『呪縛』

○最終話○ 静かなる世界(その1)








 乾の先導で大広間に連れてこられた多摩は、数歩入ったところで足を止めた。
 何か妙な感覚が胸の内で燻ったような気がしたからだ。


「・・・・・・」


 だが元々無表情な彼の些細な変化に誰が気づく筈もなく、振り返って椅子を退いた乾は、立ち止まったままの多摩を促した。


「多摩、座って待っていてくれ」


 胸の中の燻りはほんの一瞬の事。
 それ以上、特に何があるというわけでもない・・・

 多摩は少し考えるように目を伏せたが、歩を進め、言われるままに腰を下ろした。



「昨夜は驚いたよ」

「・・・あぁ」

「寝てたんだって?」

「・・・・・・美濃の寝顔につられたようだ・・・」


 あの緊迫の状況の原因はそれか・・・と乾は苦笑しながら、こうやって普通に会話するのはいつ以来だろうと考えた。
 長い間多摩とはまともに会話していないような気がする。

 神子の里で一緒に過ごした時間が長かった所為か、あの時の印象が強くて。


「随分背が伸びたな」

「・・・・・・・? ・・・・・・・・・・・・あぁ、・・・・・・そういうことか。・・・おまえたちが縮んだのかと思っていた」


 妙に納得したように頷く多摩に乾は唖然とする。
 まさかずっとそんな風に思っていたというのか・・・?


「それって冗談・・・・・・て顔じゃないよな。・・・・・・・・・あのなぁ、俺は多摩に追い抜かれたのが一番ショックだったんだぞ・・・」

「・・・・・・そうか」


 自分の容姿や他人に自分がどう見えてるとか、前々からそういうものには無感心だとは思っていたが、流石にここまでとは思わなかった。
 乾は溜め息を吐き、それでも多摩のこういう所が昔と変わりがないような気がして、少しだけ懐かしさが込み上げる。


「・・・手だってこんなに骨張ってなかったし、体つきだって厚みが無くてひょろっと背が高い印象だった。顔は・・・・これはまぁ何つーか・・・一段と女が欲しがりそうな面に・・・・・・あぁ勿体ない」

「・・・・・・何の事だ」

「ひとりに絞るなんて、俺が多摩だったら考えられないね」

「・・・別に絞っているわけではない」

「姫さま一筋じゃん。姫さましか女知らないじゃん」

「・・・・・それで何か問題があるのか?」

「てゆーか、たまには他の女にも触れてみたいとかって思わない? ・・・例えばそこの伊予とか」


 部屋の隅で佇んでいた伊予に向けて突然乾が視線を向ける。
 促されるように多摩も彼女に顔を向けると、伊予は真っ赤になって俯いた。


「何を言うかと思えば・・・・・・おまえまで女を孕ませる為の道具として俺を扱う気か」


 どうやら多摩の中の伊予という存在は、神子に捧げる為の女という印象が色濃く残っているようだった。
 彼女の気持ちに気づくどころか、呆れた風に溜め息を吐いている。


「・・・・・・いや、そういうつもりじゃ」

「・・・俺は美濃以外に触れたいとは思わぬ」


 その呟きに伊予は何とも言えない切ない表情で目を伏せた。
 乾はその表情に気づき、傷つけるつもりで言ったのではなかったが結果的にそうなってしまい、彼女にも悪い事をしてしまった・・・と若干反省をする。

 頑ななまでに美濃以外を受け入れない多摩。

 乾にはそんな多摩の感覚は全く理解出来ないのだが、これまでの彼の言動全てがそれが真実だと証明しているようなものだ。

 だが、どうしてそこまで美濃に執着するのか・・・何故彼女でなければいけないのか・・・
 彼女に対して甘い想いだけを抱いている様子でもなければ、二人が恋人のような関係を築いているとは考えがたく、きっと多摩に聞いても答えは出てこないのではないだろうかと思う。

 多摩から出てくる言葉を聞けば美濃に対する恋情が確かに含まれているのに、それを理解しているようにはどうしても思えないのだ。


 この様子だと・・・姫さまも分かってないんじゃないか?


