「しかし、よく飽きないよな。まさか一日中あそこにいるとは思わなかった」
「あ〜、楽しかったぁ」
愁と鈴音が水族館を出る頃はすっかり日が暮れていた。
朝からいたのだから、随分長い間ここに留まっていたことになる。
「・・・・・・オレ、当分水族館は行かねぇ」
ウンザリした顔で言う愁を見て鈴音は可笑しくなった。
彼は今日、魚など殆ど見てなかった。
最初の頃は鈴音にくっついてみたり、手を繋いだりして一緒に見ていたが、飽きっぽい彼は、小一時間ほどすると、ちょっと見ては休憩してくると言ってどこかへ行ってしまったり、ふと気づくとあろうことか休憩所でうたた寝を始めたりしていたのだ。
「愁くん、情緒が足んないんだよ」
「情緒ねぇ・・・」
「・・・・・・あの、さ・・・普段は女の子とどんなデートしてるの?」
「・・・え?」
愁の顔を見ずに、少し俯き加減で聞いてくる。
だが、普段のデートと言われても、到底彼女に言えるようなものではない。
なんだか自分がしてきたことが後ろめたいような気がして、愁は顔をしかめた。
「・・・ん〜、別に・・・大したことはしてないけど」
「ふぅん・・・どんなの?」
何でそんなことが聞きたいのだろう、とは思いつつ、どう答えていいのか分からないので彼は逆に質問することにした。
「どんなデートだと思う?」
「えっ」
「リンは、どんな風に想像してるの?」
「・・・そ、それは・・・・・・・・・」
「なに?」
「・・・・・・・・・言えない・・・」
そんなことを言うあたり、なかなか勘が鋭いと思うが顔には出さない。
「リンってやっぱりえっちだなぁ。そんなこと想像しちゃってるんだ」
「ちっ、ちがうっ! 想像してないッ!!!」
「してるじゃん、図星だって顔に書いてある」
「え〜〜〜っ!?」
愁の言葉を聞いて、鈴音は頬に手を当て顔を真っ赤にしている。
そんなことが書いてあるわけもないのだが、彼女はすっかり慌ててしまって取り乱している。
「・・・じゃあ、リンの想像するデートもしてみようか」
怪しい瞳を輝かせて、彼女を見下ろす。
一瞬鈴音が息を呑んだ気がした。
愁は彼女の耳元に唇を寄せると、小さな声で囁いた。
「今日、オレの彼女でしょ?」
耳にかすかに触れる唇や、吐息が色っぽくて鈴音の体は全く動かない。
愁は彼女の顎を上に向けると、何の躊躇もなく唇を寄せ、甘くやわらかい唇の感触を感じた瞬間、これ以上自分の気持ちを押さえつけることなど出来ないと思った。
なのに・・・・・・なのに、だ!!!
「リン、ここまで来て逃げるなっ!!」
「や〜、愁くんとはえっちしない〜!!」
半べそを掻きながら鈴音がシャワールームに逃げ込む。
二人は所謂ラブホテルに入っていた。
入ってすぐ愁は鈴音を抱きしめ、キスをしてベッドに押し倒した。
だがその直後、彼女はぐずり始め、愁とそう言うことはしないと言い出したのだ。
ここまで極めて順調に事は進んでいたように感じたのに、いきなり拒絶され、かなり狼狽えたが彼も本気だ、何とか説得しているのだが・・・
「なんでだよっ」
「・・・うぅ、だってぇ・・・・・・」
「リン」
「・・・・・・愁くんコワイんだもん」
「何言ってんだよ、全然コワクないだろう?」
「コワイもん、愁くんコワイ・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・だから、愁くんとはしない〜」
愁は、何とか自分を落ち着けようと、はぁっと大きく息を吐いた。
確かに普通に考えれば、彼氏でもない男とこんな所にいる時点でどうかしている。
だが、ここまで来てのこれには流石に・・・。
だって、
コワイって、コワイって・・・っ!!!
まさか泣くほど怖がられていたなんて。
そんなこと今日の様子を見てて誰が思いつくってんだよっ!
鈴音の言葉に打ちのめされ、言葉も出ない。
言われなくても自分は今日一日だけの存在。
そんなことは最初からわかってる。
だけど、もしかしたら、なんて・・・・・・。
一生嫌われる覚悟で来たと言っても、そこまで嫌がられて無理矢理なんて出来るわけがない。
彼女とは、家が隣と言うだけではなく、海藤家に遊びに来ればこれからも会うことがあるだろうし、学校ですれ違う事だって考えられる。
これ以上この関係を壊すことは、いくら愁でもできるわけがなかった。
「・・・・・・・・・」
愁は暫く黙り込み、顔には苦渋の色が浮かんでいたが、やがて静かにドア越しの鈴音に話しかける。
「・・・リンの気持ちはわかった」
「えっ」
「もう二度と触れたりしないから安心して出ておいで・・・・・家に帰ろう」
だが、
どういうわけか、彼女の返事はない。
まだ警戒しているのだろうか?
