『呪縛』

○最終話○ 静かなる世界(その10)









 ───あの嵐から、四日目の朝を迎えようとしていた。



 それにも関わらず、その後の進展は無きに等しい。


 ・・・と言うのも、巽に於いてはあの後、多摩達と共に宮殿に戻ろうとはせず、乾らを探しに二人の元を離れて別行動を取ったきり、そのまま戻っていないのである。
 当然ながら乾とクラウザーに至っても同様だった。



 つまり、今日に至るまで問題なく宮殿に戻ったのは、多摩と美濃のふたりだけだったのだ。


 その彼らもあの日の夕暮れ頃には宮殿へ戻ったものの、帰還するなり湯殿へ直行して雨風に晒されて汚れた身体を浄め終えると、誰かが戻った時点で呼びに来るよう伊予に言付けただけで、早々に部屋へと消えてしまい、以来一度も姿を見せていないのだが・・・。


 二人が帰還した際、美濃と伊予は初対面を果たした。
 しかし、始終多摩に抱き上げられながら運ばれていた美濃は『他にも生き残りがいた』という大変な衝撃を受けながらも、あっという間に最上階へ連れて行かれてしまった。

 そのうえ、部屋に戻るなり美濃は多摩に熱く唇を塞がれ、直ぐに何も分からなくなってしまい、伊予を気にするどころではなくなってしまったのだ。


 しかも多摩は美濃を一時も離すのが惜しいとでも言うように抱き続け、彼女はその腕の中で何度も意識を手放すほどの熱を受け止めなければならず・・・


 ・・・結局、翌朝になって彼が眠りにつくまで、美濃が解放されることはなかったのである。






 それから3回ほど夜を数えたが、


 多摩は一度も目覚めることはなく、今日まで嘘のように穏やかに眠り続けていた───




 この数日、美濃は何をするにも自由の筈だった。
 だが多摩が眠っている数日間で美濃がした事と言えば、窓の外の景色を見たり、多摩の寝顔を眺める程度の事だけで、部屋の中でひとり特に何をするでもなく過ごし、決して彼の側を離れようとはしなかったのだ。

 そして今もまた、多摩が静かに寝息を立てているのをぼんやりと横で見つめながら、その穏やかで静かな寝顔に手を伸ばして頬に触れ、睫毛に触れ、唇に触れながら、ゆっくりとこれまでの事に想いを馳せていた。






「・・・・・・多摩・・・」


 小さく囁き、多摩の胸に擦り寄る。



 ・・・・・・全部夢じゃ・・・ないよね・・・・・・



 そんなはずはないのに、何日も眠り続けている彼を見ている内に、あれは夢だったんじゃないかと思ってしまう瞬間が何度も訪れた。
 美濃は一向に目を覚まさないのを少しだけ不安に感じ、多摩の胸に耳をあて、彼の鼓動を確認するように目を閉じる。



 ───トクン、トクン、トクン・・・



 規則正しい穏やかな鼓動を耳にして安心した美濃は、彼の腕にぎゅっとしがみついて顔を埋めた。



 夢じゃない・・・夢のわけがない・・・・・・


 ・・・だって何日か前の私は、この腕の中へ飛び込んでいくことに、あれ程抵抗していたんだから・・・・・・




 多摩の事ばかり考えてしまう自分をどうしても認めたくなかった。
 あれだけの事をした彼に惹かれるなど、何より赦されない罪だと必死で抵抗していた。



 だけど、

 あんな多摩を見て、知ってしまって・・・


 これ以上どうやっても自分を誤魔化す事など出来ないと思った。

 彼を失うくらいなら、この気持ちを認めてしまうことの方が遙かにいいと思ってしまった・・・・・・。



 だって、多摩が追いつめられているなんて考えもしなかった。
 自分の気持ちと向き合う為に藻掻いているなんて思いもしなかった。


 好きという想いがどんなことかも分からずに苦しむなんて・・・・私には想像も出来ない・・・

 愛情の欠片も貰えないということが何を意味するのかも・・・・・・




「・・・多摩・・・・・・、・・・・・・」


 美濃は彼の頬に触れ、そのまま唇を重ねた。
 自分からこんな事をしてしまうなんて、そんな日が来るなんて・・・。



 ・・・だけど・・・これが罪なら・・・・


 ・・・私は多摩と一緒に、・・・全てを背負って、どこまでだって堕ちるよ・・・・・・・・・だから・・・・・・。




「・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・」


 多摩の睫毛が僅かにふるえて・・・もしかしたら目覚めが近いのかもしれない。

 そう思っても、どうしてもこのまま触れていたくて・・・。
 目を覚ました時に最初に見るのが自分であって欲しい、そう思ってこの数日間、多摩の側から一時も離れることが出来なかったのだ。


