○第4話○ すれ違い







「あ、まりえさ〜ん」

 廊下を歩いていると、後ろから怜二の陽気な声が聞こえてくる。
 何だか、今は無性に振り返りたくない気分。

 だけど、怜二は私のそんな気持ちにもお構いなしで、隣に来て顔を覗き込んでくる。

「ね、日曜日あいてる?」
「・・・・・・社長から聞いた」
「そっか。じゃあさ、何時頃・・・」
「行かない」

「え?」

 ジロリ、と睨みつけて殊更強調するように言ってやる。

「行かないって言ったの。そんなに結婚したいなら一人ですればいいのよ!」
「・・・えぇ!?」
「今の怜二のやろうとしていることはそれと変わらないでしょう? 私の気持ちなんてどうでもいいんだからっ!!」

「まりえ、さん?」

「私はね、結婚するなら一生ものだと思ってるの! そんな大切な事の第一歩がこれじゃ、怜二となんてやっていけない!」

「・・・・・・オレと結婚するの、イヤなの?」

「ばかっ!!! それ以前の問題よっ!!!」


 相手の気持ちが分からないのなら、この先ふたりで生きていくなんてムリ。
 全部全部知らないところで進んじゃって、これじゃ、昔の怜二と変わらない!


 そこまで言うと、怜二は唇をキュッと噛み締め、まりえの細い手首を掴んだ。

「なにっ」

 そのままぐいぐいと引っ張っていき、『第3会議室』と書かれた部屋へと連れ込まれた。
 部屋の中はしんと静まりかえっていて、当然の事ながら誰もいない。

「ねぇ、仕事中でしょう? 私、もう戻りたいんだけど・・・」
「だめ」
「だめって・・・、ねぇ、この手、離して」
「ヤダ」

 ・・・・・・何を言ってもそういう答えなのね。
 一体こんなトコに連れ込んで、何の話があるというの?

「・・・怜二、私怒ってるの。いい加減にして」

 まりえの強い口調にも怜二は表情一つ変えず、そのまま彼女の体ごと覆い被さるように壁に押しつける。
 焦って抵抗しようとしたときは彼に唇を塞がれていた。
 しかも、両手を壁に押さえつけられ、体も隙間が殆ど無いくらい密着されて全く動きようがない。

 怜二のいきなりの行動に焦りつつも、怒りも沸き起こる。
 唇が離れたら、抗議の言葉を連発してやろうと必死で頭の中でセリフを組み立てていくが、あまりの激しさに、酸素が足りず、思考能力が低下していく。


「ん・・・っ、・・・っふ・・・ん」


 結局、やっとの事で長いキスが終わった時は、怜二の胸にもたれ掛かることしか出来なかった。
 そうでもしないと、立っていられなかったのだ。

「・・・・まりえさんが、欲しいんだ。一刻も早く・・・っ、じゃないと、オレ・・・」
「・・・・・・・・・? どうしてそんなに焦るの? まだ、大学生になったばかりじゃない。卒業してからだって十分でしょう?」

「そんな気の遠くなるような未来なんて、待てない」

 気の遠くなるって・・・

「いつも隣にいて欲しいんだ。いつも温もりを感じていたい。もう、待ちすぎるほどオレは待った、限界だよ」

「・・・・・・」

「どれだけアイシテルって言えば伝わるの? どれだけ抱きしめればいいの? どうしたらオレの隣に一生いてくれる?」

 怜二は、何がそんなに不安なんだろう?
 つき合っているだけじゃ、全く足りないといったその表情。

「式とか、挨拶とかなんて、ホントはどうでもいいんだ。あんなもの形式だから」
「・・・だからって・・・・・・っ」

「まりえさんっ!」

 せっぱ詰まったような声でスーツの上から胸を揉まれ、片手はスカートをまくり上げ、彼女の太股を撫でてくる。

「ちょっ・・・いやっ」

 まさか会社でこういうことをしてくるとは思わなかったから、本気で焦って力一杯抵抗する。けれど、それをものともせずに怜二の手はストッキングの上から彼女の中心を触ってきた。

「やめてっ、怜二っ!! ここをどこだと・・・」
「どこだっていいじゃないっ、本気になればどこだって、道の真ん中だってまりえさんを抱けるんだからっ!!」
「いやよっ!!!」

 だが、彼女の抵抗は益々彼に火をつけてしまうだけらしく、荒々しく唇を塞がれる。その間も彼の手は彼女の身体をまさぐり、思わず身体が反応してしまう。

「んんっ!」


 まりえは、彼がどうしてこんな風になっているのか、全く分からなかった。

 だけど、こんな所で無理矢理されてしまうのは真っ平ごめんだ。いくら身体が反応しようと、イヤなものはイヤなのだ。



 そして、

 彼がストッキングに手をかけた瞬間


 彼女の中の何かがプツリ、と切れた。



 数秒後、

 目の前の怜二が呆然とした顔でまりえを見つめている姿が目に映る。
 彼の唇の端から血液が流れ出ているのを見て、初めて自分が彼に噛みついたと言うことに気がついた。

 しかし、まりえの方も、顔は涙でぐしゃぐしゃ、髪の毛もほつれ、スーツのボタンは飛んでしまい、無惨な状況だった。



「・・・・・・ただ、オレはまりえさんと一緒の時間を手に入れたかっただけなんだ・・・・・・」

 目を伏せ、自己嫌悪するような怜二の顔は、とても辛そうに見えた。
 それは、まりえに目隠しをして両手を縛り、無理矢理押し倒した後の彼の表情と同じで。

 だけど、

「・・・あんなプロポーズ、やっぱりイヤ。こんな風にされるのもイヤッ、何でも自分の好きにしないでッ!」

 凝ったシチュエーションなんて期待しない。
 ただ、あんな形じゃなく、普通に言ってくれたら、私だって嬉しかったのに・・・・・・こんな場所で無理矢理じゃなければ、私だってこんなに抵抗しない。

 どうして怜二にはわからないの?


