『呪縛』
○最終話○ 静かなる世界(その6)
───ゴォオオオオオオオオ・・・ 歪みの中に呑み込まれていったクラウザーと乾は、ある地点で突然何かに跳ね返されたような衝撃の後、全身を強打しながら地面に転がっていた。 乾にとって自分の身体が瞬間的に別の場所へ移動するというのは生まれて初めての経験だったが、いきなりこれ程の激痛を味わう羽目になろうとは思いもよらず・・・ だがそんな事より、近くで聞こえる激しい轟音がやけに耳につき、彼は前後左右の区別さえも曖昧なまま上体を起き上がらせた。 「・・・・・・う・・・痛・・・て・・・ッ、・・・何の音だ・・・?」 痛みに顔を顰めながら周囲を見回すと、驚くべき光景が目に入った。 風の壁・・・・・? 轟音の正体は目の前に広がる風の壁だったのだ。 同時にそれが何を意味するのか、過去に神子の里で同様のものを目にした事がある乾には説明の必要は無かった。 この風の壁は恐らく内側の・・・・・・森の中に潜んだ姫さま達を包囲する為のものだ・・・・・・ ・・・・・・じゃあ、多摩は・・・・・・、 無事だったって・・・・そう言うことだって、思って良いんだよな? それに翌々注視してみれば、大木が根本からもぎ取られたかのようにあちこちに大穴が空いている。 きっとこの先も緑が続いていたに違いない。 だとすれば、この風の壁の出現によって根本から全て持ってかれてしまったのだ。 「・・・・・・なるほどね。・・・包囲・・・・・・全くその通りだよ・・・多摩」 乾は不敵に笑みをつくり、大木の根元に転がっているクラウザーを視界に留めた。 彼も随分と強かに身体を打ち付けたようで未だに起き上がれずにいるらしい。 それでも何とか上体だけを起き上がらせたが、予想外の障害を目の前にして自分が何に跳ね返されたのかを悟ったらしく、これ以上無いくらいにその顔は強張り、愕然としているのが見て取れる。 乾はふらつきながら立ち上がるとクラウザーの元へ近づいた。 それに気づいたクラウザーも痛む身体を引きずるように立ち上がり、乾を睨み付けている。 「アンタとこんな風に二人きりってのは初めてかもね」 「・・・・・・」 警戒した面持ちのクラウザーは幾分表情が硬く、それとは対照的に乾の表情はあまり変化がない。 この状況への理解がその差を生んでいるのかも知れなかった。 「一緒に飛んできたのが俺で良かったろ? あのままだと姫さまに怪我を負わせてたかもしれないんだ」 「そのようですね・・・・・・。・・・貴方たちの事情に首を挟んだ途端・・・抜け出せない迷路にはまり込んでしまった気分だ」 「ま、当人達に比べれば迷路って程のもんじゃない、簡単に言えば男女の痴情のもつれってヤツだ。俺らは精々それにちょっとだけ巻き込まれた観客って所だろ」 「・・・・・・おかしな事を言う」 乾の言葉に些か緊張が解けたのか、クラウザーは僅かに苦笑してみせた。 本当に変な男だと思った。 人懐こい笑顔を見せる一方で、恐ろしく客観的な意見を飄々と言ってのけ此方を驚かせる。 先程に至っては、多摩の意に添うために追いかけてきたと思えば、美濃を巽の元へやるために自らが身代わりとなって飛び込んできた。 彼は一体何を考えているのか・・・ 神子に心から忠義を尽くしているというわけでもないのか? ───・・・・・・やる、・・・、・・・して・・・・・・、・・・─── 「・・・・・・・・・?」 ふと・・・そんなクラウザーの思考を邪魔するかのように、風の壁が作り出す轟音に混じって何かが聞こえたような気がした。 眉をひそめてそれに耳を傾けようとするが轟音が激しすぎて他の音など耳に入ってこない。 気のせいか・・・? だが直ぐ側で乾も腑に落ちないような顔をして空を見上げている。 クラウザーの視線に気づいた乾は曖昧に笑って誤魔化したが、直ぐに難しい顔をして押し黙ってしまった。 ───・・・赦さぬ・・・、・・・・・・あの日の屈辱・・・晴らし・・・─── 「・・・・・・・・・・なぁ・・・、・・・アンタにも聞こえない?」 「・・・・・・・・・えぇ・・・」 轟音とは違う音、いや声と言うべきか。 それらは一端聞こえ出すと不気味な程耳に入ってきて、終始何かを呟き続けているらしいことが分かってくる。 