『ラブリィ・ダーリン2』

○第1話○ 2年後の朝(前編)





 その日の朝は、珍しいことが起きた。

「・・・・・・ん・・・」

 不意に華の瞳がうっすらと開き、ぼ〜っとした顔で彼女の隣に寝ている男性に目をやる。


「・・・・・・あれぇ?」

 その男性、優吾は今だにすやすやと気持ちよさそうに寝ている。
 華はちょっと嬉しそうに顔を綻ばせた。

 いつもは朝が弱く、なかなか起きることの出来ない華は、優吾に起こしてもらうばかりで彼の寝顔など殆ど見ることができない。
 時計を見れば既に10時をまわっている。
 いくら休日とはいえ、優吾にしては実に珍しい。

 華とは逆に彼は朝が非常に強い。
 しかも、平日でも殆ど目覚まし時計が鳴る前に起きてしまうらしく、そんな彼に華はいつも感心してしまう。
 つまり、今の状況は極めて珍しいことと言える。

 う〜ん、何か得した気分

 チャンスとばかりに、滅多に見られない優吾の寝顔をじっくりと観察する。
 とても年相応に見えない顔立ちは、無防備な寝顔によって彼を更に幼く見せている。

 優吾を見ていると時々、彼だけ時間が止まっているのではないかという錯覚を起こしそうになる時がある。
 勿論、華の幼い頃からのアルバムを見れば、多少の変化は見られるのだが。

 華は彼の優しい表情も、その性格も全てが好きだった。


「・・・パパ、だいすき」

 彼の耳元で小さく囁き、頬にちょんっとキスをしてみた。


 すると・・・

 優吾が心持ち嬉しそうに微笑んだような気がした。
 規則正しい呼吸音が聞こえたままなので、彼がまだ眠っていることはわかる。


 それが何だか楽しくて、今度は、

「優吾・・・あいしてる」

 そう言って優吾の唇に軽くキスをしてみた。



「・・・・・・・・・・・・・」

 しかし、流石にそれはやった方の自分が恥ずかしくなってしまい、顔を真っ赤にして頭から布団の中に潜り込んだ。


 い、いくらパパが起きてないって言っても、今のは恥ずかしすぎたっ!!!
 朝から何やってんだろっ!


 しかも、『優吾』と彼の名前を呼ぶなんて殆ど無いと言ってもいいほどだ。
 時々思い出したように名前を呼ぶことを要求されるけれど・・・
 そして、その要求される時というのが限定されていたりするけど。

 つまり、彼と”そういうこと”をしている時で。

 それが何を意味するのかは敢えて説明はしないが、初めて彼とそういう関係になったのが今から2年前。
 その時に名前で呼んで欲しいと言われてから、その・・・つまり、要求された時だけは名前を呼ぶようにしている。
 だけど、幼い頃から『パパ』と呼ぶことが当然だった華にとって、名前で呼ぶという行為はとてもくすぐったいような不思議な感覚だった。

 華が真っ赤になりながら布団のなかでそんなことを考えていると、大きな手がぬっと伸びてきて彼女の肩に触れた。


「・・・ん?」

「・・・・・・あれ? ・・・華ちゃん起きてたの?」

 布団を捲られ、開けた視界のなかで寝ぼけたような優吾の顔が目の前に広がった。

「うん、起きてた」
「びっくりした〜、起きたら隣に華ちゃんいないと思った」

 小さな身体の華が布団の中で丸まっていた為、優吾が目覚め、彼女を探すように辺りを見回しても、一見誰もいないように感じたらしい。
 もしかしたらと思い、布団の中にゴソゴソと手を伸ばしてみると、華の身体に当たり、ちゃんとそこにいたと言うことがわかり、彼は内心安堵していた。

 華が湯河宗一郎という彼女の実の祖父の所へ家出してからもう2年近く経つというのに、未だ、彼は華が隣にいないと安心できないようで、彼女がいなくなってしまったことは心の中で大きな傷として残っているようなのだ。
 華が帰って来た日から、修学旅行などの行事で華が家を空ける以外は、一度たりとも二人で一緒に寝ない日はなく、彼女の部屋は今では着替えをしに行く程度のものになってしまった。

「パパが私より遅く目が覚めるなんて珍しいね」
「ホントだ〜、・・・・・・って、うわあっ、もう10時過ぎてる〜っ!! ごめんね華ちゃん、お腹空いたよねっ!! すぐに朝ご飯作るからっ」

