『TWINS』

○第10話○ 兄弟ゲンカ








 愁は家に帰るなり、風呂場に直行し、今日一日の疲れと汚れを落としていた。
 全身をシャワーでキレイに洗い流し、たっぷり湯を張った湯船にざぶんと浸かる。

 ここ数日、産まれて初めてのアルバイトをしてみて、環境に慣れるまでそれなりに大変だった。
 ビルの清掃は、前から知り合いに小遣い稼ぎにやってみないかと言われていたものだったし、電話をかけただけで面接も何もなくすんなり仕事が決まった。

 交通整理も夏場のこの時期には人手も足りないらしく、アッサリその日のうちに採用され、忙しくバイト三昧の日々を送ることが出来た。
 肌は小麦色にキレイに焼けて、引き締まったように見える。多少は体重も落ちたかもしれないが、この生活に慣れれば直ぐに戻るだろう。



 それもこれも、卒業と同時に家を出るため。


 その為に、後どれくらいの金が必要なのかわからないが、夏休みが明けてからもバイトは続けるつもりだ。


 これ以上はあの子の近くにいられない。
 智を見ているのもイヤだ。

 新しい場所で何もかも新しく出発する。
 そうでなければ、ずっと引きずってしまう気がするから。


 愁は、ふぅ、と大きく息を吐き出すと立ち上がり、勢い良く風呂から出ていった。


 ところが、スウェットとTシャツに着替え、脱衣所から出ていくと玄関の方で何やら人が集まっているのが目に入る。
 一体なんだろうと不思議に思って行ってみると、鈴音の母親、琴絵が来ていて何やら神妙な顔で沙耶に話している。
 隣には智も加わって、皆珍しく考え込んだ表情だ。


「どうしたの?」

 愁が話しかけると沙耶は振り返り、困ったような顔をする。

「リンちゃんがね、家に帰ってないんですって」
「えっ!?」

 まさか・・・

 家に帰ってない!?

 愁の驚いた顔に智が反応して片眉をつり上げる。

「愁、何か知っているのか?」
「・・・っていうか、さっきまで一緒にいたけど・・・・・・」
「なんだとっ、お前の所為か!!」
「オレの所為? だって、家の前まで送ってったんだぞ!?」
「リンに何をしたんだ!?」

 激しく詰問され、愁もここ暫くの間の怒りが頂点に達した。

「何をしただと!? 人をケダモノか何かと間違ってんじゃねぇのか!!! てめぇ、いちいち突っかかって来やがっていい加減むかつくんだよ!!!」
「お前が何もわかってないから突っかかりたくもなるんだろうっ!!」
「んだとっ、このヤロウ!」

 愁は智の襟首を掴み、壁に彼の背中を叩きつける。
 それを見ていた沙耶や琴絵も驚いて止めようとするが、相手は身長180を超える大男二人だ、ここまで頭に血が上った二人を抑えるのは至難の業だった。

「いつもいつも、高いところから人を見下しやがって」
「勝手に解釈するなっ、いつオレが」
「いつもだよっ! わかってねぇのか、末期患者だな!!」
「バカかお前っ、日本語の使い方が間違ってるぞ!」
「それが見下してるって言ってんだよ! 何でも分かったような顔しやがってッ、そうやってリンも手に入れたのか、自分の頭の中で物事を全部組み立てて、そうやって全て思い通りになって、さぞかし気分がいいだろうな!!」
「はっ、全て思い通り!? オレのどこを見てそんなことが言えるんだよ!」

 二人とも床に転がりながら怒鳴り合いを続ける。
 愁が智を下に組み伏せたかと思えば、今度は逆に智が愁を組み伏せる。
 力の差は拮抗していて、一向に決着が付きそうもなかったが、激しい言い争いは留まるところを見せなかった。


「どこもかしこも思い通りじゃねぇかっ!! あ〜、段々むかついてきたッ! 大体あの時、何でお前なんかにあんなボコボコに殴られなきゃならなかったんだよっ!」
「なんでだと!? 人の女に手を出しといてよくそんなことが」
「黙れっ!!!」

 ボグッと鈍い音をさせ、あの時のお返しとばかりに智の頬を殴りつけた。
 口の中が切れたのか、口端から血を滴らせ、だが、やられた方も負けてはいない。
 ギッと睨みつけ、一気に智の瞳も苛烈さを増した。

「この鈍感男がッ!!!」

 再び愁を組み伏せ、ダンッと床に背中を打ち付けざま、右頬に智の拳が入る。

「・・・ってぇ、オレのどこが鈍感なんだよっ!!」
「鈍感じゃないかっ、人の気持ちなんてお前には分からないんだろうっ」
「分かってるよッ! だから勝手にお前らで好きにしろって言ってんだろッ!」
「なんだとっ!? やっぱりお前は少しも分かってないじゃないか! まさかとは思ってたけど、ここまでとはなっ。お前はオレが言った言葉を1%も理解してないッ!」

 愁のTシャツの襟を掴み、何度も彼を床に叩きつける。だが、勿論愁の方もやられっぱなしであるわけがなく、下から智の体を押し上げ、左足で彼の腹を蹴り上げた。
 それはかなりのダメージがあったようで、智は腹を押さえながらゲホゲホとむせかえっていたが、瞳だけは勢いを失わず愁を睨みつけていた。

