死の宣告を受けたのは、高校1年の秋頃だった。
「由比くんの病気は・・・もう、現在の医学では治すことが出来ません」
両親はそんな言葉だけで納得するはずもなく、医者に縋り付くように懇願していた。
「・・・そんなっ、お願いしますっ、・・・なら少しでも、せめて、一日でもいいですから、長く生かしてやってください、あんまりですっ、まだあの子は16歳になったばかりなのに・・・っ! この病院を選んだのだって最新の医療が受けられるって聞いたからなんですよっ!?」
「・・・・・・努力はしますが・・・それでも、あと1年もつかどうか・・・・・・」
「・・・1年・・・・っ」
そう小さく呟いた母親は、その場で気を失った。
───この病院を選んだのは確かに両親の言うとおり、最新の医療が受けられるという話を聞いたからだった。
その為に住む場所まで変え、今の家に引っ越したのはオレが小学校高学年にあがったばかりの頃。
そして。
命の期限を知ったのは、両親と医師の会話を偶然聞いてしまった時だった。
親は、オレにはたいした病気じゃないとずっと言い続けてきた。
バカ正直だった当時のオレは、常時体調が優れないのものの、それを真に受け、病気に関して深く考えることはなかった。
あの時までのオレはバカみたいに楽観視してたんだよ。
『いつか』元気になれるって。
何言ってるんだ、何信じてるんだ?
───『いつか』って、『いつ』だよ・・・!?
でも、
心の奥底で、少しだけ納得している自分がいたのも確かだった。
なるほど、と思う程、この身体は言うことを聞いてくれなかったから・・・
だけど、
1年?
1年で一体どれだけのことが出来るって言うんだ?
大体、オレは、本当に死ぬのか?
信じられない。
まだこの心臓は動き続けていて、身体だって細いけれど調子が良ければ多少は走ることだって出来るじゃないか。
表面上はとても静かだったが、内面ではどす黒い炎が由比の心を焼き尽くす。
このまま何もしないで死んでいくのか?
オレは、まだ何一つ生きたという証を手に入れていない。
いやだ、
まだオレは死ねない・・・っ
死と隣り合わせの恐怖に藻掻き苦しむ毎日。
由比のそんな苦しみに最初に気がついたのは、親友の飯島優吾だった。
小学生からのつき合いの彼は、由比の些細な変化にも敏感に察知し、尋常ではない彼の心の内を知ろうと頻繁に問いかけるようになった。
「ねぇ、由比、何か、悩みでもあるんじゃないの? 僕に言えないこと?」
「・・・・・・うるさいっ」
「うるさくたっていいよっ、由比が言ってくれるまで騒ぎ続けるんだからっ!!」
まるで自分のことのように辛そうな顔をして、一体コイツはどこまでお人好しなんだと思う。
「おまえに言ったって何も解決なんかしない」
「由比っ!! それは違うよっ、苦しみは話すことで分け合えるんだよっ」
「・・・・・・」
「ねぇ、由比!!」
肩を掴み、本気で怒ったような顔をして・・・
話すことで分け合える?
そんな事で分け合えるんだったらとっくにしてる。
「・・・・・・・・・ねぇ、由比・・・」
何でそんな顔するんだよ。
心が弱くなるじゃないか・・・
頼ってしまいたくなるじゃないか・・・
・・・・・・わかってるよ。
おまえなら、何を話しても最後まで受け止めてくれる。
そんな確信はある。
そして、そうすることで少しは楽になれるだろう。
『優吾』とはオレにとってそういうヤツだったから。
「・・・・・・オレ・・・」
「うん」
「あと1年で・・・・・・・・・死ぬって」
自分に対しての皮肉な笑いを讃え、俯く。
口に出したって実感なんて湧かない。
「そんな・・・どうして・・・っ」
「オレの方が聞きたい。冗談じゃないっ、こんな女みたいに色が白くて、腕や足だって同じ年のヤツらよりずっと細い・・・こんな格好悪い事この上ない身体にも我慢しなきゃならないのに、その上どうして死ぬことまで我慢しなくちゃならない!?」
「・・・由比は格好悪くないよっ、どうしてそんな風に言うの!?」
「学校のヤツら、オレのこと何て言うか知ってるか!? 女みたいだって!!」
「違うよそれは! 女の人みたいにキレイだって誉めてるんだよ、みんな由比と仲良くしたいって・・・」
「イヤだね! 女・・・!? 背筋が凍るよっ、そんなこと言われて喜ぶヤツがどこにいるんだ、そんなのは男じゃない!!!」
ゼイゼイと荒い息を吐きながら、苦しそうに眉を寄せ、ずるずると床に座り込む。
そんな彼の姿を優吾は泣きそうな顔で見ていた。
「高校生のオレは・・・もっとずっと強くて・・・逞しくてさ・・・」
「・・・由比」
「・・・そう・・・・・・なれる筈だったんだよ・・・・・・っ」
こんなのは違う。
オレじゃない。
オレの描いていたオレじゃないのに・・・っ
例えば、好きな人を守れるような男になりたかったんだ・・・
あの人を・・・・・・・・・
▽ ▽ ▽ ▽
由比には憧れではすまないほどに想いを寄せている女性がいた。
保健室のマドンナと言われ、やわらかな微笑みを讃えた美しい女性。
名は、本郷百合絵といった。
体が弱く、保健室の常連と化していた由比には、彼女と接する機会が極めて多かったが、百合絵の周りにはいつも誰かがいて、まるで手の届かないような遠い存在。
大勢の中の生徒の1人に過ぎないことが、何よりの苛立ち。
だが、由比が彼女と出会ったのは、もっとずっと幼い頃で。
彼ににとっては何より特別な存在なのに、彼女にとってはそうではない。
それがどうしようもなく苦しい。
このまま、彼女に触れることすら出来ず、オレは死んでいくのか?
