『Kissしたくなる10のお題』

10 その手に触れた日(side 優吾)







 親友を失った日、僕はその親友の恋人が誰であるかを知った。

 その人は僕たちの学校の保健の先生で、男子生徒の憧れの存在だった。
 確かに最初は驚いた。
 けれど、体の弱かった親友が保健室にいることは日常茶飯事で、あのぶっきらぼうな親友が彼女の前でだけほんの少し頬を染めることもあって、僕はそんな光景を見ていたから、あぁそうか、と納得したんだ。


 それからすぐ、僕は彼女のお腹に命が宿っている事を知った。
 その事を彼女は知らなくて、僕が伝えるという役目を自らかってでたにも関わらず、直ぐ伝えることは出来なかったのは、彼女が恋人の死を嘆き悲しむあまり、自分も死んでしまえばいいと泣き続け、それはあまりに痛々しい光景で、一時でも目が離せないほど危うくて・・・とても言える状態じゃなかったからだ。


 だから僕は、どうか生きて欲しいと、彼女を生かして欲しいと、お腹の子供も生かして欲しいと、毎日毎日、亡き親友の墓前でひたすら祈り続けた。


 僕が彼女と赤ちゃんを守っていくから・・・
 由比が与える筈だった笑顔も、幸福も、全部全部、何もかも僕が引き受けるから、と。



 妊娠を伝えてから少しして、僕がプロポーズした時、彼女はとても驚いていた。
 別の男の子供を身籠もった女性に、まだたった17年生きただけの高校生が言う台詞ではなかったからだ。
 勿論断られる事なんて予想通りで、僕たちは何度同じ問答を繰り返したか分からない。

 彼女はどこまでも一人でがんばろうとしていたけど、不安に胸が押しつぶされそうで、いつ心が折れてしまうかもしれない状態だったんだ。
 それが痛いほど分かっていた僕は絶対に諦めるわけにはいかなくて、ギリギリまで一人で頑張り続けた彼女が泣きながら頷くまで、馬鹿の一つ覚えみたいに何度も何度も結婚しようと繰り返した。


 それが良いことだとか悪いことだとか、そんなのはどうでも良かった。

 だって親友が愛した彼女の事も、そのお腹の子供も守りたかったんだよ。


 彼女が心を預けてくれるようになるまでそれなりの時間はかかったし、その間に障害が無かったわけではないけれど、僕たちは着実に心を通わせていったのだと思う。
 きっとこのまま、お互いが年をとってもずっと穏やかな時は続いていくのだと、そう思えるほど一日一日が優しく流れていたのをよく憶えてる。




 けれど、出産当日、

 彼女は恐れていた発作を引き起こした。


 誰よりも側にいたはずの僕は、あろう事かその異変に気づいてあげる事が出来ず、彼女は駆けつけた僕の母親に突然の告白をしたのだ。

 このお腹の子は別の男性との子供だと。
 優吾さんが結婚したのは悩んでいた自分を放っておけなかったからだと。
 ひたすら謝罪し、それでも僕を愛していると泣いた。



 そして・・・

 彼女は分娩室へ消えるまで、
 発作について僕たちに一言も告げることなく、そのまま帰らぬ人となった・・・


 後で知った事だけれど、彼女は分娩台に上がって直ぐ、言ったらしい。

 赤ちゃんだけ、助けて・・・と。


 それは正に自分の命と引き替えの、彼女の最後の願いだったんだ。






 分娩室から赤ん坊の元気な鳴き声が響いたとき、僕と母親は手を叩いて喜んだ。
 扉が開いて医師の苦悶に満ちた表情と、静かにベッドに横たわる彼女を見た瞬間、喜びは悲しみへと変わったけれど・・・


 僕は、永遠に目を開くことのない彼女の顔を見て、溢れる涙が止まらなかった。
 あまりに幸せそうで・・・まるで眠っているみたいに綺麗で・・・・・・





 おぎゃあっ、んぎゃあっ、おぎゃあっ


 母親を求める赤ちゃんの声。
 僕は生まれたばかりのその子の声に引き寄せられるように振り返る。

 だけど、その子が元気に泣けば泣くほど、こんなちっぽけな自分に一体何が出来るだろうと・・・

 何も知らずに泣くキミに手をのばして・・・


 一度も抱かれることなく、キミはこの先もずっとその温もりを知る事はないんだよ。
 そう思ったら堪らなかった。



 ねぇ、キミに何を与えられる?
 どうしたらこんなにちっちゃな、もみじみたいな手を守っていけるかな?




 ・・・あうっ、・・・あー




 まるで泣いてる僕を励ますように。
 立ち止まって動けない僕の背中を押すように。

 キミは、僕の小指を・・・その小さな小さな手で、握り締めたんだ。


 あぁ、この子は何てあたたかいんだ・・・
 生まれてくるために授かった命はこんなにも輝いてるんだ。



「・・・・・・だいじょうぶだよ・・・・・・、僕がいるからね。僕が守ってあげるから、絶対に手放したりしないからね」



 僕は何も持っていないけど、
 これ以上ないほど、たくさんの愛をあげるからね。



「キミの名前、華って言うんだよ」


 僕が決めたんだけど、気に入ってくれるかな。
 一番にキミに教えたかったから、まだ誰も知らないんだよ。
 僕はスゴイ気に入ってるんだ。



「華ちゃん」


「・・・あー」



 ・・・、これってもしかして返事なのかな。
 かわいいな・・・



「僕は優吾、華ちゃんのパパだよ」



「あー・・・っ、あー」




 キラキラしてる。
 こんなすごいタカラモノは見たことがなかった。









 由比、

 百合絵さん、



 あたたかいよ、

 すごく、ちっちゃくて・・・やわらかいよ


 当たり前みたいに、愛しくてたまらないんだ





 誰よりも大切にするから


 だから・・・、

 僕がもらっても・・・・・・いいでしょう?



 この子は今、僕を見て笑ってるんだ。

 ねぇ、・・・二人とも、今そこで見てるでしょう?



 ・・・約束するよ



 だから、・・・・・・いいでしょう?





 ───そして僕は、永遠の意味を込めて、そのもみじの手に誓いのキスをしたんだ。









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