歪んだ王国



 ざあざあと叩きつけるように雨が地上めがけて落ちてくる。灰色にくすんだ視界の中で、なにもかもが非現実的に見えた。
 雨の日が憂鬱なのは、普段の渇いた街では感じない、嫌なニオイがするからだ。この場所に染み込んだ、泥の中に棲む生き物のような、肌が焦げて爛れたような、処理しきれずに溜まりに溜まった膿のような、腐臭が雨に溶け出て空気に充満する。どこもかしこも死体のニオイだ。こんなのを嗅いでいたら、誰だって死にたくもなる。
 雨の日は死体が多い。崩れかけた高い建物から虚ろな目で飛び降りる死体、街外れの森の中で首を吊っている死体、路地裏で血を流して倒れている死体。
 自分で死んだ人間と、誰かに殺された人間を見分けるのは簡単だった。ここじゃあ誰が殺されようが無関心だから、腹にナイフが刺さりっぱなしだったり、死体の側の壁に銃弾がめり込んでいたりするのは自殺じゃないとわかるし、それを咎めたり断罪したりする人間はいないから、完全に無法地帯になっている。

 がち、と手の中の黒い塊が間抜けな音を立てる。ああ、弾がなくなったんだ。丁度いい、相手ももう死んでる。
 クロトはゆっくりと狙いを定めて前に伸ばされていた手を下ろす。かすかに硝煙の匂いがした。この匂いは、好きだ。でもすぐに街の腐臭に混ざりこんでどこかに消え去ってしまうだろう。
 背の高い建物に挟まれた薄暗い路地で、幾度も繰り返された出来事が今日も起こった。それだけの話。目の前に転がっている、つい先刻までは動いていたものが一体誰であるのかクロトは知らないし、知る必要もない。あるのはクロトに下される命令で、その命令が絶対だという事実だけ。
 つま先で死体を蹴り、かつて人間であったものが確実に息をしていないのを確認する。これで任務は完了だ。さっさと戻ってゲームの続きをしよう。街の中は嫌なニオイがするから嫌い。早くこの腐った場所から離れたかった。

 空になった銃を服の下で腰に挟めて、クロトは踵を返した。両脇に立つ建物から投下されたのか、ゴミが散乱する路地裏を来たときとは逆に辿る。降りしきる雨のおかげで足音を忍ばせる必要も気配を殺す必要もなく、今日の用事は簡単に片付いた。けれど身体に染み付いた癖は無意識にクロトを動かしていて、後ろめたさも咎められる恐れもないのに、足取りを慎重にさせる。路地を抜けてからもなるべく目立たないように、最短のルートではなく街をぐるぐる歩き回った。
 クロトの帰る場所は、街の中心部にある堅牢な建物だ。ぐるりとまわりを高い壁に囲まれたその場所は、一見すると刑務所のようでもあった。入り口は狭い門が前と後ろにひとつずつ。クロトはいつも裏門を選んで出入りしている。誰にも現場を見られていない、誰にも跡を付けられていない、誰も今この場にいない。それらのことを確認して、クロトは飾り気のない無愛想な門を潜る。表の門は華美すぎて好きになれなかった。閉じこもる場所はこれくらい愛想のない方がいい。
 通り抜けた先で守衛がちらりとクロトを一瞥した。まるで汚い気味の悪い昆虫でも見るような眼つきに、出逢うたびに腹立たしくなる。仕事帰りのクロトが、いつも弾倉を空にして戻ることを感謝してほしいくらいだ。じゃなきゃ両手の指以上の回数、彼は死んでいる。

 自室に戻ったクロトがまず一番はじめにしたことは、シャワーを浴びることだった。雨でびしょぬれだったのと、身体にこびりついた街の腐臭に耐えられなくなったせいだ。街の人間からは揶揄をこめて「城」と呼ばれているこの場所には、街の腐臭は一切ない。自分がいつまでも街のニオイをさせていたら、折角のきれいな場所まで穢れてしまいそうだった。
 コックをひねれば大量の温水が降ってくる。外を降る雨のように、汚染物質が混じっていたりしない上等の水だ。これだけの水を制限なく浪費できるのは、街中でこの城だけだろう。街の人間にとって身体に取り込めるほど純粋な水がどれほど貴重であったのかという感覚は、すでに麻痺している。水流を頭から被りながらクロトは、街の腐臭が排水溝に渦を巻いて消えていくのをじっと見つめていた。





