パセティック・アルゴリズム



研究員から日に数度摂取しなければならない薬を受け取り自室に戻る途中で、クロトは非戦闘時には珍しく気分が高揚しているのを自覚した。
先のシミュレーションで撃墜数の自己最高記録を叩き出したことか、誉められこそしなかったもののいつもはひとつやふたついただく小言も嫌味もなかったことか、 要因はわからないが、普段よりもかなり気分がいいことだけは確かだった。

早めに切り上げられた訓練のおかげで、就寝までの自由時間がたっぷりある。
拘束されている時間の合間を縫ってでは出来ないネットゲームの続きが、ようやく進められそうだ。
はじめるのも止めるのも簡単な携帯ゲームも好きだが、たまにはじっくり時間と頭を使ったゲームもやりたいじゃないか。

部屋の入り口で軽やかに暗号キーを打ち込み、ドアをスライドさせる。
そのドアの向こうで電気を消していたはずの部屋には煌々と明かりがともっているのを見るまでは、鼻歌でも歌ってしまいそうだった。
「あ?」
部屋の隅、自分のベッドの上に見慣れた物体が転がっているのに、クロトは思い切り眉を顰めた。

ソレがいつでもどこでも寝ている姿は珍しくないが、クロトの部屋でというのは今までにない。
いや、ここは本当に自分の部屋だったか?
狭い部屋は見回す手間もなく一度に視界に入ってくる。
デスクの上に鎮座する自分用にカスタマイズしたコンピュータも、アズラエルに無理を言って持ち込んだワークステーションも、 戸棚に乱雑につっこまれているゲームソフトも、床に散らばるコンシューマ機の数々も、確かにここがクロトの部屋であることを教えていた。

自室であることを確信すると、クロトのものであるはずのベッドを占領している物体にふつふつと怒りが湧いてくる。
「なーにやってんだよ、シャニ!」
言い様、シャニが身体の下に引いているシーツを引いて、邪魔な物体を床に転がした。
どすんと鈍い音を立ててシャニが床に這い蹲る。
しかし、それ以外の反応はなにも起こらなかった。
「起・き・ろ!」
薄い緑という特徴的な頭を2、3度叩くと、「う〜ん」というやる気のない声とともにシャニが覚醒する。
上半身を起こした後で、こきこきと首を曲げているのは、ブートストラップだろうか。
だとしたら随分遅いスペックだ。
こんなガラクタ即廃棄か、それとも改造して早くするかして、……処理を上げる方法を考えかけて止めた。
シャレになっていないし、クロトとて立場が同じである以上、どこか自虐的でもある。
クロトには自分を袋小路に追い込んで絶望し続けるような趣味はない。

「なんでここにいんだよ。ってどうでもいいや。出て行け」
今からゲームやるんだから、お前にいられたら迷惑なんだよ。
別に寝てるだけなら物理的には邪魔にならないかもしれないけど、精神的には背後にいられるだけで邪魔すぎる。
とにかく追い出そうとまずは声をかけるが、
「……」
クロトの命令にうんともすんとも言わずに、シャニはぱちぱちと瞬きを繰り返しているだけだった。

イライラ。
捨てれば良いのか? 部屋の外に追い出してしまえば。
でもロックしたはずの部屋の中にいたということは、追い出して密室をつくったところで無駄の気もする。
それになにより、シャニを移動させる手間と労力がもったいない。

「なに? なんか用があったの?」
もしもそうであるならばだったら早く用事を済ませてほしい。
ないのならすぐに目の前から消えてほしい。
こっちにはシャニのペースに付き合っているほど時間はないのだ。
今は自由時間でゲームは強制労働ではないけれど、シャニに構っている暇があったらその分趣味にいそしみたいのだ。

クロトがかつかつと忙しなく靴の先を床に打ち付けて待つ間、シャニはずっと沈黙を保っている。
まだだ、シャニが動くにはもう少し時間がかかる。
言い聞かせて冷静になろうとしても、元々短気なつくりの頭は、そろそろどこかが焼ききれそうだった。

「あー、もう! 聞いてンのかてめぇ!」
痺れを切らして怒鳴れば、シャニはのろのろと顔を上げる。
左右で色違いのビー玉のような瞳に、憤っているクロトが映りこんだ。
……この生気のない目は、キライだ。
「出てけ! 何回同じコト言わせりゃ気がすむんだよ!」
透き通っているくせにどろりとした重たい膿がつまっていそうな、鈍い眼差し。
きっとそこに映りこんだものは神経まで到達できずに幻像と消える。
役に立たない飾り物の目玉だ。

