○第3話○ 芽生えた恋(その3)







 肩を抱いているまりえの表情は強張り、その肩も緊張していた。
 それは、喫茶店に入り、目の前にコーヒーが置かれても変わりはなかった。
 怜二は自分を見ようとしない彼女に悲しくなった。


「まりえさん、オレコワイ?」

 その言葉にハッとして、まりえは更に目線を落とした。

「・・・・・・ねぇ」
「・・・なあに?」
「さっきの怜二がホントの怜二? 今までの怜二は作ってたの?」
「意味わかんない。どれもオレだよ」
「私に見せた瞳とか、あれは私を安心させるためのモノ?」
「まりえさん、言ってる意味わかんないってば」
「喋り方は変わらないし、声だけ聞いていればいつも通りだった・・・・・・だけど、恐かった・・・・・・・・・スゴク・・・怜二が恐いと思った、あれが自分に向けられているものじゃないと分かってるのに・・・・・・とてもイヤだったの」

 怜二は腕を伸ばし、まりえのややウェーブがかった長い髪を一束つかみ、指に絡めた。
 思わず体を強張らせてしまう。

「まりえさん、オレを見てよ」

 その声はもの凄く甘ったるくて優しく胸に響いた。
 先ほどとは余りにも違う怜二に戸惑いつつも、ゆっくりと視線をあげる。

 その目は、どこまでも優しくてまるで別人のようだ。

「オレコワイ?」

 何をしたというわけでもなかった。
 殴り合ったり、凶器を使ったりしたわけじゃない。ただ、怜二そのものが怖かった。
 怜二自体が何よりも危険な凶器のように感じた。

 コワイ・・・
 でも、今は、コワクない。わからない。

「どんなオレでもオレはオレだよ、作ってない。少なくともまりえさんの前では」

「・・・・・・」

「オレのこと、こわがらないで・・・まりえさんにそんな目で見られたら悲しい・・・」

 怜二はこのまま放っておいたら本当に泣き出すんじゃないかってくらいに情けない顔をしてる。

 どうしてそんなに無防備な顔ができるの?
 どうしてそんなに真っ直ぐぶつかってこれるの?

 本当に怜二が怖いと思った。

 あんな目をするこの男は危険だと脳が警告した。

 だけど、どうしてなんだろう?

 あんなのを見た後でも、それでもどうしようもなく惹かれるのは何故なんだろう。
 今自分を見ている瞳は間違いなく本物で、苦しくなる。
 ここ数週間、自分は洋介のことなど少しも考えていなかった。考えていたのは・・・・・・

 まりえはそこでやっと怜二から視線を外して、何とはなしに目の前のコーヒーを見つめた。


「怜二、私のおばあ様がフランス人だって事知ってたね」
「・・・・・・うん」
「私の事、どこまで知ってるの?」

 怜二は少し躊躇った目をしたが、正直に話し始める。

「書類上で調べられることは殆ど知ってる、と思う・・・・・・だけど、この8年間、どんな時もまりえさんを見てきたつもりだったのに、まりえさんのこと、ホントに知ってるのか知らないのか分からなくなっちゃった・・・・・・この前だって泣かせちゃったし・・・今日だって・・・オレは感情を隠すのがこんなに下手だとは思わなかった。まりえさんといるといつも自分が全部外に出てくるんだ」



 実を言うと彼自身、この数週間の自分は戸惑いの連続だった。

 普段の彼はいつも笑っている。

 ただし、作り物の笑い。
 笑っているだけで大抵の物事は自分の思うとおりになったし、誰もそれが心からのものではないと気づかなかったから。
 今までそれで十分に人を欺くことが可能だった。
 本当は笑った顔の後ろにいる冷酷な自分を知っている。
 だけど、まりえの前ではそれが出来ない。しようとも思わない。
 知らない自分がどんどん出てくる。


「怜二はさ、ずっと私の表面だけ見てきただけ。ちゃんと接して初めて人のこと分かってあげられるんだよ・・・ただそれでも分からないときだってあるけど、そんな時は分かるまで話せばいいんだと思うし・・・・・・」

 前の時はそれをしなかったから分からないままだったんだ。
 もう二度と繰り返しちゃいけない・・・
 まりえは、ゆっくり息を吐いて真っ直ぐ怜二を見つめた。

「だから・・・今度はちゃんと本当の私を見て、怜二が思い描いている私じゃなくて」

「ごめんなさい」

「今は謝って欲しいんじゃないの、分かって欲しいだけ」
「・・・うん」
「私も怜二を見ていくから」
「ホント?」

 怜二も去っていくかもしれない・・・そんな思いは消えない。
 だけど、このままじゃ前に進めない。

「洋介じゃなくて、怜二を見ていくから」

 その言葉に怜二は目を見開き唇が僅かに震える。


「・・・・・・そ、それ・・・オレのこと好きになってくれたってコト・・・?」

 まりえは少し首を傾げ微笑んだ。

「そうみたい」

 すると、テーブルがガタガタと僅かに揺れだす。
 なんだろう、と不思議に思っていると

「だ、だめだッ」


「・・・は?」

 彼が何を言っているのかよくわからない。

 不意に怜二の両腕が伸びてきてまりえの肩を掴んだ。

 え?
 震えてる?