***


 廊下に敷き詰められた絨毯が、足取りを重くする。踏みしめるたびに数ミリ沈む感覚がキライだった。まるで泥のぬかるみを歩いているみたいだ。この場所じゃ、これが精一杯ですかねぇ、と絨毯の質を嘆いた男のことばを思い出す。本当に上質の絨毯なら、こんな風に不快に柔らかさを強調したりしないのだそうだ。過剰に自分はいいものだと主張するようなものに、本物はない。そのものが真実すばらしいものであれば、過度な自己主張などしなくてもそれとわかる。人間も同じだと、彼は笑いながら話していた。
 「城」の中には、当然のように「王」が君臨している。クロトがこれから会いに行く人物が、そうだ。
 天井の高い廊下の突き当たり、ドアの前にふたりの黒服が立っている。公が彼につけたSPだ。もっとも彼は、公が送りつけてきたSP達を信用してはいない。だからこうして廊下に立たされている。
 鋭い眼光が、ドアに手をかけるクロトに両側から遠慮なく降らされる。かまうことなくクロトは「王」の部屋の扉を叩いた。
「はい、どうぞ」
 信用していないとはいえ、不審者を排除するだけの役には充分にたつSPだ。この城の王の部屋へはいるのに、ノックひとつで済むのは簡単で助かる。もしもこれ以上面倒くさいことがあるのなら、それが義務であろうとも、クロトは彼の部屋へ足を運ぶのをとっくに放棄していただろう。
「そろそろ帰ってくると思っていましたよ」
 ドアの向こうで王がにっこりと笑って出迎えてくれた。王の名はムルタ・アズラエル。大西洋連邦の軍需産業連合理事にして、ブルーコスモスの盟主だ。この城は彼の表の顔を執行する公的機関で、大西洋連邦軍の一施設ということになっている。実情は彼の私邸だが、仕事をするのもまたここなのだから問題はない。

「ただいま」
 なおざりにあいさつをして、机の上に銃を置いた。これは彼に借りたものだ。クロトの手から離れた銃をとって、アズラエルはそれを机の引き出しにしまう。
「雨の中、ご苦労さまです」
 窓の外を降りしきる灰色の雨を一瞥し、アズラエルは嘘臭いねぎらいの笑みを浮かべた。彼は終始笑っているが、それが楽しさや嬉しさからくるものではなく、対外的な格好のためであるのをクロトは知っている。外でだけ取り繕うのではなく、私邸の中でさえそうやって笑っているのは、中にいてさえ信用にたる人材が揃っていないことを示していた。もちろん、クロトも例外ではないらしい。
「別に。大変じゃなかったよ」
 証拠に持ち帰れといわれたターゲットのタイピンをアズラエルに向かって投げる。弾は一発で済んだ。全部使い切ったのは、そうしたかっただけ。事切れた身体にありったけの銃弾を打ち込む。意味のない行為だ。いや、知らない誰かの命を奪った最初の一発だって、クロトには意味がない。あるのはその命令を下した、この男にだけ。特徴のある青く光る石をあしらったタイピンを眺めて、アズラエルは一瞬だけ表情を歪める。唇が呪詛を紡ぐかのように小さく動いた。
「今日はもう休んでいいですよ」
 すぐに柔和な笑顔に戻ったアズラエルは、作り物めいた白い手で報酬をクロトに差し出す。前からほしかったゲームソフト。受け取った手に感じる重みに、知らず顔が綻んだ。そう、これだ。意味がなくなんかない。これのためにあの人物はクロトの手によって死んだのだ。
「うん、おやすみなさい」
 もうクロトの頭には昼間死んだ男のことも、全身を濡らして汚した雨のこともなくなっていた。あれほどに不愉快だった絨毯も気にならない。どこか影のあるアズラエルも、これさえくれるのなら腹の内でなにを考えていようと関係がなかった。
「おやすみ、クロトくん」
 振り返ることなく部屋から出るクロトの背中にかけられた王の声も、聞こえない。





