『ラブリィ・ダーリン2』

○第9話○ きっかけは小さな箱(前編)







 月曜日、飯島グループ総合本社の廊下を颯爽と歩き、専務室へと向かう女性の姿があった。

 彼女は飯島まりえ。
 華の従姉妹にあたり、代表取締役である優吾の兄、秀一の秘書をしている。ちなみに怜二とは婚姻関係にある。
 当然ながら彼女がこの部屋に足を踏み入れることなど殆ど無い。
 つまり、それ相応の理由というものがあるからだった。

 まりえは専務室の扉をノックし、中から聞こえる返事と共にドアを開けた。


「あれぇ? まりえちゃん、珍しいね、どうしたの?」

 中から出迎える穏やかな声の主を見てまりえはぎこちなくお辞儀をする。
 そして、部屋の中をさり気なく見渡した。

「突然押し掛けてしまってすみません。・・・あの、今日は高辻さんは・・・」
「え? 高辻くんに用? 午後の会議の書類をまとめに行ったから・・・三十分もすれば戻るんじゃないかな」
「よかった」
「・・・?」

 ホッと胸をなで下ろして。

 よかった?

 高辻に聞かれたくない話でもあるのだろうか、と首を傾げる優吾に、まりえはスーツのポケットからなにやらゴソゴソ取りだして、おもむろに彼の机に四角い箱を置いた。

「・・・? これは?」
「とりあえず早く仕舞って頂きたいんですが・・・」
「・・・うん? ・・・貰っていいの、かな?」
「はい」

 それを見る間もなく、素直に箱を引き出しに仕舞い、幾分恥じらった顔をするまりえを、不思議なものでも見るかのように凝視する。

「一体どうしたの?」
「あの・・・怜二から聞きました・・・」
「・・・怜クン?」
「私・・・勿論専務のことだから、ちゃんと考えての事だと思ってますし、こんな事余計なお世話だって分かってるんですけど・・・華ちゃんそういう話に疎そうだし・・・専務も男の人ですからそういう事はやっぱり・・・・あっ、当然病院に行った方が確実だって分かってます。それに、今のところ兆候はないようですし・・・、でも、念のためって言う事もあると思うんですっ! だって、もしもの時の心構えが事前にあると、やっぱり違うんじゃないかって」

「・・・・・・はぁ・・・」

 まりえが何の話をしているのか少しもわからない優吾は、とぼけた返事をするだけだった。
 だが、そんな優吾を余所に彼女はどんどん盛り上がっていく。

「私も今はその・・・欲しいと思ってる所だったので結構こう言うことに敏感になってしまうというか。それに!! もし華ちゃんと同じ時期に、なんて考えたら私ドキドキしてしまって・・・っ!」
「あ、あの〜・・・」
「怜二に言ったら笑われちゃったんですけど、でも有り得ない事じゃないと思うんです!!!」
「ちょ、ちょっとごめん!」

 こんなに興奮している彼女の話の腰を折るのは非常に申し訳なかったのだが、優吾はどうしても内容についていけなかった。

「はっ、・・・あ、やだ私ったら一人で盛り上がって・・・すみませんっ!」
「いや、コッチこそごめんね・・・エ〜ト、・・・僕には話の内容がよくわからなくて・・・」
「はい、・・・えっ!?」

 目をパチパチさせて、一瞬の沈黙。

 と、
 その直後、まりえは恥ずかしそうに頬に手を当てて、顔を真っ赤に染め上げた。

「ごっ、ごめんなさいっ! 私ったら夢中になりすぎて用件も言わずに・・・っ、しかもこんな事・・・っ」
「いや、何の話か分かれば僕も話に乗れる気がするんだけどね」
「はいっ、あの、あのですね」
「うん」

 急に小声になったまりえの方へと身を乗り出す。
 一体彼女は何を言おうとしているんだろうと、ちょっとワクワクした。


「怜二に『優兄は避妊をしていないらしいよ』って聞いちゃいまして・・・」



 ・・・・・・・・・



「・・・・・・っっ!!!!!!!?????」


 ガタ〜ン!!!
 と、盛大な音を立てながら、優吾は普通に座っていたはずの椅子から思いっきり転げ落ちた。

「きゃ〜、専務っ!!」

 床に尻餅をついた姿勢のまま、起きあがることも出来ない程呆然としている。
 まりえは優吾に駆け寄り、心配そうに顔を覗き込むと、彼はハッと我に返ったらしく、見る間に顔が朱に染まっていった。

「まっ、まりえちゃ・・・っ、そん、そん、そんなコト、一体誰が言ったのっ!?!?」
「え? ですから、怜二が・・・」
「な、な、なんで怜クンがそんなコト知って・・・っ」
「あの、華ちゃんに聞いたらしいんですけど・・・」
「!?!??!?」

 頭の中がオーバーヒートしてしまい、プシュプシュと煙が出てきそうだった。

 しかし、ハタと何やら思い出した彼は、まりえから貰った机の中に仕舞った箱を、もの凄い勢いで取りだした。


「・・・・・・っ・・・・・・!!!!!」


 ・・・こ、これは・・・っ


 思いきり息をのみ、思った通りのものがそこには入っていたようだ。



「・・・妊娠判定薬・・・・・・です」

「・・・・・・・・・・・・」


 哀れ優吾。

 耳まで真っ赤にした彼は、ちょっと泣きそうになっていた。
 そんな彼を見たまりえは、華に振り回されてるなぁ・・・と思いながら、笑いを堪えるのが大変であった。
 優吾は真っ赤な顔を隠すように手で押さえ、か細い声で小さく礼を述べた。


「・・・・・・・・・・・・・・・あ、アリ、がトウ・・・早速、今日・・・・・・試してみる、よ」


 ・・・この言い方だとまるで優吾が試すみたいに聞こえる。
 更に可笑しくなったまりえだが、それも何とか堪えてちょっとプルプルふるえながらニッコリ微笑んだ。

「結果教えてくださいね」

「・・・うっ、・・・うん」

「では、お忙しい中時間をとらせてしまってすみませんでした。失礼します」

「・・・・・・、バイバイ」


 パタン、とドアが閉まり、まりえの足音が遠ざかっていく。
 それでも依然真っ赤な顔をした優吾は、暫し身動きがとれなかった。



 やがて、

 視線を妊娠判定薬の箱に移し、ガックリと項垂れる。


「・・・・・・そんなコトを怜クンに相談してるなんて・・・・っ」


 恥ずかしくて暫く怜二には会いたくない気分である。
 しかし、会社にいる限り、そんなわけにもいかない・・・。

 ただ、

 まりえが言うことが一々重要だった事は確かだ。

 当然ながら、華がいつどのようになろうとも、全ての責任はとるつもりでいる。
 第一、子供なんて出来たら最高に嬉しいに決まっているのだ。




「・・・・・・・・・う、・・・うぅ〜ん・・・・・・」


 優吾は暫く箱とにらめっこをした後、無言のまま封を開け、中の使用説明書をおもむろに取りだした。
 そして真面目な顔をしながら端から端までを漏らすことなく黙読し、時折フムフムと頷いたりもして。

 彼が使い方をマスターしたとしても、使うことは無いのだが・・・





中編へつづく


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