ノーリーズン
くい、と頭が後ろに引っ張られる。側にいる気配が誰であるのかは把握していたし、その手が意思を持って動くのにも気付いていたが、髪を引かれたのは意外だとレイは思った。
「レイの髪ってキレイだよネ」
驚いた素振りはもちろん表には出ず、レイが意外だと思っているとは知らずに、マックスは手に取った髪の束をしげしげと眺めている。
風呂に入ったばかりの就寝前であったため、いつものようにまとまっていず根元でひとつに束ねただけの髪は、マックスの手を通ってタタミの上に散らばっている。あまりキレイな光景ではないよな、とレイは苦笑した。
「そうか?」
この場面を見つかったのがカイであったなら、思い切り踏みつけられて「邪魔だ」と一蹴されたかもしれない。無邪気に笑うマックスには皮肉を言ったつもりは微塵もないのだろうけれど、無礼に気付いたからには直さなければならないだろうと、レイは散った髪を集めて自分の方に引き寄せ、胡坐の上に置いた。
手の中からぱらぱらと逃げた髪を惜しむように、マックスは身体ごとレイの隣に移動して、覗き込んでくる。
「うん。ネ、どうしてそんなに長くのばしてるノ?」
どうして、長く?
伸ばしているかって?
「え……?」
ふたりの間に落ちた突然の沈黙に、マックスは慌てて発言を撤回する。
「あ、言いたくないならいいネ。ムリに聞かないし」
顔の前で激しく振られる手に、レイは噴き出した。
きょとん、とマックスの紺碧の瞳が見開かれる。
「いや、すまない。別に意味があって伸ばしてるわけじゃないんだ」
笑ったことを謝りながら、まだ笑いが収まらなくてレイは口元を手で覆う。
笑い続けるレイに気を悪くした様子もなく、マックスは首を傾げる。
レイの言っていることも、レイが笑っている意味も謎だったようだ。
「そんなに長く?」
マックスの疑問ももっともだった。
村を出るまでは気付かなかったが、外の世界ではこの長く伸ばした髪は珍しがられた。アジア圏を抜けて欧米に渡れば尚更、黒が得がたい色に思われたようだ。
「俺の村では髪は伸ばすのが当たり前だからな。だから、なぜなんて理由を聞かれるとは思わなくて……少し驚いた」
とにかく、この長い黒い髪は目立つ。よくも悪くも。
だからいつもは髪留めで、それほど人目を引かないようにしているのだ。
「へぇ、ソーナンダ」
納得した、というような会心の笑みを浮かべて、マックスは頷いた。
なにがそんなに嬉しいのだろう、と思う。マックスにとってさして重要な情報ではないはずだ。
「ああ。マックスはおもしろいこと聞くな」
「そお? だっておしりの下まで長かったら気になるヨ。願掛けとかしてるのかなって」
地域によっては願いが叶うまで髪を切らずにいる、という風習があることはレイも知っていた。
はたと指先で髪をひとふさ持ち上げてみる。なにか、託せるものがあるだろうか。
「願掛けか。考えたことなかったな。今度考えておこう」
髪を切らないのは、自分がまだ村の掟に縛られている証拠だろう。
後ろ髪を引かれながらも、未知を目指して飛び出してきた。
決して村での生活を蔑ろにする気は無かったし、村のことを忘れるつもりもない。
あの村での生き方は、完全に自分の中に染み付いている。消し去ろうとしても、簡単にはなくならないものだ。
「ムリにしなくってもイイネ〜」
真面目に答えたレイが可笑しかったのか、マックスが破顔して首を振る。
彼の所作がいちいちオーバーであるのも、彼に身についた彼の国の作法なのだろう。
黒い髪に一方ならぬ興味を抱くのも、きっと自分にはないものだから。
「ただ伸びてるよりかっこがつく」
村の風習を否定するわけじゃない。あの村では髪を伸ばすのに理由をもつ必要なんてなかったけれど、望んで飛び込んだ世界で出逢った大切なもの達とも、目に見えない絆が生まれるのは当然のことだから。
これはひとつの約束。
ずっと忘れない。
もし髪を切ることがあっても叶わない願いではないから、これは願掛けには値しない。願掛けをすることによって示す誓いだ。
でも難しいな、髪に掛けるような願いってなんだ?
時間が経てば解決するような、でも根気が要る望みとかだろうか。
「あは。でもそのままでもレイらしくてかっこいいヨ」
レイが願掛けの内容に頭を悩ませはじめたのがわかったのか、マックスがぽんぽんと背中を叩きながら苦笑する。
願掛けなどしなくても、村から出てきたときのままの自分でも、信じてもらえるのだったらいい。
自分はいつか、村へ帰る。だから村への誓いはいらない。
こちら側の世界と、切り離されないために縋るものがほしかった。
けれど必要なのは、誓いや改まった決心などではなく、そんなものがなくても大丈夫だと信じることだったのかもしれない。
おそらく発言に深い意味などなかったのだろうマックスは、にこにこといつも通りに笑っている。
レイに笑いかけている。髪に触れて、キレイだと褒めてくれた。
それを素直に受け止めるだけで、きっと彼は喜んでくれる。
「……謝謝」
なによりよほどキレイな、笑顔で。
「It's my pleasure !」