 乾は小さく息を吐いて、窓の外を眺めている多摩の横顔に視線を向けた。



 ───あれ?


 どことなくだが・・・、多摩の様子がおかしいと思った。



「・・・顔色が悪いな。調子が悪いのか?」

「・・・・・・・・・いや」


 だが明らかに青ざめているように見える。
 調子が悪く無いのであれば何だというのか・・・


 不意に多摩は静かに立ち上がった。


「どうした?」

「・・・・・・あの男が来たらここで待たせておけ。・・・直ぐに戻る」

「えっ、おい。多摩ッ」


 一体どうしたというのか。
 乾が呼ぶ声にも一切反応を返すことなく、多摩は足早に部屋から出て行ってしまった。
 残された二人は顔を見合わせたが、直ぐに諦めたようにため息を吐いた乾は『これだもんな』と苦笑しながら外を眺める。


「・・・・・・そう言えば・・・巽・・・遅いな・・・・・・。伊予、俺も巽と一緒に探してくるから、おまえはここで待っていてくれ」

「・・・あっ、・・・・・・はい」

「あと・・・さっきのは悪かった。伊予の前でする会話じゃなかったな」

「いえ・・・」

「でもさ、あんな感じだと伊予の気持ちには一生気づかないと思うけど。それでいいのか?」

「・・・・・・」

「ダメでも何でも自分の気持ちをアイツに伝えてみたら今より楽になれるんじゃないか? ・・・って、俺が言っても説得力無いけどな」


 そう言うと乾は手をひらひら振って大広間から出て行った。

 ひとりになった伊予は初めて感じた乾の優しさに少しだけ涙が溢れた。
 多摩を白い檻に閉じこめ続けた神子の里の者として、ずっと彼には憎まれていると思っていたから、こういう言葉を掛けてもらえるとは思わなかった。


 彼の尤もな言葉に伊予は目を伏せ、決して報われない想いをこれ以上抱え続ける事に限界を感じるのだった。














▽  ▽  ▽  ▽


 空は暗くなり小雨が降り出しているらしく、雨音が静かに響いている。
 その静かな音が響くほど、先程感じた一瞬の胸の燻りがどうしても頭の隅に引っ掛かって多摩を不快な気分にさせていた。

 彼は大階段を昇りながら上を見上げ、最上階にいるであろう美濃の気配を探る。


 ・・・・・・気配は・・・あるように思えた。


 だが・・・・・・だったら何だというのか。
 彼女がいる事をわざわざ確かめに行くような真似をする必要がどこにあるというのだろう。


 しかし自分の行動の不可解さを理解しながらも、漠然とした不快な感覚に逆らえないのだ。


 ・・・・・・気の所為ならばそれでいい・・・・・・

 この全身に広がる不愉快な悪寒が何でもないと証明されればそれで。



 最上階まで一気に昇りきり、廊下を少し歩いた所にある美濃の部屋の前に立ち、多摩は扉を開けた。
 部屋の中に足を踏み入れ、つい先程まであった存在がどこにもない事に立ちつくす。


 そしてベッドの上に置かれた毛髪の束に目を細め、それが美濃の気配の正体である事を知った。



「・・・・・・気の所為では無かったか・・・」



 彼は一言呟き、毛髪の束をつかみ取ると、その感触が美濃のものである事を確認して唇を押し当て、そこに込められている念のようなものを感じ取った。


 ・・・・・・形代か・・・・・・

 何のために・・・いや、考えるまでもない。
 時間稼ぎ以外何があるというのだ。


 だが髪を切り落として念を込め、形代にする・・・こんな事を美濃が考えるだろうか。
 逃亡を謀るにしてもこれまでの彼女の逃げ方とは明らかに違う。


 どこからも逃げた形跡が無いというのに、一体これはどういうことなのか。
 大体この部屋以外から彼女の気配を感じないというのが妙なのだ。


 意図的に気配を消しているのか?

