あれから、愁は寄り道もせず家に戻っていた。
夕食を摂った後、リビングでテレビをぼうっと見ていたが、目は映像を追っているものの、内容は全く頭に入っていかない。
その様子を見ていた沙耶は、何か不自然な感じがして彼の後ろから問いかける。
「愁、あんた何で今日智の服着てたの?」
「・・・別にぃ〜、でも、母さんもリンも智と勘違いして面白かった」
それを言われては、沙耶は苦笑せざるを得ない。
全くアレには騙されてしまった。てっきり智だと思い、疑いもしなかったのだ。
「ねぇ、母さん」
「なに」
「オレ産んで良かったって思う?」
テレビを見ながらだから、彼がどんな表情で、どんな思いを込めてそんなことを口にしたのかは分からない。
けれど、その言葉からは何か寂しさを感じ取れる。
「バカね、聞くまでもないこと。良かったに決まってるじゃない」
「・・・・・・ふぅん」
小さく呟き、それ以上何も言おうとしない愁の後ろ姿が、幼い少年のように見えた。勿論身長が180cmを超える愁の背中が小さいわけはないのだけれど・・・
「愁?」
「あ〜、何か疲れた。もう寝るわ、おやすみ」
軽く手を振り、首をコキコキと鳴らしながら二階に上がっていく様子はいつも通りだ。
年頃の子供というものは色々と悩むもの。
そうしてひとつずつ解決して大人になる。
沙耶は何となく寂しい気持ちになりながら、今まで愁が座っていたソファに腰掛けた。
▽ ▽ ▽ ▽
愁は自分の部屋に入ると、倒れ込むようにベッドに寝転がり、目を瞑った。
着替えもしていないが、今日は何もする気になれない。
枕元に転がっているエアコンのリモコンを手に取り、操作して冷房をつけると、もう一度目を瞑る。
今日は色々なことがありすぎた。
もう何も考えたくない・・・
精神的な疲労のピークに達していた愁は、そのままあっさりと眠りに引きずり込まれ、部屋の中はエアコンの静かな作動音と、愁の規則正しい呼吸音だけが響くだけとなった。
しかし、
「オイ、愁、愁」
何十分もしないうちに体を揺さぶられ、無理矢理現実に引き戻される。
「・・・ん・・・・・・」
「起きろ」
自分とよく似た声。間違うはずもない、自分の片割れ。
愁は今更見るまでもない相手の存在に、目を瞑りながら鬱陶しそうに返事をする。
「・・・・・・・・・・・・なんだよ」
「いいから起きろ」
「うるせぇ・・・・・・っ、うわっ!」
渋々目を開けると、智の顔があまりにも至近距離に来ていて、一瞬鏡の前にいるのかと思った。
「な、なんだよ、そんな覗き込んで」
「別に・・・まぁ、いい。そうだな、この際だから良く顔を見せてもらおうか」
無表情で全く何を考えているのか分からない智の顔が更に近づく。
「おいっ、そんなに近寄るな、口がくっついちゃうだろ!!! 息がかかるっ、気持ち悪いことすんなよ」
「そんな顔して、今までどれだけの女と寝てきた」
「はぁ!?」
「オレと同じ顔で、今までどれだけの女とヤッた!?」
智の言葉とは思えない。
普段の彼からは聞いたことなどない台詞に、耳を疑うような気持ちで極限まで近づいた智の顔を見つめる。
「知るかよ、そんなもん憶えてられるか」
「・・・・・・なるほどな」
言っていることも、ここで何を納得しているのかも分からない。
いつもそうだが、智の考えなど愁には殆ど理解できなかった。
生徒会長をやっていること自体頭がおかしいとしか思えなかったし、イヤなヤツでも平気で喋り、気が進まない事もそんなことをおくびにも出さずこなしていく。
愁にはそういう行動自体出来るものではなかったが、それで周囲の信頼や尊敬を得られるとしても、だからなんだと思うのだ。
「・・・何がなるほどなんだよ」
「実にお前らしい選択だと思ったんだ」
「?」
「リンとできないから他の女で誤魔化した。性欲処理に使っていただけで、ほんの少しの気持ちすら入ってないんだからな」
・・・・・・・・・そう。
その通り。大正解。
愁のそういった行動は、女好きだからとか、ヤリたい盛りだからといった普段彼が口にするようなそんな簡単なものではない。
いっそ、本当にそうだったらどれだけ楽だったろう・・・
どうやら、智は愁の心がわかるらしい。それは昔から。
自分には相手の気持ちが分からないのに、どうして智には分かるのか不思議でならなかった。
「・・・うるせぇ、お前にそんなこと言われる筋合いはない」
「いいことを教えてやろうか」
「なんだよ」
「リンはオレだからつき合っているんじゃない。あの時、もしもお前が先に告白していたらあの子は同じように首を縦に振っただろう」
「っ!?」
「わかるか? 早いか遅いかだったら、早い者勝ちというわけだ」
「・・・・・・汚ねぇ」
「どこが? 人の女を横からかすめ取ろうとする方がよっぽど根性悪いぞ」
相変わらず涼しい顔で愁を見据えている。
距離が近すぎるせいか、何となく威圧されてあまり反撃できない。これもヤツの手かと思うと苦々しい気持ちでいっぱいだ。
「お前はいつも、オレを見ようとしないから、オレが何をするのか、何を考えているのかわからないんだ」
「は?」
「憎らしいくらいに素直で、他人の顔色などお構いなし、自分の思っていることを包み隠さないお前のことを、オレはいつも羨ましいとさえ思いながら見ていたというのにな」
頭の中はクエスチョンマーク一色。
コイツは一体何を言っているんだろう?
・・・・・・・・・オレが羨ましい?
思いもよらないことをいきなり言われて、戸惑いを隠せない。
愁は、感情で行動してしまう自分の性格を欠点だと思っていたのに・・・・・・
「リンは、オレには拒絶しない。すんなり受け入れる、その意味が分かるか? あの子がコワイと言った意味がお前に分かるか? 理解してやれるか?」
無表情で発せられた智の質問は、愁にとって拷問に近いような責め苦を味あわせた。
オレがコワイと泣きながら告げたリンの言葉。
分からないわけがない。
理解出来ないわけがない。
どうせオレは拒絶されまくりの嫌われ者だ。
ちくしょう、わざわざそんな事を自慢しに来たのかよ・・・
それで、リンは自分の物だから手を出すなと威嚇をしているのか。
「・・・そんなこと、分かってるよ」
分かってるよ、オレなんか泣かせてばかりだ。
わかってる、わかってるよ。
リンは智を選ぶ、それは今まで通り変わらない。
あの子だけはどうしても欲しいと思っていた。
でも、それだけは絶対叶わないって話だろう?
まったくもって今まで通りじゃないか。
もういい、
オレはもう、二度とあの子には近づくつもりはないんだから───
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