その後、和浩に『ウチに来ないか?』と誘われた為、ちょっとだけ彼の家にお邪魔することにした。
本当はもう少し2人で小旅行を味わいたかった華だったが、和浩に会えてとても嬉しそうな優吾を見て、まぁいいか、と思い直した。
だが、ヒカルの機嫌は結局直らなかったらしく、彼の家に着くまで一言も口を開くことがなかったのが少しだけ心配だった。
「恥ずかしながら、妻とは別居中なんだ。女手がないから、掃除が行き届いてないかもしれんが、まぁ、楽にしてくれ」
恥ずかしながらとか言いつつ、和浩は満面の笑みを浮かべている。
久々に優吾に会えたことがよっぽど嬉しいみたいだった。
「時間大丈夫だよな? 懐かしい話もたくさんあるし、ゆっくりしていけよ」
「そうだね」
家に着いた早々、二人は昔話に花を咲かせて楽しそうにしている。
華には分からない内容ばかりで、話に入ることが出来なかったが、何となく不思議な気分で話を聞いていた。
優吾の小さい頃の話とか、
一緒に遊んだ時の事とか、
華の生まれるずっとずっと前の話。
優吾にだって幼い時があったのは分かっている。
それでもこうして聞いていると、ちょっとだけ変な気分になった。
私の知らないパパって、こんなにいたんだ───
華の知らない優吾を、和浩は沢山知っている。
当たり前の事だけれど、羨ましくもあった。
ちょっと・・・カズ兄ちゃんに嫉妬しちゃうな
小さいパパに、私も会いたかった
そうしたら今よりもっと思い出が沢山できるのに。
と、
華が頭の中でゴチャゴチャ考えていた時、
「オヤジ、オレ、この子とちょっと散歩でもしてくるよ」
「え?」
いつの間に隣にいたのか、突然ヒカルが華の腕をとって立ち上がらせた。
「年寄りの昔話なんて聞いてたって面白くないだろ?」
「年寄りって・・・スマンな優吾。どうもヒカルは口が悪くて、甘やかしすぎたかな」
「あははっ、ヒカルくんから見たら僕なんておじさんだろうし、カズ兄ちゃんなんてもっとだもんねぇ」
「そうだなぁ、ってオイ! ・・・まぁいいや、確かに子供達は子供達だけの方が楽しいよな、ヒカル、華ちゃんに手を出すんじゃないぞ〜」
「何言ってんの、ホラ、行こう」
「あ、う、うん。・・・あの、じゃあパパ、後でね」
「ウン、ヒカルくん、華ちゃんをよろしくね〜」
「はい」
ヒカルは優吾に小さく挨拶すると、華の腕をぐいっと自分に引き寄せ、スタスタと部屋から出ていった。
彼の思うままに歩かされ、家からはどんどん離れていく。
一人ではとても帰れないくらい右へ行ったり左へ行ったり。
その間、ヒカルは終始無言。
華も、彼の横顔が未だに怒っているような気がして話しかけることが出来ない。
別に彼女が怒らせるような事を言ったわけではないけれど。
だが、彼の歩調があまりに速くて、息が直ぐにきれてしまった。
はぁはぁと息を弾ませて、止まりたいのに、ヒカルの手は華の腕をしっかりと掴んでいるから止まれない。
「あっ、あの・・・・・ヒカルくん!」
限界を感じ、初めてヒカルに話しかける。
彼女の声を聞き、我に返ったかのようにハッとして、隣の華に顔を向けた。
「え?」
「・・・も、もっとゆっくり歩いて。私ついていけないよ〜」
すっかりばてたその表情を見て、ヒカルはやっと自分の歩調が速すぎることに気がついたようだった。
ピタリ、と歩くのをやめて、そこでやっと腕を離す。
「・・・・・・あぁ・・・ごめん、速かった?」
「うんっ、はぁはぁっ、・・・・・・っく、くるし〜・・・・・・っ」
「ごめん、そんなつもりなかったんだけど・・・」
そう言って、申し訳なさそうにしながら彼女の背中をさする。
次第に息が整ってきて、落ち着けるために深呼吸を一つした。
「・・・・・・はぁ〜・・・・・・っ」
「・・・大丈夫か?」
彼の反応が妙に可笑しくなってきて、ちょっとだけ笑ってしまう。
先程までのヒカルと今のヒカルが別人みたいでホッとした。
「落ち着いたと思ったら今度は何だ? 何か面白いことでもあったか?」
「うん、ヒカルくんの歩き、まるで競歩の選手みたいだったから」
「何だそれ」
そう言いながらもヒカルは、華につられて何となく笑ってしまう。
「ありがとう」
「なにが?」
「私がボーっとしてたから、つまらないんじゃないかなって思って連れ出してくれたんでしょ?」
「・・・・・・別に」
ボソッと呟いていたが、ちょっと頬が赤くなり、結構素直なんだと思った。
「オマエいくつ?」
「私? 17歳だよ。ヒカルくんは? あ、19歳って言ってたっけ」
「そう、もうすぐ20歳になるけど」
「ふぅん」
そう聞くと、もの凄く年上な気がする。
勿論優吾との年の差を考えれば、2、3歳なんて差の内に入らないと思うけれど、20代という響きは、華には凄く大人に感じられた。
「・・・・・・今まで会ったことなかったよな。何で今日来たの?」
「実はねぇ、初めて来たんだよ。だから、さっきヒカルくんが『命日』に墓参りって言ってたのを聞いて、その事を知ったくらいで、何で来たのかも分からなかったんだ」
「そうなんだ」
「ウン、パパと・・・その・・・『由比』って人は親友だったって。それで・・・一緒にお墓参り行こうって言われたの」
ホントはちょっと違うけど。
だけど、『由比』が本当の父親だからお墓参り来たなんて言えない。