***


 王のところにやって来る人間の、クロトを見る目は大体同じだ。なんでこどもがこんなところにいるんだという不審の目。自分たちが低頭するアズラエルにも、物怖じせず不遜な態度で接するのを目にすれば、その不審はアズラエルにも及ぶ。その手の誤解には慣れていたし、誤解とも言い切れないから気にしたことはないが、アズラエルのところへやって来る熱心な部下は、それはいたくお気に召さないようだった。なにかにつけ、クロトを側に置くことを止めるようにアズラエルに進言している。
「番犬のようなものですよ。余計な知恵がない分、安心じゃないですか」
 アズラエルの答えはいつも同じ。クロトがその場にいようがおかまいなしだが、こどもとはいえ犬ではないクロトはちゃんとアズラエルのことばを理解している。アズラエルはわかって口にするのだが、相手にしている部下はそれがわからないらしい。クロトを犬と同等に考えてか、重要な機密をもらしたりする。そのたびにアズラエルはクロトの頭を満足そうに撫で、無能な部下をお払い箱にした。
「君は本当に役に立ってくれる」
 気に入りの犬にするような仕草を煩わしいとは思わないが、嬉しくもない。評価してくれるなら、もっと違うものがほしかった。だがアズラエルの歓心を買うということは、それだけ目標の報酬に近付くということだ。クロトの存在に満足していてもらうに越したことはない。

 そんなクロトの存在を疎ましく思うのは、なにも彼の忠実な部下だけではなかった。王のところに度々送られてくる献上品、とりわけ公の人物の令嬢が着飾ってやってきたときには、クロトは肩身の狭い思いをする。自分の親からクロトのことを聞いてくるのか、目が合った瞬間からもう敵意が見え隠れして、ひどいときにはあからさまに侮蔑のことばをなげられる。アズラエルに軽くたしなめられながらも、彼の命令で部屋を出ていくクロトに勝ち誇った笑みを見せた。
 下品な女。そんな奴がアズラエルの求める厳しい条件をクリアできるわけがない。敵意を品位で隠すこともできず、感情が表にぼろぼろ出ていて、幾重に塗りたくった化粧でその醜さはごまかしきれていない彼女達は、決まってクロトが部屋を出た数分後には同じように彼の部屋から追い出されることになる。わかりきった結末を見届けようと部屋の前で待っているクロトを、今にも死にそうな目で睨みながら肩を怒らせて去っていくのだ。
「また追い返したの?」
 再びアズラエルの部屋に戻れば、彼は普段と同じ笑顔でクロトを迎え入れる。見届けてすでにわかっている事実を復唱し、うんざりだというような表情になるアズラエルの側に寄った。
「当然です。あれじゃ使い物にならない」
「顔はまぁまぁだったよね」
 けれど、幼すぎた。適度に美しくて、適度に品が良くて、適度な地位と血統を持ち、そしてアズラエルの野望の邪魔にならない程度にバカであること。頭が良すぎても悪すぎても、いずれお荷物になる。ましてやアズラエルのところにくるのは相応の地位を持った人物の血縁者だ。背後にいるものがアズラエルの処遇を左右できるようでは拙い。公はそれを狙っているフシがあり、今のところアズラエルの条件に見合う女性は現れていなかった。
「私の伴侶は顔じゃつとまらないですよ」
 それに、どうしても必要なものではない。いた方が体裁が整うというだけの話だ。世襲で継いだ地位にいておかしなことかもしれないが、アズラエルは子孫を残すこともそう重要だとは考えていないようだ。自分の跡を継ぐのは血を分けただけのバカではなく、自分の認めた優秀な人材である方が、組織にとっては望ましい。アズラエル自身の意見としては、自分が死んだ後のことはどうでもいいというのが本音であるらしかった。