 自分の中に、これほどの想いが眠っていたなんて・・・



 その時、うっすらと多摩の瞼が開いて。
 やわらかい美濃の唇の感触に、彼はもう一度目を閉じた。

 そして、美濃の身体を自分に引き寄せながら、己の舌を彼女の唇の中へ侵入させて絡め取る。



「・・・・・・あ・・・っ、・・・ん、ん・・・」


 くちゅくちゅと湿った音が部屋に響き、多摩はそのまま美濃を組み敷いた。
 今の今まで眠っていたとは思えないほど、強い眼差しを向けて。



「・・・・・・・・おまえから唇を重ねる意味を分かっているのか?」


 そう言って、少しだけ強く手を握られる。
 多摩が何を言いたいのか、何となく美濃には分かるような気がした。



「・・・・・・うん・・・」


 小さく頷くと、多摩は息を呑み、僅かに瞳を揺らした。
 少しだけ目を見開いたようにも見える。


 ああいうことは好きな人とだけするのだと、言ったのは私だ・・・

 そんな些細な言葉ひとつひとつを、彼はどれだけ深く胸に刻んでいるのだろうか。




「・・・・・・おまえは」



 ───コン、コン



 多摩が口を開いて何かを言いかけようとした時、扉をノックされた。

 言いかけた言葉の先は呑み込まれ、組み敷いた美濃の手をもう一度強く握ると小さく息を吐き出し、彼は静かにベッドから降りた。


「・・・・・・何だ」


 扉を開けると、そこには遠慮がちに佇む伊予がいた。


「・・・お休みの所申し訳ありません。皆様が戻られて・・・」
「あぁ、そうか。では行こう」
「あ、あのっ・・・多摩さま」
「何だ」
「・・・・・・、クラウザー様の様子が少し・・・」


 伊予はそれ以上は言いずらそうにして口を噤んでしまう。
 だが、多摩は何かを理解したらしく、『あぁ』と小さく頷いて後ろを振り返った。


「それについてはおおよその想像はつく。・・・美濃、おまえも来るか?」


 ベッドから降りて興味深そうに話を聞いていた美濃は、思わぬ多摩の誘いに慌てて頷いた。


「その代わり、あの男の様子が変だと思っても全て話を合わせろ。余計な詮索はするな」
「・・・どうして?」
「これ以上の面倒は御免だからだ。出来ないならここで待て」
「やだっ、それくらい出来るもん」
「ならば来い」

 多摩は手を差し出し、美濃の手を取りそのまま抱き上げる。
 そこで思い出したかのように伊予を振り返った。


「・・・伊予、おまえもだ」
「はい。分かりました」

 素直に頷く伊予の長い黒髪がさらさらと肩からこぼれ落ちる。
 美濃はその姿をジッと見つめ、少しだけ頬を赤らめながら多摩の耳に囁いた。

「紹介して」

 そこで初めて二人がまともに対面したことが無かったという事に気づいたらしく、多摩は小さく頷いた。


「伊予だ」


 一言。

 それ以上の説明はなく、彼は廊下を歩き始める。
 美濃は一瞬ポカンとしたが、直ぐに口を尖らせてむくれた。


「もっと詳しく聞きたいのっ! 私の事も紹介してよっ!!」
「そんなものは後で自分でやればいいだろう。俺にそう言うことを求めるな」
「もういいっ、降ろしてっ、自分で歩ける!」
「今更この程度で騒ぐな。おまえは俺の腕の中で大人しくしていろ」
「〜〜〜っ、多摩のいじわるッ!!!」
「あまり聞き分けが無いと、後でどうなっても知らんぞ」

