Malice in Wonderland
「おもしろいものが手に入ったんですよ」
趣味が悪いという評価が一般的である人物からそんな誘いを受けた。その人物と同じ趣向の人間ならば、嬉々として出かけていくのかもしれないが、生憎と自分はそんな性分ではない。白亜の壁に囲まれた上品な城を目にしても、出るのは重いため息ばかりで、送迎の運転手が気の毒そうに眉をひそめているのがミラー越しにもわかり、更に嫌気が増す。
どんなにありがたくない誘いであろうが、相手は国の要人だ。無碍にすることはできない。これも仕事だ、と自分に言い聞かせようとすれば、たまの休みにも仕事に追われなければならない事実に打ちのめされる。どうりで、あの上司が気前よく休みをとるように進言してくれたはずだ。なにが「働きづめで疲れているだろう」だ。最初から厄介な重鎮の暇つぶしの相手をさせるつもりだったのだ。
郊外の小さな都市。そのくせ軍事的に重要な拠点でもあり、無骨な軍の施設があちらこちらに建っている。自分はそれらを取り仕切る軍直轄の機関に属している軍人。
そしてこれから逢いに行かねばならない悪趣味な要人とは、軍需産業連合理事という肩書きを持つ"死の商人"―――ムルタ・アズラエル。ブルーコスモスの盟主という有名すぎる裏の顔を持つ彼は、軍部に最重要人物、もとい、スペシャル級の危険人物としてマークされている。
すべては彼の取り仕切る軍事工場が集まるこの都市に赴任することになった、己の不運のせいなのだ。都市の住民からは"城"や"宮殿"と揶揄される堅牢な建物の中でどんなことが行われているのか、それを監視し管理するのが、私の任務である。
***
アズラエル氏は30代前半くらいの白色人種で、コーディネイトされているといわれても納得がいきそうなほど整った容姿をしていた。クセのない金髪を揺らして執務用のデスクから顔を上げた彼の、第一印象がそれだった。
コーディネイタの殲滅を企む組織の親玉は、いったい宇宙の住人にどんなコンプレックスを抱えているのだろうという、まず最初の想像は裏切られることとなった。もっとも手の内が丸見えな為政者など、軍部のブラックリストにのるわけもないのだから、裏切られるところまでが予想通りといったところか。
「ようこそいらっしゃいました」
宇宙なまりのないきれいなイントネーションで紡がれたことばは、地球圏の多くの国家が採用している標準言語だ。それは軍部の公用語でもあるが、氏の母国語とは異なっていると記憶している。
「お招きありがとうございます」
交わした握手はひいやりと乾いていて、苦労を知らない手だ、と直感的に思った。
「ああ、こちらにおかけになって。少し待ってくださいねぇ。今お茶を用意をさせますから」
部屋の中央にある応接ソファへ促され、固い足取りでアズラエル氏に続く。そこに腰を下ろしてしまえば、このきれいな顔をした毒蜘蛛の糸に絡め取られてしまう気がして、一層緊張が高まる。
そんな私の心情を見越してか、おおらかに笑ったアズラエル氏は、白いスーツに包まれた足を組み、くつろいだ姿勢になった。
「まあそう硬い挨拶はナシにしましょう。中央からわざわざ召還されたという大西洋連邦軍きっての科学者と名高い方に、お逢いしたくてわがままをしたのはこちらなのですから。どうぞリラックスなさってください」
目的のためなら手段を選ばないと評判の組織のトップを前に、そんな状態になれるのは余程の間抜けだ。だがぼんやりと立っているわけにもいかず、促されるままに向かいのソファに腰かけた。適度なスプリングが身体の重みを受け止めてかすかに沈みこみ、果たしてここから無事立ち上がることができるのだろうかと、近い将来を悲観する。
「それほどたいしたものでもありませんよ。私の分野は他の高名な方々には見向きも去れない廃れた学問だというだけです」
謙遜ではない、つもりだ。私は事実を述べているにすぎない。現にアズラエル氏も、私のことばを否定しようとはしなかった。
「お若い方が後継のない分野に入ってこられるのは、先達には喜ばれたでしょう?」
「すぐ上というのがいませんからね。よくしていただいています」