 ・・・・・そんな芸当が出来るならとうの昔にやっているはずだ。
 手引きをした者がいなければこれらは成立しない。


「・・・・・・」


 多摩は無言で部屋を飛び出した。
 廊下を駆け抜け、大階段の手すりをバネにして飛び降りる。
 彼は紅い瞳をより一層煌めかせながら、手に握りしめたままの美濃の毛髪に力を込め、まるで羽根のような軽やかさで階下へ舞い降りる途中も、身の内から沸き起こる激情がいつ爆発してもおかしくない程の勢いを持って自身を呑み込もうとしているのを感じていた。


 丁度一階フロアに多摩が舞い降りた時、巽と乾が外から戻ってきたところだった。

 二人とも突然降ってくるように着地した多摩に驚き、更にその顔を見た瞬間、同時に目を見開き凍り付いた。
 危険なまでに妖しい光を讃えた瞳が感情の高ぶりを示し、彼自身から立ち上る空気が周囲を強い支配下に置いているかのように見えたからだ。



「・・・おい・・・一体どうしたんだ?」

 乾は緊張した面持ちで多摩に駆け寄った。
 先程別れた時とは明らかに違う様子に何か不気味なものを感じてならない。

 多摩は薄く笑い、握りしめた右手を彼らの前に突き出して指を広げた。


「・・・・・・髪・・・?」


 黒い艶やかな毛髪の束に意味が分からないと言った様子の巽と乾。


「・・・あの男を探しても無駄だ。美濃を連れて逃亡を謀った」

「なんだって?」

「・・・では昨夜二人は遭遇したと・・・」

「昨晩、あの男の休む部屋から美濃の気配がしたと思った次の瞬間、あの子の気配は大階段へと移ったのだ。あの時点では半信半疑だったが・・・現実としてあの子の毛髪を形代にして行方を眩まし、気配も絶たれた。・・・妙な力を使うようだ」


 多摩が昨夜クラウザーの部屋に足を踏み入れたのは偶然でも何でもなかった。
 美濃の気配を辿った先が彼のいた部屋だったというだけでも疑問を感じるには充分すぎる材料だった。

 書簡の話を聞く・・・というのは最早多摩の中では形式だけのもので、クラウザーを追い返す以外の目的などありはしない。
 そんな行動を取らせたのも、昨日の時点で何かしら警戒するものを彼に対して感じたからかもしれなかった。



「それにしてもおかしな話ですね。少なくとも昨夜が初対面のはず・・・それも殆ど会話するのもままならないような状況で、どうして美濃さまを連れ去るまでの心境になったのでしょう」


 巽は険しい顔で考え込んだ。

 一人で去ろうと思えば、単なる形式であろうと踏み外す必要など無かった筈だ。
 美濃さまを連れ去ることは、彼にとって不利益な事しか呼び寄せない。
 敢えてそれを強行したからにはそれに足りる理由が生じたということだろうが。