「お前が言った言葉って何だよっ!? アレか? リンがお前には拒絶しないって話か!?」
「そうだよ!」
「何を何回もそんなこと自慢してんだよ!?」
「こ、の・・・っ、それのどこが自慢だ、大バカ野郎ッ!!!」


 ガツンッ

 と、お互い絶妙のタイミングで頭突きをして、荒い息で睨み合う。
 少しの間ゼイゼイと睨み合った末、もう一度掴み合い・・・・・・





 バッシャーーーーン






「い〜い加減におしっっっっ!!!!!」


「「っ!?」」


 ハッと気づき、一斉に声の主に目を向ける。




 ・・・・・・そこには、バケツをもち、角でも生えているのではないかというくらい怒りに燃え、仁王立ちする母親の姿が・・・

 彼女はバケツ一杯の水を彼らにぶちまけたのでは足らないらしく、ズンズンと彼らの目の前まで来ると、一人に一つずつ、強烈な平手打ちをお見舞いした。


「今そんな下らない兄弟喧嘩をやってる場合じゃないでしょっ、そんなのは後にして、リンちゃん捜してらっしゃいっ、バカ息子共ッッ!!!!!!」
「・・・うわっ!」
「っ!?」

「見つけるまで帰ってくるんじゃないよっ!」

 おまけに彼らのお尻に蹴りまでかまして、沙耶は二人を家から追い出した。



「・・・まぁったく、何バカなことをやってるんだかっ!」

 頭から煙を出しそうなほど興奮した沙耶を、琴絵は尊敬の眼差しで見つめていた。

「沙耶ちゃん、すごいわぁ・・・っ、感動っ、カッコ良すぎ!!!」

「・・・琴ちゃん、あんたはとにかく自宅待機よ。電話掛かってくるかもしれないし、私もここで待機してる。・・・まぁ、あのバカ共が見つけて、無事連れ帰ってくれるのを信じるけどね」

「・・・ありがと、私なんて全く母親らしいことちっともやってなくって、情けないわぁ・・・」

 珍しく落ち込んだような琴絵の顔を見て、沙耶は苦笑した。

「あんたが主婦出来るわけないでしょ。外で一生懸命働いて、好きなことに一直線、そういう生き生きした姿見てるんだから、リンちゃんが間違った方向に進むはずないの! 私もいるし! ・・・たまにはどっかに連れてってやるくらいの事はしても良いと思うけどね」

「・・・反省するわ。今度たまってる有給でドカーンとどっかに鈴音連れてってあげなくちゃ」
「そうしなさい」

 肩を竦めた琴絵に沙耶が微笑みかけ、しかし、冷静になって辺りを見渡す。


 そこら中が水浸しでとんでもない惨状になっている・・・

 おまけにとっくみあいをしてくれたお陰で、下駄箱の上に飾ってある花瓶やら置物やらも割れて、災害にでも遭ったのかという悲惨な状況だ。
 これからやるべき事の何と多いことかと、盛大な溜息を吐き出す。

「あ〜、とにかく掃除しなきゃだわ」
「ねぇ、沙耶ちゃん」
「なあに」
「何か、久々にちょっと胸が熱くなっちゃったわ。若い子っていいわねぇ」
「・・・・・・・」

 しかし、こんなのがもししょっちゅう起こるとしたら家は崩壊するし、けが人は絶えないだろう。

 だが、まぁ・・・


「あの子達も、言いたいこと言い合ってたみたいだし、スッキリしたんじゃないの?」



 兄弟喧嘩などここ数年見たことがなかった。
 特別仲がいいわけでもなく、かといって悪いわけでもなく、表面上は平穏に過ごしてきた。

 だが、お互いに不満はあったわけで、それを一気にぶつけ合うことでいい刺激にはなっただろう。
 完全には解決していないようだけれど、それも時間の問題だと、沙耶の第六感が告げていた。








 一方、その頃愁と智はまだ言い争いを続けていた。


 外に追い出され、どこに行ったら良いのか分からない上に、さっきぶつけ合った言葉にお互い不満が残っている。


「お前の所為で水浸しじゃねぇか」
「お互い様だろ、鈍感男」
「なんだとっ!?」
「声がデカイ、近所迷惑になるだろう」
「んだとっ、またそうやって何でも分かった風にしやがって」
「分かった風じゃなくて、分かりきったことだ、バカ」
「バカはお前だ、大バカっ! ちくしょう、とにかくリンを見つけたら後でおぼえてろよっ!!」
「それはこっちの台詞だ、覚悟しとけ」

 二人とも一歩も退かず、睨み合う。
 しかし、こうしていても仕方ないと思ったのか、智がGパンのポケットから財布を取りだし、愁に5千円札を手渡した。

「・・・なんだよ、コレ」

「なんかあったら連絡が必要だし、金が必要だろう。多めに持っていて悪いことはない、後で返せよ」
「じゃあ、同じ方角捜しても仕方ないから、ここで別れるぞ」
「ああ」


 フンッと思いきり顔を背けると、二人は一斉に逆方向に走りだした。




第11話へつづく


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