『ラブリィ・ダーリン2』

○最終話○ Dear darling(中編)







「一体今日は何だというんだ?」

 優吾の父、浩介の第一声だった。
 今日の今日で呼び出され、家に帰ってみれば息子達が全員揃い、華までがいる。
 話があるとは言われたが、彼にはその内容までは見当もつかなかった。

「・・・うん、・・・いつかは改まってこういう機会を作らなきゃとは思ってたんだけど」
「何かあったのか?」

 眉根を寄せ、見つめる眼孔は鋭い。
 ここにいる事情を知っている誰もが、優吾の次なる言動に息を呑んでいた。


「ねぇ、華ちゃんのことどう思う?」
「・・・華?」

 突然話題が華に変わり、浩介は優吾から華へと視線を移す。
 ぎこちなく笑う華だったが、彼女に弱い浩介は、それだけで堅い表情を和らげ、やや目尻を下げた。

「カワイイと思わない?」
「そうだな、可愛い」
「だから僕は、華ちゃんと一生二人でいたいと思う」
「・・・一生? ・・・・・・何を言ってる、華はこの先結婚するだろうし、子供も産んで幸せな家庭を築くはずだ。今のようにいつまでも一緒にいられるものでもあるまい」
「でも決めたんだ」
「・・・・何をだ」

「一人の男として、華ちゃんを大切にしていくって」




 ───浩介は、暫しの間沈黙した。
 いや、硬直したと言って良いかもしれない。





 彼は、その少しの後、ようやく我に返り、誤魔化すかのように小さく咳払いをした。
 だが、目を瞑って優吾の言葉を消化しようとしてみたものの、如何せん内容が突飛すぎて、言っていることが全く分からない。
 簡単に言えば、彼の理解の域を超えたということだった。

 そして、浩介の隣に座った優吾の母、明日香もまた、固まったままでいる。



「えっと・・・僕の話してること、わかる?」


 ───返答なし。

 ・・・と、

「・・・冗談でも質が悪すぎるな。大体今日は何なんだ。お前達全員集まるなど、一体どういうつもりだ?」

 どうやら浩介は、質の悪い冗談として捉えようとしているらしい。
 訝しげにぐるりと視線を一周させて全員を見渡し、その顔は不機嫌極まりない。

 だが、緊張が走り、ピンと張り巡らされた空気の最中、優吾だけが普段通りの面もちをしているというのが彼らしいと言えば彼らしかった。


「みんなはとりあえずおいといて。問題は僕と華ちゃん。さっき言ったの聞いてた? 分からなかったのなら、はっきり言うよ」
「・・・・・・」

「僕は華ちゃんを女性として愛してる」


 真っ直ぐな瞳。
 嘘のない、本気の目。


 だが、それは・・・


「馬鹿を言うな、・・・一体・・・何がどうなっているんだ!?」


 ワケが分からない。
 混乱するのは当然の話。

 華が優吾と・・・!?

 二人は親子だ。
 血の繋がりはないが、それでもこんな事があって良いはずがない。
 まるで悪い夢でも見ている気分だ。

「冗談じゃこんな事言えないよ」
「当たり前だっ!!!」
「そうだよ、本気だよ」
「ふざけるなっ、どうしてこんな事が認められる!? お前達は親子だ、例え血が繋がっていなくとも死ぬまでその関係は変わらないっ!」

「・・・・・・」

「それでどうしてお前に華を幸せにしてやる事が出来る!? どうして華なんだ!? どうして優吾なんだ!? ・・・やめてくれ、今なら冗談ですませてやる」

 だが、そんな言葉で気持ちを変えられるのだったら、こうしてここにいるわけがない。
 理解できない浩介との温度差はかなり激しい。
 重い空気が流れ、浩介が苛立たしげに髪の毛を掻き上げる。

 このまま平行線を辿るしか道はないのだろうか・・・



 すると、


「・・・・・・元はと言えばおじいちゃんが悪いんだから」


 今まで黙っていた華が、目に涙をいっぱい溜めて浩介を睨み、呟いたのだった。




「・・・・・・え?」


 ───俺、が・・・!?

