『呪縛』

○最終話○ 静かなる世界(その3)









 巽と乾は険しい表情のままひたすら走り続けた。
 嵐は酷くなる一方で、殴りつけるような暴風雨が目の前の視界すら奪い、最早己の五感だけが頼りに出来る唯一のものとなっていた。

 少し走っただけでも雷に打たれた大木が煙を上げて傾き、細い木はそれを支えきれず地面に横倒しになっている光景を何度も目の当たりにした。

 視界も悪ければ足場も悪い。
 だがそれはクラウザー達にも同じ事が言える筈だ。
 美濃を連れてそんなに無茶なことは出来ないだろう・・・それだけがふたりの希望となっていた。


 肌がびりびりとして磁気を纏っているんじゃないかと思える程、頻繁に近距離で目撃する落雷にウンザリしながら、乾は黙々と前を走る巽に向かって大声で話しかけた。


「巽ーーッ!」

「どうした、手がかりでも見つけたか」


 突然名を叫ばれ、巽は立ち止まって後ろを振り返った。
 悪路を走って自分同様汚れた乾が、シャワーのような雨に顔を顰めながらすぐ横に追いつき立ち止まる。


「いや、見つける前にひとつだけおまえに聞いてみたくて」

「何だ」

「おまえさ、姫さまに会っても普通でいられるのか?」

「・・・・・・ッ、・・・・・・そのつもりだ」


 巽は強ばった顔をして頷いた。
 その顔は今も決して平静では無い巽の心境を表しているようで、乾は『だよなぁ・・・』と彼に聞こえない程度に呟いた。


 多摩が美濃に会わせたくない一番の相手は巽だったに違いない。

 恐らく美濃は自分の国も大切な人々も、何もかも全てを多摩に奪われたと思っているだろう。
 そこへ死んだはずの二人が目の前に現れて、しかもその内のひとりがずっと想い焦がれて婚約までした相手となれば、一体どれ程の衝撃を彼女に与えることになるのか。


「・・・・・・巽さ、姫さまの事、ちゃんと消化出来てるわけじゃないんだろう?」

「・・・・・・・・・」

「おまえの頭の中がどうなってんのか・・・俺にはよく分からないけどさ・・・」

「・・・・・・」


 先程のように多摩を心配してみせる巽を見ていると、本心からそうしているように思えてくるが・・・・・・それすらもねじ曲げられた忠誠なのだ。

 しかしねじ曲げられた忠誠とは言え、心の底に根付いた主君と自分の立ち位置は絶対のもので、本来の彼の性格を失うことなく、かつての王に従っていた頃のような巽の姿があるという時点で、多摩の力が彼の中を強く支配し続けている事を示しているのではないだろうか。

 巽の頭の中がどのようにねじ曲げられてしまったのかは分からないが、それでもあらゆる過去の記憶を持っている事から美濃との関係も憶えているのだろうと思う。
 つまり彼の心の中には彼女に対する想いが今も変わらず息づいているのではないかと・・・


「・・・・・・乾、今は神子殿の望みを果たすことだけを考えろ」


 話を逸らすように言われ、乾は苦笑した。
 本音を聞き出そうとしても相手が巽では一筋縄ではいかないらしい。

 ならば二人が再会出来た時にでも、彼がどう出るのか見届けてやろうと思った。



「・・・・望み・・・ね」


 小さく呟き、乾は最後に見た多摩の姿を思い浮かべて難しい表情を浮かべる。

 アレは本当に現実だったのだろうか。
 色んな事が一気に起こりすぎて、頭の中は未だに飽和状態と言ってもいい。

 大体あんな状態で生きていられる方がおかしいのだ。


 正面から多摩と対峙して、その傷の深刻さは言葉にするまでもないものだった。

 黒剣に貫かれた傷口は心臓を剔って、剣を抜いても尚傷口は拡がり続け、肉を焦がすような臭いと共に煙が立ちこめ、それが多摩の内も外も絶望的なまでに傷つけているように見えた。


