Play your days
ふと迷う。
この部屋を支配している空気が、常とは違っている。
昼間のなにもない無機質な空間と本当に同じ場所なのかと。
存在する自分達のあり方がほんの少し揺らいだだけで、こんなにも生々しく浮かび上がるのかと。
生きているものの匂いがする。
たしかなリアリティ。
意思のない機械の一部が絶対に持ち得ない、温もりと鼓動。
それがこの手の中に、触れられる距離にあることに、迷う。
本当にそれを手にしてしまってもいいのだろうか?
病的な色の皮膚が目の前にある。
日に日に痩せ細っていく身体。
いかつい兵器の操縦桿を握る、骨ばった細い腕を思い出した。
得意気に機体を操ってみせるガキの、鮮やかだった髪色が今はくすんで見える。
鏡は、見ないことにしている。
きっと自分も同じような顔色をしているんだ。
剥き出しになった肌に苛立ち紛れに噛み付いた。
舌に乗る鉄臭い苦味を音を立てて吸い上げる。
「いたっ……ちょっと、マジメにやる気ないなら放してよね!」
途端に噴出す抗議のことばと、赤い沁み。
耳の奥で響いた高い声がオルガの意識を浮上させる。
「あ?」
我に返ったことで、オルガは自分が放心しかけていたことに気付いた。
敷いた相手の抗議がもっともすぎて、返す言葉もない。
上の空な返事をしてしまったことで、クロトの表情がさらに不機嫌に歪んだ。
「なんなわけ? そのどうでもよさげな相槌は。ホントにやる気ないの? そっちが乗っかってきたくせに」
こんなときばかりはよく動く口だ。
昼間はなんの反応もよこさないくせに。
「うるせぇな」
真っ直ぐに見詰めてくるその視線すら鬱陶しくて、ふいと顔を背けた。
遠退いた身体に腕をついて、クロトが下から逃れようとする。
抵抗されたことで嗜虐心が煽られたのか、無意識にその腕を拘束してベッドに縫い付けていた。
己の行動が不可解で、はたと動きを止める。
そしてまたクロトが不愉快そうに眉間を寄せた。
「だーかーら! しないなら放せってば!」
むかつくな。
俺にはその用しかないってことかよ。
……それもそうか。
俺だってこいつにかまうのはそのときだけだ。
そして、そのときだけがイレギュラ。
あり得ないはずの時間。
「……」
剣呑とした視線が絡む。
掴んだ手首に、上に乗る体重を押し返そうと力が込められているのが分かった。
体勢と体格の不利だ、跳ね除けられるわけがない。
その事実を充分に自覚していながらも、この状況が不満でしかないのだろう、クロトの悪足掻きだ。
「……」
力尽きたのか、それとも馬鹿らしくなったのか、不意にその身体から力が抜ける。
握られていた拳が開いて、指先が天を向いた。
負けん気だけは強かった双眸が、ゆっくりと閉じられる。
「……」
誘われてる、のだろうか。
このガキに。
色気も包容力もあったものじゃない、骨と皮だけのチビに。
とてもじゃないが、こんな場所じゃなければその気になれなかっただろう。
こんな場所じゃなければ。
身体を支えていた肘を崩して細い体躯に重なった。
首筋に顔を埋めれば、ぴくりと下に敷いた身体が揺れる。
生きている人間のにおいがする。
戦争以外知らない兵器のはずだ。
使われないときはひっそりと部屋に仕舞い込まれているだけの。
それなのに何故、ここで精彩を放つ?
「……なんだよっ」
また動かなくなったオルガに焦れたのか、先ほど解放した手が襟足を引く。
耳元で喚いた声にまた違和感を覚えた。
人間らしさ。
それはとっくに失くしたものじゃなかったのか。
「別に、なんも」
淡々と抑揚なく返事をしたオルガに、クロトの手が抗議をやめた。
硬い口調が無機質な音になって響く。
「放せ」
命令とは違う、けれど哀願でもない、ただの伝達記号のように。
オルガはのろのろと上半身を起こした。
するりとシーツの間を小柄な体躯がすべって、落ちていた軍服を拾い上げる。
「僕もう帰る」
律儀に宣言する辺り、相手にはまだ未練がありそうだった。
それを引き止めることもなく、オルガは読みかけの本を手に取る。
「ああ……」
クロトをちらりとも見返そうとしなかった横顔に、憤慨したようなひとことが投げつけられる。
「なんなんだよ」
ドアがすべる音がして、部屋にはあり得べき静寂が戻った。
オルガはほっとため息を吐いて乱れたシーツを簡単に直す。
ふと、白いシーツの上に鮮やかな赤い糸を見つけた。
それをつまみあげて床に捨てながら、未だ温もりの残るベッドに舌打ちする。
そんなん、こっちが聞きてーよ。
なんなんだ、オマエ。