Funny Funny Face


「んん……」
「…………」
 世はクリスマスイブ。
 つけっ放しのテレビからは、定番ソングと有名著名なデートスポットの、中継映像が垂れ流しだ。
 テレビ画面一杯に、とんでもなく光り輝くイルミネーション。
 そんな素敵に幸せそうな世界の中で映るのは、我が物顔に愛を囁き倒して悦に入る、引っ付く奴らの姿ばっかり。
「……ん、んん……」
「……直人」
「なに……?」
 そう、この世はクリスマスイブ。もちろん俺だって、俺たちだって例外じゃない、そうらしい。
 テーブル代わりの炬燵の天板上には、総菜屋のチキンが数本、安い輸入ワインの赤が1本。
 予約までしたケーキの直径は18センチ、どこにでもあるイチゴの生クリームデコレーション。
 灯りを落とした室内に、小さなツリーの電飾が、これでもかといわんばかりに輝いている。
「……俺、腹減ったよ……」
「…………」
 要するに世間様も俺の部屋も直人の頭の中も、例外漏れなくクリスマスイブなのだ、今日は。

◆◆◆◆◆

「何だよ」
「おまえ、ムード理解してない……」
「腹が鳴るよりゃマシだろーが!」
「ちょっとぐらい我慢しろよ。飯は逃げないんだぜ?」
「食べ頃が過ぎる。
 エアコン回してんだ、ケーキのクリームが溶ける」
「…………」
「それに、おまえキスし過ぎ、って、っ!」
「っ……、ん、んむ……」
「し、舌入れ……、う、ぅ…………」
 直人は俺の顔に顎に頬に目元に瞼に額に首元に、優しく触れるだけのキスを何度も何度も繰り返す。
 ベッドに押し倒されて圧し掛かられているこの状況では、……まるで味見でもされてるみたいで座りが悪い。
 ……それは、まあそれでも構わない。けれどせめて一口何か食わせて欲しい、ただそれだけだ、くそう。
「だってさ、飽きないんだよ……おまえにキスするのって。
 凄い気持ちいいんだぜ?」
「…………」
 そう言いながら、直人は俺のシャツのボタンを外してゆく。以前一緒に街に出たときに、こいつが見立てたチェックのシャツだ。
「……おまえ、身体、温かいな」
「そりゃ、そうだろ……」
 安物同士の組み合わせ。下に着ていたのは量販店の長袖Tシャツ、2枚で1000円。
 薄い布地だからして……頬を擦り寄る感触が、はっきり胸元に伝わってくる。
「……おまえに触れてるのって気持ちいいんだ。
 何だか、おまえが俺に染み込んでくるって感じで……」
 直人の吐息が首にかかった。
「……あ。今おまえ、俺にときめいただろ。
 心臓がバクバク言ってるぜ」
「ときめくとか言うな……、ん……」
「んん…………ん」
 ……本当に飽きないな。俺は素直に感心する。
 あの夜から、もう隙さえあればこんな感じだ。キスされたり抱き締められたり擦り寄られたり。
 俺がする暇なんてありゃしない。
「……クリスマスとか、誕生日とか……子供の頃は、兄貴と美沙緒さんが祝ってくれたんだ」
 ……高校に入ってからは違うけどな、と軽くはにかんだような声が続く。
「兄貴も美沙緒さんも、根は真面目だろ?
 気を抜くとしんみりするっていうか、白けるからさ。
 俺、馬鹿みたいに笑ってはしゃいで……。
 楽しかったけど、……半分は疲れてた」
 すりすりと、胸元に頬を寄せる直人の頭をわしゃわしゃと撫で回す。柔らかくてほわほわしていて、手触りは抜群だ。
 強がりで寂しがり屋、本当は構って欲しくてたまらない。
 ……何だかまるで猫みたいで、咽喉元を優しくあやしてやりたい気持ちに襲われる。
「こ、こら……止せよ、話せないって……」
 撫で続ける頭に困ったようで、直人がほんの少し身を捩った。
 僅かに仰け反った首筋に、俺は指を軽くさざめかせるように当ててやる。
「……首、く、くすぐったいって。あ、う……、ん……んん」
「…………」
 さすがに猫みたいには鳴かないな。俺は誤魔化すように微笑んだ。にゃあ、と言ってくれと頼むのも恥ずかしい。
 ……けれど、きっといい声で啼くんだろう。
「こら……」
「っ、わ!」
 自分のことは棚上げして、直人は俺の指を掴み取って制止する。
 綺麗とは言い難いし思えない、俺の指先をぺろりと舐めたその姿もそのピンクの舌も……何だかやっぱり猫みたい。
「なあ……」
「ん……?」
「こういうのを、何だろ……幸せとか、言うのかな」
 掴み寄せた俺の指で、直人は自分の頬を撫でている。瞳はどことなく遠い。
「……こうしてぼんやり素直にいられるのを、凄く憧れてた……」
 絡め取られている指を、二三軽く蠢かす。ふにふにと、柔らかな調子で直人の頬をつっついた。
「高校のとき……」
「ん?」
「高校のときさ、……一回だけ、2人っきりでデートしただろ」
「ああ……あれね」
 直人の瞳が僅かに揺れた。そのままゆっくり瞼を閉じて、俺の指に口付け……優しく食んだ。
「俺さ……あのとき、かなり切羽詰ってたんだ。
 ……何ていうのかな、おまえの気を惹きたかったんだ」
「うん」
「おまえを騙した形になって……
 だけどおまえ、俺を嫌がらなかった。
 俺、おまえと一緒に出かけてるのが嬉しくて、楽しくて……
 でも舞い上がって、何も話とかできなくて。
 おまえ、困っただろ」
「いつもはベラベラ話すおまえが黙ってるんだ、
 そりゃ困ったよ」
「うん……あのときは、ごめん……。
 だけど、ちゃんと分かってたんだ、俺。
 おまえが困ってるなってのは」
 直人の瞼が上がる。長い睫毛に、いつも何かの憂いをたたえていた瞳。
「食事に誘って……最後、冗談にしたけど、ホテルに誘ったよな、俺」
「半分以上、本気だったんだろ?」
「……うん」
 即答した俺に、直人は微妙な感じの声を出した。
 気づいていて欲しくなかったバツの悪さと、騙していなかったという、多少の安堵。多分、そんなところだろう。
「おまえにかっこいいところ……俺、見せたかったんだ。
 でも俺……どうやったらおまえが喜ぶのか、知らなかったし、……分からなかった。
 あれ……そのまんま、女とのデートコースなんだ。
 俺、それしか……それしか知らなかったから」
「…………」
「あのときの俺……多分、おまえを嫌いな女たちと同じように扱おうとしてたんだと思う。
 俺……人を自分の方に向けさせて、そうやって繋ぎ止めておく方法……それだけしか、知らなかったから……本当に」
 俺の首横に、直人が顔を埋めて来た。俺はまたその頭を撫でる。……片手は優しく握られたまま。
「何もかもそうだ。俺は本当に何も知らなかった。
 好きになってくれる奴を探して……だけど、好きになろうとしなかった」
 決して薄くはない肩が震えた。空いてる片手で、頭から首、首から背筋、肩と、範囲を広げて撫でさする。
「おまえが好きで……もうどうしようもないほどに好きなんだって気づいたとき、……気づかなきゃ良かったと思ったんだ」
「うん……」
「おまえは俺の友達で……もしかしたらそれ以上に思ってくれてるのかもしれなかったけど、でも……。
 でも、おまえの手、あのとき何だか大きかったから。
 ……だから、それ以上望んじゃいけないって、感じた」
「…………」
「不思議なんだ。おまえの手、あのときと変わらないはずなのに、今の方が温かい。
 何でなんだろうな……握ってるのは同じなのに、凄く近く感じる。
 どうしてなんだろうな、こんな風に感じるのは……」
「直人……」
「何でそんなに、……どうして……、どうして……」
 語尾は吐息に変わって消えた。
 どうして……それは俺にだって謎で不思議で、どうしようもない質問だ。
 どうして。何でどうしてこんなに愛しいのか。……なあ、どうして?
「俺……俺、俺……」
 ぎゅっと、直人が手を握り締める。俺もそれを握り返す。
「好きだ……。おまえが好きだ、本当に好きだ。
 あの冬の、あの日に言った『好き』より、もっともっと大きくて、もっと……」
 渇いて飢える砂漠の様に、直人は俺に向けて呼びかける。いつになったらその渇きが、痛みが癒えるのかは分からない。
 俺がこいつに染み込みむように。こいつが俺に溶けていくように。
 ……そう願いながら、俺は直人を撫で続ける、手を握り返す。
「嫌いじゃないよな。俺のこと、嫌いじゃないよな? おまえ、俺のこと……」
「……好きだよ。あの冬、あの日に手を握ったときよりも、そのずっと前から……」

