「ここだよ」
エレベータから降りて、少し歩いたところで華が立ち止まり、バッグから鍵を取り出す。
その横では、ヒカルが感心したように辺りを見回していた。
「ふ〜ん、イイトコ住んでるなぁ。家政婦とかいんの?」
「えぇ〜いないよ〜、ハイ上がって〜」
ヒカルを家に招き入れ、彼をソファに座らせると、冷蔵庫からオレンジジュースを取りだしてコップに注いでいく。
二人分のジュースを用意し終わり、リビングのテーブルにコップを置くと、華はちょっとした疑問を彼にぶつけた。
「ね〜ヒカルくん、どうして私が行ってる高校を知ってるの?」
「ん? ・・・あぁ、オヤジが言ってた。オマエの父親が喋ったんじゃね〜の?」
「・・・なるほど」
パパならあり得る。
そう思えるほど、優吾は華の事を余所でもアレコレと話しているらしいと言うことは身をもって知っている。
例えば、彼が勤めている飯島グループ本社に時々行く事があるが、全然知らない人が挨拶してきたり、妙に自分の事を知っていて驚くことが多々あるのだ。
それらは勿論優吾の仕業で、本人曰く、華の事を広めようとして喋っているわけではないという事なのだが・・・
「なぁ、華、オマエってさぁ」
「うん」
「・・・・・・ファザコンだろ」
「・・・・・・・・・・・・う」
「・・・やっぱなぁ」
・・・・・・・・・なにも言ってないのになんで納得してるんだろう・・・
うぅっ、
それにしても・・・
ファザコンって言われたの、今日は2回目だよ。
何だか悲しくなってしまった。
自分はそんなに言われるほどなのだろうか、と。
「まぁ、オレが近々ファザコン克服してやるからそんな顔すんなって」
言いながら彼は華の頭をポンっと撫でる。
「・・・? どういう・・・?」
と、その時。
『ピンポ〜ン』と玄関のチャイムが鳴り響いた。
押した人間が誰かなんて確認するまでもない。
華の表情が一気に明るくなり、パタパタと玄関まで走っていく。
「パパ〜、おかえりなさ〜い♪」
「たっだいま〜♪」
ギュウッと優吾にしがみつき、彼の方も嬉しそうに華を抱きしめた。
そして、優吾がただいまの挨拶をしようと華の口に自分のを近づけようとすると、流石に今することを躊躇した彼女は慌ててそれを制した。
「・・・? どうしたの?」
拒まれたと思い、少し怪訝そうな顔で華を見つめる。
「あっ、あのね、お客さん来てるの」
「お客さん?」
「うん、ヒカルくんがいるんだよ〜!」
優吾の腕を掴んだままリビングまで彼を引っ張っていき、『驚いた? パパ』とでも言うような顔でソファに座っているヒカルを紹介した。
それを見た優吾は当然の事ながら驚きの表情を浮かべる・・・
と思ったのだが、ちょっとだけ驚いた様子を見せたものの、たいした反応を示さなかった。
「・・・どうも」
「こんにちは、そっかぁ、大学こっちだってカズ兄ちゃん言ってたもんねぇ。今日はわざわざ訪ねてきてくれたの?」
「あぁ・・・ハイ」
「そうなんだよ〜、学校の門の前で待っててビックリ! なぁんだぁ〜、パパはヒカルくんがこっちにいるって知ってたんだぁ」
「うん、カズ兄ちゃんがチラッとそんな事言ってたから。ヒカルくん、ゆっくりしてってね」
「・・・あ、いや・・・」
ヒカルは急に真面目な顔つきになり、少しだけ何かを躊躇するような表情を見せたものの、直ぐに何かを決心したかのように優吾を見つめる。
「・・・突然こんな事を言い出すのはどうかと思うけど・・・」
「・・・うん?」
とても真っ直ぐな瞳に、優吾は小さく首を傾げて彼の言葉を待った。
「・・・今日ここに来たのは、華をオレの彼女にしたい、ってことをあなたに伝えたかったからなんです」
「・・・・・・え?」
予想外の言葉に優吾の動きが止まる。
一方ヒカルの言葉を何とはなしに聞いていた華だが、徐々に彼の言葉を理解して、驚きの表情に変わっていく。
だけど、あまりに突然すぎるその言葉を信じる気には、とてもならなかった。
「こんな事を言いに来るなんて、自分でも笑っちゃうけど・・・陰でコソコソしたくなかったし」
「ヒ、ヒカルくんっ!? ・・・じょ、冗談でしょ!?」
「オレは真面目だよ」
「・・・・・・・えぇっ・・!?」
「今日はこれで失礼します。じゃあな、華」
「ねぇっ、・・・ちょっと、待ってよ」
「言ったろ? オレの決断力は人並み以上だって」
確かに言ってたけど、こんな・・・
早とちりってことも、充分考えられると思うんだけど。
「大丈夫、ちゃんと予感がしたから」
「・・・・・・なんの?」
「オレ達うまくいくって。じゃ、またな」
「・・・っ、えぇ〜!?」
頭の中は大混乱。
いつのまにそんな予感があったというのか。
何度考えたって思い当たる節はない。
大体うまくいくってそんな勝手な・・・っ
と、
混乱中の華の横で、ずっと沈黙していた優吾が突然華の肩をグッと掴んだ。
「・・・っ・・・」
彼の胸に引き寄せられ、華は少し慌てたが、思いがけない強い力に、何もすることが出来なかった。
「ねぇ、ヒカルくん」
優吾は、静かに、そして少しだけいつもよりも低いトーンの声でヒカルを呼び止めた。
「・・・華ちゃんが好きなの?」
その言葉に行きかけていたヒカルが振り返る。