そう思うと、全身が総毛立ち、他の男に彼女をもって行かれるくらいなら、無理矢理にでも思いを遂げてやろうという危険な思考に囚われる。
その思いは留まることを知らず、日に日に彼女が欲しいという欲望が全身に駆けめぐり、限界を超えていく。
勿論、危険な行動をすべきではないと、何度も何度も、彼女に自分の気持ちを伝えようと試みた。
しかし、いざ彼女を目の前にすると何も出来なくて、曖昧なまま時間が流れていくだけ。
苛立ちと焦りと、絶望と───
残された時間の少なさは、彼を日に日に追いつめていった。
▽ ▽ ▽ ▽
その日の朝も、調子が悪く、優吾に抱えられて保健室のベッドで休んでいた。
少し横になっていたらやや体調が落ち着いてきて、これなら授業に出ることも可能だろうと一人考えていた。
と、
人の気配がして、ふと目を開けると、百合絵がベッドの側まで来ていて優しく由比に話しかける。
「日向くん、お熱測りましょう」
「・・・ん、だいじょぶ、随分良くなった」
「一応ね」
彼に笑いかけながら、体温計を由比の脇に差し込む。
由比はこの瞬間がいつも恐かった。
熱を測るとき、彼女自身が生徒の服を少し脱がして、脇に体温計を差し込んでくれるものだから、彼女の柔らかい手が自分の素肌に触れた衝動で何かをしてしまいそうになる。
今この瞬間も、彼女の手が直接自分の肌に触れ、その感触にどうかなってしまいそうだった。
だから、
この日、いつもと同じではなかったとすれば、ただ一つ・・・
由比が『今だ』、と思ったこと。
しかし、思うままの告白は、彼女の『考えたこともなかった』とでも言うような驚きの表情で呆気ない失恋を知った。
だが、哀しみに暮れる間もなく、由比の中の押さえ込んでいたものが流れだし、残酷な感情が沸き上がる。
それがなんだというんだ?
ここでやめるわけにはいかない、これで最後にするわけにはいかない。
オレが生き続ける限り、
彼女の細胞一つ一つ、
心の一欠片残さず全てを奪いつくし、
自分だけの百合絵にするまでは。
焼け付くような激しい心と、その一方で彼女を気遣う心と相まってグチャグチャになる。
悲鳴をあげ、泣き叫ぶ彼女を見て、心が痛む。
なのに、やめようという気分には到底なれない。
やめるものか、おまえはオレのものだ。
自分の中の闇が叫んでいる。
好きで好きでたまらない、
誰にも渡せない、
オレのもの、
オレの百合絵。
オレはとうに狂ってる。
狂ってる狂ってる、こんなことをして。
だけど、
この気持ちのかわりになれるものなんて見つからない───
「ねぇ、オレの名前、呼んで・・・」
気がつくと、こんな状況で、どう考えても呼んでもらえる筈のない、バカバカしい願いを口にしていた。
それでも、ずっとずっと願わずにはいられなかった。
この口で名前を呼ばれたらどれだけ幸せだろうと。
「・・・・・・・・・・・・ゆ、・・・い・・・・・・由比・・・・・・」
・・・・・・・・・え?
一瞬、
何が起きたか分からなくて、息を吸うのも忘れた。
だけど、
おずおずと動いた唇の形も、
その形通りに発せられた言葉も・・・
確かに願っていた通りのもの。
「・・・・・・・・・っ・・・」
自制など出来るはずがない。
彼女を組み伏せた瞬間からそんなものは欠片も無かったけれど。
だから、激流に流されるままに百合絵を自分のものにするだけだった。
そして、そんな由比の行動にも殆ど抵抗なく受け入れる百合絵。
嫌がっているようにはとても見えない。
どうして? こんなに酷いことをしているのに?
どうして・・・?
───この一件から、
由比の行動は歯止めが利かなくなり、その後も頻繁に保健室に訪れては、まるで陵辱のような行為を重ねていった。
口では強いことも言えた。
なかなか心を許さない彼女を組み伏せ、せめて身体だけでも手に入れるために。
内心では、そんな自分自身を激しく嫌悪していたけれど。
それでも、こんな事をしているのに、反応してくれる百合絵を見て次第に期待が膨らんでいく。
その顔が、声が、腕が、・・・もしかしたら、なんて。
───だから、
「・・・由比が・・・す・・・き・・・・・・っ・・・」
そんな少女みたいな告白に、『そんなの知ってたよ』などと、当たり前のように思っている自分がいた。
何て自惚れてるんだって可笑しくなるくらい。
そして、オレの中でもう一つの感情が芽生えはじめる。
やっと生きている証を見つけた。
そう思うのと同じくらいの、
恐怖が。
手に入れる前は、そんなこと頭の中を掠りもしなかった。
百合絵の心も体も欲しくて仕方なかったけれど、その後の事なんて考えなかった。
こんな感情が産まれるなんて、知らなかったんだ。
だって・・・・・・
オレは、百合絵を置いていかなければならない・・・・・・
中編へつづく
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