鈴音は部屋で一人、智に言われたことについて考えていた。
『リン、愁に恋してる』
本当なんだろうか。
愁にそんな気持ちを抱いているのだろうか?
愁に対してだけは何か変な気持ちになることは確かだけれど・・・
でも、愁くんコワイんだもん・・・
それなのに特別に好きなの?
分からない。
彼に触れられるのがコワイ。
全身が熱くなる、自分が自分じゃなくなってしまう。
引きずり込まれて飲み込まれて溺れそうになる。
それが、恋というもの?
こんなに胸が苦しいものなの?
みんなそうなの?
わかんないよ。
自分がどうなってしまったのか、一体どうしたいのかさえ・・・
と、
その時、部屋のドアが『コンコン』と叩かれた。
弾かれたように頭をあげ、立ち上がりドアを開けると、彼女の母親、琴絵がスーツ姿のままでにこやかに立っていた。
「ママッ、おかえりなさい!」
「はいはい、鈴音〜。ただいまっ! ン〜、ハグしよ、ハグ〜〜」
ギュウッと抱き合い、鈴音の頬にキスをする。
琴絵は、殆ど休みもなく毎日遅くまで仕事をしているが、娘はやはり可愛いらしく、スキンシップも日本人の割に派手だった。
見た目も背が高く、グラマラスな体型だけでも人の目を惹くが、若々しく美しい顔立ちは女優顔負けだった。
当然彼女に近づく男性は数多い。
だが、恋人だったらお互い楽しんでつき合えるかもしれないが、結婚というのは彼女にとっては窮屈極まりないものらしい。
そこらへんが離婚した理由なのだろうが・・・
「あ〜、相変わらずカワイイったらないわね〜。最近は寝顔しか見られなかったから嬉しいわ」
「今日はいつもより早かったね」
「そうなの、だからおみやげ有り。一緒に食べない?」
「ケーキ?」
「ブ〜、ママ甘いもの苦手だもん、お寿司買って来ちゃった」
「わ〜い」
ニコニコしながら、琴絵に促され二人で一階に降りていく。
リビングに入ると、琴絵が嬉しそうに寿司を皿に盛りつけて用意を始める。
「あ、じゃあわたし、お茶でも用意しようかな」
「お願い〜♪」
茶箪笥から湯呑みと急須を取りだし、緑茶の茶葉を急須に入れていると、琴絵が話しかけてきた。
「折角の夏休みなのにどこも連れてけなくてごめんね」
「え? いいんだよそんなの。ママは忙しいんだから。それにいつも沙耶さんの所に行ってるから楽しいし」
「・・・あ〜ん、沙耶ちゃんにはホント頭があがんないわぁ。立派よねぇ、専業主婦できるなんてっ。しかも、週末には旦那の所でラブラブなんだもんねぇ」
「ママは誰かいないの?」
鈴音が聞くと、肩を竦ませて苦笑する。
「ダメダメ、腰抜けばっかりよ。どっちにしたって今は忙しくて相手の望み通りのつき合いなんてムリね。ママには鈴音がいるから男なんていらないわ」
「モテるのに勿体ないね」
「鈴音はどうなのよ〜、カワイクなっちゃって恋してるってカンジよ♪」
驚いて琴絵の方を振り向く。
彼女は既に皿に移し替えたようで、テーブルの上に並べている。
鈴音も急須に湯を注ぐと彼女の方へと歩いていった。
「ママ・・・わたし恋してるって思う?」
「ん?」
鈴音を見て首を傾げ、目をパチパチさせている。
やがて、何か思いあたることがあったのか『ははぁ〜』と言いながら頷き、鈴音に座るよう促す。
「ま、とにかく食べましょう。いただきま〜す」
「う、うん。いただきます」
琴絵は好物のエビから口に放り込み、ご満悦の表情だ。鈴音はとりあえずタマゴをぱくりと頬張った。
「おいし。・・・・・・ウン、つまり、鈴音は初恋ってやつをしてるのね」
「・・・・・・え?」
「どうもね、智とつき合ってるって聞いたときは変だなって思ったのよ。鈴音ったら殆ど雰囲気が変わらないし」
「・・・雰囲気?」
「そう。お子ちゃまのまんま、それはそれでカワイイけどね」
恐らく彼女から見たら、自分より年下の人間は殆どが『お子ちゃま』になるんだろうが、この場合のお子ちゃまは別物らしい。
