『あなたの鼓動が聞こえる』

○第12話○ 幸せにする力(前編)







「僕と一つ約束してね」

 それは、彼の両親に会いに行くときに突然言われたひとこと。


「今日、何があっても、先生は僕の側にいるだけでいいから」
「どういうこと?」
「これはね、赤ちゃんと先生を守る僕の第一歩なんだ。だから約束」

 何だか分からないけれど、まるで子供の約束みたいに指切りをして。
 そのまま彼のにこやかで綺麗な笑顔に誤魔化されてしまった気がする。

「あと、そうだ。僕のことは優吾って呼んでね。僕も先生のこと、名前で呼ぶから。だって変じゃない? 結婚するのに」
「・・・・・・優吾・・・?」
「なぁに? 百合絵さん」

 目の前に急に現れた彼の顔に思わず赤面してしまった。
 別に名前を呼んだわけじゃないのに・・・

「・・・優吾・・・」
「はい、百合絵さん」
「・・・・・・恥ずかしいね・・・」
「これから沢山呼べばいいよ。それが普通になるからね」

 そうして、優吾は百合絵の手を取り、飯島邸に入っていった。








 ───噂では聞いていた。

 彼の家が資産家だということは・・・
 だから、この邸宅がこれだけ立派なのは当然の話なのだろう。

 けれど、百合絵は不思議な感覚に陥っていた。
 広い家、高い天井、そのどれをとっても、とても自然に受け入れられるのだ。
 なぜなのかは、全く分からなかったけれど。


「優吾さま・・・その方が・・・あの、昨夜仰っていた・・・」
「そうだよ、お父さんは?」
「・・・はい、居間でお待ちです・・・」

 彼の家の使用人なのだろか?
 優吾を『さま』づけして呼んだ男性はそのまま二人を居間まで誘導した。
 居間に通されると、厳しい表情を崩さず二人を射抜くような目で見ている男性と目があった。
 そして、その隣には困惑したような表情の女性。
 彼らが優吾の両親であることは疑いようがなかった。

「・・・座りなさい」

 低い声で、目を逸らさず優吾に命令する声。
 それだけで百合絵の心臓は飛び跳ねそうになった。

 優吾は素直にソファに座り、姿勢良く両親に向き直る。
 続いて百合絵も彼の隣に座ったが、優吾の両親と目をあわせることが出来なかった。


「・・・その女性が、昨日言っていた人か」

 ちらり、と依然厳しい顔で問う。
 だが、百合絵はその言葉に不思議と反応することが出来た。

「本郷百合絵と申します」

 やや怯えた表情を見せているものの、姿勢良く、無駄のない美しい挨拶の仕方に、一瞬優吾の両親は驚いたようだった。
 しかし、すぐに厳しい表情に戻すと、今度は優吾を見つめ、部屋中が張りつめた空気で、もの凄い緊張感に包まれる。
 それにもかかわらず、優吾はその空気をものともしないように、全くいつもの彼そのままで穏やかな表情をしていた。


「保健の先生やってるんだ。素敵な人でしょう? だから、結婚したいと思ってる」
「馬鹿者っ!!! お前は自分で何をやっているのかわかってないのかっっ!!!」

 テーブルを叩きながらの激しい怒号に、百合絵は身を固くした。
 優吾は、そんな彼女に気づくと、彼女の手を握りキュッと小さく力を入れる。
 何故か、『大丈夫だよ』って言っているのが伝わってきた。

「高校生の分際で女性を孕ませるなど、何という身の程知らずだっ! 責任能力の欠片もないのにどうやって育てていくっ!? 結婚などと軽々しく口にするんじゃない!!」
「あなた・・・落ち着いてください」
「落ち着いていられる場合かっっ!!!」


 だが、父親のその怒号に、百合絵は耳を疑うようだった。


 今の話だと、お腹の子が優吾の子供だという話に聞こえる。

 隣の優吾の顔を見ると、穏やかに、けれど強い光を持って小さく頷いた。



 その顔を見て、百合絵はやっと理解した。

 ここに来る前に、今日自分が優吾の側にいるだけでいいと、なぜ言われたのか。
 それはこういうことだったのだ。
 確かに、他人の子供を孕んだ女性と、17歳の少年が結婚など頭がおかしいとしか思えない。普通に考えたって、自分は養護教諭とはいえ先生なのだ。
 先生と生徒がそういう関係にあるという事だけでも大問題なのに・・・


 私は何てことを・・・・・・




「今現在責任能力が無いことは認めるよ。けど、僕は赤ちゃんが彼女のお腹にいるという事を幸せに思ってる。とても大切な命なんだ。
・・・僕は、彼女と、そして産まれてくる赤ちゃんをずっとずっと守っていきたい。
だから、どうか認めてください。ここにいるのは二人じゃないんです。全部ひっくるめて、僕らを認めてください」