「・・・っ・・・!?」
飛び込んできた映像にヒカルは少し目を見開いた。
まるで、優吾が華を抱きしめているかのように見えたのだ。
だが、その様子に少しだけ眉を寄せたものの、それ以上の考えに及ぶはずもなく、優吾の質問に迷わず頷く。
やはり真っ直ぐな眼だった。
珍しく優吾の表情が強張り、華の肩を抱き寄せる力が強くなる。
「本気、なのかな」
「・・・・・・オレは自分の直感しか信じない」
「・・・そう」
華は、明らかにいつもと様子の違う優吾にちょっとだけ戸惑いつつ、自分の頭の上にあるその顔を見上げた。
その視線に気付いた優吾は、ちょっとだけ表情を崩してみたが、上手くいかないらしく、強張った表情のままでむっつりと黙り込んでしまう。
結局、そのまま何か言葉を返すわけでもない優吾に、ヒカルは一度だけ頭を下げて挨拶すると、リビングのドアを開け、静かに部屋を出ていった。
華も一応玄関まで見送ろうと思ったのだが、優吾が華を抱き寄せたまま離さず、それは意外に強い意志を持っているような感じがして動くことが出来なかった。
ヒカルが帰った後も暫くその状態が続き、沈黙に堪えられなくなった華が口を開く。
「・・・・・・ね、パパ」
不安そうな声が聞こえ、優吾はそこでやっと我に返った。
「私はヒカルくんのこと何とも思ってないよ?」
「・・・う、ん・・・」
「ヒカルくんもさ、何か勘違いしてるだけだと思う」
「・・・・・・そう、・・・かな」
「そうだよ」
「・・・・・・うん」
歯切れの悪い返事をしたきり、再び黙り込んでしまう。
そんな彼に『何かの間違いだ』ともう一度言おうとしたが、優吾の目はどこか遠くを見ているようで、それ以上話しかけることが出来なかった。
「・・・・・・パパ・・・」
「・・・・・・」
パパ、・・・何考えてるの?
▽ ▽ ▽ ▽
ヒカルが去ってからの優吾の様子はとてもぎこちなかった。
別に彼にやましいことがあるわけでもないというのに、華と目が合うと逸らしてしまうのだ。
どこか上の空で、話しかけてもとんちんかんな答えしか返ってこない。
その上・・・
「華ちゃん、僕、今日はここで寝るから」
そう言って、優吾がタオルケットを用意している場所は、リビングにあるソファの上。
「・・・どうして?」
「今日はここで寝たい気分なんだ。・・・じゃあ、おやすみなさい」
・・・って、まだ8時なんだけど。
夕飯はとうに済んでいる。
風呂に入り、歯磨きも早々に済ませたパジャマ姿の優吾は、タオルケットを被り、目を瞑ってすっかり寝る体勢だ。
「パパ、ちょっと? どうしたの?」
「ん〜・・・」
「質問に答えてない! ね、ヒカルくんの言葉を気にしてるの? それとも私、何かしちゃった?」
「・・・・・・華ちゃんは、何にもしてない、よ・・・・・・」
「だったら・・・」
「・・・ん」
じゃあ、ヒカルくんのせい?
それにしたって何か変じゃないっ?
「ねぇ、パパ〜ッ!」
優吾の肩を揺さぶるが、反応がない。
どうやら彼は喋りながら眠りに入ってしまったようで、既に意識を手放していた。
「・・・・・・・・・」
───わけがわからない。
なんだろう、これは。
大体、話の途中なのに・・・
目の前にはぐうぐう寝たまま一向に目を覚まさない塊がぽつんと一つ。
華は優吾の意味不明な行動に段々腹が立ってきた。
「なによなによっ!!! パパのバカッ!!!!!!」
彼の側でわざと大声を出してやった。
にも関わらず、安らかな寝顔に変わりはない・・・
何が悔しいのか分からなかったけれど、とにかく悔しくて、華は優吾を一瞥すると、バンッと思いっきり部屋の扉を閉めて寝室へ入っていった。
ワケわかんないッ!!
なに、8時就寝って!?
子供じゃないんだからっ!
今時小学生だってそんな時間に寝ないよ!?
怒りはなかなかおさまらない。
だけど、怒りをぶつけたい相手があんな調子じゃどうにもならない。
自分もこのまま早く寝てしまいたい。
そう思うのに、納得のいかない感情によって目が冴えてしまい、とても寝る所じゃない。
明日になって謝ったって知らないんだから!!
何事もなかったかのようにしてたって、ぜ〜ったい許さないんだからっ!!!
「バカバカバカバカ、大バカ〜〜〜〜!!!!!!」
枕を優吾に見立ててポカポカと叩いてやる。
とにかく腹が立って仕方ない。
息が上がるくらい、何度も何度も枕にぶつけてやった。
しかし、思う存分枕に八つ当たりをしてしまうと、疲労だけが残り、ちょっと虚しくなる。
「・・・・・・はぁ〜・・・っ」
華はベッドに寝転がり、八つ当たりの対象となった枕の端を握りしめた。
ベッドがとても広く感じる。
もうずっとこんな風に一人で夜を過ごすことなんてなかった。
いつもは優吾の温かい胸の中で安心して寝ている筈なのに。
体温で布団は暖まっていくのに、どんどん寒くなる。
彼の温もりに慣れてしまったから。
無いと苦しい。
「・・・・・・パパの、ばかぁ・・・」
ぽろり、と涙を一粒零し、華はぎゅうっと自分の体を抱きしめた。
後編につづく
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