「・・・っっ・・・・・・」


 悔しさを滲ませながら押し黙る美濃と、彼女を抱き上げながら涼しい顔で大階段を降りる多摩を後ろから見ていた伊予は、想像していた二人の関係とは違う目の前のやりとりに唖然としていた。

 美濃の存在を自分の頭の中で勝手に作り上げていたからかもしれないが、見た目からして愛らしく、喜怒哀楽も分かりやすい彼女は想像する姫君とは違っていた。


 だけどそれより驚いたのは、彼女の言葉一つ一つに多摩がまともに反応している事だ。
 発せられる言葉は素っ気ないが、元々が無口で反応が薄い分、それでも充分過ぎる程の対応と言ってもいい。

 そして何よりも、ままごとみたいなやりとりの中で、彼女を見る眼差しの柔らかさが全てを物語っていた。


 こんな多摩さまは、神子の里でも他のどんな場面でも見たことがなかった・・・


 美濃の前でだけ見せる多摩の姿に少しだけ寂しさが募ったが、それ以上に二人のやりとりがとても微笑ましくて、伊予はそれをただ眩しそうに見つめていた。












▽  ▽  ▽  ▽


 クラウザーの変化。

 そう言われても、それがどういう事を意味するのか、実際に会わなければ理解するのは難しかったに違いない。


 だが、大広間に多摩たちが入ってくるなり発したクラウザーの耳を疑うような第一声は、誰の目にも明らかな変化として現実を突きつけてみせたのである。




「突然の訪問にも関わらず、こうしてお会いする機会をいただき感謝しております。・・・私はクラウザー。多摩殿にお会いする為、バアルよりやって参りました」




 彼は・・・・・・何の迷いもなく、そう言ったのだ。



 美濃は驚くあまり目を見開いた。
 輝くような銀髪も、美しいエメラルドの瞳も、クラウザーに違いないというのに・・・・・・
 一瞬目があったクラウザーに初めて見るような眼差しを向けられ、思わず疑問を口にしてしまいそうになる。

 『余計な詮索はするな』と言った多摩の言葉を思い出し、慌てて口を噤んだので面倒なことにはならなかったが・・・。


 しかしおおよその想像はつくと言った通り、多摩の表情に驚きの色は無く、クラウザーの変化を平然と受け流しているのは流石と言うべきか・・・
 隣に座る美濃を見て『そちらの方は・・・』と紹介を求めるクラウザーに対しても平然と彼は答えた。


「・・・彼女は美濃。王族の生き残りで・・・俺の女だ」

「・・・・・っっ!!!」


 俺の女などと言われ、美濃は真っ赤になって俯いた。
 クラウザーは気にする様子もなく『そうでしたか』などと驚いているが美濃の耳には入ってこない。

 一体どんな顔をしてそんな事を言うんだろうと多摩の横顔を盗み見ると、あまりにいつもと変わらず・・・美濃は真っ赤になった顔を隠すように下を向いた。



「───早速ですが本題に入っても宜しいでしょうか」

「あぁ、構わぬ」

「・・・では・・・こちらを御覧いただきたく・・・・・・・・・、・・・・・・・・・えっ? ・・・封が・・・、開いて・・・・・・・・・」


 クラウザーは肌身離さず懐に仕舞っておいた書簡を取り出し、手渡そうとしたところで封が開いていることに気づき狼狽えた。
 以前多摩が見る為に開けたのだから当然と言えば当然なのだが、彼には憶えがないらしく、心から驚いている様子は嘘をついているようには見えない。


「中身を確認いただき、内容に手を加えられた痕跡が無いようでしたら問題無いのでは・・・」

 すかさず巽が口を挟み多摩にさり気なく目配せをする。
 それに気づいた多摩は面倒くさそうに小さく息をついた。


「・・・し、しかし・・・これは・・・」

「確認するのは構わぬが、それには誰も手を加えていない」

「え?」


 はっきりと断言する多摩にクラウザーは目を見開いた。
 だが、少し沈黙した後に何か思い当たることがあったらしく、彼は遠慮がちに口を開く。


「・・・・・・神子というものにはそういう能力もあるのですか?」

「・・・? ・・・あぁ・・・、そんなところだ」

「・・・・・・・・・、・・・・・・わかりました」


 クラウザーは一瞬迷うような表情を見せたものの最終的には頷き、畏まりながら中身を確認し、多摩に書簡を手渡した。
 この無駄なやりとりに内心うんざりしながら、多摩は2度目となる王直筆の書簡を何の感慨も無さそうに目を通す。