「そこまで深く考える必要ないんじゃないの?」
 殊結婚となれば別であっても、せっかく寄ってきた一定以上のレベルの女を、なにもせずに追い返すから、よくない噂が立つんだ。現盟主は私邸に年端も行かない少年を囲って遊ぶ変態だとか。
「私くらいの人間になるとね、気軽に火遊びもできないんですよ。特に妻がいない今はね」
 地位ある女性とのスキャンダルより、少年趣味の噂の方が対処し易いということだろう。確かに女性は外の人間だから情報を漏洩される危険があるが、内側の人間の口を封じるのは容易い。
「気軽に遊べない盟主様は、今日も僕で我慢するの?」
 噂が噂にしかならず、証拠があがらないのは、クロトが内側の人間だからだ。クロトはアズラエル以外の人間とはロクに口も聞かないし、外に出るのは彼の命令で邪魔者を始末するときだけ。自分で拾ってきて、自分でしつけた犬だという自負があるアズラエルは、ある程度はクロトを信用している。素性の知れない相手よりは、余程気の置けない人間だという価値がクロトにはあった。
「そうですね。ここには君しかいないから、君で我慢するしかない」
 今のところアズラエルがもっとも側においているのはクロトだ。それが気に入らなくて、アズラエルに結婚を勧めている部下も少なくない。あわよくば自分の血縁者を総帥の夫人の座に押し上げ、自らの地位を確固たるものにしようとして。
「じゃあ早く結婚しなよ。あんたの部下だって早くそうしてほしそうじゃない」
 バカな連中はそういう思惑をクロトの目の前で堂々と話すのだ。だからお前はすぐに厄介払いされるのだと笑いながら、逆に処分されるのは自分だと気がつかずに。
「そう簡単にいくならとっくに結婚してます」
 ため息が聞こえた。クロトはアズラエルと自分の間にある大きな机を回って、彼の首に背後から腕を伸ばす。もちろん締めるためじゃない。頬に手を滑らせ顔を上げるように促せば、アズラエルは好きにさせてくれる。これがクロトの特権。クロトが望んだわけではなくクロトが持っている、ココへ来る彼女達が妬ましく思っている権利だ。
 冷たい唇にキスをして、クロトはアズラエルの首筋にしなだれかかるように顔を埋めた。
「仕事、今日はもう終わり?」
 机上のコンピュータの画面はもう数分前からスリープ状態にはいっている。アズラエルの神経質そうな長い指が、クロトの赤い髪をそっと撫でた。
「ええ……」





***


 裸の背中を這う指の、明るいところで見た形を思いだす。決して自らをどす黒く染めることのない白い繊細な指。頭を撫でてくれるのとは違った仕草で、クロトの身体を暴いていく。
「っ……あ」
 清潔なシーツが、汗と涙と唾液と精液といろんな体液で汚れを吸い取り、擦れる身体に濡れた感触を残す。熱い吐息とこぼれる声に混じって、ぴちゃりと水音が響く。雨の中にいるみたいだ、と思う。
 キライな雨。今クロトに降り注ぐのは、飼い主である男の唇だった。雨に似ているけど、似ていない。外を降るのは身体を芯まで冷やす雨。彼はクロトの内側に激しく熱い嵐を起こす。
「んっ……ぁ」
 うつぶせたクロトの背中に降るキスの雨。時折探るように脚の付け根の奥を悪戯に指がつつく。そこを使われるのはもちろんはじめてじゃないけれど、何度経験しても緊張する。狭い場所にもぐりこんでくる指は強引だけれど乱暴ではない。焦らされて、慣らされて、やがて開くのを辛抱強く待つ。
「ぅ……あ…」
 腰骨にかじりつかれて身体がすくんだ。食いちぎられるのかもしれないと思った。けれど上品な彼はそんなことをせず、優しく歯を立てるだけ。飢えた獣の仕草ではなく、猫の親が子猫を咥えて運ぶときの甘噛みのような振る舞い。彼はクロトをどこに連れて行こうとしているのか。
 太腿を撫で回す手が同じ速さで思考をかき混ぜる。ぐちゃぐちゃで、わからない。ここがどこなのか。彼が、誰なのか。生きて動いてるから、かつて自分が殺したもう動かない誰かではないはずだ。
 思考が混乱するのは、怖い。その瞬間に銃口を向けられても、察することさえなくただ喘いでいることしかできないだろう。彼の命だって守れないのだ。
「んんっ……」
 前に伸ばされた指が股間で屹立するものに触れた。いつのまにか視界を曇らせていた涙を、首を左右に振ることでシーツに押し付け拭った。腹の下の布がびっしょり濡れて気持ちが悪かった。
「あ、……あっ…」
 クロトはこの行為が好きなわけじゃない。もしかしたらクロトを組み敷いているこの城の王も、好きでしているのではないのだろう。仕方ないのだと、彼は言った。それはセックスはしたいけれど相手がクロトしかいないのが仕方ないのではなくて、面倒くさいけれど溜まった欲望を処理するにはセックスするのが手っ取り早いから仕方ないということなのかもしれない。どちらであろうがクロトには意味がなかった。どちらであっても、彼はクロトとセックスをするのだから。
「っ……ん、ぁ……は」
 彼の指先から与えられる快感に、目の前が眩む。狂ってるみたいだ。頭も、身体も、もうなにも、快楽を追うことしか考えられない。こんなんじゃダメだ。すぐに死んでしまう。身体の内側で荒れ狂う雨が目を曇らせて、忍び寄る誰かの足音に気付けない。
「んっ……ああぁ…っ」
 身体の奥に深く侵入してくる熱い塊を受け止めながら、揺れる視界の中でクロトは内側に降る雨の向こうを見定めようと必死に目を凝らしていた。
 照明の落とされた暗い部屋の隅。カーテンの隙間からもれる外の明かり。ああ、月が出ている。
 今日は、雨が降っていなかった。