決して全てが聞き取れる言葉として理解出来るわけではないが、単語として理解出来るものの言葉の端々には執念深さを思わせる暗く澱んだ妄念のような狂気を想像させる。 ───・・・あの日と同じ・・・雷鳴、悲鳴、絶叫・・・、・・・・・・・・・る、・・・して・・・・・・殺・・・、してやる殺してやる殺してやる殺してやる─── 「穏やかじゃないなぁ・・・・・」 乾はこの陰湿な呟きに幾分げんなりした様子を見せた。 だが明らかにこの混乱に乗じて何者かがこの風の壁の中へと侵入してしまったことは確かなようだ。 しかもかなり頭の壊れた危険な思想を持つ誰か。 辺りを見回して姿を捉えようとするも視界に留めることは出来ない。 それに轟音に邪魔されてどこから聞こえてくる声なのか判断もつかない。 近くではないのか・・・? 「・・・何だろうなぁ・・・」 「あまり気分の良い内容ではありませんね」 その声に自分達は反応すべきか、それとも放っておくべきか・・・判断に迷うところだ。 侵入者だからとわざわざ関わる必要もない事は分かっている。 だが・・・ ───・・・・・・見つ・・・けた・・、見つけた、ぞ・・・・・・あの男だ・・・・・・殺してやる、・・・積年の・・・恨み・・・・・・今・・・・・・殺せ・・・殺せ殺せ─── 見つけた・・・? クラウザーと乾は顔を見合わせる。 同時に、パキ・・・と小枝を踏む音が二人の後方から聞こえたのだった。 「・・・・・・見つけたぞォオ、・・・多摩ーーーーーッ」 「「・・・・・・ッ!?」」 振り返るや否や、何者かが二人目掛けて猛進してきた。 乾は寸前の所で身を翻し、クラウザーも何とか避けきったものの、二人とも自分達が何故突然襲われるのか理解出来ない。 多摩・・・・・・? 今、多摩と言わなかったか? 「おのれ、一度や二度避けた程度でまたしても愚弄するかッ!!」 野太い男の声が尚も襲いかかる。 間近に聞こえた声に危険を感じたクラウザーは直ぐ側の大木をバネにして飛び上がり、その数瞬後にビュン・・・という風を切り裂くような音を聞いた。 それは男が持っている長剣を振るう音だったと言うことを、クラウザーは再び地面に着地し、男の後ろ姿を目にしながら大木が横から真っ二つになって崩れ落ちるのを見たときに漸く理解することが出来た。 「・・・・・・多摩ーーーーッ、多摩ぁあああああ!!!!」 男は息を荒げながら地を這うような低音を張り上げる。 それだけで森中が振動するようなもの凄い声量だった。 「我々はどちらも多摩では無い! お前は何者だ!!」 毅然と言い放つクラウザーの言葉に男は喉奥で嗤い・・・伸びきった艶のない髪の毛を振り乱しながらゆっくりと振り返った。 それを見た乾は僅かに顔を引きつらせ、ゴクリと唾を飲み込んだ。 「・・・・・・オイオイ・・・・・・こりゃ・・・一体どうなってんだよ・・・」 乾の呟きが耳に入ったクラウザーは、その言葉の意味を掴みかねた。 だが少なくともクラウザーには全くと言っていい程見覚えのない、初めて見る男だ。 土埃にまみれ、汚れきった服は所々破けて見窄らしい。 何年も櫛を通していないであろう乱れた髪は老人のように真っ白で、そこから覗くギラギラとした双眸が紅を含んだ紫色をしていることから、何らかの理由で生き残ったこの国の者であることを証明している。 「グハハ・・・ッ、怖じ気づいたか、貴様の気配全てが多摩だと名乗っているではないか!」 男は“クラウザーに向かって”大きく指を差した。 そして右手に持つ長剣をブンブンと振り回しながら殺意の籠もった眼差しで睨み据える。 「・・・・・・どういう・・・」 訳が分からないといった様子で戸惑いを見せているクラウザーを乾は横目でチラリと盗み見た。 多摩の気配・・・・ねぇ・・・ 確かに似た形容のものをクラウザーの内に感じるのは、乾も納得するところだった。 クラウザーと美濃を追っていた時、何を目指していたかと言えばあの底冷えするような異様な気配だ。 それは多摩から放たれる威圧感にも似たもので、今のクラウザーからもそれと同等とまではいかなくとも、極めて酷似したものを感じるのだ。 「なぁ、・・・多摩が放った赤黒く光る・・・アレどうした?」 今もあれがクラウザーに突き刺さっている・・・という事であればこの感覚は正しいと自分でも言えるのだが、見る限り負傷の痕跡は無い。 