 そして、緊張した面持ちのクラウザーに視線を移し、彼は静かに口を開いた。


「この内容を呑むにあたり、ひとつだけ条件がある」

「・・・条件・・・それはどのような」
「必要とされる時、神託はバアルで行おう。だが、美濃も同行する事が絶対条件だ」
「は・・・それは問題無いと思いますが・・・」


「・・・・・・ふん、・・・ならば俺にも問題は無い」


 あっさりと頷く多摩に対し、クラウザーは気が抜けたのか表情を崩した。
 側に控えていた乾に至っては、あまりに簡単な条件提示に笑いをかみ殺し、巽は咳払いをひとつして乾を嗜めている。


「何も無い所だが、暫くここで休養していくと良い。そう急ぐ旅でも無いだろう?」

「・・・ありがとうございます」

 実に多摩らしくない言葉を並べ立て、彼は早々に席を外そうと立ち上がりかけた。
 そこへすかさず巽が口を開く。


「神子殿、報告があるのですが・・・今から宜しいでしょうか」

「・・・・あぁ・・・・わかった。・・・・・・では美濃、その間宮殿の案内でもしていたらどうだ。おまえが一番詳しいだろう」

「う、うん」

「報告を聞いたら迎えに行く」


 美濃が小さく頷いたのを見て多摩は彼女の頬に唇を落とす。

 そして、巽と乾の心配そうな顔を他所に、彼は美濃を残し、あっさりと二人を引き連れて大広間から出て行ってしまったのだった。




 彼らの背中を目で追いながら、美濃は彼女にしては珍しく難しい顔をして考え込んだ。



 ひとりでこの場を任されても・・・

 どんな顔をしてクラウザーと話せばいいのか・・・・・・。


 頭の中は分からない事だらけで『一体どういうこと?』と唯でさえも疑問でいっぱいなのだ。
 何を取り交わしたのか聞いてても今ひとつよく分からない上、自分が行くとか行かないとか名前まで出てきて首を傾げることばかり。

 大体、示し合わせたわけでもないのに、みんながクラウザーの様子を普通に受け止めているなんてどう考えたって変だ。


 どうして何も知らない顔をしてるの。
 今までのクラウザーはどこに行ってしまったの。

 一体何が起こったの、あなたは誰、何しにやってきたの・・・・・・聞きたい、すごく聞きたい。



 だけど・・・・・・


 『詮索するな』という多摩の命令が美濃をぐっと留まらせる。

 こういう風に思うのを多摩は分かっていたのだと今更ながら思い知る。


 それにたぶん・・・・・・
 下手な事を言って話をややこしくしたら、後で大変なお仕置きが待っているに違いないのだ。



 ───・・・・・・それは・・・もうイヤ・・・



 美濃は悩んだ末、今は全部後回しにするしか無いという結論に至った。
 実際のところ彼女にはそれしか選択肢が無かったと言うべきだろうが・・・美濃がそれに気づいているかどうかは定かではない。



「クラウザー、宮殿の中を案内してあげる」

「ありがとう」

「・・・えと、伊予・・・も、一緒に行こ」


 恥ずかしそうに伊予にも話しかけ、美濃は彼女を遠慮がちに見上げる。
 そして静かに微笑みながら頷く伊予を目にして、美濃は頬を染めて嬉しそうに笑った。



 ───この時、美濃にこの場を任せたのは偶々だったのか、意図的だったのか・・・



 どちらにしても多摩の采配が正解だったとしか言わざるを得ない結果を生んだ。


 何故なら、元々クラウザーの中にあった疑問も疑惑も全て、それらは対応如何によっては表に出ないものであり、元より心から尊敬する彼の父王の考えを否定するような真似など余程の事がない限り強行する筈もなく、更には相手の警戒心を解いてしまう美濃の存在によって、彼の心もまた好意的に解きほぐされてしまったからだ。


 楽しそうな笑い声が時折宮殿内に響き、そのような事もまた、この国が崩壊してから初めての出来事だった。












その11へつづく


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