『呪縛』

○最終話○ 静かなる世界(その7)









 ───何だ・・・あの二人、何やってんだ?



 少し離れた先で彼らの様子を見ていた乾は異様な光景に絶句していた。

 目で追うことすら難しい多摩の動きはあまりに常人離れしていて、気がついた時には彼の姿はクラウザーの後ろをとっていて・・・だがそれには直ぐに男も気づいたようだった。
 しかし問題はそんなことではなく、クラウザーの耳元で多摩が何かを囁いたように見えた直後の異変だ。

 構わず突進する男の事よりも、クラウザーの様子の方が気になって仕方がない。
 多摩の眼を見たままで、背後から近づく男に全く意識を傾けていないのが異様なのだ。


 それに・・・・何となくクラウザーの胸の辺りが紅く光っているような気がするのは・・・・・・





「多摩アアアアァァァァアアーーーーッッ!!!!」





 拳を振り上げながら男が飛び上がる。


 だが・・・





《・・・・・・・・・その声、いい加減苛ついてならぬわ・・・》





 多摩に酷似した、だがどこか多摩とは違う声で、溜め息混じりにクラウザーが呟いたような気がした。

 その瞬間、残像が走り男が吹き飛ぶ。




「ぎゃあああああああああああああ」



 男の絶叫が森中に木霊する。
 クラウザー達が立つ場所から対極に吹き飛ばされた男は己の長剣を腹に突き刺しながら大木に激突し、そのまま地面に転がった。

 突然の激痛にのたうち回りながら叫ぶその様子を感情の無い冷ややかな眼で見つめるクラウザーは、ゆっくりと男の側まで近づいていく。

 そして男の腹に刺さる長剣をあっさりと抜き取りながら、ニィ・・・と残酷な笑みを浮かべたのだ。




《・・・か弱き王よ・・・・・・おまえの存在は“イマサラ”でしかない。・・・わかるか? 最早、憎い相手にも指一本触れることが出来ぬまま事切れる運命しか残っていないのだ》




 クラウザーは再び奪った長剣で一瞬の躊躇もなく男を突き刺す。





「ギャアアアアッアアアアアアアーーーーッッ・・・・・・」



 耳を劈くような断末魔の悲鳴と共に男の身体が業火となって燃え上がる。


 それはもしかしたら・・・・・・あの長剣から漏れる赤黒い光によるものではないかと・・・・・・



 一歩も動くことが出来ず呆然と立ちつくしていた乾は、このあまりに現実離れした不気味な光景を目にしながら、やけに冷静に働く頭の中でそんな事を思っていた。






 ───だが、




「・・・・・・うっ・・・・・・あ、あっ、・・・・・・これは・・・一体・・・・・・・・・ッ」



 誰の目にもクラウザーが男の息の根を止めたとしか思えないこの状況下で、まるで今初めて燃え盛り炭になりかけている男を目にしたような顔をして、突然彼は動揺を露わにしながら後ずさった。

 その様子は明らかに狼狽えたものであり、眉を顰めざるを得ない。

 そして、頭を抱えながら青ざめた顔をしているクラウザーを見ているうちに、何かがおかしい・・・と我に返った乾は彼の元へ駆け寄った。


「おいっ、どうしたんだよ?」

「・・・・・・私ではない・・・・っ、あれは誰だ・・・・・・、・・・・・何かが・・・何かがいる」

「何言って・・・」


 取り乱すクラウザーの肩を抱え、乾は一体何が起きているのかと顔を顰めた。
 だが彼の混乱は普通ではなく、どう対応していいものか分からず戸惑っていると、直ぐ後ろでカサ・・・と落ち葉を踏む音が聞こえた。
 それは多摩以外の何者でもあるはずが無く、乾は何の気無しに振り返った。