 そう言い放った優吾の表情は一点の曇りもない。
 これが彼の言う第一歩なのだから。




 百合絵は、彼と一緒に両親に頭を下げている間、両方の瞳からパタパタとこぼれ落ちる雫をとめることが出来なかった。


 ───ここにいるのは二人じゃない・・・

 それは優吾と百合絵、そしてお腹の中の赤ちゃんのこと。
 だけど、それ以上にその言葉が、百合絵には、

『由比もいる』

 そう聞こえたから───











 やがて、父親は深い溜息を吐き、ソファに深く腰掛けると静かな声で、優吾ではなく百合絵に喋りかけた。


「・・・・・・百合絵さんと言いましたね? 男は孕ませるだけ孕ませて、後は何の苦労もない。
この大馬鹿者がしてしまったことは男性として最低なことです。けれど、あなたはそれを許して、この子と同じ道を歩んでくれるという・・・

私はあなたに謝っても謝りきれないが、出来れば・・・このバカ息子の側に、いてやってはもらえないだろうか」

「・・・・・・え」

「こんな子ですが、それでも私たちにとってはかけがえのない可愛い息子なんです」

「・・・・・・・・・」


 あまりに信じられない言葉に、何も言えず、隣の優吾を見ると彼は嬉しそうに笑っている。


『ほらね、言ったとおりでしょ』

 って顔して。








 それから、

 夕飯も御馳走になって、今後の事などの大まかなことを話し合った。

 結婚といっても、式は挙げないこと。
 二人で住む準備を始めること。
 優吾の誕生日がきて18歳になっても、彼が卒業してから籍を入れるということ。

 そして、体の負担を減らす為に、仕事は辞めるということ・・・






 その夜、

「今日は泊まっていってください。空いている部屋は沢山ありますから」

 という優吾の父親の言葉で彼の家に泊めてもらうことになった。




「寝るまで僕の部屋で休んでいけば?」
「・・・いいの?」

 男性の部屋というものに入った事がなかったから、何となく遠慮する台詞を吐いてしまったが、それには優吾に苦笑されてしまった。
 
「もちろん。それに今日は大分疲れただろうし、身体の方も心配だからね。一人になるより二人の方がいいと思わない?」


「・・・・・・ありがとう・・・」

 彼の言葉にまた涙がでそうになって、たった一言お礼を言うだけでも声が震えてしまった。





 そして、優吾の部屋に入ると、彼の弟の怜二くんが遊んでいて、部屋中おもちゃだらけにされていた。
 まだ3歳と言うけれど、随分と整った顔をして、やっぱり優吾の弟だと思わせるものをもっている。

「怜クン〜、スゴイねぇ、お部屋がおもちゃの家になってる」
「ゆ〜にぃ、だっこ〜」

 嬉しそうに優吾に抱きつき、彼も自然に抱き上げる姿は慣れたもので、若すぎるけれど、パパって呼ばれても決しておかしくはないと思った。

「は〜い、僕のお嫁さんの、百合絵さんだよぉ」
「よろしくね、怜二くん」

 百合絵がにっこりと微笑むと、怜二は満面の笑みで、手に持っていた車のおもちゃを彼女に渡した。

「くれるんだって、怜クンてば百合絵さんのこと気に入ったってさ」
「まぁ、ありがとう」

 その後、二人は怜二の遊びにつき合い、しかし、気がつくといつの間にか怜二はすやすやと気持ちよさそうに百合絵の膝の上で眠ってしまった。
 優吾はそれにも慣れた動作で、起こさないように抱っこをして、部屋を出ていくとすぐに戻ってきた。
 どうやら怜二を別の部屋に寝かせてきたみたいだった。




 ───どうしてだろう?

 彼には、どうしてこんなにも人を幸せにする力があるんだろう?
 本当に赤ちゃんが産まれてきてからの幸せが思い描けるよう・・・


「いつもこうなの?」
「賑やかでいいでしょう」
「そうね、凄いわ、驚いちゃった」
「?」
「遊ばせるのが上手なんだもの」
「怜クンは、この家で僕に一番懐いてるんだ」
「・・・あら? そう言えば、一つ上にお兄さんいたわよね? 彼を見かけなかったけれど・・・」
「秀一くん? 大学の寮に入ってるからいないよ」
「そうなの」


 何だか彼と話していると、家族っていいなって思ってしまう。
 私には、多恵さんだけだったけれど、記憶をなくす前には彼のように家族がちゃんと存在したのかもしれない。

 少しだけ寂しい気持ちになっていると、優吾が立ち上がって突然服を脱ぎはじめた。

「なっ、・・・なに、をしてる、の?」

 しどろもどろになって聞くと、彼はにっこり笑って、

「お風呂入るの。百合絵さんも行って来なよ」
「・・・行って来なよって・・・? 一緒に、入るの?」
「ん〜? 一緒に入るの? でも、お風呂2つあるし・・・」
「・・・っ!? そっ、そう言うことっ、や、やだ私ったら・・・っ」

 百合絵は真っ赤になりながら、場所を教えてもらい、お風呂に直行した。
 自分の思考が恥ずかしくてたまらなかった。

 けれど、湯船に浸かり、落ち着いてくると、今日起きた出来事が一つ一つ鮮明に思い出されていく。

 彼は百合絵には何も言わなかったけれど、お腹の子が自分の子だと言った。

 全部を守ると言った・・・


 それは、何度思い出しても涙が出てくるくらいすごいこと。







後編へ続く

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