は、優しくて柔らかくて、とても心地いい。
「ソレ、なんのウタ?」
好奇心に駆られて尋ねたのは、歌われている歌詞があまりにも不可思議だったからだ。
ミカン、万華鏡、木馬、マシュマロ、ダイアモンド。
およそ相補性のないものたちが、次々と織り込まれていく不思議。
マザーグースにも似ていたが、それにしてはメロディの放つ雰囲気が違い過ぎるのだ。
一瞬、彼が英語をよく知らないから、適当な歌詞になっているだろうかとも思った。
けれどマックスがたまにこぼす母国語を、彼が聞き違えたことはない。

木陰に座っていた彼―――木ノ宮仁は、はじかれたように振り返る。
マックスに聞かれていたことを知って、微かに頬を赤らめて頭を掻いた。
「ビートルズだよ。知ってるかな」
昔流行ったビッグバンドの名前を、マックスは直接には知らなかったが、名前を聞いたことはあった。
こくり、と首肯すると、仁は何度も出てくるサビの部分を口ずさんだ。

 Lucy in the sky with diamonds...

『ルーシーはダイヤモンドをつけて空へ』
やっぱり意味がわからなかった。
「好きなの?」
彼が好きだというものに難癖をつけるつもりはない。
当り障りのない問いを発したつもりだったが、仁は少し困ったように笑った。
「好き……うん、好きだね」
煮え切らない言い方。
マックスは首を傾げる。
よくわからない、と思ったことが、顔に出てしまったのだろうか?

「アウストラロピテクスって、聞いたことある?」
話のつながりが見えなかったけれど、ことばに聞き覚えはあった。
けれど、頷こうかどうか、迷う。
これは普通の子どもは知らない知識かもしれない。
ひとより高性能の脳を保持しているがために、マックスの知識に対する猜疑心は強い。
他の子どもと同じであろうとして、故意に自分を貶める。
周囲から浮き上がらないように身をひそめるやり方さえ、能力の高さ故に上手くこなせてしまう。
それが幸運なのか不運なのか、今のマックスに判じることはできない。

マックスのためらいを知ってか、仁はその答えを要求せずに、地面に猿の絵を書いた。
「人間の先祖だよ。遠い昔のね」
彼の説明は、10歳前後の子どもに聞かせるために配慮された内容ではなかった。
たとえばこれがタカオなら、地面に描かれた猿を人間には見えないと無邪気に笑うかもしれないし、キョウジュであれば昔とはどれくらいだと問いただしたかもしれない。
彼は、なにを何処まで知っているのだろう。
少なくともボクが、アウストラロピテクスが400万年ほど前に生息していた猿人の名だと知っていることを、知っていると前提しているようではある。
BBAのみんなに接する彼の態度を見ていれば、子どもの相手を苦手としているようには思えない。
それが証拠に、ことばだけは簡単な単語を選んで使っている。

「人間は320万年前にはもう、2本足で歩いていたんだ。それを証明したのがルーシーなんだよ」
彼が歌っていた曲の主人公と同じ名前の彼女。
エチオピアで発見された、約320万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスの化石人骨。
全身の骨格の約40%が揃っていて、ほぼ全身の形が推定できた。
20歳の女性で身長110センチ、体重27キロと割り出された彼女に、発掘調査隊がつけた名が。
「ルーシー?」
他人と異なる知能を持っていることを隠そうとして、10歳の子どもに相応しい問いかけを探していたマックスが、ようやく発することの出来た疑問だった。

なぜ、彼女は、ルーシーだったのか。
にこりと笑った仁を見て、それが促された問いだったことを知る。
「発掘作業の現場にね、流れてたんだって」
そう言って口ずさんだ『LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS』。
不思議な歌。
何百万年もの時を越えた女性に与えられた名前。
ダイアモンドをつけた空のルーシー。
確かに彼女は、空の上でひっそりと笑っているのかもしれない。
複雑に進化した人間は、自分の心さえ複雑系の中に失くしてしまったのかと。
「だから……っていうんじゃないけど、遺跡に来るとつい歌っちゃうんだ」
はは、と照れたように笑う、彼。
ふいに、太古の風に吹かれたかのような懐かしさに打たれる。
見上げれば太陽を背負った彼の、微笑む口元だけが目に焼きついた。