***


 汚れたままの格好でいるのを嫌う彼は、行為の後すぐにシャワーを浴びる。その間にクロトはぐしゃぐしゃになったシーツをリネン籠に放り込んで、ベッドを新しいシーツで整える。彼がさっぱりした顔で戻っていたら次は自分がシャワーを浴びる番だ。昔はロクに水浴びもできずに街中で転がっていたのに、清潔にしたがるこの癖はすっかりアズラエルから感染ってしまった。
 身体にはりついたべたべたする液体を洗い流す。それでも外を降る雨よりは汚いと思わない。あれほどに嫌なニオイもしないし。伝い落ちる水滴も、温かいだけでクロトを安心させるものになる。冷たい雨は、キライだ。
 部屋に戻ると、珍しくアズラエルはベッドに横になっていた。大抵の場合アズラエルはスーツを着込んで執務室で机に向かっていて、クロトはそこで追い返されてしまうが、今日は本当に仕事を終わりにするつもりらしい。招く手に引き寄せられるように、クロトもベッドに乗った。
 同じ石鹸の香りのする身体に擦り寄ると、半渇きの髪をゆっくりと指で梳かれる。機嫌がいいのかもしれない。こんなときのアズラエルは、強請ったものの大半を与えてくれる。
「ねぇ、いつ戦闘機くれるの?」
 はやる気持ちを抑えながら、クロトはかねてからの願いを口にする。今までも口約束だけは交わされてきたが、一向に叶う気配のない様子に、さすがに焦れてきたところだった。
 くすりと口元を歪め、アズラエルがクロトの双眸を覗き込んでくる。温度のない、冷たい瞳。なのに頬を撫ぜるてのひらはとても温かい。その食い違いがひどくアンバランスで、奇妙な思いがした。
「君が軍に入隊できるようになったら、すぐにでも」
 つまり軍人にならなければクロトの願いは叶わないということだ。そのことはわかっていたし、それならばすぐにでもクロトは軍人になりたかったが、世の中にはアズラエルの力を持ってしても動かせないルールがまだあるらしい。彼はこの城の中では絶対の力を持つ王だったが、外の世界では違う。
「戦闘機よりももっといいものに乗せてあげますよ」
 我慢ももう少しだ、とアズラエルは意味ありげに笑みを深めた。アズラエルが企んでいる内容がなんであるのかはクロトの興味の対象ではない。たとえそれがクロトに不利な状況をもたらそうとも、関係がなかった。ただひとつ願いが叶えば。
「それ、空飛べる?」
 慎重に尋ねたクロトに、アズラエルが小さく噴出す。
「飛べる方がいいんですか?」
「うん」
 こくりと首肯するクロトの頭を2、3度撫で、アズラエルがしっかりとうなずく。
「わかりました。そのように手配しますから」
「うん」
 空を飛ぶのは大地につながれた人間の夢だ。できるなら雨の日がいい。地上に降りしきる濁った雨を切り裂いて、丸めたシーツみたいに空を真っ青に取り替えられたら。そうすればきっと不安に苛立つ夜もなくなる。
 まとわりつくすべての嫌なものから解き放たれて、どこかへ飛び去る力がほしかった。
「もうすぐですよ」
 夢心地に聞いた王の声。飛び去るときは彼を殺していこう、とクロトは思う。心残りはない方がきっと気持ちよく飛べる。こんな大きな城は目立ちすぎて、空からでもきっと彼のことを思い出してしまうだろうから。