年若いメイドがお茶を持って現れる。気に留めない振りで会話を続けながら、出されたものに口をつけないのは失礼に当たるだろうか、と考えていた。できれば、安全と断定しきれないものをい飲みたくはない。
まんじりともしない時間をいくら過ごしたのか、随分長いようだったとも、短かったようにも思える。アズラエル氏の側近が、用意が整ったことを知らせに来たのは、そんな時間が経過してからだった。
「ああ、是非あなたにお見せして、意見を聞かせていただきたかったんです」
玩具を与えられた子どものように無邪気に微笑んでみせるアズラエル氏に、ぞくりと肌が泡立った。人前で無防備に童心を曝け出せる人間ほど、残酷な喜びを抱えているものだから。
***
「すとーっぷ。入ってこないでくださぁい」
ぐるぐると獣の息遣いに似た耳障りなノイズが、ぼんやりとした照明の部屋に立ち込めている。床も壁も細長いコードが張り巡らされ、まるで巨大な生き物の胎内のようだった。
ぼんやり明るいのはディスプレイから発せられる光のせいで、部屋に備え付けの照明はコードの群れに飲み込まれ辛うじてかつての存在がわかるくらいだ。まさしく足の踏み場もなかった。
ワークステーションに囲まれた小さなスペースには回転式の椅子がぴったり収められていて、その上に小柄な赤毛の少年がひざを抱えるように座っている。椅子を回転させて入り口を向いた少年は、廊下から差し込む光にわずかに表情をゆがめた。
入るなといわれたが、彼の部屋には足を踏み入れる場所もないし、また彼も表に出られそうなルートはなかった。
しかし少年は椅子から降りるとためらいなく部屋の外へ向かってくる。足元を注視してみると、かろうじてつま先だけ置けるようなスペースがところどころの残されており、彼はそこを迷うことなく渡ってきたのだった。
「なにかご用ですか?」
少年は慇懃に笑った。口調も態度も客人に対するそれだったが、彼の精神がすべてを拒絶しているのが虚空の瞳の中に見えた。
アズラエル氏は少年の背中に手を沿え、私に向かって「クロトです。以前は腕のいいハッカーだったんですよ」と紹介した。
「どーも」
クロトがにっこりと笑う。教科書通りの儀礼的な笑みだった。いくら形ばかり整えても、その裏側に嘲りや蔑みといった感情が見て取れる。だがそれも計算なのかもしれない。
「クロト、この方に他のふたりも見せて差し上げたいんですが、キミ、案内してくれませんか?」
アズラエル氏のことばにクロトはあっさりとうなずく。自分たちをもののように扱う主人にはまるで慣れているといった風だった。
実際慣れているのだろう。無邪気な独裁者はきっと、悪意などもつ必要さえ感じていない。彼らは「もの」なのだから、自分の所有物に悪意を持つなどばかげたことだ。
***
クロトが先行して白い廊下を歩く。クロトの部屋から大分離れた頃、ひとつの扉の前で足が止まった。屋敷の奥の奥であろうと思われる場所だった。扉の横についたコンソールをクロトの指がたたく。
「慣れてないと大変だよ」
そう前置きして、クロトが部屋の入り口をあけた。
しんと静まり返った暗い部屋。クロトの部屋もそうだったけれど、アズラエル氏の部下たちはみな明かりをつけずにいるのが好きなのだろうか。
クロトの部屋では照明が形も見えなかったけれど、この部屋はそうではなく、単に明かりがつけられていないようだった。窓はあるが、いっぺんの光も漏れていない。今はまだ昼間のはずだ。おそらく外から打ち付けてあるのだろう。
「あいかわらずくっせぇな」
よくこんなとこにいられるよ、とクロトがこぼしたとおり、その部屋はすごかった。腐ったもののにおいがこもっている。いや、これは腐った人間のにおいだ。殺人現場に居合わせてしまったのかと思ったくらいだ。
職業柄死臭にはそこそこ慣れているつもりだったが、そんな自分でも倒れそうになる。たしかにこの部屋は「慣れていないと大変」であろう。
アズラエル氏がわざわざクロトに案内を頼んだ理由がわかった。氏は少し離れた場所で口元をハンカチで覆って顔を背けていた。
「シャニー、生きてる?」
「音楽……」
止めたよ、うるせーもん、とごちたクロトが、ベッドの側面を蹴る。この部屋が開いた瞬間からなんの物音もなかったから、きっと開く前にクロトがした操作の中にその工程もあったのだろう。