◆◆◆◆◆

 あの冬の夜、あのときの直人と俺。確かにあれは、迷う直人を導くものだったのかもしれない。
 だけれどあれから時は経った。今の俺たちがこうして手を握り合うのは、どこまでも一緒に行くためだ。
 迷い道でも、2人でいれば怖いものなんて何もない。寂しくもさせない、絶対に。
 過ちで誤まりで勘違いで幻想だと、そう言いたいなら言っていればいい。
 馬鹿なことだと止めるなら、馬鹿も貫きゃ立派な証拠を、一生かけて見せてやる。

◆◆◆◆◆

 重ね合わせていた唇が離れる。俺の視界に、また満面の笑みを浮かべた直人の顔が広がって溢れてゆく。
 そうやって笑ってる顔が、俺は一番好きなんだ。
「ここまで来るのに……お互い、ずいぶん回り道をしてきたんだな……」
 そっと囁かれた言葉に、俺はまた手を握り返した。
 それはきっと無駄じゃない。俺たちに無駄だった時間なんてありはしない。
「……な、もう少しこのままでいさせてくれよ、……いいだろ?」
 ……柔らかな微笑み。甘えるように握り返された手が愛しかった。
「……ん」
 世はクリスマスイブ。
 つけっ放しのテレビからは、今日起きた世界の出来事を呟く堅苦しいアナウンサーの姿が垂れ流しだ。
 炬燵の天板の上には小さくても光り輝くイルミネーション。ホームセンターで購入、税抜き780円。
 他にあるのは油っぽいチキンが数本、嘘臭い輸入ワインの赤が1本、酸っぱいイチゴの生クリームデコレーションケーキ。
 食べごろを放って置かれたご馳走たちは、エアコンの暖房でカサカサのクタクタだ。
 まあそれも仕方ない。もっと素敵で美味しくてたまらないものがあるのなら。
 要するに世間様も俺の部屋も直人の頭の中もどうしようもない俺も、例外漏れなくクリスマスイブなのだ、今日は。



(END)