3月、優吾は高校を卒業した。
その足で市役所に行って、婚姻届を出しに行き、二人は本当の夫婦になった。
彼はこれから、大学に通いながら父親の仕事を手伝っていくのだという。
それは、兄の秀一もそうだった事から、飯島家では当然のことのようだった。
「ねぇ優吾」
「ん?」
「この子の名前、優吾がつけてね」
百合絵が告げると、優吾はポカンとした顔をする。
それが可笑しくて思わず噴き出してしまった。
「・・・・・・いいの?」
「あなたにつけて欲しいの」
「・・・ん、・・・そっか」
彼は少し考えるような顔をして、やがてすぐに何かを思いついたかのように大きく頷いた。
「決まった」
「えっ!? もうっ!?」
「ウン、最高の名前思いついちゃった」
あまりにも早い結論にとても不安になってしまう。
一体どんな名前を考えたんだろう。
「どんなの?」
「う〜ん、それはねぇ、・・・・・・ひみつにしとく」
「えぇ〜〜!?」
「産まれたときに、この子に一番に教えてあげるの」
・・・・・・
私、今かなりこの子に嫉妬したかもしれない・・・・・・
百合絵が膨れている横で、優吾はニコニコした顔で何度も頷いている。
よっぽどその名前が気に入ったみたいだった。
百合絵のお腹はもう既にかなり大きくなっていた。
出産予定日まであと数日となれば当然のことだが。
それにしても、お腹の中の赤ん坊はどうも元気すぎるようで、よく動く。
百合絵は絶対に男の子だと言い張るのだが、優吾は絶対に女の子だと言って、二人とも譲らなかった。
あまりにも女の子にこだわるものだから、一度冗談半分で言ってみたことがあった。
「女の子が産まれたら、その子を優吾のお嫁さんにするつもりでしょ」
彼は、驚いた顔をして、でも次に嬉しそうに笑って、
「あははっ、それもいいなぁ」
って。
冗談にしてもちっとも笑えないわ。
どんどん彼の中でこの子の存在が大きくなって、その度に、彼は父親になる準備が着々と出来ているようだった。
だが、百合絵は、このまま彼に全てを背負わせたまま子供を産むことに引っかかりがあった。
彼の両親も、百合絵の事を完全に信じ切って、本当に何もかも彼女のいいようにしてくれる。
それが、とても辛いのだ。
こんなに、何もかも与えられた幸せはあまりにも居心地が良すぎて、逆に不安になる。
自分には過ぎたものだ、と・・・・・・
▽ ▽ ▽ ▽
翌日、百合絵は大きなお腹を抱えながら、気がつくと優吾の実家の前に立っていた。
真実を打ち明けようというところまで踏み切ってはいないけれど、何となく家でじっとしていることが出来なかった。
百合絵が門前で立ったままでいると、一台の車が彼女の側まで来て停車した。
何だろうと思い、目を向けるとウィンドウが開いてにこやかな笑顔がこちらを見ている。
中に乗っていたのは優吾の母親、明日香だった。
「お義母さん」
「百合絵ちゃん、どうしたの? こんな所で」
「いえ、何となく寄ってみただけなんです」
「そう、じゃあお入りなさい」
優吾とよく似た柔らかい微笑みを浮かべ、明日香は百合絵を家の中に促す。
百合絵は言われるままに飯島邸に入っていき、応接間の大きなソファに腰を掛けた。
程なくして明日香も部屋に入ってきて、百合絵の向かいのソファに嬉しそうに腰を掛けた。
「あぁ、丁度家に用があって帰ってきたのよ。偶然でも良かったわ。・・・でも、今日はどうしたの? そんな身重で家でゆっくりしてた方がいいんじゃない? それとも何かあったのかしら?」
矢継ぎ早に質問され、心から心配されているのが嬉しくもあり、自分はこの人を騙しているのだと思うと心も痛む。
だけど・・・・・・
「何もありません。・・・ただ・・・・・・」
「ただ?」
「・・・・・・・・・お義母さんとお話がしたくなって」
「そう」
ふわり、と微笑んだその顔はやっぱり優吾の笑顔と重なり、胸が苦しくなった。
「優吾さんって、お義母さん似ですね」
「え? ふふっ、そうね。顔は浩介さんに似てるけど、性格はどちらかと言えば私の方かしら」
そう言った明日香は少し嬉しそうで、何かを思い浮かべているのか、懐かしそうに目を細める。
「優吾は・・・親の私が言うのも変だけど、不思議と幼い頃から誰からも愛される存在で・・・いつも周りに輪が出来ていた。
お世辞にも子供の面倒を見たなんて言えない私たち夫婦の間で、あの子のあの性格っていうのは、環境よりも天性のものだと思えて仕方がないの」
にっこり頷く明日香を見て、百合絵は幼い頃の優吾を想像してみた。
それは今と同じように彼が笑っている姿ばかりで、それ以外なんてとても考えられない。
「・・・私も、今は怜二が小さいし、本当はもうちょっと家にいたいんだけど」
「お義母さんはどうして仕事を続けているんですか? やっぱりやり甲斐のある仕事だから・・・」
それには明日香は苦笑しながら首を横に振る。
「そうじゃないの。私にはもう1人、大きな子供がいるから」
「え?」
「浩介さん、私が側にいないとさがすのよ。秘書は置かないって言い張るし、そうなると彼の周りの世話は私がするしかないでしょう?」
百合絵は、あの義父が・・・と驚きの思いで一杯だった。
同時にそうやっていつまでも明日香を想える浩介に対して、素敵だな、と憧れの念を抱く。
明日香や周囲の人間にとっては大変だろうが、こうやって浩介のことを話す彼女の表情はやわらかく、二人は今でも同じ気持ちを持ち続けているのだと言うことが伝わってくる。
「お義母さんは、どうしてお義父さんと結婚したんですか?」
「・・・そうねぇ、どうしてかしら? ・・・でも、・・・私が側にいないと、この人生きていけないんじゃないかって思っちゃったのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
そう言い切れる明日香がとても綺麗だと思った。
優吾もそうだと思う。
きっと、由比と多恵さんを亡くして、絶望に打ちひしがれている私を見てそう思ったんだと思う。
「百合絵ちゃんは? どうして優吾と結婚しようと思ったの?」
「・・・え?」
どうして・・・
どうしてだろう。
この子を守るために彼を犠牲にすると分かっていたのに。
───だけど、
彼は、好きとか、嫌いとか、そんな次元ではなくて・・・
「・・・私、優吾さんといると、とても幸せなんです」
そう。
今思えば、
一緒にいたいと思ったのは、最初から私の方だったんだと思う───
最終話後編へ続く
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