だとしたら、自分は相当信用がないらしい。
愁はもう半ば自棄になったような気分でシャワールームの硝子を叩いた。
「オイ、いつまでそこにいるつもりだ? いい加減に出てこいよ。もう金輪際リンには近寄らないって言ってんだろ!?」
ちくしょう、こんなの自分で自分を傷つけてる気分だ。
なのに、ここまで言っても彼女は出てこない。これには憤りすら感じられ、完全にお手上げ状態だ。
「・・・・・・わかったよ・・・・・・オレと一緒に帰りたくないなら先に帰るよ。・・・・・・・・・・・・・・・じゃな」
・・・・・・あ〜
こんな惨めな気分は初めてだ。
オレって、もしかして随分嫌われていたんだろうか・・・今日結構楽しそうにしてた気がしたんだけど。
溜息を吐き、押し倒しただけでそれ以上使われることのなかったベッドを見て、虚しさが沸き起こる。高校生にホテル代はかなり痛いが、彼女を抱ければ安いものだったろう。
もういい、帰ろう。
ここにいても、もっと虚しくなるだけだ。
そう思い、ドアに手をかけたとき、Tシャツをぐいっと後ろに引っ張られた。
驚いて振り向くと、いつ出てきたのか、俯いて涙で顔をぐしゃぐしゃにした鈴音が立っている。
「・・・リン」
「・・・愁くんのばかぁ」
「はぁ!?」
この状況で何故自分がばか呼ばわりされなければいけないんだろうか。
場所はともかく、彼女には全く手を出していない。
鈴音はぐずぐずと泣きながら、それでも愁のTシャツを離さない。
全く心当たりはないが、何か彼女を泣かせるようなことをしただろうかと考えを巡らせるが、やはり思い当たることは何もなかった。
「・・・・・・リンってそんなに泣き虫だったか?」
こういう時どうやって接したらいいのか分からない。
泣かれるということは、それなりの理由はあるんだろうが・・・・・・
「し、愁くん、が、二度と近寄らないって・・・・・・っ、言うからっ」
「・・・だって、その方がいいんだろう?」
「・・・・・・・・・」
「リンが言いたいことよく分からないけど、好きな女に拒絶されて平然としてられるほどオレは人間が出来てない。・・・でも、まぁ、リンは今まで通りウチにも遊びに来ればいいし、智と仲良くしていればいいよ」
「愁、くん・・・は?」
「・・・オレは、・・・・・・そんな事今聞かれたってわかるかよ」
だけど、目の前で仲のいい二人を見て、普通にしてられる筈がない。
この気持ちのやり場など、どこにもあるわけがないんだから。
───高校卒業したら、家を出るかな・・・
それが一番いい方法かもしれない。
「・・・とにかく帰ろう」
鈴音の細い腕をとり、引っ張る。
部屋のドアを開き、外に出た瞬間、終わったんだなということが何故か客観的に理解できた。
二人とも無言のままホテルを出る。
隣にいる鈴音は先程からずっと俯いたままでどんな顔をしているのかわからない。
それから、5分ほど歩いたろうか。
「リンッ!!!!」
絶叫に近いような声が後方から聞こえた。
振り向くと、息を切らし、制服姿で愁を睨みつける智の姿。
「・・・・・・智くん」
「リン・・・・・・おい、愁。お前今まで・・・」
「うるせぇな、そんなに心配だったら首輪でもつけとけ!」
智に負けず劣らず愁の目も思い切り片割れを睨みつけた。
「良かったなリン、お迎えが来たぞ」
「愁くん」
「・・・・・・帰る」
そう言うと、智の腕の中に鈴音を押しつけ、誰とも目をあわさぬまま、愁は振り返ることなく足早にその場を去っていった。
残された二人は、ただ呆然とその光景を眺めていることしかできず、だが、数瞬して智が心配そうに鈴音の顔を覗き込んだ。
「リン、アイツに何かされなかったか?」
「・・・・・・ううん・・・」
ふるふると首を振り俯く。
しかし、その顔は今にも泣きだしそうで智は顔をしかめた。
「リン、本当に?」
鈴音の顎を持ち上げ、しっかりと顔を自分に向けさせる。見れば泣きはらしたとしか思えないような充血した目をして、頬にも涙の筋が幾筋も出来ている。
「リン、ちゃんと言って。何があったの?」
「・・・う・・・・・・」
「言ってごらん」
優しく話しかける智を見て、ボロボロと涙をこぼし始める。
彼はそれを手で拭いつつ、彼女が何かを言い始めるのを根気よく待った。
「・・・愁・・・・・・くん、二度とわたしに、近づかないって・・・・・・だって、愁くんコワイからっ、触れられるとわたし、変になっちゃうから・・・・・・コワクて・・・っ、そしたら・・・・もう、金輪際リンに触れないって言って・・・・・・わたし、愁くん、が・・・女の人に慣れてて、・・・見てる、の、苦しくなる、し・・・・・・それに・・・・・っ」
「・・・リン、もういい」
智の低い声に鈴音の体がビクリと震えた。
彼は、瞳を曇らせ、目の前の彼女を辛そうに見つめる。
「・・・ねぇ、リン。その気持ちが何だかわからないの?」
小さく頷き、瞳を揺らしながら智を見つめる。
彼は苦笑して、はぁっと息を吐いた。
「それは、オレがずっと欲しかったもの。リンとつき合っても、ずっと手に入れられなかったもの」
「・・・?」
「リン、愁に恋してる」
Copyright 2003 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.