 慌てて起きあがろうとする優吾のパジャマを、華は何となくギュッと掴んで立ち上がるのを制していた。

「? どうしたの?」

 不思議そうに首を傾げる優吾をじっと見つめながら、華は何かを言おうとしている。


「・・・ゆ・・・」

「・・・・・・ゆ?」

「・・・・・・ユーゴ・・・」

「・・・・・・・・・」

 しかし、やはり言ってみてから後悔が込み上げる。

「やっぱダメだ〜っ、普通に言えないよぉ」

 どうして言えないんだろう。
 名前を呼ぶだけなのにこんなにドキドキしちゃって・・・

 本当は名前で呼んで欲しいから、時折そういう要求をされるんじゃないかと思うのだが、どうしても華には普通に出来そうもなかった。



 だが、頬を染めて、いきなり名前で呼ばれた方の優吾にしてみれば、理性が飛ばされそうなほどの衝撃を受けた。

 華が自分の名前を言ってくれるのは限られた場合だけ。
 しかも自発的になどあり得ない。

 彼女から名前を呼ばれる、という行為はこの上なく幸福なことで、呼ばれると『優吾』という名前自体に特別な意味が宿るような気がした。

 優吾は、はぁっと息を吐き出して寝癖がついた自分の髪の毛をくしゃくしゃと掻き上げ、華を見つめる。

 色の白い肌を、ほんのりとピンク色に染め、くりくりとした大きな茶色い瞳を潤ませて恥ずかしがっている。
 柔らかそうな色の髪の毛は実際にずっと触っていたくなるような滑らかさを持ち、綺麗なピンク色の唇に自分のを重ねるとどこまでも甘い感じがした。

 誰が何と言おうと華ちゃんはカワイイ。

 まりえが未だに華のことを『お人形さん』と言うのを聞いたことがあるが、まさにその通りだと思った。
 高校入学当時よりは幾分大人っぽくはなったものの、心底カワイイと思うのは自分だけではないはずだ。


「パパ?」

 黙り込んで自分を見つめる優吾を不思議なものでも見るような目で、華が問いかけてきた。

「もう名前で呼んでくれないの?」
「・・・だ、だって・・・ハズカシイもん・・・」
「そう?」
「ん・・・」

 華が俯いたと同時に、優吾の手が伸びてきて顎を持ち上げ、彼の唇が華の唇に触れた。
 そのまま舌が滑り込み、優しく華の舌を絡め取る。

「・・・んぅ・・・っ、ん、ん」

 心の準備が何も出来ていなかった為、驚いて身体を強張らせてしまうが、直ぐに彼に身を任せる。

 彼は、唇を離すと潤んだ瞳で華を見つめた。

「・・・・・どうしてこんなにカワイイんだろうね」

 目を細めながら発した彼の言葉に、華はぽうっとなり俯いてしまう。
 優吾はそれを見て幸せそうに微笑み、もう一度キスをしてから彼女をギュウッと抱きしめた。
 同時に彼のお日様のような匂いに包まれ、体の芯から暖かい気持ちになっていく。


「・・・・・・ねぇ、華ちゃん・・・ドキドキしてきちゃった」
「・・・え?」
「・・・名前で・・・・・・呼ぶんだもん」

 耳元で優吾の吐息を感じて、彼の顔に視線を向けると『だめかな?』って言っているみたいに困った顔をしていた。


 ドキドキって───


 彼が何を言いたいのか。
 幾度となく彼のそういう顔を見ている華は、それが何を意味しているのか、わからないわけがなかった。
 華は彼が何を言いたいのか察すると、顔を真っ赤に染めてきゅっと彼に抱きついた。

「華ちゃん・・・」
「・・・・・・ウン・・・」

 小さく頷いて彼の胸に顔を埋めると、優吾は嬉しそうに微笑み、華をきつく抱きしめる。

「ホント、困っちゃうね」
「え?」

 再び彼に顔を向けると同時に唇を塞がれる。
 優しいけれど、ハッキリと男の人を感じさせるキス。

「・・・ん・・・困っちゃうって何が?」

 キスの合間に聞いてみるが、彼は眩しいものでも見るかのように目を細めただけで再び唇を塞がれてしまう。

「・・・ふぁ・・・・・ん、ね、パパ、何が・・・?」

 もう一度聞いてみると、優吾はとても困っているとは思えないような柔和な微笑みを返す。

「・・・だからさ、こんなに華ちゃんが大好きで困っちゃうんだよ」
「・・・え?」
「まるで10代の男の子みたい」
「10代?」
「そう、色んな意味で元気いっぱいってかんじ」
「・・・・・・よく分かんないけど、10代の頃のパパってこういうコト、すぐしたくなっちゃったの?」

 我ながらなんて質問だとは思うけど、そういう意味も込めて優吾が言ったのかなと思った。
 それに、周りにいる同級生達がこういう行為についてどうなのかなど見当もつかない。

「ん〜、僕は・・・・・・あんまり頭に浮かばなかったって言うか、そういうの結構どうでもよかったような気が・・・・・・・・・・・・う〜ん、考えてみたらソレって異常だよねぇ」
「ふぅん?」
「きっと、華ちゃんだからこんなにドキドキしちゃうんだね」

 ニッコリと微笑みながら、優吾はその事を嬉しそうに告げた。
 華は胸がきゅんとなり、思わず彼に抱きつく。

 自分だってよく分からないけど、相手が優吾だからこんなにいつもドキドキするんだと思う。


「華ちゃん、大好きだよ」


 耳元で甘く囁かれて、優吾に抱きつく腕にキュッと力を込めた。





後編につづく


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