言った時点で優吾と華の今の時間が壊れてしまう気がした。
それは、前に湯河宗一郎らに真実を言ってしまった時に現実に起こったことだったから。
第一、今の優吾と華の関係というものは、あの頃と違って親子関係に留まっていない。
知っている者は少なければ少ないほどいいのだ。
「ウチはさぁ、もう毎年。盆と彼岸と命日。最低でも年に3回」
「ヒカルくんは、行きたくないの?」
「・・・っていうか、さっきも言ったけどオレの顔、似てるんだって、『由比』に。チビの頃から言われ続けててさ。オヤジの仕事何だか分かるか? 医者だぞ? 由比みたいな患者を救いたいからとか言って。結局そんな人間に何を言ったってダメなんだよ。・・・だから、オレは死んだヤツにずっと振り回されてるんだ」
「・・・そんな」
「実際、写真見てイヤって程納得したけどな」
「写真?」
「『由比』の写真。ホント、似てるなんてもんじゃない、気持ち悪いくらい・・・」
自嘲気味に笑い、直ぐにつまらなそうに視線を落とす。
華はヒカルの顔を見つめ、『自分の父親はこういう顔をしてたのか』、と頭の隅で感じていたが、それよりも、彼の今の姿を見ていたら、2年前の自分を急激に思い出した。
2年前。
湯河宗一郎の屋敷へ家出した時。
あの時、華は自分が百合絵のかわりで、誰も華自身を必要としていないように感じていた。
とてつもない孤独を感じ、自分から家を飛び出したのに優吾が恋しくて仕方がなかった。
誰のかわりでもなく、一人だけの存在として認めてくれていたのだと言うことがいやと言うほど分かったから───
たった一月くらいであんなに孤独を感じたのに、ずっと周囲にそういう目で見られていると分かっていたヒカルは・・・
考えるだけで、悲しくなった。
「・・・・・・・・・ヒカルくんは彼じゃない。誰のかわりにもなれないよ」
ヒカルは華の小さな呟きにハッとした。
そう言われた事が今まで無かったわけではない。
ただ、それらはどれもその場限りで言ってみただけの薄っぺらなものにしか聞こえなかったから、素直に聞くことが出来なかっただけで。
だが、華の真っ直ぐな瞳は、慰めなどではないと言っているようでドキリとした。
それに、初対面の人間に、ましてやこんな少女に何故ここまで話したのかもよく分からなかった。
「オマエ、変なヤツだな」
「えぇ? ヒド〜イ」
いきなり変なヤツ呼ばわりされ、ぷぅっと膨れる華を見て、思わず噴き出してしまう。
ヒカルは益々むくれてしまった華の頭をポンポンと撫でた。
「・・・ヒカルくん、私のこと子供扱いしてる!」
「子供じゃん」
「・・・ぐぅ・・・そう、なんだけどぉ・・・」
確かに子供。
わかってるけど、面と向かって言われるとグサッとくる。
だが、ヒカルは華のその素直な表情や性格に触れ、節くれ立った心の中がいつしか穏やかになっている事に気がついた。
彼女の存在が、そのまますんなりと心に入ってくるようで、彼はその時不思議な感覚に囚われていたのだ。
「オマエ、・・・華、いいな」
「ん? 何が?」
初めて彼に名前で呼ばれたのだが、それには一向に気付かずきょとんとヒカルを見やる。
「イイ線いってるよ」
むにっと華の頬を引っ張り、照れくさそうにそんなことを言う。
しかし、むにむにと頬を引っ張られ、その上言われた台詞の意味が分からなかった華は涙目になってヒカルを睨んだ。
「ぶはっ、やわらけ〜」
「やめへ〜〜っ! いひゃいよぉ」
「のびるのびる」
「や〜〜ん」
やっとの事で手を離された時には、華のぷにぷにした頬がすっかり赤くなっていた。
両手で頬をすりすりとさすり、『怒った』と言うことをアピールするために、プイッとそっぽを向くと、ヒカルはそれさえも面白そうに笑い、追いかけるように彼女の顔に自分の顔を近づける。
「怒った?」
言われると同時に彼の顔が目の前に飛び込んできた。
「ひゃっ」
驚きのあまり後ずさる。
優吾以外の人間をこんなに間近で見ることは滅多にない。
それだけではなく、思ったよりもヒカルの瞳が自分と似ていて・・・
ヒカルは、口の端をつり上げ、まるで獲物でも見つかったかのように楽しそうに微笑んだ。
「・・・何か、独り占めしたくなるようなタイプだな」
「は?」
「閉じ込めたいというか、縛り付けたいというか」
「??????」
彼が何を言っているのかよく分からない。
ヒカルはジッと華を見て、ニヤリと笑う。
「な・・・なに?」
「べつに?」
・・・ヒカルくんの顔、
凄く綺麗な顔なんだけど・・・
だからこそ、そんな風に笑った顔は迫力があって、背中がゾクゾクとした。
なんだろう。
───その時は、
華の中で、ヒカルという存在がとても危険なもののように感じて恐かった。
何かの直感とでも言うべきものだったのだろうか。
しかし、それ以上は何も言わなかったヒカルに、一瞬だけ浮かんだその気持ちもすっかり消え失せてしまった。
その為、彼の家に戻るまでの間、必要以上に肩や腕に触れてきたり、見つめる瞳の強さは普通ではなかったのに、華は何の警戒心も持つことなく過ごしていた───
後編につづく
Copyright 2004 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.