『あなたの鼓動が聞こえる』

○第3話○ 葛藤と冒険(前編)







 目が覚めると、亜利沙がベッドの側に椅子を持ってきて座り、こちらをじっと見つめていた。
 天井が自分の家のものではない。
 辺りを見回すと、部屋全体が白い印象。どうやら自分は病院に運ばれたようだった。

「お姉さま・・・」
「・・・いつもの発作よ。しばらく安静にですって」

 事務的にそれだけの事を話すと、それっきり黙り込み、ぴりぴりとした空気が張り巡らされる。やはり、姉はもう自分には微笑んでくれないのだと思うと、悲しくなった。

 だが、その沈黙を破ったのは亜利沙の方だった。

「不便な身体よね・・・手術も出来ないなんて・・・・・・そうやって、いつも皆に心配かけて一生過ごすんだわ・・・」


 返す言葉もない。

 そう、その通り、自分は一人では生きていけない。
 なんて呪われた身だろうか。

 百合絵が瞳を曇らせると、亜利沙は俯き、唇を震わせた。

「それでも、私は・・・百合絵がいつも羨ましかった。あなたの周りには、いつも人が集まって、私が転んで血を流しても百合絵がすりむいた時の方が、周りの反応が大きかった。いつもいつも、両親も、使用人も、薫までも、あなただけを見ている。私は、とても惨めだわ」

 ポロポロと大粒の涙を流して自分を見つめる亜利沙。
 信じられない言葉だった。

 自分のことを惨めだなどと・・・

 百合絵の方こそ、亜利沙が羨ましくて仕方がなかったというのに。
 華やかで、美しくて、何を言っても嫌みにならない亜利沙。
 そして何より、健康で輝くような肉体は自分が欲しくて仕方のないもの・・・

「薫だけは・・・違うと思ってた。なのに・・・あの人もやっぱり百合絵なんだわ、もう死んでしまいたい」

 泣き崩れる亜利沙。
 こんなにも美しい彼女を、どうして愛さないのか不思議でならない。
 どうして自分なのか?

 打ちのめされて泣いている亜利沙を見ているのに言葉がでてこない。
 抱きしめて、あなたは沢山のものをもっていると言ってあげたいのに。

 身体を動かすことも苦痛を感じる、忌々しい自分の肉体。
 しかし、このまま泣き続ける姉など、見ていたくはなかった。
 大好きな、大好きな姉。

「・・・泣かない、で・・・ちゃんと、私、お姉さま・・・幸せに・・・」

 か細い声で一生懸命発した言葉。
 けれど、本当はもっと多くの事をちゃんと言いたかった。
 亜利沙はよく分からないといったような表情で、百合絵を見つめる。

 余りにも儚い百合絵の微笑み。

 それを見て亜利沙は、背筋をゾクリと震わせた。


「駄目っ駄目よ!! そんなこと、私が許さないわっ!! 百合絵、気を確かに持ってっ、死んだらイヤっ!!!」

 こんなにも綺麗な姉が、自分を心配して泣いている。
 まだ、自分の事を思ってくれている・・・

「いやぁ、さっき言った言葉取り消すわっ、羨ましいなんてっ こんなに苦しんでいるのに私ったら、百合絵っ 駄目よ、笑って、いつものようにお願い!!」

 亜利沙の叫びに、部屋の外で待機していたフミが中へ入ってくる。
 目を閉じて動かない百合絵を見て、一瞬イヤな汗をかいたが、やがて規則正しい寝息を立て始めたので、ホッと息をつき、亜利沙を部屋の外へ連れ出した。


「大丈夫ですよ、亜利沙さま。百合絵さまは、皆を残して逝ったりなどしません。身体は弱いけれど、芯の強い御方です」

「・・・フミ、お願い、百合絵の側にずっとついていて、私じゃ取り乱してしまう。こんな時お父様もお母様も外出していて。頼る人がいないの・・・私、苦しそうな顔は見ていられないわ・・・っ」

「大丈夫、大丈夫。そんなに綺麗なお顔を涙で濡らして・・・フミがついていますから安心してくださいな」



 全く、表で見せる亜利沙の華やかな顔と、裏でこうして幼子のように泣きじゃくる亜利沙と何と違うことか・・・

 百合絵の発作は見ている方まで顔を顰めたくなるほど苦しそうだが、本人は決して涙は見せない。

 だが、

 その一方で亜利沙は百合絵の発作の時、母親と共にいつも取り乱すのだ。
 決して本人の前ではそんな様子は見せなかったが、裏では泣きながら医者にすがりついて百合絵を助けてと懇願する様子は何度見ても涙をさそった。

 その度に、フミは思うのだった。

 本当に強いのは、百合絵の方だと・・・・・・






▽  ▽  ▽  ▽


 百合絵の容態は、一時、緊迫したものとなった。
 絶対安静の日々が暫く続き、入院は長期のものになるだろうと予想された程に。


 しかし、1月後、久々に家に戻ってきた彼女は血色も良く、誰をも安心させた。
 学校へも前よりも行けるようになり、湯河家は笑い声に包まれ、誰もがこのまま時が過ぎていくのだと思っていた。


 時折寂しそうな顔をした百合絵を見かけることを除いては───







 彼女は、家の近くの並木道を散歩しながら1人考える日々が続いていた。

 ここは、春になると桜の花が満開で、その様子を毎年眺めながら歩くのがとても大好きな場所。
 百合絵は、幼い頃から何かがある度に桜の木に語りかけるようにこの場所を訪れた。






 私も、あと半年もすれば高校を卒業する。

 そうしたら、結婚するのだわ・・・


 そう思うと、何か寂しい気持ちになる。
 いつか、伊勢を好きになることが出来たら、それでいいとは思うのだが、それで本当にいいのかと思ってしまう自分もいる。
 自分に激しく気持ちをぶつけてきた薫。
 こんな中途半端な気持ちで結婚をするのは、彼に対してとても失礼な気がする。


 あれから、薫は自分に求婚してくることはなくなった。
 発作を見たのが余程ショックだったのだろう。
 それに責任も感じているようで、会うたびに心配そうな顔をされて少しばかり寂しい気持ちがした。


 いつか、伊勢にもあの姿を見せる時がくる筈だ。
 その時、彼はどうするだろう?


 やはり、自分は結婚など出来る人間ではないのかもしれない。




「あなたはどう思う?」


 悲しそうに微笑んで瞳を揺らし、目の前の木を抱きしめ、耳を澄ます。
 返ってくるはずのない答えを待つように、彼女はいつまでもその場を離れなかった。



 百合絵は、少し疲れ始めていた。






後編へ続く

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