『ラブリィ・ダーリン2』
○第6話○ 真実と傷(その6) 「僕はばかだね」 「・・・え?」 しがみついたまま泣いていると、頭の上から自嘲するような響きの優吾の言葉が降ってきた。 訳も分からず聞き返すと、彼の大きな手でポンポンと頭を優しく撫でられ、少し強く抱きしめられる。 「ずっと大丈夫だって思ってたんだけどな、手放さなきゃいけない時が来るとしたら、それもしっかり認めよう・・・なんて」 「・・・・・・」 何を言ってるのか分からない。 手放す・・・? 私を・・・・・・・・・? 優吾の言葉に傷ついた顔をした華を見て、彼は『そうじゃなくてね』と首を振り、彼女の溢れる涙を唇で吸い取った。 「・・・例えば・・・・・・華ちゃんに僕以外に好きな人が出来たとして、・・・・・・その時はちゃんと認めようって思ってた。そんな事が起きるわけないって思う自分もいたけど、もしもの時は引き下がろうって、そうしなきゃいけないんだって」 「パパ・・・」 彼こそとても傷ついたような顔をして。 真っ直ぐ見つめる瞳はゆらゆら揺れてこっちまで切なくなっていく。 「普通の親子に戻りたい・・・なんて、・・・言った自分の言葉がここまで苦しいなんてね・・・・・・・・・それだけで、もうこの手を離せないのに・・・・・・、僕は・・・・・・・随分心許ない場所に立っていたんだなぁ・・・」 どうしてもこの手を離せない。 幸せを掴んでしまった後に、それを手放せないように。 何ものにも代え難いほど愛しい存在なのだ。 形が変わったとしても、彼は華だけを愛してきた。 これまで近づいてくる女性がいなかったわけじゃない。 むしろ多いのかもしれないということも何となく自覚していた。 それでも、他の人間に心が動くことがなかったのは、第一に華がいたから。 ───だけど、娘以上に想うなんて考えもしなかった。 周囲に苦笑されるほど溺愛しているとしても、それは到底一線を越えるものではなかった筈だった。 なのに、 華が自分の元から去っていく、という現実を突きつけられたとき、それを飛び越えてしまうほどの想いに変わってしまったのだ。 そして、戸惑いがありながらも彼女を抱いてしまった後は、留まることを知らずに想いが加速していった。 こんなにも誰かを愛せるなんて思わなかった。 今が一番だと思うのに、次の瞬間にはそれ以上が待っているなんて。 華は、まだ不安そうに優吾の服を握りしめ、懸命に訴えかけるように濡れた瞳を向ける。 「誰に何を言われても良いよ、私平気だから。ずっとずっと、パパの側にいさせて」 優吾は、それを言わせてしまったということに、涙が滲んだ。 ───僕が父親じゃなくて、普通の男ならこんな事を言わせずに済んだんだ。 誰にも何も言わせないのに・・・ しかし。 華の父親は自分でなくてはいけなかったのだと、それだけは明確に分かるのだ。 彼女の成長と共に歩んできた十数年間を、他の男には到底譲れないと思えるから。 つまり、イヤと言うほど自覚してしまっただけ。 「・・・僕がお願いしたいくらいだよ」 一つだけ確かなものがあるとしたら、それはこの気持ちだ。 後戻りをしないかわりに、前を向いて進もう。 優吾が笑うと、華もそれにつられて嬉しそうに微笑み、それだけで胸がいっぱいになった。 ▽ ▽ ▽ ▽ 「華ちゃん、由比の写真見せてあげる」 優吾がそんなことを言ってきたのは、落ち着いて少ししてからだった。 「・・・・・え、・・・・・・ある、の・・・・・・?」 「あるよ。小学校の時からのつき合いだからね」 彼は立ち上がり、一端部屋から出ていき、納戸として使っている部屋から一冊のアルバムを手に持ちやってきた。 一体どこに仕舞っておいたのだろうか。 見たことのない表紙のアルバムだった。 確かにあの部屋にはアルバムが山のようにある。 何でもない日にパチリ、行事の度にパチリと写真を撮っているものだから、華のだけでも軽く20冊は超えているはずだ。 その他にも優吾のものも山ほどあるものだから、その中の一冊に由比の写真があったとしても不思議なことではないのかもしれない。 二人は親友だったのだから・・・ 優吾は華の隣に腰掛けると、見やすいようにアルバムを開きはじめた。 