「・・・・・・っ」


 だが振り返った先で見えた多摩の瞳があまりに冷酷に光っていて、思わず言葉を呑み込んでしまう。


「これは何だ・・・、・・・・私に何を・・・ッ!?」


 クラウザーの叫びに多摩の唇がうっすらと嗤う。


「なに、相応の罰が下っただけのこと」

「・・・・・・罰・・ッ!?」

「・・・・・それでもまだ気が収まらぬなぁ・・・・・・おまえを追えばあの子に辿り着くと思って来てみれば・・・・・、つくづく俺の機嫌を損ねたいらしい・・・」

「・・・・・・・・・・、た、・・・多摩・・・、あの・・・それは俺が・・・」

「乾よ、この男が美濃を連れて逃げた、それだけの事実があれば充分なのだ。・・・・・・そうだろう? クラウザー・・・」


 多摩は態と甘く囁き、底冷えするような笑みをつくって見せた。

 何を考えているのだろう・・・まさかクラウザーに対して危害を加える気は・・・
 焦りを感じる乾だったが、今の多摩には何を言っても聞き流されてしまう気がする。




《・・・・・・ならば多摩よ・・・おまえ、そんな物欲しそうな顔をして何を望む?》



 また・・・あの声だ・・・・・・


 多摩によく似た低音の・・・
 乾はやはりアレは聞き違いではなかったのだと確信した。


 しかもその声の出所は先程とは違い、クラウザーの内部から聞こえた気がする・・・・・・

 クラウザー自身は自分の内部から聞こえた声に恐怖の表情を浮かべているというのに。



「・・・傷が癒えぬ・・・・・・ほら・・・おまえに傷つけられた胸の傷が・・・疼いて疼いて仕方がないのだ」


 胸元がよく見えるように血に染まった装束をはだけさせ、多摩はうっすらと嗤う。
 あれ程絶望的に思えたあの傷は信じられない程の回復を見せており、乾は我が目を疑った。

 多摩は自分の胸の中心に指を這わせ、円を描いてトントンと指を差してみせる。


「剔られた心臓の分だけ大きく窪んでしまった。酷い事をする男だ・・・」


 確かに彼の言う通り、胸の中心には拳半分程の窪みが出来ている。
 よく見れば裂傷の痕も残っているようだ。
 しかし短時間にこれ程の回復・・・一体何をすればこんなことが。


《・・・回りくどい言い方をするな。・・・・この男に流れる血が望みなのだろう? ・・・だが必要以上には喰らうなよ、この男が死ねば俺も死ぬ》

「・・・・・・わかっている。だが、これでは見た目が悪いだろう?」

《・・・見た目など気にしたことのないおまえがそれを言うか。大体、それで剔られた心臓が元に戻るわけでもないだろう、・・・まぁ、おまえの望みというなら受け入れるしか無いがな・・・》



 愉しそうに多摩は嗤い、同時に見えた真っ赤な舌が壮絶な色気を帯びて・・・・


 乾はその瞬間、クラウザーが自ら多摩の胸元に飛び込んでいくのを目にした。


 そして首すじに唇を寄せ、まるで愛撫のように赤い舌を這わせる多摩の目がこれまで以上に紅く煌めいたのと同時に、クラウザーの表情が恍惚として快楽に身悶えているかのように唇を奮わせ、濡れたエメラルドの瞳が天を見上げながら甘い吐息を切なく漏らす。


 恐らくそれ程長い行為ではなかったはずだ・・・


 だがその間中多摩の満足気にうっとりと細められた紅い瞳を見ていた乾は完全に思考が停止してしまい、クラウザーがその場に崩れ落ちても、微動だにもせず佇む多摩の胸元には何の傷跡も、窪みすら残っていなかった事にも・・・彼は全くと言っていい程反応ひとつ示すことは出来なかった。



「・・・・・やはり・・・・この上ない極上の贄だった・・・・。乾、その男を宮殿へ運んでおけ」


「・・・・・・あ・・・・・・、あ、・・・あぁ・・・」


 放心して辛うじて頷く乾を一瞥し、多摩は袖口に仕舞っておいた美濃の髪の束を取り出した。

 それを唇に押し当て、彼女の甘い香りを感じながら目を閉じる。
 美濃が彼の手の中から消えてから、もうずっと狂おしいまでの激情が彼の胸の中で暴れ続けていた。
 このまま美濃の気配を感じることも出来ずに彼女を取り戻す事が出来ないなら、目に見えるもの全てを破壊しながらでもしらみつぶしに探し続けるだろう。