 だが彼が知りたがっていた事を美濃さまから聞き出せたのであれば・・・・・・
 いや、それを理由にするには二人の接触はどう見積もっても少なすぎて現実的ではない。

 では二人に何が・・・・・・



「あの男の心境など知った事か」


 静かに多摩が言い放つ。
 最早どんな理由を取って付けた所で、彼にとって美濃が消えたと言う事が全てだ。

 自分の手の中から奪われるような真似を黙っているわけがない。
 多摩は美濃の毛髪を装束の袖に仕舞い、鋭い視線を外へ向ける。


「・・・・・・神子殿、あまり早まった行動は・・・ッ」


 だが巽の言葉に多摩を止める効果は無かった。
 触れただけで狂わされてしまうのではないかと思えるほど周囲を圧倒する空気を放ち続け、彼は宮殿の外へと歩みを進める。


「おい巽、相手は最強国家の王族だ。殺したりしたら大事になるぞ」

「・・・・・・頭が痛い事は一気に起こるものらしいな。ひとまず神子殿を見失わないようにするんだ」

「わかった」


 巽と乾は最悪の状況になりつつある現状を食い止める術を探し倦ねていた。
 しかし考えている間にも多摩は宮殿を飛び出し、正門に続く通路の中程で、立ち上る空気を一層濃密に纏いながら空を見上げ両手を天にかざしている。

 空は黒雲に覆われ小雨を降らせていたが、その瞬間周囲の温度が変化し、黒雲は更に暗い闇を作り出し突如雷鳴が唸りを上げた。


 ───・・・多摩のああいう姿・・・確か前にも・・・


 乾は多摩の後ろ姿を目にしながら、前にその姿を見たような気がして考えを巡らせた。
 そしてたった一度だけ目にしたあの光景が脳裏を掠め、ゴクリ・・・と喉を鳴らした。


「・・・・・・・・・神子の里を消滅させたときと同じだ」

「なに?」

「あの時も今みたいに空に手をかざして・・・」


 そうだ・・・紅い瞳を一層紅く輝かせて・・・

 あの時多摩は何と言った?



「・・・・・・何だっけ・・・・・・確か・・・・・・」



 ───乾・・・こんな里など、たったこれだけの時間で包囲できてしまう



「・・・・・・・・あ、・・・・・・・包囲・・・・・・包囲だ、・・・・・・逃げ場を与えないために・・・」

「・・・・・・包囲・・・・なるほど・・・」


 包囲という事なら、少なくともこの時点で危害を与えようと言うわけではないのだろう。

 それにしてもこの地を消滅させた時と言い、今のこの状況と言い、彼は天を味方につけているように思えてならない。

 尊い存在のようにも見えれば、悪鬼のようも見える・・・
 本人はそうなりたい訳ではないだろうが、美濃さまの存在が彼を如何様にも変化させてしまうのだ。

 巽は多摩の後ろ姿を見ているだけで背筋が凍るような感覚が全身に広がるのを感じた。


 その時雷鳴が轟き、正門に直撃した。
 地響きと共に天が更なる唸り声をあげ、吹き荒れる風が嵐となって全てのものを巻き込もうとしている。
 雷が直撃した正門は崩れ落ち、壊れた破片が天に向かって吹き飛ばされるのを皮切りに地面までをも剔り取っていく。

 まるで天が何もかもを食い尽くそうとしているのではないかと思われる光景に、巽は今自分が立っている場所はどこなのか分からなくなりそうだった。


「ここにいると俺達も危険だ。一端中に入ろう」

「・・・おい巽・・・アレ、何か変じゃないか?」

「何が・・・」


 乾が食い入るように何かを見つめている。
 その視線の先に巽も目を向け、「あ」と小さく叫んだ瞬間だった。



 ───空が歪んでいる・・・?



 多摩が立つ斜め上あたりが歪んでいる・・・そうとしか思えない光景だった。
 恐らく時間にしては一秒にも満たない間に歪みは大きく変化し、二人は信じられないものを目にしたのだ。


「・・・銀髪・・・・・・ッ、・・・まさか!」


 歪みの渦から輝くような銀髪が現れ、曖昧だった輪郭が鮮明に浮き上がる。

 普段の穏やかな風貌からは想像しがたい冷酷なエメラルドの双眸。
 彼の照準は多摩だけに注がれている。


 多摩は全てを包囲するための最後の仕上げとして、今将に天にかざした両手を振り下ろそうとしているところだ。



 それはつまり、彼が極めて無防備な状態にあるという事を意味していた。










その2へつづく


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