○第3話○ 置き去りにされた心 まりえは、部屋の中に閉じこもり、ベッドの中でうずくまっていた。 余りにも急すぎる話の展開。 あの後両親は、怜二の真剣な様子と、将来性を見込んで、あろうことか快諾してしまったのだ。 それからは、もっと展開が早かった。 式はいつ頃にしようだとか、孫の顔はいつ見られるのだろうとか。とりあえず、怜二の両親にも挨拶に行かなければならないだとか・・・・・・それはもう嬉しそうに。 その間、まりえは一言も言葉を発することが出来なかった。 「彼が大学生なの、みんな忘れてるんじゃないの!?」 枕に顔を押しあてて呟く。 本当に、何でこんな事が許されるのか全く理解できない。 それに、帰るときの怜二の満面の笑みったら。 私・・・わからないよ・・・ 結婚って、二人の意志によって決まっていくものなんじゃないの? あんな風に、無理矢理結婚に話を持っていって、話し合いもなく両親に挨拶に来たりして、私の気持ちは置いて行かれたままだよ? どうしてそんなに結婚に焦るの? 怜二はまだ学生でしょう? 卒業してからでも十分じゃない。 「まりえ、入っていい?」 ノックの音がして、ドアの向こうからは、あおいの声がした。 まりえは飛び起きて、声の主を部屋に招き入れた。 あおいは暗い表情をしながら、ベッドの端に腰掛け、まりえもその隣に座る。 怜二が『まりえさんを、僕に下さい』と言った後のあおいの様子は地味だったが大変なものだった。 目を見開いた後、全身がプルプルと震え、怜二が帰るまでずっと、もの凄い形相で彼を睨みつけていたのをまりえは知っていた。 あおいは昔から両親には遠慮していた。 それは、殆ど一緒にいたという記憶がないからだと思う。 だから、もし、彼らがいなかったら怜二に掴みかかっていたかもしれない。 それくらいの怒りを現していたのだ。 「あれって、アイツの独断だろう?」 「・・・・・・うん」 「結婚の約束なんてしてないよね?」 それは・・・ ・・・アレを約束と言っていいのだろうか? 「・・・一応、結婚しようとは言われたけど・・・・・・」 「それで? なんて答えたの?」 「答えてない・・・」 だって、なんでも聞いてあげるって言ってしまって・・・ でも、返事なんて出来なかった。 「・・・・・・オレさ、まりえには幸せになってもらいたい。アイツじゃ、やっぱりムリだよ」 「あおい・・・」 「オレ、・・・オレは、泣き顔なんてもう、見たくない」 不意にあおいの手が伸びてきて、まりえの頬に触れる。 彼の表情は、苦しそうだけれど、とても愛しい者をみるように、どこまでも深い眼差しだった。 「・・・ありがと。・・・怜二は好きだけど・・・なんていうか・・・こういう風に話が進むのはやっぱり納得がいかなくて・・・」 「・・・・・・うん・・・」 あおいは急に黙り込み、少し俯いた後、何かを決心したように頷いた。 「オレ、まりえが納得してないなら、何が何でも阻止してやる。それでも、まりえの気持ちを無視して話が進むようなら、二人で逃げよう!」 「え?」 目をキラキラさせて、二人で逃げようなんて、まるで駆け落ちみたいだと思いながらも、そんな風に自分を思ってくれるあおいがとても愛しかった。 「それもステキね」 辛いとき、いつも不思議と心の支えになってくれるのはあおいだった。 6歳も年下なのに、それでも一生懸命守ろうとしてくれる。 私は、この子にどれだけ助けられたかわからない。 ▽ ▽ ▽ ▽ その日は朝から社長に呼ばれていた。 けれど、 ノックをして社長室のドアを開けたとき、社長ともう一人、社長と容姿がよく似た人物がこっちを見ていてとても驚いた。 その人物はまりえが入ってきたのだと分かると、独特の優しい響きを持つ声で彼女を迎え入れた。 「おはようまりえちゃん、久々だね〜」 「あ、専務、おはようございます」 手を振りながらフワリと微笑んだ彼は、秀一の一つ年下の弟で、専務取締役の飯島優吾だ。 誰が見ても幸せになってしまうのではないかと思えるその微笑みは、まりえも例外なく思わず頬を染めてしまうもので、外見も性格も好かれる彼は女性社員の憧れの的だった。 しかし、何故二人がこうして揃っているのかよく分からない。 「あの・・・」 まりえが少々困惑していると、優吾がにっこりと微笑みながら、 「ねぇねぇ、秀一くん、まりえちゃん困ってるよ。早く本題に移らなきゃ〜」 「・・・あぁ、そうだな・・・」 秀一を肘でつつきながら嬉しそうにしている。 たまにこういう光景を目にすることがあるが、その度に、社長を『秀一くん』などと呼んで許される年下の人間は、恐らく世界で彼ただ一人ではないだろうか、と思うまりえだった。 「湯河君、今度の日曜日の予定は?」 