 まさか自分が悪いと言われるなど夢にも思わず、浩介はいささか虚をつかれた。


「パパと私の血が繋がってないって教えたのおじいちゃんじゃないっ! パパの事違うふうに見えちゃったのはあれからなんだからっ。・・・ずっとずっと苦しかった、パパはパパなのに、こんなの変だって、異常だって・・・。諦めようなんて、どれだけ考えたかわかんないよっ・・・・・でも出来なかったの、パパが好きで好きで仕方ないの。受け入れられないって分かってても止められなかったの」

「・・・・・・」

「ねぇ、おじいちゃん、私がパパを引きずり込んだんだよ、悪いのは私なんだよ。
・・・・・・だけどね、やっと叶った気持ちなの・・・・・・
取り上げないで・・・・・・私からパパを取り上げないで・・・・・・」


「・・・・・・華・・・」


「幸せだから・・・一緒にいたらそれで幸せだから・・・おねがい」


 泣くまいと震えながら、必死で堪えている。
 そんな姿を目にして浩介は何も言えなくなってしまった。

 優吾は目にいっぱいたまった涙を袖でぬぐい取り、華を自分の胸に抱き寄せた。
 華はその温もりで気持ちが溢れ出して、堪えていた涙が堰を切って溢れだし、止め処なくこぼれ落ちていく。

 優吾は辛そうに眉を寄せると、もう一度浩介に向き直った。

「・・・お父さん、僕たちが世間的にどう見えるかはわかってるつもりだよ。この先みんなに迷惑をかける事があるかもしれない。僕があの会社にいることで、負担をかける事があるかもしれない。・・・・・・だから、僕はここで親子の縁を切られても仕方がないと思ってる。会社から出て行けと言われても、それはやむを得ない結果だとも思う。・・・それでも、僕たちのことだけは、譲ることが出来ないんだってこと・・・それだけ、知っていて欲しいんだ」


 どこまでも真っ直ぐな瞳だった。
 どう見えようが、自分たちにはやましい想いなど微塵もないんだと言われているような。



「・・・・・・・・・そんな、顔を、見せるな・・・・・・」


 やめてくれ。


 華を見る眼差しは父親のものではない。
 いや、それも含まれているのかもしれない。
 あるのは、ただただ愛しい者を見つめる、無条件に守ろうとする意志。


「・・・・・・・・・」



 いつまでも続くかのように思われた沈黙だった。


 だが、この沈黙を破ったのは、他ならない、今まで一言も発することのなかった明日香だった。



「ねぇ、優吾。一つ聞いていいかしら?」

 まるでこれまでのやりとりなど無かったかのような、いつも通りの朗らかな口調。
 勿論一番驚いているのは浩介である。

「うん」

 明日香は、目の前の優吾を見て目を細め、穏やかな微笑みを浮かべる。


「あなた、どうして華ちゃんを選んだの?」


 どうして・・・

 そんな事は考えたこともなかった。

 けれど、そんなもの頭で考えて決めるものじゃない。
 優吾は迷うことなく口を開いた。


「ずっと見守ってきた存在が・・・僕にとって無くては生きていけない程のものだって気付いた時かな」

「そう・・・」

 明日香はゆっくりと頷いて華に視線を移した。
 泣き濡れた目がすっかり充血して赤くなっている。

 それを見て、明日香の瞳も悲しそうに揺れた。



「・・・わかったわ」

「明日香っ!?」

 浩介が目を見開き、彼女はそれを宥めるかのように彼に微笑みかけた。

「大切なものは手放してからでは取り返しがつかないのよ」
「だがこの問題はっ」
「それに、認めないなんて言ったところで何も変わらないわ。この二人が昔のように戻る気があるなら私たちに言う必要ないでしょう? 中途半端な気持ちでここにいるわけがないのよ」
「・・・・・・っ」
「間違っているのかいないのか、結論は本人達が出すべき事よ。幸福なんて人が決めるものじゃないでしょう?」

 明日香の今までにないくらいの物言いに、浩介は驚嘆のあまり絶句した。
 思えば普段穏やかな彼女がここまで言うのは、記憶を辿ってみても一度たりとて思い浮かばないのだ、当然といえば当然だろう。