ならば何故あの気配を彼の内から感じるのか・・・ 「・・・・・・この身体の中に」 憮然とした面持ちで答えるクラウザーのその言葉に、乾は驚愕した。 「・・・・・・・・・身体の中・・・って、・・・取り込んだのか・・・!?」 「抜こうとするほど身体に食い込んで・・・取り込んだのか消えてしまったのか私には分かりません」 あんなものを身体に宿してしまったのかと乾は絶句した。 信じられない・・・よく今まで平然としていたものだ。 だが・・・そう言うことであれば納得がいく。 とんでもない事実を掴んでしまったことは運が悪かったとしか言いようがないが。 「多摩ぁぁあああッ!!!!」 男が猛然と突進する。 長剣をクラウザーに突き立てようと大きく振りかぶり、それを振り下ろす直前、何故か乾はクラウザーを庇うように突き飛ばして男の前に立ちはだかった。 「何を・・・ッ」 「どいてろ」 ───ウオォオオオオン・・・ 乾は己の剣を抜くなり片手で男の剣を受け止めた。 多摩の血を大量に吸ったことで必要以上の妖気を纏って黒剣が唸る。 最早これに太刀打ちできる武器など無いのではないかと思える程力を付けた黒剣は、男の長剣を呆気なく弾き飛ばした。 「・・・・おのれぇええっ、今度は自在に形を変え謀るかっっ!!!」 男は黒剣を見るなり、もの凄い形相で飛びかかる。 どう見ても多摩の気配を感じさせるものに反応しているとしか思えない行動だった。 乾は威勢の良すぎる自分の黒剣に苦々しさを感じながら鞘へと収めてしまう。 そして飛びかかってくる男の両腕を掴み取り、己の力のみで受け止めた。 「・・・くっ、何て力だよ・・・ッ!」 「があああっ、多摩あぁああああっ!!!!」 歯を剥き出しにして『ガチンッ、ガチンッ』と乾に噛みつこうとしているその形相は理性の欠片も感じない。 多摩への執念だけがこの男の原動力となっているのかもしれなかった。 乾に庇われた形になったクラウザーは、目の前で男のなりふり構わない攻撃を一身に受け止めている乾の姿を信じられない気持ちで見ていた。 彼は一体何を考えているんだ・・・ 身を挺して私を庇う必要がどこにある? 「どうして私を庇うのです!? しかも、何をされるか分からない危険を目の前にして剣を収めるなど・・・ッ」 乾は額から汗を流しながら不敵な笑みを浮かべ、男の腹を蹴り上げた。 呻きながら地面に転がる男を見て、乾は数歩分だけ間合いを取る。 「俺はそもそもアンタを危険に晒すつもりは無いんだよ。個人的にはたっぷりと礼を返したい気分だけど・・・バアルを敵に回したくないしなぁ。・・・・・・それに、俺はアンタみたいに剣を誰かを斬るものとして使うのは性に合わないんだ」 「・・・・・・何を言って・・・・・・」 敵に対峙して剣を持っているなら斬るために使うのは当然だ。 それ以外の使い方など聞いたこともない。 「そんな顔されると披露したくなるけど、ここは場所が悪い。包囲された中でそれをやったら自滅しちまう。何よりこの剣、余計な力を持ちすぎだ。気を抜くと飼い主まで噛みつこうとしやがる・・・ッ、アンタの所為で滅多な事じゃ使えなくなっちまった」 「・・・・・・・・・」 本当にそれが答えなのだろうか・・・・・・ 乾が剣を収めてしまった事で男がクラウザーを標的に変えようとしている今もまた、それを庇う為に何度も目の前に立ちはだかる彼の姿が不思議でならないというのに。 だが、どう見ても本気で闘っているようには見えない乾の姿は一体─── 「おまえとあの男、どちらが傷つくことも死ぬことも選べないだけだ」 トン・・・と、小鳥程の軽やかさで、クラウザーの直ぐ後ろの巨木の枝へ何かが飛び乗る音と共に、声が降ってきた。 「・・・・・・・・・ッ」 まさか・・・ゾクリと背筋が粟立つ。 だが、聞き違えるものか。 静かな話し声にも関わらず、轟音に掻き消されることなく響くこの低音を。 「・・・しかし、生きていたとはな。・・・後始末を任せたつもりだったが・・・巽め、逃走を許したか」 瞬時に誰もが声の方角へと視線を集中させた。 血に染まった白い装束と艶やかな漆黒の長髪が風に靡き、色白の肌によく映える紅い双眸が無慈悲に煌めく。 彼の立つ場所だけ特別な空気が流れているとしか思えない程の、圧倒的な存在感。 「多摩アァアアアアッッーーーーーッ!!!」 