「由比は写真に写るのが嫌いだったから、あんまり無いんだ・・・あっても殆ど笑ってるのってないし・・・・・・由比って愛想悪いんだよね〜」 ぶつぶつ文句を言いながらも、その目は由比のことを語ることが嬉しくてたまらないと言っているようだった。 華は、ぼんやりと『本当に由比のことが好きなんだなぁ』と思った。 「あ・・・華ちゃん、これが由比だよ」 優吾が懐かしそうな顔で指を指した先には、まだあどけなく、それでも今と変わらぬ微笑みを讃えた可愛らしい優吾と・・・一見少女と見まごうほど色が白く、髪の色も目の色も色素の薄い線の細い少年。それが由比だった。 まだやっと中学生にあがった程度の幼さを残した二人だが、由比という少年は、美少女とも言える容貌を持ちながら、絶対に女性には間違えられないだろうと思えるほど、瞳から発せられる光は鋭かった。 その少年は、確かにヒカルに似ている。 周囲を唸らせてしまうのも仕方ないと思えるほどに。 だけど、何かがヒカルとは違うような気がした。 「・・・・・・この男の子が・・・ホントのパパ・・・?」 「そうだよ」 実感はわかない。 ただ・・・親類を見比べてみても、決して共通点を見いだせなかったものがこの少年にはあった。 彼の瞳から発せられる光は鋭いが、きっと普通にしていれば自分は彼と同じ目をしている。唇の形でさえも写し取ったかのように似ていて、笑った顔も怒った顔も何故か想像できてしまうのだ。 次のページを捲ると、学生服を着て・・・場所は教室だろうか。 笑っているわけではないが、穏やかな顔を見せる由比の姿がそこにあった。 それは、最初に見た由比よりもずっと背が高く、相変わらず線は細いものの、顎が尖り随分と男らしく成長しているのにどこか中性的な不思議な雰囲気を持ち合わせている。 「・・・・・・印象的な人だね」 そんな言葉がピッタリだと思った。 「ウン、僕もそう思う。なんて言うか・・・一度見たら絶対に記憶に残るようなカンジかな・・・でも思えばこの時、由比は既に百合絵さんとつき合ってたんだよなぁ・・・」 優吾の言うとおり、由比の写真は殆ど無く、笑っているものなど皆無といって良いほどだった。 そして、見つけられる限りでは、たった数枚程度の写真を残すのみ。 彼が父親なのだと言われてもよくわからない。 ただ・・・ 「・・・・・・・・」 熱い何かがこみあげてくるのだ。 それはどういう感情から来るものなのかよく理解できない。 けれど、パタパタとこぼれ落ちる涙は止めようもなくて。 次第にこみあげる何かが堰を切って溢れ出してきた。 「・・・うっ、・・・・・・うっく・・・・・・」 わからない。 わからないけど、ヒカルと違うものが何かと言うならば、それは漠然と由比を愛しいと思ったということ。 こんな写真で感じることが出来るくらい。 「・・・・・・パパ、私ね・・・」 「・・・うん」 「産まれてきて良かった」 不思議とそう思えた。 例え会ったことがなくても、この身に起こった全てのことが彼から始まっている。 優吾に出会えた事も─── 「・・・・・・パパ? 泣いてる・・・の?」 彼を見ると、瞳から止め処なく涙が溢れ、華でさえも殆ど見たことの無かったそれは、触ると温かい。 問いかけには答えず、優吾は華を抱きしめた。 腕の中の小さな存在は昔も今も変わることなく彼を見ている。 優吾は、遠い昔、自分の妻となった女性が華を生むか生まないか、悩み苦しんでいる姿を思い出していた。 この子は産まれてきても父親がいない。 もしかしたら出産しても私はこの子と一度も会えないかもしれない。 母子共に生きることすら出来ないかもしれない。 それでも、生みたくて生みたくて。 そんな彼女を見ていて、自分がこの子の父親になろうと思った。 彼女の事も、お腹の子供も精一杯愛していこうと思った。 だけど、彼女は自分の命と引き替えに、この子を守るという道を選んだ・・・ 辛い現実だったけれど、懸命に小さな命を育んだ日々は何ものにも代え難い幸福を与えてくれた。 優吾は、華を産んでくれた百合絵に感謝の気持ちで一杯だった。 華ちゃんは、僕をこんなにも幸せな気持ちにしてくれる─── 第7話へつづく Copyright 2004 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |