「ねぇ、愁ったらっ!」
「うるせ〜な、腕離せよ」
愁はうんざりしたような顔で、馴れ馴れしく絡みついた女の腕を振りほどこうとした。
だが、女は執拗に両腕を絡ませ、愁を離さない。
「なんなんだよ」
はぁ、とわざと大袈裟に溜息を吐く。
全く冗談じゃない。
直ぐそこの角を曲がれば家が見えるっていうのに。
帰り道、夜も遅いというのに女は待ち伏せをしていて、それを無視しようとしたらしつこく追い回し、彼の腕に抱きついてきたのだ。
「今日という今日は、絶対離さないんだからっ!!」
「・・・・・・」
言っている意味はわかるが、それを受け入れる気持ちはない。
愁は無言で角を曲がり、女を引きずるようにして歩みを進めた。
だが・・・・・・
自分の家の門の前で、うずくまっている小さな影を見つけ、もう一人同じような事をするヤツがいたか、と顔をしかめる。
しかし、それも一瞬のこと。
その影が誰であるか認識すると、愁の足がぴたりと止まった。
「あんっ、愁っ!!」
彼が急に止まったのに驚き、女が軽く頬を膨らませて愁を睨む。
「・・・・・・リン・・・」
「愁く・・・・・・っ・・・あっ・・・」
目の前の影は、愁に名前を呼ばれたことにより、弾かれたように顔をあげた。
しかし、愁と、その隣の女の存在を認めると、口をつぐみ、俯いてしまう。
───門の前でうずくまっていたのは鈴音だった。
もう夜も10時をまわっているはず。
一体どういうことだろうかと考えてみるが、思い当たることは何もなかった。
「ねぇ、その子ナニ〜!? 新しい女なの? ガキじゃん」
「・・・うるせぇ〜な、お前はもう帰れよ」
「や〜よ、折角会えたんだからこれからホテル行こうよ」
女は鈴音に見せつけるように愁の腕に絡みつき、自分の体を彼に密着させる。
”ホテル”という言葉にビクリ、と体を震わせて鈴音は益々俯いてしまった。
だが、彼女の目の前でこんな事をされ、一番ウンザリしていたのは愁に他ならない。
「いい加減にしろよな。帰れって言ってんだろ」
「なんでよぉ〜」
甘えた口調で縋り付く女を一瞥し、愁は女の腕を振り払う。
「・・・しつこいんだよ。お前みたいなの、何ていうか知ってるか?」
「なによ」
「ストーカー」
ドン、と女を突き放し、冷たい目で見下ろす。
まさかそんな扱いを受けるなんて夢にも思わなかったらしい女は、呆然としたまま、何の言葉も発することが出来ないようだった。
「警察に連絡してもいいんだぜ?」
その言葉にビクリ、と反応し、だが、瞳は激しく愁を睨む。
そして、顔を歪ませ、その怒りは愁ではなく鈴音に向けられた。
「アンタだって大勢の中の1人なのよ。自分が特別だなんて思わないでよね」
「お前ッ!」
「ふんっ、当たりでしょう!? 愁を独り占めしようなんてバカなこと考えないように忠告してあげただけよ」
「なに言って・・・」
「この人はね、誰か一人だけ好きになるなんて絶対出来ない人なの! 女ならみ〜んなダイスキなんだから! 勘違いしてんだったら今のウチにその考え、改めておく事ね!」
「おいっ!」
「何よっ! あたし、絶対諦めないから!!!」
近所迷惑も考えず、女は大声で喚き散らし、鈴音を睨んだ後、去っていった。
取り残された愁と鈴音はお互い気まずい雰囲気で、顔を合わせられない。
その上、彼女はずっと俯いたままで、どんな顔をしているのかもわからない。
「・・・ゴメン、イヤな思いさせて・・・・・」
愁に話しかけられて、かすかに首を横に振る。
「・・・ところで、何でこんな所に座ってたの?」
「・・・・・・あ・・・」
恐る恐る顔をあげ、愁を見る。
久々に見た鈴音はやはりカワイイと思った。
やや涙を滲ませ、ぱっちりした瞳はしっかりと愁を見つめ、初々しい唇は、何かを言おうと先程から開いたり閉じたりしている。
キャミソールは彼女の体の線をハッキリと見せて、短めのスカートから伸びた綺麗な足は愁の目を釘付けにした。
近づかないと誓った。
だから、今日まで会わずにきたのに、ちょっと彼女を見ただけでこれだ。
これ以上は見ていられないと、彼女から目を逸らし、家の塀にもたれ掛かる。
「・・・愁くん」
「・・・ん」
「家、でちゃうの?」
「えっ!?」
驚いて彼女を見ると、泣きそうな顔で。
「何で、リンがそれを・・・」
「・・・ホントなんだ・・・・・・」
智の勘は当たっていたらしい。
愁の言葉に確信を持ち、ついに彼女の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
それを拭うこともせず、その顔を涙でいっぱいにして愁を見つめる。
「・・・・・・どうして?」
「・・・どうしてって・・・別に」
「わたしのせい?」
「・・・・・・ちが、う」
しかし、何と嘘の下手な男だろう。
彼女の質問に明らかに動揺の色を見せて。
それがわかる鈴音は、益々涙が止まらなくなり、愁を余計に動揺させるというのに。
「な、何でそんなに泣くんだよ」
「だぁって・・・」
うぐうぐと泣かれ、それには流石の愁も困り果てた。
まさかここで彼女を放り出して家に入るわけにもいかない。
だが、鈴音の様子を見ているうちに、自分の方が次第に冷静になってきて、少し彼女を落ち着かせようという余裕がうまれてきた。
「・・・・・・リン、ちょっと歩こうか。くるっとそこら辺をひとまわり」
彼女は思い切り頷いて、ボロボロの顔でニコリと笑い、愁はそんな姿に一瞬クラッときてしまう。
それを振り払うように、歩き出そうと鈴音に背を向けたとき、Tシャツを力強く引っ張られ、何事だと振り向けば鈴音は首を横に振ってちょっと怒ったように膨れている。
「・・・手、つないで」
ん、と右手を差し出され、何だかよく分からないが、言われるままに彼女の手を取りゆっくりと歩き出す。
真夏でも今日などは熱帯夜だからかなり暑い。
それでも、鈴音と手を繋ぐことは不快ではなかった。
あったかい手だな、と思う。
手から広がる暖かさが全身に染み渡り、満たされていく気がする。
やはり、自分にはこの子しかいないんだと再認識させられ、暗い気持ちも同時に沸き起こる。
「し、愁くん、一日中なに、してるの?」
「・・・別に・・・バイト」
バイトとは思いつかなかったらしい。とても驚いた顔で愁の顔を凝視する。
彼は苦笑し、観念したように話し出した。
「朝はビルの掃除。昼から夜までは交通整理のバイトで一日中外。結構日に焼けただろう?」
「どうして? バイトなんてめんどくさいってずっとやってなかったのに・・・」
「・・・家を出る資金、みたいなかんじ」
「ねぇ、愁くん、家出るなんてやだよっ、そんなの言わないで」
縋り付くように愁を見つめ、訴えかける瞳。
だが、これを勘違いしてはいけないのだ。
彼女は幼馴染みとして、今まで一緒だった存在がいなくなるという気持ちから、寂しがっているだけなのだから。
本当に気分が沈む。
側にいればいるほど辛くなる一方だ。
「リンは・・・残酷だよな」
「・・・え」
「どうして、わざわざ自分からオレに会いに来るの?」
「だって、わたし」
「なぁ、オレの気持ちわかってる?」
「愁く・・・」
「智と仲良くしとけよ、オレに構わなくていいから」
「やだよ」
「なにがやなんだよっ、オレなんかどうでもいいだろう!?」
これ以上、同情もされたくないし、こっちは今まで通り幼なじみでなんていられない。
だから、離れようとしてるんだ。
なのに、彼女は首を横に振って、ちがうと何度も言い訳する。
そうだ、言い訳だそんなもの。
彼女がオレに気持ちがないことはわかりきっている。
だからこそ、諦めるために近づかなかったんじゃないか。
鼓動が早くなる、それと同時に歩調も早くなり、これではあっという間に彼女の家に着いてしまう。
全く、くるっと一周なんて呆気ないものだ。
「・・・ちがう、よぉ、愁くん」
「違う? よくそんなことが言えるもんだ。聞いたよ、智には拒絶した事なんて一度もないんだってな。
それが何よりの証拠。何回アイツの腕の中であんな風に鳴いたんだ? イヤらしく乱れたんだ?
一緒にいるのを見ただけで、オレがどれだけ苦しんでいたかわかる?
どうしてオレがあんなに沢山の女と寝てたかわかるか?
オレが誰か一人だけ好きになるなんて絶対出来ない!?
冗談じゃない。全部全部、リンを手に入れられないからに決まってるじゃないか!!!
リンにオレの気持ちがどれだけわかるっていうんだよっ!!!」
ちくしょう・・・っ
こんな事言うつもりじゃなかった。
全部リンの所為にして、何て最低な男なんだ。
こんな男、リンが好きになるわけがないじゃないか。
だから、もう、完璧に嫌ってくれよ。
Copyright 2003 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.