リビングでは、鈴音がテレビを見ながらスナック菓子を食べていた。
その様子はあどけない幼子のように見えるのに、愁の中で彼女は完全に女だ。
「リン、母さんと智は?」
「ん? 沙耶さんはさっきお買い物に行った。智くんもちょっとコンビニ行ってくるって」
「・・・ふ〜ん」
ということは、今この家には二人きりだ。
誰も邪魔をする人間はいない。
と、そこまで考えて、すぐに頭がそっちにいってしまう自分を戒め、小さく首を振った。
「愁くんもお菓子食べる?」
ポテトチップスの袋を差し出されたので、愁は片手いっぱいに中身を掴み、ぼりぼりと食べはじめる。
「ありゃ、殆ど無くなった」
袋の中身を見て驚く鈴音。
彼女は袋をテーブルの上に置き布巾で手を拭くと、再びテレビに向き直る。
やはり、よそよそしい態度だ。
あれからずっと。
きっと今の二人きりの状況は、彼女にとっては困ったものなのだろう。
愁はソファに座っている鈴音の隣に腰掛け、ふと、何で彼女が自分の部屋にいたんだろうと疑問に思った。
「リン、何でさっき起こしてくれたの?」
「え? あぁ、沙耶さんにそろそろ愁くんを起こしといてって言われて、それで行ってみたら苦しそうにうなされてるし、汗でびっしょりだし・・・だから・・・」
「・・・そっか」
「コワイ夢だったんでしょう?」
「・・・そうだね、死ぬかと思った。サンキュ、リン」
何の気なしに鈴音の頬を撫でると、彼女はビクリと体を震わせて身を縮めた。
その様子は夢の中で怯える彼女と重なる。
「なんだよ、それ。何でそういう風に逃げるんだよ」
「・・・あっ、ごめんっ、ちがうっ」
「違わない!」
彼女の腕を取り、自分の胸に引き寄せる。
すると、予想しなかった力に引っ張られ、勢い良く愁の胸に彼女が飛び込んできた。
鈴音は慌てて身を起こそうとするが、愁の力の前では赤子のようなものだ。
「やっ」
首を振り拒絶する。
やはりそうなのだと思うと、絶望で崩れ落ちてしまいそうだ。
腕に力を込め、無理矢理彼女の唇に自分のを重ねる。
愁が何かをする度に、ビクビクとする鈴音の様子は更に彼を追い込んでいった。
このまま無理矢理したら彼女は泣き叫ぶだろう。
そして、永遠に許すことはしないだろう。
金輪際触れることすら許さないだろう。
それでも、と彼女の上にのしかかり、首筋を愛撫する。
「・・・んっ・・・やだぁ・・・っ」
首筋から覗く肌にゾクリとする。
襟元をギュッと抑え、服を脱がされないように抵抗している姿は益々彼を煽る。
「ねぇ、どうして智がいいの? 教えてよ、どうしてアイツには簡単に体をひらくの?」
聞いているのに首を振るだけで答えようとはしない。
目尻に涙さえ浮かべて。
「そんなにオレがイヤ? 泣く程触れられるのがイヤ? でも、そんな抵抗じゃオレはとめられないよ。本気で嫌がったってリンなんてオレに叶わないんだから」
今の愁の目つきは鈴音にとって恐怖そのものだった。
言っている言葉も恐怖を煽るものだったし、何よりも感情がないようなものの言い方がとてもいやだった。
「やだっ、・・・ん、んぅ」
口を塞がれ、熱い舌が侵入してくる。
彼の舌が執拗に絡みついてどんどん追いつめられる。
鳴り響く心臓の音が五月蠅い。
愁は無言で唇を離し、鈴音を見据えた。
苦しくて堪らない。
身体は彼女を欲しがってる。
だけど、心はちがう、
沸き起こる感情はそうじゃないと言ってる。
力ずくで手に入れられるのは身体だけ、欲しいのは、心。
・・・・・・どうして?
どうしてオレのものにならないんだ・・・?
オレはリンだけなのに、リンしかいらないのに・・・
たった一つしか欲しくないのに───
望んでいるものはたった一つなのにどうして叶わない?
どうして・・・・・・っ
突然止まった愁の動き。
彼女はそれまで身を縮めて震えていたが、何も行動しない愁の様子を不審に思い、恐る恐る顔を上げる。
鈴音は愁を見て驚きの表情を浮かべた。
まるで、今にも泣き出してしまいそうなくらい傷ついた顔がそこにあったから───
「・・・愁・・・く・・・」
しかし鈴音が彼の名前を呼びかけた、その時、
部屋の向こうでドサッと何かが落ちたような音が聞こえた。
「お前っ、何してんだよ!!!」
叫び声に気づいてハッとしたとき、愁は智に殴られていた。
あっという間に自分の上にいた愁がいなくなり、今は智にただ殴られている。
「ふざけんなよっ、このやろうっ!」
愁は全く抵抗しない。
智は、殴るのをやめる術を知らないかのように、何度も何度も彼を殴りつける。
床に倒れ込んだ愁の上にのしかかり、更に拳を振り上げる。
「やめてぇっ!!!」
鈴音の悲鳴に智がビクリとして、彼女を振り返る。
智の瞳は見たこともないくらい恐ろしい色をしていた。
あのまま鈴音が叫ばなかったら愁を殺してしまうまでやめなかったかもしれない。
抵抗もしないで、殴られ続ける愁が死んでしまったかもしれない。
そう思うと、身体中が震えてくる。
ブルブルと震える鈴音を見て、智は彼女に駆け寄り肩に触れる。
「やっ」
愁を殴った手に触れられた恐怖で、思い切り智を拒絶した。
智は、一瞬眉をひそめたものの、今はそうっとしておくしかないと思い、手を引っ込めると、いつもの優しい微笑みを浮かべる。
「もう、大丈夫」
鈴音は、今だ震える体を抱え、智の後ろに横たわる愁の姿を見た。
ボコボコに殴られた彼は、大の字に寝転がり、天井を見つめたまま微動だにもしなかった。
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