「・・・は」 書類を見ている目をこっちに向け、秀一が聞いてくる。 日曜日? 「平気なようなら、うちの両親に挨拶に来て欲しいんだが」 「えっ? もう、そこまで話が進んでいるんですか!?」 「・・・?」 まりえに逆に質問され、秀一は訝しげに彼女を見る。 そして、優吾も何か変だなといったような顔で目をパチパチしながら首を傾げている。 「何か、不満そうな顔だな。怜二とちゃんと話し合った結果じゃないのか?」 「・・・・・・あの・・・」 社長は、鋭い人間だ。 それに、専務だって人の気持ちを察するのがとても上手で。 ウソなどをついてもこの二人には簡単に見破られてしまうに違いない。 でも、納得のいっていないのは当然の話で。 そんな彼女の様子を見て、秀一は少しだけ眉を動かし、口を開いた。 「・・・怜二が昨日両親に会わせたい人がいると言ってきたんだが、相手が君だと分かると、特に父親が激しく動揺してな・・・・・・どうしてだと思う?」 「はぁ、やはり年上ですし・・・知り合う接点があまりないからだと思います」 頷きながらいうまりえを見て秀一は苦笑し、目を伏せ片手に持っていた書類を机に置いた。 「では、父親が君を俺の秘書にしたのは、何故だと思う?」 「しゅ、秀一くん、そんなの言わなくても・・・」 「いいから」 なぜか優吾が慌てた口調で秀一を止めるが、彼はそれを制してまりえに答えを促した。 「それは、祖父と会長が仲がよかったお陰ですわ。私一人の力ではとても社長の秘書になることなど不可能でした。祖父には感謝しています」 まりえは何故そんな質問をするのかよく分からなかったが、事実を有りの儘に述べた。 本当に、目の前の人物と一緒に仕事をする事が出来て、幸せだと思っている。 こんなにも才気溢れ、仕事に対して貪欲な人間など、世の中見渡してもなかなかいないと密かに思っていた。 「それもあるが・・・それなら俺の秘書ではなくても、優吾・・・いや、専務の秘書でもよかった」 「・・・それは・・・」 まりえが優吾を見ると、彼は困ったような顔で彼女に小さく笑いかける。 「優吾には娘がいるが妻はいない。だが、結婚する意志など更々ないからな。俺の秘書にしたのは、君と俺が結婚してくれることを望んでのことだったらしい。湯河財閥との繋がりも一層深まるという下心は見え見えだが」 「・・・まさか」 でも、考えられない事ではなかった。 優吾に娘がいるのは周知の事実だ。 それに、結婚する意志のないことは、父親が持ってくるお見合い話をことごとく断っていることから窺い知れる。 誰か好きな女性がいるからじゃないか、と噂されたこともあったが、彼の娘に対しての溺愛ぶりは尋常ではなく、時々会社に娘が遊びに来るとそれはもう大変な可愛がりようで、仕事が手につかない程な事から、彼が娘以外に目を向けるということは極めて難しいことなのだろうと皆何となく理解している。 だから、優吾の元にまりえが秘書としてついても、恋愛には発展しないだろうと考えたのかもしれない。 まりえの祖父は、湯河財閥の頂点に立つ人間で、自分もその血を受け継いでいるが、彼女の父親は養子で後継者になるのは難しいと言われている。 勿論、祖父の意見ではなく、周囲の考えに過ぎないのだが。 どちらにしても、現在、自分の家が直接財閥の力を持つわけではない。 ただ、飯島グループにとってまりえは、湯河との繋がりを持つことの出来る優良な材料にはなるだろう。 まりえは、自分が目の前の人物の秘書になった理由を初めて認識した。 「結局は俺でも怜二でも父親の意図した通りになるのは変わりないと思うんだが・・・・・・ただ、怜二も父親の真意を理解したらしくて、かなりふてくされていた。それで退くような男じゃないのは君が一番よく分かっているはずだが」 「・・・それは・・・・・・」 「うちの親を認めさせるのに、君なら何の問題も無いと思うが、俺達も手をかそう。安心してくれ」 「・・・・・・・・・・・・」 周りを巻き込み始めている。 その事に愕然となり、結局曖昧に頷くだけで自分が納得していないなどと、とてもじゃないが言えなかった。 だけど、部屋を出るときに専務が直ぐ側まで近寄ってきて、 「ねぇ、・・・怜クンとちゃんと話し合った方がいいよ?」 心配そうにまりえを覗き込む優吾を見て、兄弟なのにどうしてこうも違うのだろうと思ってしまう。 彼にはどうやら分かってしまったようで、そう言ってくれたのがとても嬉しかった。 だが、自分の気持ちが一向についていかない、と言うのは事実で、怜二に対する不満は募るばかりだった。
第4話につづく
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