「お客さん。アズラエルさんに案内しろって言われたんだ。ちょっとでいいから顔見せろ」
ベッドがもぞもぞとうごいて、「シャニ」がひょっこりと顔をのぞかせる。ぼざぼざにのびた緑色の髪が表情を多い尽くしていて、顔を見せてもらった意味はなかった。
それでも満足したのか、シャニは布団の中に逆戻りし、クロトは肩をすくめて扉まで戻ってきた。
「すいません、愛想ないやつで」
「いや……」
言いながら笑みを貼り付けたクロトの表情も、愛想などかけらもあるとは思えなかった。もっとも、そんなものを期待することが間違いなのだと、もう理解していたけれど。
「もう出ましょう。死臭がとれなくなる」
クロトの言うとおり、この匂いはシャワーをあびても落ちなさそうだ。
***
厳重にロックされた重そうな扉の前でクロトが振り返る。前のふたつの部屋にロックはなかった。こうして案内役をまかされているクロトも、あのシャニも、逃げ出す心配などされていない、信用されている、ということだろうか。
「こっちは匂いは大丈夫だよ。バカがひとりいるけどね」
慣れたしぐさでクロトが解除したロックは三重だった。よほど警戒しているのだろうか、アズラエル氏はひとつめの扉の前で待つ体勢だ。
扉が開いて、やっと部屋らしき全貌が見える。この部屋には煌々と明かりがともっていた。窓が打ち付けられているのは同じだが、きちんと照明が働いている。
部屋の中は本だらけだった。書棚にも机の上にも床にも、本が散乱している。
「誰だ?」
涼やかな声が聞こえ、顔をめぐらせると、扉と同じ側の壁に窮屈に収まっているソファに寝そべって、開いた本を胸の上に伏せた格好の少年と目が合った。整った容貌が、凍りついた無表情のせいでさらに際立って、芸術家が精魂こめた彫像のようだった。コーディネイタだろうか、と私は思った。しつこく容姿を基準にしているのは、私の方がよほどコンプレックスをもっているからだろうか、あの宇宙の住人とのデキの差に。
「お客サマ。アズラエルさんが見せてこいって言うからさ」
シャニのときと同じように、クロトが状況を説明する。そういえばクロトは案内役だったはずなのだが、入り口を開けてくれるばかりで、中にいる人間についての説明はほとんどなかった。
「それであいつはドアの前か? へなちょこだな」
美しい骨格の中、そこ以外ではありえないという位置、大きさ、ニュアンスではめ込まれたグリーンの双眸がちらりとこちらを一瞥する。冷たいという感情さえ見えないきれいな宝石のような目だった。
「だまされちゃダメですよ。これがソイツの手なんだから」
ぼんやりと見惚れていたことを見透かされ、クロトがそぞろに笑みを洩らす。
「うっせーよ。こんなとこで仕事しようなんざ思わねぇ」
そう言って彼は胸の上に伏せていた本を読み出した。表紙には今よりも幾分幼く、だが面影を十分に残した彼が印刷されていた。まるで彫刻のようという印象そのままに、はめ込まれた美しい宝石の瞳もくっきりと。
『恐るべき子ども』
それは何年も前に起きた、世界を震撼させた殺人劇のルポだった。手口の残酷さと、捕らえられた犯人が幼い少年であったことが、今も人々の記憶に強く塗りこまれている。
はっと目を見開いた私は、本に集中する彼の横顔をまじまじと見つめる。あの頃ニュースで何度も聞いたその犯人の名前は思い出せないが、私をこの道に進ませたきっかけともいえる事件でもある。どこに収監されているのか、軍の内部ですら厳重に隠蔽されていた人物だったが、いつの日にか面接してみたいと思っていた。アズラエル氏が私に見せたいと言っていたのは、彼のことだったのだろうか。
「まーた自分の本なんか読んじゃって、ナルシスト、気持ち悪っ」
クロトの揶揄をなんの感情もこめずにオルガが一蹴する。
「うっせーよ、オレの機嫌がいいうちに出ていけ」
「死んじゃえ」と私の傍らでクロトがつぶやいた。彼の視線はオルガに向けられていたが、そのことばが私に向けられているような錯覚に身を切られた。
***
「どうでしたか?」
ひとつめの扉の前では、アズラエル氏がにやにやと笑みを浮かべて待っていた。見透かされているような表情は気になったが、私は素直な感嘆を口にする。
「驚きました。まさかあの事件の犯人がこんなところにいるなんて」