「で? どんなヤツ?」
「・・・・・・でもさ、わたし智くんとつき合ってるのに・・・・・・」
「あん、そんなの関係な〜し! ママは鈴音の味方だから誰を好きになろうが応援しちゃう。でも、ママよりオヤジは勘弁してほしいな」
「そんなじゃないって・・・・・・あの、ね」
「ん?」
目をキラキラさせながら聞いてくる。
そんな様子は童女のように見えて、娘から見ても魅力的だなと思った。
「愁くん・・・・・・かもしれない・・・・・・」
「・・・まっ、愁!!」
自分で言って恥ずかしくなってきた。
本当にそうなのかもしれないと、初めて漠然とだが感じる。
琴絵は、頬に手を当てて少し考えると、何やら納得したように頷いた。
「・・・ママも愁の方がタイプかも」
「えぇっ!?」
いきなりそんなことを言われて戸惑ってしまう。
だが、琴絵を見れば真剣な顔で・・・
「智と比べればって話。愁ってああ見えて結構イケてるわよ? つき合ったことないし分かんないけど、正直だから自分の気持ちちゃんと伝えそうだし・・・何より、えっち巧そうよね、経験値高いんでしょ?」
「マ、ママ・・・っ」
「うふふっ、まぁ、それは冗談として、自分の気持ちをちゃんと言いそうっていうのはポイント高いわよ。日本の男って、好きとか愛してるとか自分からじゃ言わないし、せがんだってはぐらかすヤツもいるから。智は、言わないタイプに見えたからそう思っただけ」
「・・・・・・」
そう言えば、そうだったかもしれない。
智にはつき合い出すときも『リン、オレとつき合わない?』と言われただけ。
一度も好きとか愛してるなんて聞いたことがない。
愁は・・・
結構言われた気がした。
好きとか大好きとか、リンだけとか。
思い出して一気に顔が紅潮して、苦しくなる。
いつもそうだ、最近愁のことを考えると胸が苦しくなるのだ。
「成る程ね、愁か。・・・・・かなり鈍感そうではあるけど、いいんじゃない?」
「鈍感?」
「そ、自分の気持ちをハッキリ言う人ってね、ハッキリ言ってもらわないと相手の気持ちがわからないのよ。だから、鈴音もああいう男には『好き好き〜』って言っちゃえばコロッと信じちゃうから簡単よ」
「ママ・・・」
彼女独自の解釈なのだろうが、何だかあながち否定も出来ない気がする。
彼には恐らく思っているだけでは通じない。
今となっては余計に・・・
それにしても、あんなに顔は似ているのに、どうしてああも性格が違うんだろう。
年を重ねるごとに顔の違いなどが出てくる双子もいるけれど、あの二人に関して言えば、無表情でいる限り違いが見分けられないほど似ている。
けれど、
二人には珍しく共通して聞いてくる言葉があった。
『リンはオレが好き?』
あまり考えずに頷いていたが、アレは単なる好きという意味で聞かれたものではなかったのかもしれない。
鈴音が頷くと、二人とも一様にして寂しげな顔をして、それが不思議で仕方なかった。
今になってわかるなんて・・・
やっぱり、わたしはママの言うとおりお子ちゃまだったんだ。
恋もしていなかった自分が、誰かとつき合う時点で間違っていたのだ。ずっと一緒にいた人間だからそれの延長程度にしか考えていなかった。
セックスをしたのだって、そういうものなのかなと思ったから。
何だか、自分の行動があまりにも適当すぎてイヤになってくる。
これでは愁の女性関係をとやかく言えない。
だけど・・・・・・
彼は、今更自分の気持ちを受け入れてくれるだろうか。
今日最後に見た愁の後ろ姿はあまりに遠かった。
もう、割り切ってしまったように見えた・・・
それでも・・・
多分、この気持ちはそういうものなんだ。
わたしは、それが何となくわかった気がする───
鈴音は、今ようやく自分の気持ちについて理解し始めていた。
Copyright 2003 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.