 多摩が作ったものが・・・これまでとは比較にならない程多摩を傷つけている・・・・・・

 本当はあのまま放置して良いはずが無かった。


 ・・・なのに、アイツから離れたのは・・・・・・


 あんな状態でもアイツが見ているのは自分自身の事じゃなくて・・・

 姫さまが欲しくて堪らないって叫んでるみたいだったから。


 ・・・だから今、俺はこうしているんだ。




 神子の里で倒れたときのような、動かない多摩など二度と見たくはない。
 それでも・・・、と乾は頭の隅を何度も過ぎる自分の考えを打ち消すように首を振り、多摩を信じる方に全てを賭けるしかなかった。




 全く変な気分だ。

 初めてアイツに会ったときは、面白いから退屈しないだろうという好奇心ばかりだったのに。


 今じゃ変な情が沸いてきて、・・・なんつーか、手の掛かる弟が出来たみたいな気分になってしまった。



 ・・・・・・こんな事、誰に言っても信じてもらえないだろうから絶対言わないけど。








「・・・・・・・・・おい、乾。・・・・・・何か妙な気配を感じないか?」

「へ?」


 不意に巽が辺りを探るように眉をひそめる。
 一気に思考は遮断され、言われるままに乾も耳を澄ませながら周囲に神経を張り巡らせてみた。

 巽ほどは気配に敏感ではない乾は、最初それが何のことを言っているのかよく理解出来なかったが、激しい雨風と雷鳴だけが支配しているかのような森の中、その隙間を縫うように張り巡らせた神経の端の方を次第に何かが刺激し始め、見る間に鮮明で確かなものに変わっていくのが分かった。

 同時にそれは寒気のするような異様な空気を纏ったあの赤黒い光を連想させ、先程の多摩の言葉の意味をこれ程納得させるものは無かったように思う。


「・・・・・・必ず見つけられるってこういう事かよ・・・」


 多摩がクラウザー目掛けて放ったものと同等の気配が、隠しようの無いものとなって存在を誇示している。

 それは一瞬の不意を突かれた多摩が、決して一方的にやられたわけではない事を意味しているかのようで、乾は背筋をゾクゾクと奮わせながら実に彼らしい笑みを作った。


「・・・こうなったらアイツの言葉を信じるだけだよなぁ」

「そのようだな」


 巽は静かに頷き、二人は激しい雨風をものともしない俊敏な動きで、荒れ狂う森の中を走り抜けていった。













▽  ▽  ▽  ▽


 その頃、美濃は激しい嵐から少しでも逃れる為、2,3人は休めるであろう大木の窪みの中でクラウザーと共に身を隠していた。
 だが実際は自分に今何が起こっているのか、どうして身を隠しているのかすらまともに理解しておらず、頭の中はもうずっと混乱したままだった。


「・・・・・・・・・う・・・・・・ッ・・・」

「・・・痛い? どうすれば楽になる?」

「・・・っ、・・・大丈夫です・・・・・・」


 苦しそうに顔を顰めながら笑みを作るクラウザーの顔を、美濃は心配そうに覗き込んだ。
 強がって見せても蒼白な顔色が彼の苦しみを充分物語っている。
 その胸に突き刺さったものが彼を苦しめていることは一目瞭然で、彼女はこんな事では少しも楽にはならないと分かりながらも、クラウザーの手を握って励ますくらいのことしか出来なかった。

 どうしてこうなったのか、美濃は惑乱する頭の中で何度も自問自答を繰り返していた。


 クラウザーは国に帰ると言って別れの挨拶に来ただけの筈だった。
 なのに気がつけば彼と一緒に森の中に立っていて・・・

 次第に荒れ始めた空模様から逃れるように大木の窪みに身を潜めたのも束の間、直ぐに彼はどこかに消えてしまった。

 そして次に現れたとき・・・既に彼の胸には赤黒い光を帯びた槍が突き刺さった状態で、地面に身体を打ち付けらながら倒れ込んだのだった。
 だけどそこから感じる気配に、美濃は直ぐに漠然とした直感を感じとった。

