つちくれ と 肋骨




 俺が手に入らないものが俺は欲しいのだ。
 今この身に備えたものなら代わりにしてでも欲しかった。たとえそれが健康な肉体だったとしても、俺は一向に構わなかった。どんなにその身が重かろうが苦しかろうが、たかが夢の中、ほんのいっときのわずらわしさ……それだけを我慢すれば済むことだからだ。
 そう、そのくらいの我慢は容易いものだ。本当に我慢のできない状況を俺は知っている。それを思い出せばどんな苦痛もやり過ごせる、耐え切れる。
 ……それはおそらくはかなり幼い時分の話だ。今でも鮮烈にその場面を思い出せすことができる。
 浮かぶのは何かを争って泣き喚く子供の輪には加わらず、一人床にペタリと座り込む己の姿だ。チラシの真っ白な裏面を恐ろしく短くなった鉛筆で、一心不乱にぐちゃぐちゃと描き込んでいる小汚い子供。昔から物を描くのは好きだった。
 汚らしい線の楕円に四角、丸に三角。本人的にはきちんと描けているという満足感があるのだろう、満面の笑みが顔に浮かんでいる。そして時折、不気味なほどにしまりのない笑いを唇の端にのせるのだ……どこも見ていない、遠い世界に眼を置き去ったようなうつろな視線で。
 やがて誰かが声をかけた。一体何を書いているのかと問われた言葉にはっと顔を上げれば、絆創膏の貼られた小汚い膝頭が視界を埋めた。少なくとも、当時の俺よりは数歳年上の、同じく愚かな子供だ。
 この『しかく』は、おとうさん。この『まる』は、おかあさん。いちばんちいさな『さんかく』は、ぼく。このひはみんなでおでかけなんだ。
 瞼を閉じても、いや閉じなくても、それをまざまざと脳裏に思い浮かべることができた。両親に手を引かれ、青々とした芝生の上を真新しい、気に入りの靴で歩いていた一場面を。……妄想の、いや、夢の出来事だったのかもしれないと、今ならそれを疑うこともできようが、それは実際にあった出来事だと、当時の――子供の俺は信じていたのだ。
 しかし二人を思い出せるのはその足先から首元までで、顔だけはどうしても『見る』ことはできなかった。もちろん何を話したのか、その会話も――俺の名を呼ぶ声も、何もかも。そこだけは綺麗にぽっかりと、記憶に穴が開いている。
 だからこれ以上忘れないように、俺は彼らを物語に絵に変えていたのだ。心を込めて描けば話を紡げば、やがて彼らがそこから現れ寂しくない世界へ連れて行ってくれるのではないかと願い――いやそうなるだろうと信じながら。
 新しい環境は馴染めなくとも良かったのだ。いつか迎えが来るのだと信じ、誰にも心を開かなかった。そして迷惑をかけないよう邪魔にならないよう、なおかつ叱られないように己の存在を希薄にし、日々を過ごすやり方を身に着けた。頭の中と紙面の落書き……惨めな妄想が俺の全てだった。
 とはいえ、やはり子供だったのだ。かまわれることに飢えていたのだろう、嬉しさに鼻息を荒くしながら絵の中で、そして俺の頭の中で繰り広げられていた拙く哀れな妄想を、幼い言葉でとうとうとその相手に語り始めた。この相手の気がいつ変わってしまうか分からない、話を聞くのをやめてしまうかもしれない……また相手にされなくなってしまうかもしれない。
 だから早く言わなければ、言わなければ、言わなければ。全部言わなければ。
 そしてやはり相手も紛れもなく子供だったのだ。普通一般というところの、年相応の愚かな子供だったのだ。俺も愚かな者は好きではない、それを思えばたとえ愚かな者が更に愚かな者を嫌っても仕方のないことだろう。――愚かな子供は更に愚かで幼い子供の夢の世界を、泥で汚れた靴下で踏みにじった。「だめだ、こいつやっぱりバカだ」と全てを否定するのも忘れはしなかった。
 愚か者が愚かでなくなる瞬間、学ぶということはこの時を言うのだろう。俺は悟ったのだ、本当に大切なものは誰にも見られないよう分からないよう、宝箱にしまっておくべきだという、古典的なそれが間違いなく正しいということを。
 子供なりのプライドも血を吐くような願い事も、忘れたくない出来事も思い出も、夢の世界の全ても何もかもひっくるめて、頭の中から出してはいけないのだ。
 大事なものこそ披露すべきではない。手から口から紡がれてしまえば、それはどんなものであれ消費される道を辿る。物品はおろか、言葉やら愛やら、様々な用途に用いられ費やされるそれらの軽さといったらどうだろう。容易ければ容易いほど、それは人に踏みにじられ崩れ落ち無に帰しても構わない、結局はくだらない代物なのだ。
 ……勉学だのは最も分かり易い例題だろう。忘れてしまうのを防ぐために身に染みる程に書き付けてゆく――それでもやがては砕け散る哀れなものだ。俺が教職という代物に就いたのは――実際どうでもよいものなのだが――失くして人にあれやこれやと面白半分に罵られるのが許せなかった、その結果に過ぎない。
 ああそうだ、昔から物を思い描くのは好きだった。妄想は夢にも続き、いや夢が妄想に続いたのか、俺にもよくは分からない。
 ただ言えるのは、こんなはずではなかったということだけだ。こんなはずではない、こんな現在はありえない。親が今いないのは仕方ないとしても、優しく素晴らしい彼らの存在を否定される、この境遇は心底認められようもない。何もかもを踏みにじられ否定され、愚かだと一笑に付されるのだけは許し難い。こんなはずはありえない、こんな現実は許せない、認められない。
 現実にいられないのならば、夢に生きるのも仕方ないことだろう。この夢の世界だけが俺の価値を知っているのだから尚更だ。俺は嘲笑されるべき人間ではない。
 そう……夢の世界は全てが違った、異なった。短くなった鉛筆もチラシも使わずに済む、何もかも手に入る世界――いや何もかもが揃えられている世界だ。はじめから満足に十二分に『ある』世界。
 では何も欲しくないのかといえば、そうでは全くなかった。癒されない飢餓感に己を省みる。何を飢えているか、己が欲しているのか、ここに今もないもの、あちらにもないもの……その答えは簡単だった。
 俺は結局泥で汚れた靴下を履かない子供が欲しかったのだ。愚かでなく年上でもなく、俺を馬鹿と笑わず、俺の何もかもを否定しない子供が欲しかったのだ。そう、俺を苛めないことも重要だった。
 綺麗で利口な同じ歳ほどの子供だ。俺を素晴らしいと崇め、何もかもを肯定し逆らわない。俺の敵と見れば、それこそ屠る勢いと強さのある子供がいい。俺だけが全て、俺の存在のみが己の生きる意味を持つ――それくらいの子供が欲しかった。
 そうだ、決してそれは友人などではない。俺が飽きるか相手が飽きるか、そんな時の流れと感情に左右されるような、惨めに薄っぺらい絆は必要ないのだ。あるのは服従。盲目的な忠誠心、一方的で薄れない強い好意。
 俺が欲しいのは家来、従僕だ。どう扱おうが文句も垂れず喜びすら見出せる、そんな身も心も隷属する俺だけの奴隷が俺は欲しいのだ。



(END)