部屋に戻ると、既に優吾は風呂上がりのサッパリした顔で麦茶を飲んでいた。
百合絵にも用意していたそれを渡すと、彼はにっこり笑う。
そんな彼の様子を見ていて、百合絵は幾度か聞いたことのある質問を口に出してみた。
「ねぇ、・・・私・・・もう一度、あなたに聞いてもいい?」
「なぁに?」
「・・・私のこと、どう思ってるの?」
「好きだよ」
「そうじゃなくて・・・」
「?」
この優吾の言い方にはいつも困惑してしまう。
とても簡単に好きという言葉を言われた気がして・・・
百合絵が聞いている意味とはかけ離れている気がして・・・
今までこんな感情に支配されたことなどなかったから、どうしたらいいのか見当もつかない。
由比はその言動全てで、苦しいほどに彼の気持ちが響いてきたが、優吾の場合は彼の本心というものが掴めない。勿論、二人を比べるつもりもないし、比べようがないほど性格も置かれた立場も違う。
そして、今更ながらに女生徒達が優吾について語っていた意味がわかってしまい、少なからず百合絵の心を苦しめていた。
『飯島くんの優しさってね、独り占めしたくなっちゃうの。だって、ホントは誰にでも平等に優しいんだけど、笑いかけてくれてるときは私だけ見てるって勘違いしちゃう。だから、彼の周りには特別になりたいって思う人間が集まるんだよ』
誰にでも優しい。
その言葉がとてもひっかかる。
だって、それなら私じゃなくても、他の人でも同じようにしたのかもしれない。
───私は今、
彼の特別になりたいと思ってる。
それは隠しようのない事実だということが、今日、自分でも痛いほどわかってしまった。
あんなに由比が好きで、由比を好きな気持ちはちゃんとあるのに。
なのに、あんまりにも優吾が近くにいて。
それが幸せだと思ってしまう自分の気持ちが、いい加減何を指し始めているのかなんて気付いてる。
───認めたくなかった。
認めたら、その時点でまた彼に迷惑をかけてしまうから。
私はどんどんズルイ人間になっている。
こんな時浮かぶのは多恵さんのあの言葉。
『遠慮なんてしてたら、幸せは一生掴めないからね』
優吾のあの言葉。
『好きって気持ちってさぁ、沢山あるんじゃないのかな?』
私は、お腹の中に、この子がいなければこんな風に出来なかったに違いない。
幸せになりたいなどと思わなかったに違いない。
赤ちゃん。
あなたごと見てくれる彼だから、こんなにも惹かれるんだと思うの。
だから・・・・・・
「・・・私、は・・・あなたが・・・好き・・・・・・」
あなたの特別になりたい。
こんなにもあなたに負担をかけているのに、それ以上望むなんて私は何て欲深いんだろうと思うのに。
それでも、気持ちがとまらない・・・
「僕もだよ」
「・・・・・・優吾、の気持ちは・・・それは・・・私を欲しいと思うもの?」
「どういうこと?」
「・・・・・抱きしめたり・・・キス、したり・・・それよりもっと・・・その・・・」
それ以上は、とても言えない。
恥ずかしい、とても恥ずかしいことをしてる。
百合絵が俯くと、優吾はふんわりと微笑んで、彼女を包み込むように抱きしめた。
優しくてあったかい空間は、ふわふわとしてそれだけで幸せになれそうな・・・
耳元で彼のゆっくりとした鼓動が聞こえて、我慢できずに自分からも彼に抱きついた。
彼と接していると自分はまるで幼子のように駄々をこねているみたいで、だけど、それさえも優しい空間に思えて甘えてしまう。
優吾はそんな彼女の背中をフワリと撫でて、それから顔をあげた百合絵に穏やかに微笑みかける。
どこまでも優しげな彼に、でも、少しだけ歯痒さが残る。
「百合絵さんは、由比じゃなくて、僕とそういうことを望んでいるのかな」
困ったように笑う彼に、少しだけ泣きたくなった。
「あなたは・・・結婚しても私に触れるつもりはないの・・・・・・?」
「・・・」
「家族でさえあればいいと思ってるの?」
悲しそうな問いかけに、優吾は視線を逸らし、暫くの沈黙がうまれる。
やがて彼は、
掠れるような声でポツリと呟いた。
「・・・だって、僕は、百合絵さんにそう言うことをして赦されると思う?」
「・・・・・・え?」
「由比に・・・赦されるのかなぁ・・・・・・」
不意に、由比の言った言葉が思い出された。
『オレは・・・永遠に百合絵と共にあるから・・・・・・それを忘れないで』
それは、どういう意味で?
永遠に由比だけの私でいるということ?
あなた以外を好きになることは、いけないこと?
───でも
由比なら『そうだ』って、言うかもしれない。
・・・・・・それでも、わたしは・・・・・・
百合絵は、優吾の首に腕を回し、自分の唇を彼の唇に重ねた。
彼を好きになってしまった自分はとても罪深いと思うのに、涙がでそうなくらい幸せで、今この瞬間、自分自身が何よりも彼を求めている。
何より大事なものを失って。
死んでしまえばいいとさえ思った私に、多くのものを与えてくれた。
それは、きっとこの先も変わらないだろう。
その優しさを錯覚するくらい、私はあなたに惹かれてる。
だって、
優吾の気持ちは、多分私とは違う。
もう、わかってしまったけれど・・・
あなたは、恋なんてしていないけれど・・・・・・
優吾は、
暫く何かを迷っているようなそんな顔をしていたが、
震えながら彼を抱きしめる、その細い腕に触れ、小さく息を吐き出すと、真っ直ぐに百合絵を見つめた。
「・・・そうだね」
───これはきっと、私を放っておけなかった彼の優しさ。
その優しさに、それでもいいと彼を無理矢理引きずり込んだ。
だって、あなたはいつも由比ばかり気にしてる。
由比にばかり気を取られてる。
私は、良くて三番目。
一番は、由比。
二番が、赤ちゃん。
そうでしょう?
私はいつかこの子に嫉妬をするのかもしれない。
あなたが産まれてきたら、優吾はあなたを一番愛するから・・・
だから、今だけ。
嘘でもいいから
私が一番だって、そういう顔をしていて・・・・・・
第13話へ続く
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