 一瞬ゾクリとさせるようなその感覚が、多摩を怒らせたときの不愉快そうなあの瞳を連想させたからだ。


「・・・・・これ・・・多摩がやったんでしょう?」

「・・・・・・・・・」

「・・・どうしてこんな事に・・・」

「・・・・・・貴女を・・・連れ去ろうとする私を・・・彼が赦しておくはずがない・・・」

「クラウザーが私を・・・? ・・・そんなの多摩が黙ってるわけ無いよ、何でそんな事・・・」


 だけどそれはつまり・・・、多摩とクラウザーが互いのことを知っていたと言うことではないだろうか?
 クラウザーが宮殿にいたのは偶然ではなかった・・・?

 よく分からない。
 分からないことばかりが起こってる。

 分かるのは、多摩がこのままで済まさないと言うことだけだ。


「・・・・どうか何も聞かず、一緒について来てもらう事は出来ませんか?」

「・・・・・・・・・それは・・・・・・私が多摩から離れるということ・・・?」

「・・・はい」

「・・・・・何も聞かずに・・・・・・? 私・・・あなたが誰かも分からないのに?」

「・・・・・・・・・」

「・・・・だってそんなの・・・・・・、私・・・クラウザーに着いていったら、どうなるの?」

「・・・少しの間窮屈かもしれませんが、私の別荘で・・・勿論好きなように使って構いません。直ぐに貴女の住む屋敷を用意します。・・・あぁ、それと私の末の弟にも会わせたい・・・きっとあの子も貴女になら心を開くでしょう」

「弟・・・? 弟がいるの? あなたに似てる?」

「母が違う所為かあまり似ていません。・・・とても寂しがり屋で、友達が必要なんです」

「・・・ともだち・・・・・・」

「・・・・・・そんな理由では・・・・・・貴女に来て貰う事は出来ませんか?」


 柔らかな眼差しを向けられて、どう答えればいいのか分からなかった。
 今の美濃からしてみれば、それは夢みたいな生活に聞こえる。

 友達なんて呼べるものは彼女にはいない。
 そう思っていた相手には何もかもを壊された。

 好きなように・・・そんな風に言われたのも今では遙か遠い昔の事。
 がんじがらめに縛り付けられて、自由が赦されるなんて有り得ない生活を送っている。



 ・・・だけど、そんな甘い言葉を信じる事が出来るだろうか。


 相手はあの多摩だというのに。




「・・・・・・うぅ・・・ッ・・・あぁあ・・・ッ!」

「クラウザー・・・ッ、どうしたのっ!?」


 突如身体を捩らせ、クラウザーが呻き始める。
 そうだ・・・こんな状態の彼がどうやって自分を連れて行けるというのか。

 動くこともままならないというのに。



「あぁあああっ・・・ッ、ぐ・・・ぅ・・・ああっあっ、ああああ!!!」


 綺麗な顔が激痛に歪み、手を握る美濃の手を震えながら握り返してくる。
 あまりの力に美濃は顔をしかめたが、きっと彼の痛みはこんなものではないのだろうと堪えた。

 そして次の瞬間、彼女は苦しみ悶えるクラウザーに刺さったものが異様な動きをしているのを眼にしたのだ。


 メリメリと・・・とても厭な音を立てながらクラウザーの胸にめり込んでいく・・・
 その度に苦悶の表情で汗を滲ませて叫ぶ彼の様子は尋常ではなくて。


「なにこれ・・・ッ!?」


 美濃はクラウザーの手を離し、どんどん彼の胸にめり込んでいくそれを両手で掴んで思い切り引っ張った。
 だけどそれは彼女ひとりの力でどうにかなるような生易しい力ではなく、引っ張れば引っ張る程更にめり込んでいき、まるで意志を持っているかのようにも思えた。


