二次元宇宙の最果てで
蛍光灯が鈍く反射するステンレス製の台の上でくゆる、一枚の写真。
炎すらあげずに燃え落ちていくのは、僕の過去。
かつてあったかもしれない記憶の、最後の破片だ。
そこに映っているのは、多分僕。
でも僕は、小さな僕らしき面影が立っている場所を知らない。
着ている服も、長く伸びた髪も知らない。
こんなのは僕じゃないし、だからこの写真も必要ない。
到底僕だとは思えない僕の姿なんて、見ていても気持ちが悪いだけだ。
じりじりと黒く焼け焦げる範囲が広がっていく。
僕の足を焼き、骨と皮ばかりの身体を蝕み、やがては顔が潰れていく。
いい気味だ。
死ね、死ねばいい。
真っ黒に焼けて、炭だけになって、跡形もなく崩れ去れ。
それはもはや僕ではなかった。
憎むべき別の存在。
明快な二分法の世界には、僕と、僕の敵しかいない。
僕でないものは、すべて僕に倒されるべき敵だ。
「なにやってんだ?」
背後から肩越しに手元を覗き込まれて、僕は一瞬息を詰め、そして軽く吐き出した。
ぼんやりと鏡の役目を果たしている台に、金髪の影が映る。
たった今時間が突然動き出したかのように、くすんでいた周囲の風景がはっきりと見え出した。
そして自分が考えていた以上に、焦げていく写真に魅入っていたことに気付かされる。
「別に、なにも」
手にしていた着火剤を台の上に投げ捨て、すぐ後ろに立つオルガを避けるようにその場から移動した。
部屋に充満していた焦げた匂いを逃がすように、窓をほんの少しだけずらす。
窓の側にある椅子に腰をかけ、置いておいた携帯ゲームを取り上げた。
本当はもっと大きく開放して風を入れたかったが、この施設の窓はどこも僅かしか隙間が開かないように造られている。
僕を閉じ込めておくために。
敵が侵入して来られないように。
外が見えないように。
内側が見られないように。
すべては僕じゃない誰か(つまり、敵だ)の都合だ。
「写真?」
ぽつり、とオルガが呟くのが聞こえた。
台の上に焼け残った紙の切れ端を、無骨な指が摘み上げる。
こいつも敵だ、と僕は思った。
「勝手に処分していいのかよ」
嘲るような問いかけが投げつけられる。
余計なお世話だった。
処分して悪かったからといって、オルガが困ることはないだろうに。
オルガが僕に話しかける理由の大半は無駄だった。
どこかからの命令を伝達するのでない限り、オルガが僕の役に立ったことはない。
「いいんじゃない? 紙で保存してればいつかはこうなるんだ」
ゲームをスタートさせながら、僕は目を合わせずに答えた。
期待した反応が返らなかったからか、オルガはほんの少し、声を荒げた。
「それはそうだが……」
別に怒らせようと思って冷たいフリをしているわけじゃない。
フリではなく、凍りついた声と仕草でしか相対できないんだ。
だって僕とオルガは敵だから。
「あんたの本だって無駄だよね。データの方がかさばらないし、手に入りやすいのに」
オルガの手にしたペーパーバックが視界に入り、余計なことまでもらしてしまった。
表情には出さないまま自分の失策を不愉快に思った。
「関係ねーだろ」
怒りを含んだ突き放すことばに更に憤慨する。
わかっているんだ、そんなこと。
お前こそ僕になんの関係もないクセに。
「嫌いなんだ、紙」
簡潔な語彙を選び、理由を滲ませないように無表情を意識する。
本当はそんなことしなくても、僕の表情は変ったりなんかしないんだけど。
「そうかよ」
興味が失せたかのような声がため息と共に聞こえる。
写真の断片が、オルガの手の中でぐしゃりと握りつぶされた。
そのままぽいと台の上に小さな小さな紙屑が投げ出され、オルガは部屋を出て行った。
…………。
僕はゲームのBGMを大きくした。
ボリュームを上げる。
部屋の中に響く単調なリズム。
耳の奥でちりちりと鳴動するなにか。
僕は苛々とボタンを連打する。
ゲームの音以外にないはずの部屋に、なにものかの喘鳴がひそやかに忍び込む。
物々しい地鳴りのような、かぼそい羽音のような、なにか。
僕はそれがそこに存在していることが我慢ならなかった。
ポーズボタンも押さないままにゲーム機から手を離し、台の上に転がる小さな紙屑に火をつけた。
敵を倒し前に進むことを強要する勇ましいBGMの中で、最後の切れ端が燃え尽きていく。
「データの方がいいよ」
書き換えるのも処分するのも、データの方が楽だ。
きっとその方が身軽でいられる。
データの中で僕はデジタルな存在になれる。
紙の中の僕は嫌い。
ぐちゃぐちゃに丸めたり、破り捨てるんじゃ気が治まらないくらい。
いつも重くて腐った顔をしている。
その頃には持っていたたくさんの重いもの、僕はもう捨てたはずなのに、紙の中の僕はまだ持ってる。
ああ、ネガってどこにあるんだろう。
それも燃やさなくちゃ。
この建物に火をつけたら、全部消えてなくなるかな。