 そして、浩介がそのような状態に陥っているのを、今度は秀一が追い打ちをかけたのだった。

「親父、俺も口を挟ませてもらうが、仕事の事を言えば、優吾がいなくなった場合、うちの会社はどうなるんだろうな。・・・代わりの人間がいるなら是非とも紹介してもらいたいんだが」

 秀一からは会社の面で攻められ、言われなくとも分かりきった答えに何も言い返せない。
 ・・・会社に執着もなく、殆ど残業もしないというのに、優吾のビジネスセンスは味方だからこそ頼もしいと言えるもので、敵には絶対に回したくないもの。
 手放すには惜しい、なんて生半可なものではない。
 普段のほほんとしている優吾の内に隠れたものを、誰よりも欲しがっているのは他ならない浩介自身なのだ。

 つまり、浩介の中で、何が何でも手放せない存在として位置づけられているのが痛恨の極みだった。

 彼は、眉間の皺を更に深くし、低く唸った。



「・・・っていうかさ、堅く考えないで今まで通りいればいいじゃん。別にみんな優兄の私生活を知ってるワケじゃないんだよ? この先、華が赤ん坊連れて来ることがあっても不思議には思わないと思うけど。いつの間にか華がどっかの男と結婚してたんだって思われる程度のもんじゃないの?」

 怜二が横から口を挟み、何となく納得出来るような出来ないような事を言う。
 浩介も一瞬流されそうになったが、その内容に気づくと声を荒げて反応した。

「赤ん坊、だとっ!?」
「・・・あ、そういえば華のお腹の中にはもういるんだったっけ」
「・・・なっ!?」
「怜くん!? 何言って・・・っ!?」

 驚いた華と優吾に怜二はニヤリ、と不敵な笑みを漏らす。
 まるで『このまま一気に畳みかけてしまえ』と言わんばかりの・・・。

「優吾・・・お前・・・・・・まさか、華に・・・・・・っ」

 流石にソファにじっと座ってられない浩介は、腰を浮かせ、瞬きひとつせず優吾に詰め寄る。

「・・・・そんなわけは・・・ないだろう? おいっ、優吾!」

「・・・・・・・・・・・・エ〜ト・・・・・・」

 何と答えたらいいものか。
 優吾は視線を泳がせて、実に分かりやすく動揺している。

「どうなんだっ!?」


「・・・・・・・・・その・・・・・・・・・・・・・・そんなわけ・・・・・・ある・・・んだけど・・・」


 クラリ。

 一瞬目の前が真っ白になり、浩介は意識を失いかけた。


「あなたっ!」


 明日香が身体を支え、そのままソファに身体を沈ませる。


「・・・・・・・・・」


 今日は厄日だ、そうに違いない。
 でなければこれは何なんだ?

 頭を抱える思いを二重に味わい、気持ちに整理がつかない。


「・・・・・・じゃあ、・・・俺はどうしたらいい・・・? 認めればいいのか? 理解すればいいのか?」


 半ば自棄になって投げやりに聞いた。
 だが、彼の苦悩の表情は消えない。


 優吾は静かに首を振り、浩介を見つめた。


「知っててもらえれば充分だよ」

「・・・なぜだ」

「家族だから」


 とてもシンプルな答えに『ああ、なるほど』と、頭の片隅で思わず納得してしまう。
 優吾らしい考えだと思ったのだ。
 本当に、どうしてと思えるほど昔から優吾は真っ直ぐだったから。


「僕たちは大丈夫。華ちゃんと一緒ならどんな所でだって働いて暮らしていける、みんなに迷惑は掛けないよ」


 その言葉に浩介は眉間の皺を一層深くして拳を握りしめた。


「・・・・・・・・・馬鹿が・・・っ」

「・・・」


「どうしてお前は・・・難しい方ばかりを選ぶ・・・っ」


 そこまで言うと、浩介は苛立たしげに立ち上がり、さっさと部屋から出ていこうと歩き出した。


「・・・お父・・・・・さん・・・?」


 皆、浩介の真意が分からず、呆然と彼の背中を見つめることしかできない。


 静寂が広がる。
 浩介はリビングのドアに手を掛け、暫しそのままの状態でその場に佇んでいた。




「・・・縁を切るとか切らないとか、そんな言葉は二度と使うな」


 怒ったように呟き、静かに部屋から出ていった。






後編へつづく


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