誰より早く反応した男が狂った形相で立ち上がり、数歩前に立ちはだかる乾を投げ飛ばし、巨木へと突き進む。 その動きを見て愉しそうに目を細めた多摩は口角を最大限に持ち上げて嗤い、枝を蹴り空に舞い上がった。 彼は音も立てずにフワリと地面へ着地するなり、乾の黒剣に飛ばされ転がったままの男の長剣を手に取る。 男は自分の後方に降り立った多摩を振り返り、獲物を目の前に涎を垂れ流した猛獣の如く雄叫びをあげながら飛びかかっていく。 「今度こそ愉しませてくれるのか?」 そう言いながら突進してくる男に向かって多摩は剣を放り投げる。 まるで態と手渡すように投げられた長剣は案の定男の手の中に簡単に収まってしまい、男は嘲るように嗤いながら剣を振り上げた。 しかし多摩の動きは羽根のような軽やかさで振り下ろす剣を難なくかわし、その後も動きを止める事無く続く攻撃にも、舞いを踊るようにして身を翻すその姿は見るものを釘付けにする程美しかった。 更には時間と共に段々と体力を消耗させて息が上がっていく男と対照的に、多摩の息は僅かな乱れも感じない。 それだけでどちらに軍配が上がっているかは誰の目にも明らかだというのに、男は勢いを緩めることなく立ち向かっていく。 一体何が男をそこまで動かすのか・・・その執念は異常としか言いようがない。 「多摩ッ多摩ッ多摩ッ多摩ーーーーアアァァァアあッ」 ビュンビュンと空を斬りながら振り回す男の長剣を見事に避けながら多摩はフワリと空に舞い上がる。 男が振り上げた剣先をつま先だけで滑らかに弾くと、呆気なく男の手から長剣が滑るように飛ばされ、何度か弧を描いてクラウザーが立っていた直ぐ側に突き刺さった。 「・・・単調な動きばかりでつまらぬな」 男は手元から消えた長剣に目を見開いていたが、空に舞い上がった多摩が自分の背後に着地し、その圧倒的な存在感と抑揚のない低い声に含まれる威圧感を側で感じた事で、これと似たような出来事が昔あったような気がする・・・と、頭の片隅に残っていた僅かな理性が働いた。 しかし理性というものはこの男にとっては邪魔でしかなかった。 この恐怖に屈してしまうような理性と本能よりも、ただひたすら自分を突き動かしていたひとつの感情を優先した男は、呪文のようにその言葉を繰り返す事で一層己を奮い立たせた。 「・・・・・・多摩ッ・・・多摩・・・ッ、・・・殺す殺す殺す殺す殺す」 ブンッと腕を振り回して後ろに立つ多摩に殴りかかる。 しかし背後に居た筈の多摩の姿はそこには無く、虚しく拳がから回る。 明らかに苛ついた様子を見せた男はぎょろりとした目で辺りを睨め回す。 頭の中には多摩しか住み着いていないかのように、多摩、多摩と繰り返すその姿は心底気味が悪い。 そしてクラウザーを見たところで、男の目線がピタリと止まった。 「・・・なっ!?」 まさか再び自分が標的になるとは思いもよらず、油断していた彼は驚きの声をあげて突進してくる男の迫力に僅かに後ずさった。 すると・・・ とんっ・・・背中にぶつかる感触が・・・。 「・・・・・・ッ!?」 振り返ろうとしたところで耳元に低音が囁く。 「・・・・・狂わずに殺意を抱いていればまだましだったものを・・・・・・まともな会話も出来ない者の相手はつまらぬ。そろそろおまえが相手をしろ」 「・・・・・・ッ、・・・・・・何・・・を・・・」 「・・・わからぬか? ・・・・・・・・・・・・その身に受けた罰に食われてしまえと云っているのだ」 紅い目が・・・嗤っている。 そんな気がした。 絶対に彼の眼を見てはいけない・・・・・・ 見たら最後、戻れない所に堕とされてしまう気がする。 なのに身体が勝手に振り向いてしまう。 拒絶する意志を無視して、彼の瞳に引き寄せられていく・・・ 「・・・・・・あ・・・・・・、いや・・・だ・・・・・・・・・あ・・・・・・、ぁ・・・・・・」 紅い目が・・・誰よりも紅い目が・・・・・・・・・ 「・・・・・・う・・・ああ・・・・・・ッ・・・・・・、・・・・・・あ、・・・あ、あ、・・・あ」 胸が熱い、灼けるように熱い。 胸に埋め込まれたアレが内部を食い荒らし、心までも貪るようにドロドロに溶かそうとしている。 その7へつづく Copyright 2010 桜井さくや. 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