「……じゃん」
クロトの叫びが狭い部屋に反響したのに重なって、消え入るようなもごもごと篭った声が聞こえた。
なんだ、やっと動き出したか。
「? なに? なにかあるの?」
だったら早く言え。
もし時間制限のある内容でもう間に合わないことなんだったら、お前が悪いんだからな。
いや、まともに動かないシャニに伝言を頼んだ誰かのせいだ。
クロトがイライラしながら急かすと、シャニはのんびりした口調で先刻のことばを繰り返す。

「何回でも話せばいいじゃん」

「……はぁ?」
意味が、わからない。
恐らくクロトの「何回同じコトを」の返答なのだろう。
しかし。
「話して、クロト」
そう闇雲に言われたって、クロトにはシャニに話すことなどなにもないのだ。
んだよ、そっちがなにか言いに来たわけじゃないってことか?
だとしたらクロトがシャニに言うべきことはひとつしかない。

「出て行け」
端的な命令。
「うん」
了解するというよりは、相槌を打つ仕方で、シャニは首肯する。

「うんじゃないよ、出てけって言ってるの」
これ以上スリムになりようのない、バカにも理解できる表現のはずだ。
相手が文学バカのオルガだったなら、ことばを弄した応酬に発展するかもしれないが、 シャニを相手に皮肉を言っても無駄だということはわかっている。
「うん」
それなのにシャニは理解しない。
いや、なぜそこでシャニが満足そうに頷くのか、クロトには理解できなかった。

「あのなぁ、僕にはお前と遊んでるヒマはないんだよ!」
ゲームするんだから。ゲーム。
お前なんかよりずっとスリルがあって面白くて退屈しないんだから。
「うん」
強く言い切ってみてもシャニは態度を変えない。
他人の心中を推し量るなんて芸当が、シャニには出来っこないとわかっていて具体的に命令してるのに、 それも通じないならどうすればいいんだ?
コイツを引きずって廊下に放り出すだけじゃなく部屋まで引っ張っていってベッドに括り付けろとか?
そんな面倒なの、冗談じゃない。

「……もう、勝手にすれば」
シャニがそこに存在し続けることを諦めたクロトは、「うん」しか繰り返さないシャニをそのままに、当初の予定をこなすことにする。
デスクの上のコンピュータは、電源を入れてすぐに起動した。
アタリマエだ、そうなるように調整したのだから。

シャニももう少し頭がよければ、ゲームさせてやるのに。
「うん」
薄笑いを浮かべて首を小さく立てに動かすシャニは、ゲームなど到底やれそうにない。
部屋に篭ってわけのわからない音楽に浸っているのが関の山のはずだ。

(なにが楽しくて、そこでそうしてるのさ。本当に、壊れちゃったんだね。)

「クロト……」
カタカタと手元のキーボードが立てる音は、時に不規則に、でも一定のリズムを保って止まることはない。
背後から陰気臭い声が上がっても、クロトの目はモニタに映し出される文字を追ったままだ。
「なんだよ」
等閑に返事をするが、会話が成立する期待はしていなかった。
ただ無視をするには背後の物体は存在感がありすぎるのだ。

「薬の味、変わったろ」
ピー
無様なエラー音が部屋に響く。
キーを押し間違えた。
不正な処理を咎めるメッセージが網膜に焼きつく。

「……」
気分が高揚していた。
原因不明。
良好な成績。
途端にクロトの目の前が真っ暗になる。

「もうすぐだぜ」
耳元に地の底から響くような声が囁いた。
クロトの両目を覆った冷たい機械のような手を払いのける。
力のはいっていなかった手は、簡単にクロトの目の前から消えた。

「なにが」
すわり心地の悪いデスクチェアを回転させ、いつのまにか立ち上がってすぐ後ろに迫っていたシャニを睨みつける。
にっと、シャニのくちびるが笑みの形に吊り上げられた。
「……」
耳に痛い沈黙がふたりの間に落ちる。

無性に腹が立ってきて、クロトは乱暴にシャニを部屋から叩き出した。
最初からこうしていればよかったんだ。
少しの労働を面倒だなんて思わないでいれば、もっと厄介な面倒に気が付かずにすんだのに。

(なにが楽しくて……)
シャニはそんなことをクロトに教えるのか。
自分が辿った道を同じように墜ちて来る誰かが愉快で愉快でたまらないとでもいうようだ。

「くそっ……」

ひとりの部屋に虚しさと悔しさが綯交ぜの怒りが溢れる。
やり場のない怒りをぶつける相手を、自分の手で逃がしてしまったことに気が付いた。