 どうやらテーブルの揺れの原因は怜二だったらしく、彼の腕がテーブルから離れた今は揺れていない。


「ちゃんと、言って・・・ッ!」

「・・・・・・な、なに・・・を?」

 怜二の目は限界まで見開かれ充血している。
 これはこれでさっきの意味とは別にコワイ・・・

「ちゃんと、好きって言って!!!」

 掴まれた肩が痛い。
 怜二の腕が振るえているせいで、端から見ればまりえの体が震えているように見える。
 実際、そんな二人の様子はかなり目立っていて、周囲の人間がちらちらと様子を窺っている。

「う、うん」
「早く」

「す、好き。怜二が、好きよ」

 彼は、それを聞くと手の力をゆっくりと抜いていき、大人しく椅子に座り直す。
 しばらくすると、深呼吸を始めその後何事もなかったように水を飲み始めた。

 なんなんだろう、人に告白させておいて・・・
 時々行動が理解できないのよね・・・・・・






「今一瞬花畑が見えた気がした」

「はぁ?」

「まりえさん、オレもね、まりえさんのコトあいしてる」

 とろけそうな笑顔に、一瞬で火を噴きそうなくらい顔が熱くなった。

 『あいしてる』なんて・・・・・・前の彼にも言われたこと無かったかもしれない・・・
 『好き』だって、数えるほどしか・・・

「あの、さ。まりえさん、オレ訂正しなきゃ、アイツに言ったこと」

 怜二はバツの悪そうな顔をしてまりえを窺う。

「アイツ? ・・・洋介のこと?」

「ン、・・・・・・まりえさん独身だから誰を好きになっても縛る権利ないって言っちゃったけど・・・ホントは分かるんだ、アイツの気持ち。
オレだってまりえさんを縛っておかないと不安でたまらなくなると思うよ・・・アイツと喋ってるのも腹が立つし、いつも兄さんの側にいるのも嫉妬する」

「・・・でもそれは仕事でしょう?」
「・・・・・・・・・分かってる・・・・・・オレ、自分で言っててもハズカシイよ、何てせまい男だって」
「・・・・・・確かに、せまいわね」
「ぐっ・・・・・・・・・」


 だけど、

 本当に相手が好きなら、些細なことでも気になって、不安になるのかもしれない。

 前の彼も、言葉にはしなかったけれど、いつも不安そうだった。
 あまりにいつも不安そうにされるのも、自分の気持ちを疑われているようで悲しくなるかもしれないけれど、口に出して言われることにイヤな気持ちはしなかった。

「まりえさん、外出ようか、行きたいトコあるんだ」
「え? 今から?」

 怜二は立ち上がるとさっさと会計を済ませ、店を出ていく。
 慌てて後に続くと、怜二はまりえの手を掴み無言で歩き続ける。

「怜二? どうしたの? どこ行くの?」
「オレの今住んでるトコ」
「え? 何で怜二の家に・・・?」

「違う違う、オレ今家出てるの」

 なんで高校生で一人暮らし?

 考えてみると自分は怜二のことを殆ど知らない。



「ウチはね、広すぎてイヤなんだ。あんなに広いくせにみんな忙しくて殆ど帰ってこないしね」

「・・・・・・」

 その気持ちって、分かるかも。
 ウチだって両親が忙しくて幼いときから殆ど遊んでもらった記憶がない・・・
 今だって、会社の都合で二人してニューヨークに行っちゃってる。
 ただ、私には弟がいたから、その面倒を見たりで寂しさは随分和らいでたけど・・・・

「だから、もっぱらホテル住まい。この前まりえさん連れ込んだトコだよ」
「えッ」

 あそこに住んでるの?
 ・・・確かにホテルなら食事の心配しなくてもいいけど・・・

 ああ、あのホテルは飯島グループの系列だったっけ。

 あれ?


 じゃあ、今からそのホテルに行って、何するわけ?

 ・・・・・・まさか・・・・・・・・・
 いや、この子ならありえる・・・・・・・・・気もする・・・・・・

 考え込んでいると、怜二はまりえに顔を向けて”にやん”といやらしい笑いを浮かべる。

「な、なにその笑い」
「べつに〜♪」

 なんだか、もの凄く顔がスケベに見えるわ・・・・・・
 気のせいだといいんだけど


 それにしても、この子何なのよ。余裕ありすぎだわ、初めてだって言ってなかった!?

「ホントに誰ともつき合ったこと無いの?」

 そう言うと怜二は意地悪そうな目を向ける。

「ふぅん、疑うんなら別に良いけど? オレ多分余裕無いからそりゃあ無茶するだろうなぁ」

 ウソだ、絶対余裕ある!!!

「う、疑ってるワケじゃないのよ? ただ怜二って顔だけはいいから!」
「ひっど〜まりえさんオレって顔だけなのぉ!?」
「そっそんなことないけど・・・」
「オレ、まりえさん以外女に見えない病だから」
「・・・何それ!? 変な病名つけないでよ」

 何でこんな恥ずかしいことスラッと言えちゃうの!?
 きっと今の私の顔は誰が見ても真っ赤だと思う。

 すると、怜二はいきなりまじめな顔をして、握っている手に力を込めた。


「他のヤツのコトなんか考えないでオレだけのこと考えて」

「え? ・・・うん」

「わかってる? 過去のどんなヤツのコトも考えたらダメだ」


 ・・・・・・・・・もしかして、前の彼のことまで知ってるの?


 どうして?


 どうして私なの?







その4へ続く


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