「怜二、結婚て、一人じゃないよ? 怜二一人の気持ちだけじゃ意味はないんだよ? 二人で歩いていくんだもの」

「・・・ん・・・・・・・・オレ、自分の気持ち、押しつけてるよね・・・」

 怜二は、溜息を吐いて、まりえを抱きしめた。


「ごめんね。オレ、出直してくる」

 そう言ったきり、怜二は体を離し、少し寂しそうにまりえに微笑みかけると、会議室から出ていった。


 静かな部屋に一人残されたまりえは、何だか力が入らず、その場でしゃがみ込んだ。


「なんか、頭の中ごちゃごちゃ・・・・・・」





 ・・・・・・・・・

 あぁ、そうだ

 洋介に相談してみようかな・・・

 ポケットから携帯電話を取りだし、困ったときにいつも頼りにしてしまう、幼なじみに電話をかけた。
 そして、仕事帰りに会う約束を取り付けると、ボタンの飛んでしまったジャケットは脱いで、髪の毛を整えると仕事に戻るべく足早に会議室から出ていった。






▽  ▽  ▽  ▽


「結婚!?」

 洋介の反応は思った通り。
 あらかたの説明をすると、店内に響くくらい素っ頓狂な大きな声で聞き返してきた。

「困ったことに勝手に話が進んでるのよ・・・」
「だけど・・・・・・そんなの黙って見ているワケにもいかないだろう? 大体、あのガキが相手なんだから、まりえだって大変だよなぁ・・・・・・」

「・・・そうなのよねぇ」

 洋介の哀れむような顔に苦笑せざるを得ない。
 ホント、怜二は時々予測できない行動にでるからもの凄く大変なときがある。

 ・・・正に、今がそうなんだけど。

 それにしても、

「ホント、若いってすごいなぁって思っちゃう」
「お前なぁ・・・自分だってまだ若いだろう?」

 洋介が苦笑いしながら呆れたように言う。

「でもねぇ、やっぱり若いと思う。真っ直ぐにドカーンてくるもの」

 ホント、ドカーンって感じよねぇ?
 後先考えてやってるのか、そうでないのか全くわからない。

「怜二まだ大学生なのに、結婚なんて・・・早すぎだと思うんだけどな」
「・・・確かにやることが早いなぁ・・・」
「早過ぎよ、卒業してからだっていいと思わない?」

 洋介は軽く頷いてから、

「アイツの家の方はどうなんだ? 反対とか・・・」


 それを聞いて、思わず溜息がでてしまった。
 怜二の家かぁ・・・
 どうなんだろう?

「反対されるかは分からないけど、会長にとっては、怜二と私って言うのは誤算だったみたい」

「どういうことだ?」

「社長と結婚して欲しいって願望があったみたいなの」


 そういう裏の事情なんて全く知らなかったから、今まで思いつきもしなかった。
 だけど、確かに社長とは毎日のように側で仕事しているし、彼をサポートする職業だから、怜二よりは近い存在だったはずなのよね。
 私だって、最初は怜二のことを社長の弟としか思ってなかったんだし。

「なるほど・・・でも、そんなに直ぐには話が進まないかもな。アイツも出直してくるって言ってるんなら」
「ウン、どう出直すのかさっぱりなんだけど。ただ・・・ちょっと今はまともに会話できそうもないわ」

 洋介は、少し考えるような仕草をしてから、やがて彼女を励ますような口調で喋りだす。

「とにかく、大事なことだし変なわだかまりがあったら後々まで引きずる。落ち着いたら、もっとちゃんと話しあえよ」
「・・・ウン、そうする」

「俺にとっては、ちょっと羨ましい気もするけど」

「え?」

「暴走するくらい相手を好きで、それをなんだかんだ言っても受け止めてくれる存在がいるってこと。俺には、そういう経験ないからなぁ・・・」

 洋介は苦笑しながらそうぼやいて、それきり別の話題で盛り上がり、彼がどんな思いでその言葉を口にしたのかはよくわからなかった。


 でも、久々に彼に会って、話を聞いてもらって良かったと思う。
 少しだけ、気持ちが軽くなったから。


 ただ、

 私、よくわからないの。
 自分が怜二をちゃんと受け止めているのか・・・

 受け止めるって言うのは、彼の望みを全部叶えると言うこと?

 それだったら人形と同じでしょう? 私である必要がどこにあるの?




 わからないのよ・・・・・・

 怜二は、どうしてあんなに不安そうなんだろう?


 どうして、あんなに辛そうなの?


 私、あなたのこと本当に好きなのに、信じてもらえてないみたい・・・







第5話につづく


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