いつか光になる日まで



手加減をするのを忘れていた。
あの薬と刷り込みのおかげで、MSに搭乗しているときの自分は驚くほど凶暴で残酷になりたがる。
薬が切れる前にノルマを片付けたときは、その昂揚感のまま地上に降りることも時たまあった。
しかしそれはほんの短い時間だけ。

薬の効き方には個人差があって、シャニが一番短くて深く効き、逆に長時間効いているのがクロトだ。
下に下りて数分もすれば収まる熱も、クロトだけはしばらくうるさくがなっていることが多い。
その日は自分も薬が切れるのが遅くて、さらにヤツラが安定剤を用意するのも遅くて、クロトは非常にうるさかった。
シャニはすでに抑うつ状態で静かに部屋の隅にうずくまって聴覚を閉じていたが、まだテンションの下がらない俺はついついクロトの相手をしてしまった。
いつもの口論、で終わるはずだった。

ドガっ。
気がついたら殴っていた。
握り締めた拳に甘い痺れが残る。
壁に叩きつけられるようにして床に沈んだクロトを見たときには、MSに搭乗している間のような爽快感があった。
ぞくぞくと背筋を駆け上がる、快感に似たもの。
脳に入り込んだ薬物が作りだす幻と分かっていても、浸りきりたくなる。

「オルガ、やりすぎ」

唐突に割り込んできた声に、オルガは再び伸ばそうとしていた手を止めた。
下で声を聞くのは珍しい、と思った。

「うっせーよ」

いつのまに立ち上がったのか、オルガのすぐ後ろまで来ていたシャニは、ぐったりと身体を投げ出して動かないクロトを見下ろしている。
感情を持たない硝子玉のような双眸にも、ちゃんと現実が映し出されているらしかった。

「勝手に壊したら怒られるよ」

自分こそ今にも壊れそうな自動人形よろしくぎこちない動きをするくせに、まだ他人を気にかけることが出来るのだろうか。
否、よく動くのは眼球のみで、倒れているクロトを気にかけようとする素振りはない。
退薬症状の出る時間をカウントダウンでもしているのか、シャニは薄暗い表情でつっ立っているだけだ。
さっさと繋ぎの薬をもらわないとまた苦しまなくてはならなくなると、焦っているのかもしれない。

「知るか」

打ち所が悪かったのかクロトは完全に意識を手放していて、いっそのことその方が苦しまなくてすんでいいのじゃないかとも思う。
ひょっとしてシャニはそのことを咎めていたのだろうか?
クロトだけ逃げてずるいと?
だが今日は「お仕置き」を受けるようなヘマはやらかしてないし、意味もなく薬を与えられずにいることなんてないはずだ。

「う……」

シャニの息が荒い。
壁伝いにへたり込んでクロトの隣にまたひとつ身体が投げ出された。
このまま時間が過ぎれば死体の数は3つに増える。
段々頭が冷えてくるのと、思考がネガティブになっていくことで、薬が切れるまで間もないことを嫌でも感じずにいられない。

「くそっ……」

結局、焦りを感じていたのは自分も同じだった。
薬がなければ自分はどうなるのか、分かりすぎているだけに恐怖する。
なのにまだ残っている薬効が、恐怖を恐怖と認識させてくれなくて、無意識の焦りになっている。
振り回されるのに慣れすぎて、なにが薬のせいでなにが自分の意思なのか、判然としなくなっている。
こんな風に人間は壊れていくのだろうか。

目の前には壊れかけの物体が二つ、見せ付けるように転がって。
苛立ち紛れに足元の身体を蹴っ飛ばす。

「……ぅ」

低く呻いたクロトが身じろいだ。
上から見下ろす人間に蔑まれ虐げられて、それでも僅かな生命にすがって地に這い蹲るもの。

ひどい嫌悪。
床に、彼等の隣に這う自分の幻を見た。
もう先刻の昂揚感のかけらも残っていない。

あのなにも阻むもののない万能感をもう一度取り戻したい。
あのなにも怖いもののない開放感の中にいないと不安で不安でたまらなくなる。

症状があと一歩でも進めば、恐怖すら感じられないほどに激しい痛みと苦しみしか残らないから、これは一瞬の弱気。
だけど確実に存在する、暗黒の時間。

「おまたせしたかな? キミ達」

すっと部屋の扉が開いて顔をのぞかせた男の、手に握られた薬から目が離せなくなる。
薬の禁断症状がひどくなる寸前の、この迷夢が終わるタイミングを計ったかのよう現れたのは偶然じゃないだろう。
惨めな飼い犬であることを身に染みさせるための計算。
どんなに悔しくても逃れられないのだと、思い知らせるための。

そしてまた縛り付けるための薬を手に取り、俺達はこの痛みと恐怖を忘れる。