「私のコレクションのひとつですよ。あなたなら気に入ってくださると思っていた」
「あの」と強調を込めた意味をわかっているのかいないのか、アズラエル氏は機嫌よく笑っている。世界を凍りつかせた殺人鬼が、すでに法の裁きにより世を去っていると思っている人間も少なくない。こんな場所、と言ってしまってはよくないのかもしれないが、もっと相応しい収監先があるような気がするのだ。
「いや、そういう意味では……」
訂正しようとした私のことばを遮って、アズラエル氏がしたり顔で頷く。
「いいんですよ、取り繕わなくとも。あなたがお逢いになった3人は、もう半分は軍のものなんです」
軍人だと、いうことだろうか。ばかなことだ、ありえない。
「半分?」
仮にありえるとして、半分とはどういった意味であるのか、と疑問に思ったことがこぼれていた。
「私はもともと軍に使っていただくために彼らを集めました。ですが頭の固い連中にストップをかけられている研究がありましてね、このままでは間に合いそうにないんですよ」
時間に追われているような発言だった。いったいなにに、という質問は、口にできそうになかった。
「どうでしょう、あなたにはぜひこのプロジェクトを手伝っていただきたい」
いやな予感しかしなかった。頭の中で激しく警鐘が鳴り響いている。これ以上踏み込んではいけないと。
「いったいどんな……」
誘われるように質問をしてしまった私は、とっくにアズラエル氏の術中にはまっていたのかもしれない。
「世界を救うための兵器の開発です。私は商人ですからね」
もっともな意見だ。予測もできた答えだ。
「兵器……?」
さきほどから私は、アズラエル氏の望むとおりの質問しか、していない気がする。
「あなたの論文、拝見させてもらいました。あの、ロボトミーの復興を唄った」
「机上の空論ですよ。現行法で実験が認められることはない」
アズラエル氏がその話題に触れた瞬間、「ああ、恐れていたことが起こるのだ」と確信した。それは恐怖だったかもしれないし、密かな歓喜だったかもしれない。だが私はそれに気付くことを放棄し、早口に彼のことばと、自分の論理を否定しにかかる。否定されるべきなのだ。
「私が認めて差し上げますよ。見たでしょう? 最高の材料を、あなたのために集めたんです」
「材料?」
回らない頭で、口で、最悪の質問をしてしまった。アズラエル氏はこの瞬間を待っていたというような改心の笑みで、隣にぼんやり立っていた子どもの、赤い髪をそっと撫ぜた。
「そうですよ。ねぇ、クロトくん」
クロトの視線がついと上がる。思わずといったように、私の視線が下がった。見つめ返したその双眸には、やはり暗い虚無しか見出せない。
「やっぱりおじさん医者なんだ。そういうにおい、してたんだよね」
ふと浮かべられた嘲笑。もはや怒りすら持てないほどに調教されているのか、すべてを納得した、諦めた表情で。
嫌でも理解せざるを得なかった。
「そんな……あなたは狂っている!」
頭を抱えて一歩下がった私に、アズラエル氏は凛とした声で言い募る。
「狂ってるのは世界の方なんです。疑ってみたことはないのですか? あなたのすばらしい研究を笑いものにする常識というものを」
はっきりと自らの正義をゆるぎないものとして信じ込むのは狂気以外のなにものでもない。それはわかっている。だが狂気は、ときとして人間を、世界を飲み込む。
「私は私の研究が空論であることをわかっているし、わかった上であえてやっています」
「むなしくないのですか?」
くだらないと笑われた。馬鹿げていると相手にされなかった。狂っていると蔑まれた。それでも何年に、何十年に、何百年に一度かというひらめきを手放したくなくて、追求し続けた。
「学問とはそういうものでしょう」
凡才に生まれてしまったナチュラルの劣等感だと言わてしまえば反論できない理由だ。だから私は、
「だがあなたは学者にはならなかった。そうでしょう?」
こころを読むのは卑怯だろう。それがこころを折る最大の責め苦なのだから。
***
背後重い音を立てて扉が閉じ、外では雨が降っていた。冷たい滴が身体を打つにまかせ、早くこの悪夢から醒めたいと願った。
(おかえりなさい、こちらが現実ですよ)
そんなうそ臭い囁きにでも、縋りたくてしかたがなかった。