 だが・・・あの子の気配をそういつまでも隠し通せるものか。

 俺が全てを薙ぎ払ってやる。




「・・・・・美濃のものなら、何一つ手放したくは無かったものを・・・・・」



 名残惜しそうにそう言うと、多摩は手に握った髪の束に息を吹きかけ、風の勢いとともにそれを天に放った。

 散り散りに空に消えていく途中、それらは真っ赤な光を帯びながら火花となって消えていく。



 乾はバチバチ・・・という火花の音を耳にしているうちに少しだけまともな思考が戻り、天を見上げ、吸い込まれそうな程蒼く晴れ渡る空を見上げる多摩の後ろ姿を目で追った。

 今にも羽ばたいてしまいそうなその背中は、何と遠い存在だろうと今更ながら思う。
 いつまで経ってもこの距離が縮むことはないのだろうか。


 だけど羽ばたいてしまう前にどうしてもひとつだけ・・・乾には願うことがあった。

 それが多摩に届くか分からなくても、願わずにはいられなかった。



「・・・・・・・・・多摩」


 僅かに多摩の背中が反応し、何だ? と問いかけるように少しだけ振り返る。

 あぁ・・・何て純度の高い・・・紅く美しい瞳を彼は持っているのだろうと思う。


「・・・・ひとつだけ・・・頼むよ・・・・・・。この先何があっても、巽を支配し続けてくれ・・・・・・アイツを元に戻さないでくれ」


 まるで友を裏切るような台詞を吐く乾に、一瞬だけ多摩の目が見開かれたような気がした。


「・・・・・・頼む・・・、頼むから・・・これだけはどうしても聞いて欲しいんだ・・・・・・ッ」


「・・・・・・・・・・・・憶えておく」



 地を蹴る音と共に一言だけ答える声を聞いたと思った次の瞬間、多摩の姿はもうどこにも無かった。
 乾は急激に力が抜けていくのを感じ、近くの大木にもたれ掛かる。



 何という悪夢だ。

 消し炭になった、かつての王の塊と・・・意識を失ったクラウザーの姿。

 少し見回すだけで目に入ってくるこれは本当に起きたことか?


 善も悪も無い・・・それ故に、包み隠すことのない感情も行動も、時に凶器となって多くの者を傷つける。
 もうそんな事は終わりにしなければいけないのに、誰も彼を止められない。


 もし変えられるとすれば・・・・・・多分・・・姫さま以外にはいない。
 一番傷を負っている姫さまだけが・・・多摩を変えることが出来る唯一の存在だ・・・




 乾は側で燻る黒い塊を見て、まるでまだそこに誰かがいるかのように小さく囁いた。



「・・・なぁ、・・・・・こんな最期じゃ、皆と一緒に死んだ方がマシだったんじゃないのか・・・・・・?」



 乾を目の前にしても、彼にはそれが誰だか分からないみたいだった。
 分かるのは多摩の存在だけで、もしかしたら美濃を目の前にしても・・・・・・


 彼を逃がしたのは巽だったのだろうか・・・
 多摩に支配されても尚、命を奪う事は彼の本能が赦さなかったということなのか?


 自分がもし巽と同じ状況だったらどうしただろうか。
 手を下せる事など出来ただろうか。


 ・・・・・・彼は・・・・・・周囲から非難されるような事が度々あった乾の性格を良く理解して、おおらかに笑って仕方ない奴だと許してしまうような王だった。
 多摩に着いて神子の里へ行けたのも、快く承諾した彼がいたからだった。



「・・・・・・くそ・・・ッ・・・・・・」


 多分、自分は巽と同じ事をするのでは無いだろうか。


 だとすれば・・・・・・結局は同じ最期しか無かったと・・・・・・?


 目頭が熱くなり視界がぼやける中、乾は先程多摩に願った他愛のないたったひとつの想いが聞き届けられるよう、それだけを祈った。



 巽にはこの先も多摩の支配がどうしても必要なのだ。

 何故なら、元に戻った瞬間、彼を信頼していたあらゆる人々を非道な行いによって裏切った自分自身を絶対に赦しておけるはずがないからだ。
 確実に己の命を以て償うことを選ぶからだ。


 乾には巽を失うことだけは堪えられそうになかった。
 例えこの先、美濃を失う事で巽が苦しみ続けようと、生きているならその方がずっと良い。



 だから元に戻さないでくれと・・・・・・それだけをひたすら願ったのだ。










その8へつづく


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