「あああっ、あっ、あっ、あぁああッッッ!!!」


 絶叫に近い叫びに美濃は焦りながら尚も引っ張るが、クラウザーの中を浸食しようとする勢いが強すぎてどうにもできない。



「あっ、あああっ、うぁあああっ、あああああああっッッーーーッッ!!」


「クラウザーッ!」



 そして・・・

 ついには掴むところすら無くなってしまい、彼の中へめり込んだそれはクラウザーの身体を貫通する事無く、その身体の中へと跡形もなく消えてしまったのだ。



「・・・・・・ッ・・・っ!!!」


 これはどういう事だろう。
 見た目だけで言えば怪我ひとつしていない。

 だが荒い息を吐き出し、蒼白になりながら額から滴る汗の粒が頬に流れるのを見て、何かとんでもないことが起きるような気がして美濃はガクガクと震えた。


 あんなのが身体の中に入って・・・どうなっちゃうの?

 多摩・・・何でこんな酷いこと・・・・・・ッ


 美濃は首を振って涙をボロボロと零しながら怯えた。
 このままではまた何かが起こる。

 その前に何とかしなければいけないのにどうしたらいいか分からない。



「・・・・・・・・・は、ぁっっ・・・ッ・・・・・・あ・・・、・・・・・・・・・・・大丈夫・・・・・、・・・段々・・・痛みが・・・ひいて・・・・・・」


「・・・・・・えっ・・・・・・ッ、・・・ほ、・・・ほんとう?」


 決して大丈夫そうな顔色ではないけれど・・・クラウザーは美濃に視線を向けて小さく笑ってみせた。
 確かに激痛で叫んでいた先程までの彼の様子とは違うような気がする。

 だけど・・・・・・あんなものを身体に取り込んで平気なわけが・・・


 美濃の心配を他所に、クラウザーは袖口で汗を拭い、少し苦しそうに息を整えながら起き上がった。



「・・・・・・行きましょう・・・」

「でも・・・ッ」

「考えたらきりがありません。・・・だから今は痛みが無くなったことだけで充分です」


 そう言ってクラウザーに手を取られて、大木の窪みから二人で飛び降りる。
 一緒に行くとは答えていない・・・でも断る言葉も理由も見あたらない。


 このまま彼と一緒に・・・・・・

 本当に・・・?

 あんなに何度も多摩の元から逃げようとして、その度に連れ戻されて。



 ・・・多摩は追いかけてくるよ。

 だって私がどこに行っても地の果てだって捕まえに来るって・・・



 もう俺の側を離れようと思うなと言った時の多摩の顔が忘れられない。
 恥ずかしいくらい顔が熱くなって、勘違いしてしまいそうな程真っ直ぐに見つめられた。



「・・・・・・・・・っ」



 私・・・何を考えてるの?

 クラウザーの申し出を喜ばなくちゃいけないのに・・・


 これじゃ、まるで多摩に連れ戻されるのを待っているみたいな───








「みーーーっけ! 巽〜、やっぱアイツ凄いわ」

「・・・・・・あぁ・・・そうだな」


 雨の音に混じって・・・遠い昔を思い出させる二つの声が背中から聞こえたような気がした。

 そんな幻想があるはずがないと思いながら、それでも自分があの声を間違える筈がないと、どこかでそんな事を思ってしまう。



「・・・・・・・・・貴方がたが来たと言うことは、・・・足止めに成功したということですね・・・」


 繋いだ手はそのままにクラウザーが後ろを振り返る。
 美濃は彼を見上げ、その視線の先を追うように後ろを振り返り・・・・・・



「・・・・・・ッ・・・・・・、・・・・・・・・・」



 此方へ向かって歩いてくる二つの長身が。
 ひとりは蜂蜜色の癖のある髪で愛嬌いっぱいの笑みを浮かべ・・・

 そしてもう一人は・・・


 焦がれて焦がれて焦がれ続けた───





「・・・・・・・・・巽・・・?」




 何故・・・・・・彼らが此処にいるの。

 目の前に存在しているの。




 こんなのおかしい。

 全部全部多摩が壊したって・・・、何もかも壊したって・・・・・・ッ




 もう何が起こっているのか。
 夢なのか現実なのか・・・美濃には全く区別がつかなかった。











その4へつづく


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